このブログで、僕は好きな音楽とそれに伴う思い出話を書いているのだが、そのカテゴリのタイトルを「好きな歌・懐かしい歌」から「好きな歌・心に残る歌」に改めた(2007/8/27)。
その理由は「懐かしい歌」と言っていいのかに書いた通りだが、つまり「この人はいわゆる懐メロについて書いているのか」と思われるのは本意ではないということで、「懐メロ」という言葉はちょっと「今は活躍していない人が歌う歌」つまり「あの人は今」的感覚があるので、もしかしたら失礼なんじゃないかというのが理由である。
だが、その歌を聴いていた頃の自分というのはたまらなく懐かしいわけで、音楽にノスタルジアを感じることについてはなんら否定するものではない。懐かしいのは懐かしいんだ。
ただ、これを改めたことで、自分の中で「懐かしい」ということはいったいどういう心理状況なのだろう、とかの理屈っぽいことをいろいろと考えてしまった。そのへ理屈はさておいて、自分の中で最も「懐かしい」うたというのはどのへんの歌を指すのだろうかということもついでに考えた。
僕がフォークソング(と世間一般で言われるジャンル)を好きになったのはどのへんか。それについては以前、「学生街の喫茶店」で書いたことがあるのだが、はしだのりひことシューベルツの「風」が最初なのではないか。古い記憶を辿ればそこに行き着く。
人は誰もただひとり旅に出て 人は誰も故郷を振り返る
ちょっぴり寂しくて振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ
'69年1月リリースのこの曲を、僕は繰り返し親に聴かされた。いや、聴かされたというのは正確ではない。何度も聴いているうちに、僕は親にねだって聴かせてもらうようになる。刷り込まれたのかもしれないが、僕が「好き」になった曲の最初がこれだろう。年齢でいくと…まあ4、5歳か。
この曲はもちろん日本音楽史上に残る不滅の名曲であると思うけれども、僕の音楽の嗜好というものを決定付けたのではないかと思う。もちろん「フォークソング」なる言葉は知らない。ただ「好きな歌」というだけである。
もうイントロを聴くだけで、あの頃の頑是無かったガキの自分がすぐに浮かぶ。子供の頃の思い出の集大成であると言ってもいい。4、5歳どころではない。もっと古い頃の記憶もみんな甦る。追憶の世界にたちかえるたびに「風」が頭の中で奏でられているからだろう。
僕の最も古い記憶というのは、二歳である。いや違うな。正確に言えば三歳の誕生日である。こんな古い記憶が残っているのは自分でも信じがたいのだが、その誕生日を迎えた日というのは、僕は旅行中だった。特別な日であったということが、記憶に留めさせた一因だろう。
僕達家族は、東京に遊びに行っていた。京都からどうやって東京に行ったのか、おそらく新幹線だったのだろうがそれは記憶にはない。東京タワーも上ったらしいのだがそれも忘れた。ただ、家族で多摩動物園に行き、ライオンバスに乗った風景だけは憶えている。多摩動物園というのは今で言えばサファリパークであって、ライオンが一種放し飼いになっている中へバスで入っていって見学する。そのバスの窓に牙を剥いたライオンが飛び掛ってきた。僕は泣き叫んだ。そしてライオンはバスの上に上った。ドン、という音がした。
たったそれだけの記憶である。だが怖かったのだろう。そして、その記憶を何度も何度も反芻したのだろう。なので、頭の片隅に残ってしまうことになった。それが、僕の最古の記憶である。その記憶を、僕は「風」を聴けば条件反射のように思い出す。
「風」を聴いて、思い出すのはそれだけではない。様々な記憶が頭の奥の深いところから甦ってくる。
母親が妊婦だったときの姿をまた思い出す。当時狭い家に住んでいた僕らは、本当に肩を寄せあうように暮らしていた。その母親がだんだん太ってくる不思議。
「なんでおなかおおきいのん?」
「これはな、赤ちゃんが入ってるんよ。もうじきお前の弟か妹が出てくるさかい、楽しみに待っとき」
