凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

イルカ「あの頃のぼくは」

2012年12月28日 | 好きな歌・心に残る歌
 時計の針を戻すことができるなら、と思ったことがある人は、多いに違いない。
 誰しもが、後悔を重ねて生きている。
 もしもあのときああしていれば私は違った道を歩んで…という人生の岐路にかかわる事柄もあれば、もっとささやかな後悔もあるだろう。いつまでも忘れられない失敗。あのときひとことが足らなくて誤解を生んでしまった。勇気がなくて体の不自由な人に席を譲れなかった。酔って暴言を吐いてしまって呆れられた。そんなことでも夜中に思わずギャッと叫んでしまいたくなったり。それらが積み重なって、人生になっている。
 じゃ時計の針を、本当に戻すことができるならばどうだろう。人生のある一点からやり直すことが出来るなら。そういう夢想の中には、いつも二種類の方法が脳内に示される。
 ひとつは、とにかくただ時間を戻してくれればいい、あの頃の若かった自分に戻りたい、という考え方。そしてもうひとつは、現在の自分の経験値と解析能力を持ったまま、あの頃の自分に戻りたいという都合のいい思考。
 どっちも妄想なのだが、後者は医療技術などの発達によって可能になることもあるかもしれない。つまりこれは「若返り」なのだから。現在でも、アンチエイジングの技法はかなり進んでいる。とても50歳には見えない美魔女も存在している。いくらでもやり直しがきく、とも言える。しかし、いくら頑張っても例えば18歳には戸籍上はなれないのだから、結局時計の針は戻せないとも言えるが。
 僕はといえば、時計の針を戻せるとすれば現在の頭脳をそのまま持ち込まなくてもいいように思っている。確かに経験を積んで口も巧みになり洞察力も磨かれてはいるが、そのぶん記憶力も低下し感受性もかなり磨耗しているように思うから。やはり若いときの頭脳や心も欲しい。それでないと人生をやり直すことにはならないように思われる。
 しかしながら、こと「男と女」の話になれば、今の経験を積んだ頭脳があの頃に少しでもあったなら…とどうしても思う。

 うたの世界のなかでの主人公は、そんな後悔をどう歌っているんだろうか。
 ユーミンはこんなふうに歌う。

  青春のうしろ姿を 人はみな忘れてしまう
  あの頃のわたしにもどって あなたに会いたい (あの日にかえりたい)

 ここでいう「あの頃の私」というのは、長い人生という観点からみればちょっと前の姿を指している。当時のユーミンは二十歳そこそこであり、そんな昔のことは振り返れない。しかしそんな短い昔でも、染まっていなかった頃の自分と染まった(染められた)自分との違いはある。おそらくそんな意味だと思うので、「あの頃」に経験値を持ち込みたいと思っているようにはみえない。
 中島みゆきは、こんなふうに歌う。

  長い髪を三つ編みにしていた頃に めぐり逢えればよかった
  彼女より もう少し早く                (横恋慕)

 これも、経験値を持ち込みたいと願っているようには思えない。時間さえ戻せれば、そして自分が先に彼に出逢っていれば、という後悔のみ。もっとも「たぶんだめね」というところが哀しいのだけれども。

 もちろん一概に二元論では言えないことは承知だが、もしかしたら女性のほうが素直なのだろうか。今の俺ならもっとうまくやれたのに、などと考えるのはもしかしたら腹黒いだけなのかもしれない。けれども、僕はどうしても思ってしまう。あの頃の自分にただ戻っても結局同じことを繰り返すだけだろう。あの頃の自分にはなかったものを、今なら持っている。その力が、あのときに欲しかった。

