凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

もしも…番外編・龍馬はんの見た未来 Ⅱ

2005年11月20日 | 歴史「if」
 前回からの続き。

 白石正一郎に会って後、龍馬はんは行動を共にしていた沢村惣之丞と別れ九州に向かう。薩摩に入国を考えていたと言われるが、普通の志士なら京都に向かうはず。この時長崎に行ったかどうかは不明だが、何か龍馬はんは普通と違うことを考え出していたのではないか。この後大阪、京都、そして江戸へ入り、松平春嶽、勝海舟、横井小楠らと会う。ついに龍馬はんの中で何かが動き始めた。徐々に理論武装をしながら「日本の洗濯」の作業へと突入するのだ。
 これから先はもう有名な話ばかりである。勝のとっつぁんの下で航海術を学び、その後、身が危うくなると薩摩へ。そして長崎で亀山社中設立となる。

 この亀山社中は、薩摩を大株主とした商事会社である。この後援をしたのが長崎の豪商小曾根乾堂、そして弟の英四郎である。この小曾根乾堂、英四郎との出会いこそが、龍馬はんにとって最も重要なことではなかっただろうか。才谷屋に生まれ、冨屋金兵衛、白石正一郎、伊藤助太夫と出会い、世界を相手にしたいと思いはじめて、勝、一翁、春嶽、小楠ら一流の人物に学び日本の先行きの青写真を作り、そして長崎という街に龍馬はんはやってくるのである。
 小曾根家とは、勝海舟の紹介で面識が既にあった。一年前、勝のとっつぁんに付いて龍馬はんは長崎に来ている。そのときにもう既に英四郎とは意気投合していたのではないだろうか。商業的視野で物事を見始めていた龍馬はんにとって、世界経済との窓口である長崎で乾堂、英四郎との出会いは、何かが弾けるような思いがしたのではなかったかと想像するのである。この時に僕は、社中設立の約束は出来ていたと考える。「世界の海援隊」構想の始まりである。
 そうでないと、長崎に龍馬はんがやってきて社中設立までの時間が短すぎるのだ。既に社中設立構想があり、そのために薩摩から船も借りようとしていたのではないか。龍馬はんの世界構想は、最初の小曾根家との邂逅にあったのだろう。
 英四郎は社中に資金を提供し、そのメンバーとなっている。そして慶応元年5月に社中設立。素早い。その3ヶ月後にはもう薩藩名義で長州の武器を購入している。早すぎる。設立前から手が既に打ってあったかのようである。小曾根英四郎は先立って動いていたのではないか。

 こうして電話もファックスもない時代に素早く次々と手を打っていく。このことから、「死の商人」トーマス・グラバーとの関係を強調する研究者もいる。極端な話、龍馬はんは西欧の秘密結社、フリーメイソンのメンバーになったのではないか? とも言われている。一介の脱藩浪士の龍馬はんが、信用が物を言う商売の世界で何故次々と輸入が出来たのか。グラバーとジャーディン・マセソン社、パークスらイギリスの外交官たち、そしてフリーメイソンが動き龍馬はんはその操り人形ではなかったか、という説である。黒幕説では触れなかったが、大政奉還で平和裏に権力禅譲が行われると武器が売れなくなるため、「死の商人」たちが龍馬はんを襲わせた、という説まであるのだ。その場合は西郷に教唆した、ということだろう。黒幕の黒幕である。
 僕は龍馬はんがフリーメイソンであったとは考えていない。ただ、別にそうであったとしてもかまわないとは思う。その後の状況を見れば、龍馬はんはやはりグラバーやその他の外国商人をうまく利用しただけのように見えるからだ。彼ら(イギリス)の目的は日本の属国化にあったであろう。属国まで行かなくても輸出入の最有利化。しかし現実はそうなっていない。龍馬はんは、外国勢力を言わば踏み台にした、利用したとも取れる。もしも鉄の結束を誇るフリーメイソンに方便で入会していたとしたら傑作ではないか。革命の際には隠れキリシタンまで扇動しようとした男である。そのくらいのことはやりかねない。

