中学生当時、僕が聴いていた深夜放送は近畿放送(現KBS京都)の「日本列島ズバリリクエスト」と、MBS毎日放送の「ヤングタウン」であったが、あるとき、「日本列島ズバリク」の放送時間が短縮された。それまでは深夜2時までの放送であったものが1時までになり、そのあとに東京から深夜放送がネットされるシステムになった。残念ではあったが、東京の深夜放送も面白かろうと夜更かしして聴き始めた。その東京からの番組とは、かの有名な「オールナイト・ニッポン」だった。
この有名な番組については語ることもないくらい語られていて、現在進行形でありもはや付け加えることはないが、その京都にネットされたときのパーソナリティーを忘備録のつもりで書いておく。
(月)①松山千春 ②糸井五郎 (火)①所ジョージ ②近田春夫 (水)①タモリ ②コッペ (木)①南こうせつ ②塚越孝 (金)つぼイノリオ (土)笑福亭鶴光
まあこんな時代。ああ、と思い出される方もいるだろう。2部になると深夜3時からなのでさすがにほとんど聴いていないが、それでも時々は起きていた。なんて元気な時代だったのだろう(笑)。約27~8年前の話。この中で、つぼイノリオ氏については語りたいことが多いのだが、それはさておき。
月曜深夜(火曜日早朝とも言う)の松山千春はよく聴いていた。これは自分がフォーク好きということも絡んでいる。北海道発のフォークは実におおらかで素敵な曲もあり(いつか記事を書こう)、よく番組を録音したりしていたのだが、京都にネットされて半年でチーさまは降板してしまった。
残念に思っていたそのあとにパーソナリティーになったのが、あの中島みゆきだった。
中島みゆきという人の歌はそれまでにも聴いていた。その大ヒット曲「わかれうた」があまりにもメジャーだったのだけれども、コッキーポップを聴いていたので「アザミ嬢のララバイ」から知っている。「時代」という後世に残る名曲は既にあったものの、全体的にはどちらかと言えばマイナー調のメロディーで、本人の写真を見ても実に幸薄そうな女性像に映じていて、さほど明るい感じはしなかった。
しかし…。もう僕の言いたいことは分かっていただけたと思うが、ラジオで喋るみゆきさんは底抜けに明るい、誤解を恐れずに言えば「アホ」な感じの人だった。そのギャップに少年の僕は悩んだものです。
それから、中島みゆきのLPを聴くようになった。ただ暗い沈んだイメージしかなかったみゆきさんの奥深さを知ったような気がしたからかもしれない。そして、シングルだけを聴いていたのでは分からない魅力を知った。
初めて聴いたLPは、「親愛なる者へ」だったような記憶がある。そこらへんから「私の声が聞こえますか」まで遡ったと思う。「雨が空を捨てる日は」「彼女の生き方」「遍路」「ホームにて」など、女性の視点から見た「人間の哀しさ」をうたった歌を繰り返し聴いた。
ひとを恋することの切なさや苦しさ。当時さほど女性の心など知る機会も少なかった僕にとっても、胸について剥がれない楽曲が多々あった。
長い髪を三つ編みにしていた頃にめぐり逢えればよかった 彼女よりもう少し早く… (横恋慕)
こんな曲なんか思わずほろりとしてしまう。切ないですねぇ。
重い曲も多くて、ちょっとヘビーすぎて苦しくなるときもあり、例えば「ファイト!」などは聴くと結構ヘコむ。T.P.O.にあわせて聴かないと沈み込んで這い上がれないこともあり僕にとっては要注意な曲もある。両刃の剣だ。それだけ中島みゆきの曲は人の心の中に入り込んでくるのだろう。土足で入り込まれることもあるけれども。
しかし僕も社会に出てしばらく経ち、忙しさに紛れて中島みゆきから徐々に離れていってしまった。アルバムも「夜を往け」以来遠ざかった。この「あした」「with」を含む名盤以降、新譜を買うことはなくなった。(「ふたりは」って曲などはちょっとしんどいのですよ)
その後、みゆきさんは「浅い眠り」「空と君のあいだに」などヒットを飛ばし、「地上の星」で国民的歌手みたいになってしまった。なんだか彼岸のことのような気がする。
初めて買った「親愛なる者へ」は今だに好きだ。「泥海の中から」「信じ難いもの」「根雪」「狼になりたい」など、今の僕にもしっくりとくる。昔、これらの曲の楽譜が欲しくて、このLPの全曲解説が載った新譜ジャーナルを買った。今でもそれは手元に残っている。
「小石のように」という曲は、もしかしたらみゆきさんもお気に入りだったのかもしれない。よくオールナイトニッポンでも、しんみりした話のバックや、エンディングに使っていたような気がする。
山をくだる流れにのせて まだ見ぬ景色 憧れ焦がれ
転がりだす石は16 流れは想い次第