 僕は若かった頃、もう少し具体的に言えば学生だった頃に、女性と交際した経験がない。つまり、彼女というひとは存在しなかった(と思っている)。
 こうはっきり書くことには我ながらかなり抵抗があって、社交性のない変人だったのではないかと思われてしまう可能性もある。あるいは、よっぽど女性に忌避されるような人間だったとか。事実変人だったのかもしれないしもちろん面相に自信など今に至ってもないが、それは措いたとしても、かなりのオクテだったと見られるだろう。
 いまの世の中、中学生どころか小学生だって、告白し恋人同士となっているヤローもいる。そしてそれは、時代が違うのだとばかりは言えない。僕の頃だって、いくらでも事例はあった。深夜放送にはそんな話が溢れていた。そして現実の僕の周りにも、いくらでもカップルはいた。
 思春期という時代は、若者は異性に対してもの凄く興味を持つ。僕もエロ本はたくさん所持していたし、老け顔だったので高校生にもかかわらずポルノ映画だって観にいった(そんな時代だったんだよなー)。しかし恋愛というものに対しては、何故か斜に構えていた。そんなことよりもっと楽しいことがたくさんあるだろう、と。
 斜に構えていた、というのは当時の僕の心境なのだが、経験値を積んだ今ならそれを簡単に分析できる。結局臆病だっただけ。
 高校時代、好きだった女性がいた。まあこのひとなのだが、彼女はその後友人のひとりとなった。何でも気軽に話せる間柄だったと思うが、ここで僕が「あなたのことがすきです」と言ってしまうと、全てが終わる可能性もある。恋は走り出せばall or nothing。なので、僕は踏み出せなかった。この関係性を壊す勇気はなかった。そして、そのまま卒業して終わった。
 それに関しては、阿呆だったなとは少し思うが、後悔はしていない。ただ僕が、後戻り出来ないことを覚悟するほどの強い気持ちがなかっただけ。誰も傷つけてはいない。
 
 そうして僕は、進学した。(約30年前は)極端に女性の数が少ない大学、学部だったが、出会いはそれだけではない。合コンもよくやった。学友は地方からやってきたヤツも多く、地元出身でありしかも共学の高校を出ている僕は重宝され、女子大に通う同級生と話をつけてセッティングもしばしば行った。そうして女の子たちと河原町で酒を飲んで騒ぐ集まりは、楽しかった。もちろん最初は未成年ばかりだったが、もう時効だろう。
 今はとんと聞かないが「合ハイ(合同ハイキング)」も試みた。日本のあちこちから学生は京都にあつまってくる。いいところへ案内しよう。というので、例えば鞍馬山や伏見稲荷などみんなで歩いて楽しいところへ連れて行った。
 そうした中で、カップルも誕生してくる。これは素直にうれしかった。自分が主催した会がきっかけならなおさら。そうして、僕はとにかくけしかける側にまわっていた。自分がアクションを起そうなどと思ったこともなかった。そのときが楽しければ、それで良し。そんな祝祭のような日々を続けていた。
 もちろん、淡い気持ちを抱いたことがなかったわけではない。ただ、それ以上は自分の中では膨らんでこなかった。これは、ただ消極的だっただけとも言える。他のことではあれほど積極的であったのに。
 
 また、僕はそれ以外に旅行にも夢中になっていた。自転車を駆って日本中を回ろうと思っていた。旅先では、同じ旅人であるというよしみで女性とも気軽に話も出来る。そんなのもまた、楽しみの一つだった。
 19歳の夏。僕は北海道にいた。野宿などをする以外は、宿は主としてユースホステルを利用していた。夏の北海道のYHはとにかく混雑している。それだけ若い男女がひとつ屋根の下に集うわけで、出会いはそこかしこに転がっている。
 ただそんな場所でも、僕は幹事的役割をいつも率先して行っていたような気がする。臆病云々というより、そういう性格なのだろう。そういえば鍋奉行になることも多い。

 そんな旅も終わりに近づいた頃、僕はとある日本海側の宿に泊まった。とある、などともったいぶるわけでもなく増毛という町の宿なのだが、そこはあれだけ旅人が混雑している夏の北海道においてエア・ポケットのように空いていた。富良野や知床と比べて知名度が低かったのだろう(ごめんなさい)。僕も、いわば通りすがりだった。自転車でなければ、泊まらなかっただろう。
 宿泊客は、僕の他は女性がひとりだけ。向かい合って食事をした。