 龍馬はんの目指していたもの。それはやはり「世界の海援隊」であった。そのためには清濁を併せ呑んだところもあったのかもしれない。とにかく世界相手に貿易業を始めるには、近代国家が建設されないとどうしようもない。しかし、国内戦争で国力が衰えれば西欧帝国主義の植民地政策の餌食となる。それでは困る。なので、国事に奔走したと見るのが正しい見方だろう。そして、世界にも例が無い(中国の伝説にはある)禅譲というやり方で新政府を樹立させようとしたのだ。それが大政奉還である。そして新政府を樹立させ、通貨価値統一と不平等条約の撤廃を進め、憲法を作って法整備を行い諸外国の信頼を勝ち取って、自由に貿易業を行いたい。それが龍馬はんの見ていた未来ではなかったのだろうか。

 だから亀山社中、そして海援隊を自らの母体として大切にした。国事に奔走していては商売など二の次になるのが当然なのにそうではなかった。あくまで貿易業を本業にしていて、その合間にチョコチョコと動いては倒幕運動にテコ入れをしている。事業の有利化工作と同じ意識だったのかもしれない。なので会社の危機だったいろは丸沈没事件、そしてイカルス号英国水兵殺害事件などでは懸命に立ち回っている。水兵殺害事件の頃は維新革命が成るか成らないかの非常に多忙な時期だったにもかかわらず放っておくことはなかった。それは本業があくまでこっちだからである。「世界の海援隊」といずれなるべき萌芽を大切に、大切に龍馬はんは思っていたのだ。

 まだ次回に続く。終わんないな。

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2 コメント

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こんばんは(*^o^*) (jasmintea)
2005-11-21 23:00:45
はーい!凛太郎先生!!

フリーメイソンってよくわからないのですが‥。

日本では吉田茂、あとフィリピンのコラソンアキノ、あ!歴史上の有名人と言えばナポレオン。

何となくおぼろげな実情はぼんやりわかるかな?って感じなのですが龍馬と結びつく説もあるんですか???

何か面白い本あります????

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また難しい質問を(笑) (凛太郎)
2005-11-21 23:58:45
吉田茂がメイソンだったことをご存知の段階でもうかなりjasminさんはご存知なんじゃないですか? (笑)

フリーメイソンを語るのは難しくて、頭悪くて長文しか書けない僕には荷が重い(汗)。もともと中世英国の石工職人組合から始まったと言われます。徒弟制度の強い職人の組織から始まったことで内に階位制が強いと言われます。宗教ではありません。歴史を経て職人組合から友愛団体へと変化しました。友愛団体となったことで貴族や知識人が入会し、会員は相互に助け合うというシステムが生まれました。当時国際的にこういう互助組織など無く、国を超えた重宝な団体として広まったと言われます。

内部の結束が固く、ユダヤ人が多く、儀式や暗号、符牒を重んじることから陰謀組織とよく思われます。大統領や首相、経済の重鎮を輩出しているので世界を牛耳っている印象がありますが、これにはいろんな説があります。ロータリークラブのようなもの、というとらえ方も出来ます。会員は結束して事にあたるのでそのような見方も出来ますが日本人はオカルティックに考えすぎかもしれませんね。



龍馬はんとの関連で言えば、たいていの説は雑誌で読んだもので紹介することが出来ません^^; 龍馬はんがあまりにも商取引のスピードが速いので、グラバーがメイソンであったところから結びつけた話が多かったようです。小林久三氏が単行本を出されていますが、読むに値する本かどうか…。ウラの話や陰謀話、ゴルゴ13的世界が好きな人にはどうぞ、と言う感じでしょうか(笑)。僕は結構陰謀話が好きなので本能寺イエズス会説と並んでつい書いてしまいました。しかし龍馬はんがメイソンとは僕にはとても思えません。



関係ありませんが、カーネルサンダースやデストロイヤーもメイソンなのですね(笑)。
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