凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

もしも…番外編・龍馬はんの見た未来 Ⅲ

2005年11月21日 | 歴史「if」
 前回記事からの続きです。

 マルクス史学的なことになるので最近流行の考え方ではないのだけれども、明治維新というものは僕は革命じゃなかったんじゃないかなとふと思ったりもする。
 もう少し正確に言えば、民衆の革命ではなかったのではないか。革命の定義を「既成の制度や価値を根本的に変革すること」であればその匂いはするけれども、「支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って、政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革」とすれば、明治維新はそうじゃなかった(定義はgoo国語辞典による)。
 明治維新は外圧によって生まれた。西欧の植民地政策による危機から尊皇攘夷運動が生まれ、政権交代が起こった。しかしその新政権を打ち立てたのは薩長であり、やはり武士という支配者階級である。武士が武士を駆逐した。すなわちこれは支配者階級の中の、単なる支配権を巡る闘争だった可能性もある。僕は歴史を専門に勉強したことのない人間なので適当な話になってしまっているのだが、革命というのは、やっぱり被支配者が、民衆が起こしてこそ革命じゃないのだろうか。民衆が封建制からの自由を求めて、身分制、世襲制からの脱却を目指す。
 慶応年間の農民による打ちこわし。これは封建制の矛盾に気が付いた民衆のパワーの発露であり、近畿で発し江戸でも勃発、関東地方に広く波及した。これが組織統一されれば革命になったかもしれない。しかしそうなるには時間がなく熟成しなかった。「ええじゃないか」というガス抜き的な動きに移行してしまった感もある。
 また江戸時代は町人の時代とも言える。商人は財力を持ち、合理主義、そして自由を求めていた。この階級からブルジョアジー革命が起こればこれは是である。
 龍馬はんは、この商品経済の欲求からくる民衆革命の唯一の具現者ではなかったのか、と思ったりもするのである。もちろんこれは僕の夢想でもあるが。

 龍馬はんは町人の血を受け継いでいることは以前にも言及したが、実際の身分は「郷士」であった。まあ武士階級と言ってもいいかもしれない。しかしながら龍馬はんの「民衆の血」は彼に脱藩という道を選ばせる。身分から脱却した「フリー」な立場を選択したのだ。ここが武市半平太以下の土佐勤皇党から一線を画しているところである。
 龍馬はんの「亀山社中」「海援隊」の組織を見ればその思想が見て取れる。

 「凡嘗テ本藩(土佐)ヲ脱スル者及佗(他)藩ヲ脱スル者、海外ノ志アル者此隊ニ入ル」

 浪人が第一条件なのだ。これは支配者階級から脱却した人間が作る組織なのである。民衆であるということなのだ。身分制を廃した平等思想。これこそが龍馬はんの理想であり、自らをその立場に置いて革命を果たす。大久保利通が島津久光に取り入って、「武士・藩士」として力を持つのとは方向性が全然違う。真の民衆革命は龍馬はんだけが唯一目指していたと言っていい。

 したがって、「薩長同盟」などは方便である。幕藩体制では革命を起こしようがないため、とりあえず「革命準備政権」を樹立しようとして雄藩連合を目論んだのだと思う。大政奉還がゴールではなかったのだ。幕府を終わらせ、革命準備政権を作り日本を変革する。西欧諸国の植民地政策に対抗するためには、農民・町民の蜂起を待っている時間はなかった。なのでとりあえず政府を作り稼動させて革命を起こす。西郷が倒幕を最終目標としていたのとはずいぶん視点が違う。
 薩長の政府では「支配者から支配者」に過ぎない。本当の革命は階級を無くすこと。だから、明治2年の版籍奉還、同4年の廃藩置県に至ってようやく革命の第一次段階なのである。そして民主主義の到来。民衆の政治参加があり議会を最高議決機関とする。これこそが革命の成就である、と龍馬はんは見ていたのではないか。その思想は「船中八策」にも盛り込まれている。