「君、どっから来たん?」
「京都ですけど」
「あら、私も京都。生まれは滋賀なんやけど、今は仕事で京都に一人暮らし」
「へー偶然ですね。京都のどこに住んだはるんですか」
「白梅町」
「え、僕はその近くの大学に通てるんです」

 彼女は26歳。髪の長い小柄な人だった。
 食事が終わり(YHでは飲酒禁止であり簡単に食事は終わる)、二人で海まで夕日を見に行った。

「ビール飲む?」
「ええんかな…」
「ええやん、どうせ二人しか泊まってへんのやから」

 陽は静かに水平線へと沈み、しばしの夕映えのあと、漁り火が少しづつ見え始めた。

「このあとどうするのん?」
「明日、小樽まで走って、船に乗って帰ります」
「そうなん。私ももう3日で帰るんよ。京都でまた会お…」

 翌朝、彼女と別れ僕は小樽へ向けて自転車を走らせた。
 そして一週間後、もう僕らは会っていた。再会したその日に、僕は彼女のマンションに泊まった。

 僕は、彼女のことを深く知ろうとは思わなかった。根掘り葉掘り聞くのは得意ではないし、彼女もゆるやかな関係を望んでいた(ように見えた)。どうやら長いお付き合いをしていた男性がいたこと、そしてその人とはもう別れてしまったことくらいはなんとなしにわかったが、詮索はしなかった。たいていは僕が一方的に話し、彼女は聞き役だった。
 共通の話題は、まず旅のこと。そして、音楽のこと。
 彼女は、イルカさんのファンだった。

「君は、どの曲が好き?」
「そうやな…”我が心の友へ”とか好きやね」
「通やねぇ(笑)」
「姐さんは?」(そう呼んでいた)
「私は初期の頃のが好きかな。やっぱり”あの頃のぼくは”はいいよ」

 「あの頃のぼくは」はイルカさんのソロデビュー曲である。伊勢正三作詞作曲。

  あの頃のぼくは若すぎて君の気まぐれを許せなかった
  そんな君のやさしさはおとなびていました
  机の上に編みかけのセーターの残していったまま 
  朝から続く雨の日に泣きながら飛び出していった

 そして、レコードを聴いて過ごした。
 夏が終わり、秋が過ぎ、京都に底冷えの季節が訪れようとしていた。

 あるとき、彼女は僕に聞いてきた。

「君は、私のことどう思ってるの」

 不意を衝かれたような問いだった。
 僕は、この関係を「交際」だとは思っていなかった。ひらたく言えば「付き合う」ということは、まず少なくともどちらかが相手のことを好きになって、告白して、そこから始まるものだと思っていた。彼女とは、そんなステップは踏んでいない。お互いに意思表示もしたことがない。だいいち、彼女は僕よりずっと大人だった。
 もちろん、彼女のことは好きだったと思う。ただし、それが恋愛感情なのかどうなのかはわからずにいた。彼女のことを「俺の恋人なんだ」なんて気持ちは、少なくとも持っていない。それはおこがましいように思っていた。これは対等な付き合いではない。彼女のような大人の女性が、僕みたいな若造を真剣に相手にするわけがない。そう勝手に思っていた。
 僕が言葉を継げずにいると、彼女は悲しげな瞳でさらに言った。

「私は、好きでもない男を何度も家に泊めたりはしないよ」

 そうして、彼女との関係は終わった。

 本当に馬鹿だった。
 僕は、言葉は悪いが彼女に遊ばれているつもりでいた。そして、遊ばれているならそれでもいい、この関係を無理して壊す必要もないと思い、そのまま流れに身を任せていた。
 そうじゃない。遊んでいたのは、彼女ではなく僕のほうだったのだ。
 僕が、ただ面倒くさい部分を棚上げにして、自分本位でいただけだった。

  ぼくはぼくの事しか見えなかった 君が泣いてるなんて知らなかった

 自分は、なんと卑怯な人間だったのだろうか。イルカさんの「君は悲しみの」を聴くたびに、痛切にそう思う。
 あの頃のぼくに、19歳のあの頃のぼくに、もう一度戻ることはできないだろうか。

