凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

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もしも平氏と源義仲が手を結んでいたら

2005年03月08日 | 歴史「if」
 突拍子もないタイトルなので歴史ファンの人は怒るかもしれない。
 僕は奥州の安倍氏、そして藤原氏に肩入れしているので、なんとか滅びずに残った可能性を考えて、安倍氏と清原氏が手を結んだらどうなるか? とか、頼朝が池の禅尼に助けられなかったり石橋山で討ち取られたりしていたらどうなるか? とか、ちょっとifには苦しいけれど重盛が早死にしなかったらどうなるか? とかいろいろ可能性を探ってきたのだが、泰衡の義経討ちがなかったら?を書いて、もうネタ切れだなぁと思っていた。

 しかし、もう一つ思い出しましたよ。
 要は、軍事バランスの問題なのである。平氏がたやすく滅びてしまったので、頼朝は全く憂う点がなく奥州を攻められたわけだ。つまり藤原氏が滅びないためには、平氏が滅びてはいけないのである。
 平氏は清盛亡き後、急速に求心力を低下させていた。木曾義仲の挙兵、そして倶梨伽羅峠での敗戦に及んで、平氏は都落ちを余儀なくされる。そしてしばらく義仲は「我が世の春」だったわけだが、西に落ちた平氏が戦力を整え、都奪還に攻め上ると聞き、義仲はこれを叩き潰さんと西国へ兵を向けた。そして、備前水島で、両軍は戦を交えるのである。
 結果は、義仲の大敗だった。当然平氏は戦力も整っていたし、なにより水軍は平氏はお手の物である。瀬戸内の合戦で、木曾出身の騎馬隊はあっけなく敗れた。

 このときに、義仲はとんでもない申し入れを平氏にしているという話がある。
 義仲は、平氏に対して和睦を申し込み同盟の誼を結ぼうとしたと言うのだ。
 勉強不足で原典はどこか知らない。僕が読んだのは今東光の小説「蒼き蝦夷の血」だ。小説だから虚構かもしれないが、これは面白い話である。そして、平宗盛は、この「まことに奇想天外な、あるいは乾坤一擲の申し入れ」を受け入れようとしたらしい。実に宗盛らしい脆弱さである。戦は平氏が勝っているのだ。当然知盛ら主戦派はこの提案を退けた。結果義仲は義経に討たれ、そして平氏も同様に滅びの道を進む。
 ここで「もしも」なのだが、今東光氏も書いている。義仲は頼朝の圧力を受けていたこともあり、平氏にとんでもない同盟申し込みをした。「この不思議な同盟軍の軍事力は寡少評価すべきではなかった。若し平家の主戦論者の中にこれを計算することが出来た戦略家が一人でも存在したら或は平家は四国か九州に生き残れたかもしれない」と。
 戦力は分散すれば弱くなる。頼朝軍はまず義仲を滅ぼし、しかる後に平氏を攻めている。この戦力がもしひとかたまりだったとしたら…。平氏水軍と義仲騎兵隊を擁した大軍が存在したら。
 義経もそう簡単には勝てまい。そうなると、また歴史は変わってくる。
 面白いのは、宗盛がいったんはこの同盟を受け入れようとした点だ。宗盛は戦いが嫌だったのではないかと思う。少しでも戦わずにすめばいい、という視点であったろう。対頼朝まで思案が巡っていたかは疑わしい。しかし受けていれば違った展開も考えられたのだが。

 歴史は冷酷で厳しい。頼朝が勃興しなければ、奥州藤原氏は安泰で居られたと思う。章立てするほどでもないのでもうひとつ「if」を言うと、「関東武士団がみこしに担いだのが頼朝ではなかったら?」奥州は無事だった可能性も高い。
 院政そして平氏政権の中で、奥州は外交によって安寧を保ってきた。関東武士団の律令体制に対する不満は確かに鬱積していたし、いずれは権利主張のため労働組合的なものは出来ただろう。その「委員長」が頼朝でなければ、奥州はその関東政権とも巧みに外交戦略を徹底し、従属という形で本領安堵されていた可能性もある。例えば委員長が平将門であったなら。しかし頼朝はどうしても奥州を自分のものにしたいという野望があったのは確かなのだ。

 奥州を源氏に。これは宿願みたいなもの。かつて源頼義は陸奥守として奥州をなんとか意のままにしようとしたが安倍氏に邪魔され前九年の役が起きた。結局奥州は源氏の手に落ちず、息子の八幡太郎義家も失敗した。後三年の役の結果、藤原清衡が栄華を手に入れるのである。全く奥州の民であった彼らにとっては源氏はとんでもない侵略者だったわけだが、源氏に侵略の怨念は残る。源為義は陸奥守を強く望んだが叶えられなかったという。そして孫の代の頼朝が関東で覇権を奪うと、奥州をどうしても「宿願」として望んだに相違ない。その証拠に頼朝は平氏追討は全て弟任せであったが、奥州征伐は先頭を切って向かっている。

 秀衡はそういうことがよく見通せていただろう。だから、平氏政権の中で、義経を庇護した。源氏の勃興があったときの為の一種の保険であったろう。だから、頼朝が挙兵したとき義経を合流させ、自分の手の者も付けている。もしも頼朝が平氏を倒し奥州に牙を剥いた時に、頼朝政権の中に義経が居れば奥州安堵に働いてくれるに相違ない、と。しかし歴史は急展開を遂げる。
 義経があれほど早くに平氏を滅ぼさず、もう少し長引いていたらまた打つ手もあったろう。そして、義経がもっと戦略的理解がある男なら、鎌倉政権にも参画出来ただろう。しかし…。