心が疲弊したときなどはなんとなしにこの曲が聴きたくなる。また、北に向かって旅に出るときには、この「小石のように」と「断崖」は必ず音を持っていく。必ず聴きたくなる状況があらわれるからだ。一種の応援歌として僕は聴いている。
おまえ おまえ 海まで百里 坐り込むにはまだ早い
砂は海に 海は大空に そしていつかあの山へ
そうか、坐り込むにはまだ早いのか。こんな僕でもまだ道の途中だと言ってくれるのか。
風はいつのまにか追い風になり、太陽はまた知らぬ間にあたりを照らしてくれている。そうして、僕はようやく視線を明日へ向けることを選択するのである。
この有名な番組については語ることもないくらい語られていて、現在進行形でありもはや付け加えることはないが、その京都にネットされたときのパーソナリティーを忘備録のつもりで書いておく。
(月)①松山千春 ②糸井五郎 (火)①所ジョージ ②近田春夫 (水)①タモリ ②コッペ (木)①南こうせつ ②塚越孝 (金)つぼイノリオ (土)笑福亭鶴光
まあこんな時代。ああ、と思い出される方もいるだろう。2部になると深夜3時からなのでさすがにほとんど聴いていないが、それでも時々は起きていた。なんて元気な時代だったのだろう(笑)。約27~8年前の話。この中で、つぼイノリオ氏については語りたいことが多いのだが、それはさておき。
月曜深夜(火曜日早朝とも言う)の松山千春はよく聴いていた。これは自分がフォーク好きということも絡んでいる。北海道発のフォークは実におおらかで素敵な曲もあり(いつか記事を書こう)、よく番組を録音したりしていたのだが、京都にネットされて半年でチーさまは降板してしまった。
残念に思っていたそのあとにパーソナリティーになったのが、あの中島みゆきだった。
中島みゆきという人の歌はそれまでにも聴いていた。その大ヒット曲「わかれうた」があまりにもメジャーだったのだけれども、コッキーポップを聴いていたので「アザミ嬢のララバイ」から知っている。「時代」という後世に残る名曲は既にあったものの、全体的にはどちらかと言えばマイナー調のメロディーで、本人の写真を見ても実に幸薄そうな女性像に映じていて、さほど明るい感じはしなかった。
しかし…。もう僕の言いたいことは分かっていただけたと思うが、ラジオで喋るみゆきさんは底抜けに明るい、誤解を恐れずに言えば「アホ」な感じの人だった。そのギャップに少年の僕は悩んだものです。
それから、中島みゆきのLPを聴くようになった。ただ暗い沈んだイメージしかなかったみゆきさんの奥深さを知ったような気がしたからかもしれない。そして、シングルだけを聴いていたのでは分からない魅力を知った。
初めて聴いたLPは、「親愛なる者へ」だったような記憶がある。そこらへんから「私の声が聞こえますか」まで遡ったと思う。「雨が空を捨てる日は」「彼女の生き方」「遍路」「ホームにて」など、女性の視点から見た「人間の哀しさ」をうたった歌を繰り返し聴いた。
ひとを恋することの切なさや苦しさ。当時さほど女性の心など知る機会も少なかった僕にとっても、胸について剥がれない楽曲が多々あった。
長い髪を三つ編みにしていた頃にめぐり逢えればよかった 彼女よりもう少し早く… (横恋慕)
こんな曲なんか思わずほろりとしてしまう。切ないですねぇ。
重い曲も多くて、ちょっとヘビーすぎて苦しくなるときもあり、例えば「ファイト!」などは聴くと結構ヘコむ。T.P.O.にあわせて聴かないと沈み込んで這い上がれないこともあり僕にとっては要注意な曲もある。両刃の剣だ。それだけ中島みゆきの曲は人の心の中に入り込んでくるのだろう。土足で入り込まれることもあるけれども。
しかし僕も社会に出てしばらく経ち、忙しさに紛れて中島みゆきから徐々に離れていってしまった。アルバムも「夜を往け」以来遠ざかった。この「あした」「with」を含む名盤以降、新譜を買うことはなくなった。(「ふたりは」って曲などはちょっとしんどいのですよ)
その後、みゆきさんは「浅い眠り」「空と君のあいだに」などヒットを飛ばし、「地上の星」で国民的歌手みたいになってしまった。なんだか彼岸のことのような気がする。
初めて買った「親愛なる者へ」は今だに好きだ。「泥海の中から」「信じ難いもの」「根雪」「狼になりたい」など、今の僕にもしっくりとくる。昔、これらの曲の楽譜が欲しくて、このLPの全曲解説が載った新譜ジャーナルを買った。今でもそれは手元に残っている。
「小石のように」という曲は、もしかしたらみゆきさんもお気に入りだったのかもしれない。よくオールナイトニッポンでも、しんみりした話のバックや、エンディングに使っていたような気がする。
山をくだる流れにのせて まだ見ぬ景色 憧れ焦がれ
転がりだす石は16 流れは想い次第
心が疲弊したときなどはなんとなしにこの曲が聴きたくなる。また、北に向かって旅に出るときには、この「小石のように」と「断崖」は必ず音を持っていく。必ず聴きたくなる状況があらわれるからだ。一種の応援歌として僕は聴いている。