 イルカさんのLPは、僕は数枚しか持っていない。「いつか冷たい雨が」と「あしたの君へ」そして「我が心の友へ」。それ以外の音源は、初期のものはみな彼女にカセットへコピーしてもらったものだ。インデックスも、彼女の字。それらカセットは、まだ僕のラックに残っている。

  君はもうこの古いアルバムの中の想い出の女として
  小さな灰皿の中で燃えてゆくのです
  君の長い髪はとても素敵だったと言いたかった

 僕は、彼女の写真すら一葉も持ってはいない。あの長い髪の小柄な彼女の姿は、すべて、追憶の彼方にいる。残っているのは、そのカセットテープと、ケースに書かれた文字だけ。
 もちろん、それ以降、彼女に会うことはなかった。しばらく経って一度、未練たらしくもマンションの前まで行ったことがあるが、郵便ポストの名前が消えていた。おそらく引っ越したのだろう。
 あのひとは、今元気に暮らしているのだろうか。幸せになってくれているだろうか。

  君はもう 二人でいつも買ってた合挽のコーヒーの
  あのほろ苦い味も忘れたことでしょう
  今はひとり部屋の中でコーヒー沸かしているんです

 あなたの好きだったイルカさんの「あの頃のぼくは」を、久しぶりに聴いています。
 あれからずいぶん時がながれました。
 僕はまだまだ愚かなままだけれども、あの頃よりは少し人の気持ちがわかるようになりました。
 そんなことを伝えたくとも、もうそのすべはありませんが。


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小さな恋の物語 (アラレ)
2012-12-29 02:45:12
歳上ゆえの切なさ
今の私にはよくわかります。

無邪気に…好きって言って欲しい。
それだけでいいのに。
部屋に来てくれることだけを
信じられたらいいのに。

君は…私をどう思っているの?
好きだと信じていいの?

文章を読み進むほど
彼女の切なさに胸が締め付けられました。

幼さゆえ…の無意識の罪

でも、きっと彼女は幸せになっていると、私は思います。
人を好きになり、信じ、愛した人ですから。

過ぎた日の思い出の中で切なさを帯びた光を放つこのお話を2012年の終わりに出会えてよかった。

悔いのない人生なんて存在しない。
でも
悔いの残る恋は、歳月を超えて心に残るのかも知れません。

光と影…陰と陽…昼と夜
どちらもあるから、双方の輪郭が際立つ。

イルカさんの曲
私も改めてまた、聞いてみたくなりました。

♪Forrow Me…が今、心に流れています。

今なお、色褪せない素敵な歌が流れていた時代を知っている世代に乾杯。

よいお年をお迎え下さい。
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あかん。 (よぴち)
2012-12-30 16:51:36
凜太郎さん

あかん、「あの頃の僕は」は、どうにも泣けてしまう曲なんです。
理由は、今、とりたてて言葉にするのはやめるけれども。

私は今、少しだけ「夢」を見ることが出来なくなっているのかもしれない。
私も、過去に還りたい、と思うとき、今の自分の経験値を持って還りたい(つまりやり直したい)のか、単にあの頃に戻って、そこに留まっていたいのか、と、よく考えました。そして、私の場合は おそらく後者、だと思ってました。
でも、今は、分からなくなってる。やっぱり、「未来」があって生きて行けるんだろう、そこに留まることが約束されていたのでは、それはそれで、つらいんだろう、なんていう思いが沸き起こって来て、結論が出せなくなってる。

考えた末、「きっとそれは、生きるということが結局は、私が生きてきたのと変わらない、つまりは”そんなもん”なんだろう、と思っているから」なんだろう、という思いに行きつくのです。
いよいよ、ほんの少し、「自分の人生」が具体的に考えられるようになってしまったからかな。
少し前までは、まだ、これからずいぶんあるはずだから、自分の人生、なんて、形になっていないと思っていたのだけれど。

