凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

もしも坂本龍馬があの日…Ⅱ(実行犯は誰か)

2005年11月16日 | 歴史「if」
 さて、龍馬殺害犯及びその指令を出した人物については、実に多くの説が唱えられている。前回、情報を流したのが伊東甲子太郎ではなかったか、とまでは書いたが、実行犯も果たして伊東なのだろうか。黒幕より前に実行犯について考えてみたい。

 実行犯は見廻組説が現在のところ通説と言ってもいい。それは何故かと言えば、自供があるからである。これほど確実なことはなくてこれで決定と言えばいいはずであるが、どうしてこれが信用されないのか。
 実行犯は、当時新撰組だと言われた。それは現場に刀の鞘と下駄が残されていたからである。この鞘と下駄を見て、例の伊東甲子太郎は、新撰組の原田左之助のものだと判断した。これを土佐藩谷干城が信じ、下手人を新撰組に絞って探索したのである。近藤勇が斬首になったのもこの影響がある、とされる。
 しかしながら、後に新撰組大石鍬次郎を取調べた際に「見廻組の今井、高橋がやったのだ」という証言が出てきた。果たしてその今井信郎は戊辰戦争で函館に従軍していて、後に拘束され自供した。この時は「自分は見張りだ」と言って禁固刑に止まっている。しかし後日述懐したところによると実行犯は自分だったと言っている。
 他の見廻組は鳥羽伏見の戦などで組頭佐々木唯(只)三郎をはじめとしてほとんどが戦死している。真相を裏付けする証言は得られない。唯一、渡辺一郎という元見廻組の剣士が「自分がやった」と述懐している。こういう点が「功名争い」であると谷干城が判断して新撰組説を譲らなかったため、混迷していったと考えられる。
 しかしながら、この元見廻組の二名の証言は信憑性がある。今井の証言が揺れるのも実行犯となれば斬首は免れないのでいたしかたないだろう。また今井は実行メンバーを佐々木唯三郎他5名としてその中に渡辺一郎を含まなかったのも、まだ生き延びている渡辺のことを思うと当然とも言える。

 他の説も考えてみよう。まず新撰組説だが、近藤にも原田左之助にもアリバイがあり、他の隊士に命じたとしても記録がない。仇敵である龍馬はんを討ったのなら自慢してもいいくらいなのに沈黙している。その他の状況を書くとキリがないのだが、新撰組は関与していないと見るのが妥当だろう。
 中村半次郎説は、黒幕薩摩説とともにクローズアップされているが、その日記などから否定的意見も多い。僕は個人的に思うのだが薩摩自顕流は初太刀が命で、龍馬はんの額をはらい背中に斬り付けてまだ致命傷を負わせていない太刀筋は違うと思うのだがどうだろうか。
 内ゲバ説、特に中岡と斬り合った説などはどうも納得出来ない。動機付けはともかく、背面からの刀傷が多すぎる。正面から斬り合ったとは思えない。また当時大政奉還に激昂していたと言われる陸援隊の他の隊士がやったという説もある。中岡はそれで犯人像を明確にしなかったのだ、とも。しかし陸援隊長の中岡をも斬るだろうか。口封じで斬ったとしても、完全に止めを刺さないのはどうしたわけか。 「もうよい、もうよい」と言って刺客は去ったのだ。この説は成り立たないように思う。
 そして問題の伊東甲子太郎説であるが、彼は龍馬はんの居場所も確認しているし、事件後すぐに駆けつけ新撰組犯行説を唱えるなど相当に怪しい。しかし、伊東は龍馬はんと中岡慎太郎には面が割れているのである。伊東であれば瀕死の慎太郎が名指ししたはずだが、慎太郎は「刺客に見覚えはない」と証言しているのだ。ここが難しい。ただ、伊東以外の高台寺党がやったとすればまた話が違ってくる。高台寺党の一員であった富山弥兵衛説というのがあって、これはなかなか捨てがたい説なのだ。刺客に薩摩訛り、という証言もある。富山は官軍として戊辰戦争に参加、越後で捕えられ死んでいる。

 僕が考えるのは、伊東以下高台寺党説も可能性は高いが、やはり自供がある今井信郎、渡辺一郎を擁した佐々木唯三郎以下の見廻組であると思う。伊東が命令して高台寺党がやったとすれば危険が多すぎる。勤皇討幕の立場として土佐藩を敵に回したくはあるまい。それでなくても怪しい行動を伊東はしていたのだ。伊東が見廻組に情報を流した、と考えるのが妥当ではないか。見廻組は必死で龍馬探索をやっていたのだ。寺田屋襲撃事件で龍馬はんが捕り方をピストルで撃って以来、龍馬はんはお尋ね者である。龍馬はん襲撃の正統な理由があるのだ。確実な情報が佐々木唯三郎に入れば動くに違いない。伊東からの情報というのは組頭佐々木しか知らないことであろうから、今井、渡辺が知らなくても不思議ではない。
 しかし、高台寺党説も絶対否定は出来ない。決め手はなく推測で僕は見廻組説を採っているに過ぎない。少なくともどちらかだと思う。

 では伊東が黒幕か? 伊東にそんな動機はない。伊東に命じた人物は存在するはずである。そこがこの事件の一番の謎の部分だろう。

 次回に続く。

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2 コメント

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フムフム♪ (jasmintea)
2005-11-17 22:45:50
たぶん凛太郎さんもそうだと思うのですがここは何度も何度も自分なりに論理を組み立てては傍証をとったりして突き詰めて考えてみるところですよね。

この暗殺の真相を知るには中岡の人間関係もわからなくっちゃ!ってな具合!!

実行犯に関してはもうほぼ特定されてると言って間違いないところですよね。

そしておっしゃる通り情報を流したのも。

でも、黒幕と伊東のつながりは何重かに膜をはってて確証がありません。

ので!次回のお話がとーっても楽しみです♪♪

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そんな大した傍証は出来ていませんが^^; (凛太郎)
2005-11-17 23:27:22
いろいろ考えるのは楽しい作業です。ただ、もちろん研究者でも専門家でもないので、史料は孫引きばかりなのが残念です。本当はじっくり考えたいのですが…。

中岡の人間関係までは考察していません(汗)。あくまでもこの場合慎太郎さんは巻き添えであったと解釈しています。刺客の「坂本先生、お久しぶりです」という慎太郎さんの供述を信用しているのですが…これのウラを読み出すとさらに難しくなります。いろいろな説はあるのですけれどもね。龍馬はんを憎む陸援隊を抑えきれなくなった慎太郎さんが抱きつき心中を図ったとか…。状況からは考えにくいですが。慎太郎さんから見たアプローチは是非jasminteaさんにお願いしたいです♪
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