人体の不思議である。もちろん三歳の僕にはなんのことかわからない。
母親は臨月が近づくにつれて、昼間でも寝ているようになる。まだ幼稚園にも行っていない僕は寂しくて仕方が無い。そのうち食事も作れなくなったのか、祖母がうちに来てくれるようになった。
「おばあちゃん、ぼくコロッケがたべたい」
「そんなん作ったことないがな」
ワガママなガキである。そう言いながら祖母はコロッケを作ってくれた。味は記憶にないが、台所で祖母がペタペタとコロッケの生地を丸めているのを傍で見ていた憶えがある。この間死んだばあちゃんも、あの時は計算すればまだ50歳台だったのだな。
そうしているうちに、母親は出産する。ある秋の晴れた日、僕と兄貴はばあちゃんに連れられてバスに乗り、府立病院へとやってきた。そこには父が待っていた。四人で病院に入り、長い廊下を歩いた。何でかはよく知らないが、父は僕らと離れ階段を一人で上っていき、ばあちゃんと兄貴と僕が残された。「どこいくのん?」と訊ねたような記憶がある。
それからしばらくして、父が赤ん坊を抱えて来た。
「お前の妹やで」
なんとも言えない不思議な気がした。そう言われても実感はなかっただろう。だが僕は記憶に無いのだが、父に言わせると僕はこのとき踊りまわったのだと言う。嬉しいなんて感情があるはずもないのに。おそらく、後年に現れる僕の道化的気質がそのとき既に出ていたのだろうな。
何故病院で、しかもそのとき母親に会えなかったのかということはずっと不思議に思っていたのだが、後になって母親の出産は帝王切開だったということを知る。それでしばらく入院していたのか。
赤ん坊だった妹は僕の格好のおもちゃになったようだが、その妹も今では二児の母である。その甥っ子たちは、もうあの頃の僕の年齢をとっくに超えている。彼らにはどういう思い出が残っていくのだろうか。
プルーストの「失われた時を求めて」という長編小説を僕は所持しているのだが、未だに読了していない。なんせ長すぎて。しかし、この小説のテーマは「記憶の甦り」であって、主人公が紅茶にひたしたプチット・マドレーヌをふと口にしたその味から、子供の頃に一時期過ごした町の風景が甦る、という場面から始まる。こんな大作(しかも未読)と自分の思い出を対比するのは大変におこがましい話なのだが、僕にとってのシューベルツ「風」は、もしかしたらあのマドレーヌの味と同じものであるかもしれない。忘却の彼方へ行ってしまったかもしれない追憶をいつも甦らせてくれる。
何かを求めて振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ
それは、北杜夫の「幽霊」の文章を借りて言うのなら「心の神話」であり、忘却の中に押し流されそうになった追想の奇妙な発掘の結果である。この幼年期のいくつかの追憶は、いつ忘却の波に呑まれてもおかしくはなかった。ただ、繰り返し反芻することによって頭の片隅に生き残った。その反芻は、いつしか「風」を聴くことにより繰り返される習いとなり、とうとう定着するに至った。
幼年の記憶の断片は、他にもたくさんある。まだ家族が四人の頃に、みんなで植物園に行って芝生の上で転げまわった記憶。兄に押入れに閉じ込められた記憶。七五三の記憶。愛宕山登山で疲れてダダをこねて、ずっと父親の肩車で登頂、下山した記憶。駆け出して転んだ記憶。大丸百貨店の大食堂でホットケーキを食べた記憶。三歳から四歳のこうした記憶の断片が残っていることは自分でも不思議に思う。
とにかく、ひたすら懐かしい。あの頃は無垢だった、などと言うつもりもないが、少なくとも何も心配せず両親に頼りきって過ごしていたに違いない。あたたかな家庭だった。
今、僕は当時の両親の年齢を遥かに超え、しかし守ってやるべき子供には恵まれなかったため、子供の追憶を忘却に抗わせる術を持っていない。「心の神話」を残してやる作業には参加出来なかった。それは残念なことではあるのだが、あの頃の両親の苦労と愛情は、今になってようやく分かることも多い。子供を育てるという両親と同じ体験はしていないものの、僕もその程度のことは理解できるほどの大人になった。両親への感謝は尽きることが無い。