私の仕事の相方は「ノーミス主義」過ぎて、告白をしたことがない、と言っていました。
私も、そう。
ぶつかって何もなくなってしまう、むしろ、顔も合わせにくいほど悪いものだけが残ってしまうくらいなら、65点の幸せでいい、と思ってしまうタイプだった。
ハッキリとした告白など、出来たためしはなかった。
今では、「きっと、付き合ってしまったら、お互い、イメージダウンになって、今ほどキレイなまま心に残せてもいなくなってるだろう」なんて
自分を誤魔化すことさえ覚えてしまいました。

今年もあと2日、
1年間、本当に本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
また、来年もお世話になります。なり続けます。
どうぞ、よろしくお願いします。

おだやかな
よい お年をお迎えください☆
返信する
>アラレさん (凛太郎)
2013-01-06 15:39:39
どうもありがとう。
なんといいますか…こういうバカな話を書いていいものかどうかずいぶん逡巡しまして。5年前くらい前に記事の原型はできていたのですが、恥ずかしいことと、まともに書くと相当に赤裸々な話になってしまうことがありまして。それに書いても懺悔にもならないし贖罪には程遠いですし。で、オクラ入りしていました。
違う曲に仮託して書こうかなとも思ったりね。でもやっぱりこれは「あの頃のぼくは」しか考えられない。
なんとなしにこの話がこうして書けるようになったのも、歳をくったからだなあと今思っています。
あのときは、わかってなかったんですね、本当に。あのときの僕に、タイムマシンを駆って耳打ちしてやっても、駄目だと思う。果てしなく大人にみえた彼女がひとりの少女に思えるようになった今なら、傷つけるようなことはしないのですが。
そうして僕は、20歳を目前にして迷走していくんです。そんなはなしも、いつか書くかもしれません。
元気ですごしていてくれれば、いいんですが。
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>よぴちさん  (凛太郎)
2013-01-06 15:42:16
泣けてしまう曲って、ありますなぁ。「あの頃のぼくは」も、思い出が吸着しやすいのではないかと思っています。僕にとっては、上記のようなことがあったわけなのですが。
僕は「あなたのことが好きです」という言葉は、そう簡単には言えない言葉だろうと思っています。他の人がどう捉えているかは別として、少なくとも僕にとっては、相当の覚悟が必要な言葉だと。僕は人生でまだ1度しか言っていません。
ま、近頃の若者は「コクる」という短縮言葉さえ生み出して、ごく簡単に気持ちをぶつけますな。どっちがいいのかは、よくわからん(笑)。
過去に戻りたい、ということについては、なぜ戻りたいのかというココロに幾パターンかがあります。よぴちさんも分けられていますね。僕がここで書いているのは、後悔です。「修正したい過去」があるという話です。これは経験値を持っていかないとやり直せない。
もうひとつの「留まりたい」過去は、還る先はもちろん「黄金時代」でしょうから、そこに戻るだけで良い。
どのみち戻ることなどできない夢想空想なのですから「留まることが約束」されているなど考えず、単純に未来ある若者の時代に戻ったら楽しかろう、と想像してニンマリするほうがいい。どうせ妄想(笑)。
生きるということは確かに「そんなもん」であります。そしておそらくよぴちさんは万感の思いを込めて「そんなもん」とおっしゃっているのではないかと。決して粗略なものではなく。
僕にも、自分の歩いてきた人生というものが、たまらなくいとおしくなるときがあります。よぴちさんにもあるのではないかな。そんなとき、それは今日この瞬間まで生きてきたからこその思いなのだと感じます。もしも明日が無くとも、今日までの人生は、とても幸せだった。だから、生きてきて良かった。僕にはその思いだけで十分なような気もしています。未来のことは、知らん。でも思い出は、もう持っている。
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白梅町の近く (八ヶ岳いきたい)
2016-10-31 17:55:48
お久しぶりです。以前杉田二郎さんの曲のことでお便りした者です。久しぶりに覗いてみました。私も白梅町の近くの大学にいました。時計台のある建物の学部が,東の方から移ってきた年に入学しました。もしかしたら,となりでマイン弁当でも食べていたかも分かりません。
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