おまえ おまえ 海まで百里 坐り込むにはまだ早い
砂は海に 海は大空に そしていつかあの山へ
そうか、坐り込むにはまだ早いのか。こんな僕でもまだ道の途中だと言ってくれるのか。
風はいつのまにか追い風になり、太陽はまた知らぬ間にあたりを照らしてくれている。そうして、僕はようやく視線を明日へ向けることを選択するのである。
中島みゆきのDJは僕も聴いていました。
ほんと、あのギャップは訳がわからず「何か深い訳でもあるのだろうか」と人知れず考えたものです(笑)
そして、中島みゆきを聴く時は心して聴いたものです。
おまえ おまえ 海まで百里 坐り込むには
まだ早い
砂は海に 海は大空に そしていつかあの山へ
たぶん、今夜僕はTSUTAYA渋谷店でこの曲を探していることでしょう。
メンバーは違ってましたけど。
中島みゆきは居ました。
火曜がとんねるず、木曜はビートたけしでした。
僕は最初みゆきさんのオールナイトニッポンを聴いたときは中学生だったので、本当にあのしゃべりのキレ具合は不可解でした。今聴けばもっといろいろなことも分かるのでしょうけれどもね。
「小石のように」まだ僕には大海は見えていないような気がします。人としての成長が足らないのでしょうかね(汗)。いつかまだ見ぬ海原にたどり着くことは出来るのでしょうか…。
手はもう大丈夫ですか?
オールナイトニッポン、よ~~く聞いてましたよ。
すでにあのイントロが頭の中で鳴ってますもん。(笑)
試験勉強や受験勉強をしながら、5時まで聞いたことも何度か。
チー様が3時の時には、一度寝て、2時半に起きるというパターン。1部に昇格した時には嬉しかったですね。ハガキが読まれたこともあるんですよ。
「ビバーヤング、パヤパヤ」の鶴光の時もね。懐かしいわぁ~
おかげ様で手はずいぶんよくなりました。まだ酒は×ですが(笑)。
京都にオールナイトがネットされたと同時にチー様が一部昇格でしたので二部時代は知らないのですよ。夜中に起きるのは大変でしたね。ハガキが読まれたとはすごい。
鶴光は翌日が休みでしたからとことん聴くことも出来ました。榊みちこや川島なお美などのアシスタント登場は深夜深い時間でしたね。
僕なら、忘れられない誕生日になったと思いますね。ありがとうございました。
「小石のように」・・・
この曲を聞いたのは、中学時代でした。
この頃のLPは曲が終わると次の曲のイントロが頭の中で再生できる程に聞き込みましたが、はっきり言って歌詞の内容の受け取り方は全然今とは違いますね。
…というか、歌詞の意味など何も考えずに、メロディーに歌詞が乗っているのをただ、漫然と聞いていただけの気がします。
自分の部屋にはステレオは無かったので、テープに落としたモノをラジカセでひたすら聞きまくってました。
凛太郎さんのココを見て、改めて聞いてみました。
本当にいい歌詞ですね!
ギターの練習をしよう!
次回の酒場のステージで演ってしまおうかなんてね!?
僕は初期の頃のLPが好きです。
というか、寒水魚くらいまでしか聞いていないのです。
それしか聞いていない僕の中での勝手にNo1は「蕎麦屋」です。
ただし、それ以外でも好きな曲は無数にあります。
今思い浮かぶだけでも、「小石のように」「怜子」「おまえの家」「タクシードライバー」「りばいばる」「泥海の中から」「親愛なるものへ」「ホームにて」「化粧」「狼になりたい」「断崖」等々
そう、僕はみゆきさんに葉書が読まれたのです。しかも2週連続で…
中学2年の12月でした。ゲスト月間?でユーミンがゲストで翌週が千春の週でした。
このお二人のゲストの週に連続して葉書を読んで頂いたのです。「私のどこがいけないの」ってコーナーでした。
翌日は学校で人気者になりました。
実家には、録音テープがどこかにあるハズです。
改めて、みゆきさんを聞こうと思います。
良い機会を作って頂きまして有難うございます。
本当ですね。
僕は別にやってるブログで、今「親愛なるものへ」を聴くと、まるでこのアルバムはここ何十年で進化を遂げたように聴こえてくる、と書いたことがあります。
もちろん、アルバムの中身が変わるわけがありませんから、それは、最初から高い位置にあったものなんです。その、当時は100のうちの20%しか分からなったものが、時を経て40%くらい分かるようになってくる。それをまるでアルバムの方が進化したように勘違いしてしまう。
この歳になって、僕なんかはようやく追いついてきたものがありますねー。
ぜひステージで演ってください♪
はがき読まれましたか。すごいですね~。
僕は東京の放送局にはさすがにはがきを送ったことはないなー。とても遠い感じがしてました(笑)。