 結局義経は奥州にとって爆弾と化して帰ってくる。もはや戦うしかない状況で、爆弾義経はそれでも戦争となれば切り札に成りえた。しかし…。

 平泉は今は昔の栄耀栄華は無い。秀衡の政庁であった柳之御所の広大な敷地が発掘されている。鎮守府将軍であった秀衡が開いた奥州自治の拠点。将軍と言う名において遠征地の司令部という名目で政庁を持つ。これは「幕府」という発想そのものである。「柳之御所」は即ち「平泉幕府」だったのだ。そうして、自治政権を持ち、言わば「半独立」していた藤原政権は、そのまま頼朝の幕府を開くという発想に繋がっていったと思われる。頼朝は平泉政権を参考にして鎌倉幕府を開いた、とも言える。しかし「平泉幕府」の名は歴史書には載ってはいない。
静まりかえる平泉は、まさに「兵どもが夢のあと」。



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5 コメント

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さ・す・が!! (jasmintea)
2005-03-11 22:25:12
>実に宗盛らしい脆弱さである。

この表現は声を出して笑ってしまいましたおっしゃる通り!!



源氏にとって奥州を手に入れることは長年の宿願だったんですよね。でも奥州藤原氏大好き人間にとってはそれがムカだったりして。源氏の宿願と言ったてそれは頼義が奥州の黄金に惹かれたという理由‥。(家臣団を養うためには先立つものも必要なのでしょうが‥)それなのに安倍氏に無理難題押し付けて戦端を開くなんて。でもまぁ、そこがなかったら清衡のあの人格はないし、奥州の繁栄もなかったのでしょうから歴史って皮肉ですね。

そんな皮肉と何らかのタイミングが大切な要素の気がします。



って思いっきり話がズレてます。いつもながらごめんなさい
秀衡の平泉幕府 (凛太郎)
2005-03-11 23:55:52
細かなところまで読んでいただいて恐縮です(笑)。



僕も奥州の侵略された人々に対する哀憐の情もあり、なんとかならなかったのかと歴史の分岐点をいろいろ考えてきたのですが、結局源氏が全部悪いのですね。アテルイまで遡ってしまえばまた別かもですが、とにかく安倍氏以降はみんな源氏。後世から見れば歴史の必然かもしれませんが、やはり残念ではあります。



僕が書きたかったのは、「平泉幕府」というものの存在なのです。「藤原秀衡の平泉幕府構想説」は聞かれることもあったかと思いますが、僕は既に平泉は秀衡が鎮守府将軍になった時点で成立していると思っています。以前jasminteaさんがおっしゃっていた頼朝の「グローバル的なものの考え方」は実は先例があったのだと考えています。歴史書が「平泉幕府」と書いてくれれば秀衡も浮かばれると思うのですが。奥州贔屓の欲目でしょうか…。
おはようございます (jasmintea)
2005-03-12 08:37:10
ごめんなさい。今の私につけて下さった凛太郎のRESでおっしゃりたいことがわかってきました。

どうも昨日読んだ時は「平泉幕府」という言葉が先行してしまって、、イメージと読解力がない私、、



もちろん頼朝が手本としたのは平泉の藤原王朝しかないと思います。軍事力を背景としてしっかりとした国力、中央とは適当に付き合って自分達の自治とし、干渉はうけない。その図式を作ったのは秀衡、、そして秀衡が手本にしたのは幼い頃から辛酸をなねてきた清衡の理想だったと思うんです。当然源氏の棟梁であれば自分達の祖先と平泉の関りは勉強してるでしょうからね‥逆に言うと源氏宿願の奥州の勉強は怠りなかったかと。

ちょうどそのヘンのことが大河「義経」で頼朝が政子に向かって語っていたんです。公共の電波で放映するくらいですから後世から見た認識は凛太郎さんのおっしゃる通り!!でも正当な歴史書には入れられない言葉かもしれませんね(笑)



ところで、ここに伺ったのはお願いがあったからでした(^^; ....ついつい話しに夢中になってしまいましたm(_ _)m

先日、myHPをご覧頂いてる方に、いつもすごいコメントを書いてくれてる凛太郎さんって人のページを見たいのにリンクがないから行けない!って言われました。凛太郎さんが良かったらよく行くページの場所にリンクを貼らせて頂いてもよろしいでしょうか?というお願いに参った次第です。





いつもありがとうございます。 (凛太郎)
2005-03-12 23:30:05
いやいやこちらこそごめんなさい。表現力と文章力のない私…。



勉強不足なもので、あまり具体的に書けないのですが、朝廷の律令政権の中で自治政権が既に鎌倉幕府以前に存在したのにどうも大々的に取り上げられていないことへの不満がありまして…。もっとも、高橋克彦さんあたりは既に強く言っていらっしゃるのかも。ただ「炎立つ」をちゃんと読んでいないもので(汗)。←奥州藤原氏について語る資格ないですね(笑)。



そうか。僕は楽天広場と違うところから飛んできてますからね。コメントにURLを入れる欄がないんですわ。(汗)

jasminteaさんのブログにリンクを貼っていただく程のものではないのですが、そうおっしゃってくださって有難うございます。どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _;)m
平泉幕府(藤原幕府) (ロキュータス)
2017-03-23 09:57:33
1185年 平泉幕府(藤原幕府)開府

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