 支配者から支配者への政権移動。これは革命ではない。なのでここに戦争があるのはムダなこと、だと龍馬はんや勝海舟は知っていた。だから「討幕」ではなく「閉幕(こんな用語はありません。勝手に言ってます)」を目指して動いた。西郷はそこのところがわかっていなかったのかもしれない。戊辰戦争などはなくてもいい戦争だった。「国を焦土にしてそこから湧き上がるもの」などという抽象的な思想で戦争を始めるのはナンセンスである、と龍馬はんは知っていた。しかし結局龍馬はんは周囲の無理解の中で死を迎えてしまう。

 龍馬はんが夢見た「民衆が自由に、海外に志を向けられる世の中」。それは龍馬はんが存命であればもっと合理的に、速やかに行われた可能性があると僕は夢想する。しかし明治政府は薩摩の西郷、大久保が主体となってしまったために薩摩藩(島津家)の足枷が強く、結局西南戦争まで実現が出来なかった。自らが武士階級であったためにそれまでの支配者階級であった武士の処遇をコントロールすることが出来なかったのだ。夢想でしかないが、民衆の立場であった龍馬はんならもう少し違ったアイディアを使って上手な政権移動を可能にしたかもしれないのに、とぼんやりと考える。龍馬はんが想定していた憲法制定そして議会制民主主義は、さらに後の伊藤博文の時代まで待たなければならなかったのだ。

 話が難しいな。終わらせなくちゃいけないのにまだ続いてしまった。さらに次回。今度こそ完結。


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4 コメント

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お久しぶりです (アラレ)
2005-11-23 17:41:10
ご無沙汰しました。

いろいろな出来事があり、ちょっとご無沙汰していました。が、この場所は携帯からちゃんと読ませていただいていました。



坂本龍馬は現在も人を魅了してやまないだけの

人物ですよね。



12歳まで、おねしょをしていたとか

おねえちゃんには頭が上がらなかったとか

…(笑)逸話にも事欠かないところが好きです。



凛太郎さんの考察もまた

読み応えがありました。



自分で考える力のある人が

少なくなったと感じる時代。



凛太郎さんに改めて敬意を表します!
返信する
お元気ですか? (^-^) (凛太郎)
2005-11-23 22:42:21
ここしばらくお忙しかったのでしょうね。心もからだも。僕も人を送るという出来事があって先週はバタバタしていました。また少しづついつもの生活に戻っているのがなんとなしに不思議な感じさえします。



携帯から読んでいただいていたのですか(汗)。恐縮です。僕のは長いので携帯からの閲覧には不向きです。m(_ _;)m ありがとうございました。

坂本龍馬という人は…いつもはわりと冷めた目で歴史を見たりする僕なのですが、この人だけは例外で(笑)。つまりファンなので、どうも筆が止まらなくてそっちの方で難渋しています。

僕なんぞ鼻毛の先で吹き飛んでしまう程の人間ですから(笑)、敬意は龍馬はんに表してください♪
返信する
今日はまったり昼休み♪ (jasmintea)
2005-11-24 12:58:13
いつもゆっくりお昼休みがあると嬉しいんですが



明治維新に限らず日本の歴史で支配体制がかわる時は外圧が多いですよね。

フランス革命などと比べれば明治維新は庶民による革命ではなかったですよね。

龍馬が目指したのは武力なきフランス革命だったかな?

あの幕末の時代に議会制民主主義を頭に描いていた龍馬、、

すごすぎますね
返信する
お昼はゆっくり休みたい♪ (凛太郎)
2005-11-24 23:07:13
革命の定義って難しいですね。「民衆の…」と連呼しますとマルクス史観と言われてしまいますが、なーんとなしに革命、と聞くと階級闘争的なことをどうしても連想してしまうのです。「市民革命」でない革命があってもいいのですけどもね。「ベルサイユのばら」に影響されすぎかもしれません(笑)。



龍馬はんの凄さはその耳学問で、一を聞いて十を知る、とでも言いましょうか、本質的にいいものを見抜く取捨選択能力に長けていると言いましょうか…。アタマがおそらくよかったのでしょうね。判断力と決断力によって議会制民主主義まで行き着くのですから。なんともはやすごい(笑)。
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