はしだのりひとこシューベルツについては、全く触れることがなく話が終わってしまった。次回、少し続きを書いてみたい。
その理由は「懐かしい歌」と言っていいのかに書いた通りだが、つまり「この人はいわゆる懐メロについて書いているのか」と思われるのは本意ではないということで、「懐メロ」という言葉はちょっと「今は活躍していない人が歌う歌」つまり「あの人は今」的感覚があるので、もしかしたら失礼なんじゃないかというのが理由である。
だが、その歌を聴いていた頃の自分というのはたまらなく懐かしいわけで、音楽にノスタルジアを感じることについてはなんら否定するものではない。懐かしいのは懐かしいんだ。
ただ、これを改めたことで、自分の中で「懐かしい」ということはいったいどういう心理状況なのだろう、とかの理屈っぽいことをいろいろと考えてしまった。そのへ理屈はさておいて、自分の中で最も「懐かしい」うたというのはどのへんの歌を指すのだろうかということもついでに考えた。
僕がフォークソング(と世間一般で言われるジャンル)を好きになったのはどのへんか。それについては以前、「学生街の喫茶店」で書いたことがあるのだが、はしだのりひことシューベルツの「風」が最初なのではないか。古い記憶を辿ればそこに行き着く。
人は誰もただひとり旅に出て 人は誰も故郷を振り返る
ちょっぴり寂しくて振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ
'69年1月リリースのこの曲を、僕は繰り返し親に聴かされた。いや、聴かされたというのは正確ではない。何度も聴いているうちに、僕は親にねだって聴かせてもらうようになる。刷り込まれたのかもしれないが、僕が「好き」になった曲の最初がこれだろう。年齢でいくと…まあ4、5歳か。
この曲はもちろん日本音楽史上に残る不滅の名曲であると思うけれども、僕の音楽の嗜好というものを決定付けたのではないかと思う。もちろん「フォークソング」なる言葉は知らない。ただ「好きな歌」というだけである。
もうイントロを聴くだけで、あの頃の頑是無かったガキの自分がすぐに浮かぶ。子供の頃の思い出の集大成であると言ってもいい。4、5歳どころではない。もっと古い頃の記憶もみんな甦る。追憶の世界にたちかえるたびに「風」が頭の中で奏でられているからだろう。
僕の最も古い記憶というのは、二歳である。いや違うな。正確に言えば三歳の誕生日である。こんな古い記憶が残っているのは自分でも信じがたいのだが、その誕生日を迎えた日というのは、僕は旅行中だった。特別な日であったということが、記憶に留めさせた一因だろう。
僕達家族は、東京に遊びに行っていた。京都からどうやって東京に行ったのか、おそらく新幹線だったのだろうがそれは記憶にはない。東京タワーも上ったらしいのだがそれも忘れた。ただ、家族で多摩動物園に行き、ライオンバスに乗った風景だけは憶えている。多摩動物園というのは今で言えばサファリパークであって、ライオンが一種放し飼いになっている中へバスで入っていって見学する。そのバスの窓に牙を剥いたライオンが飛び掛ってきた。僕は泣き叫んだ。そしてライオンはバスの上に上った。ドン、という音がした。
たったそれだけの記憶である。だが怖かったのだろう。そして、その記憶を何度も何度も反芻したのだろう。なので、頭の片隅に残ってしまうことになった。それが、僕の最古の記憶である。その記憶を、僕は「風」を聴けば条件反射のように思い出す。
「風」を聴いて、思い出すのはそれだけではない。様々な記憶が頭の奥の深いところから甦ってくる。
母親が妊婦だったときの姿をまた思い出す。当時狭い家に住んでいた僕らは、本当に肩を寄せあうように暮らしていた。その母親がだんだん太ってくる不思議。
「なんでおなかおおきいのん?」
「これはな、赤ちゃんが入ってるんよ。もうじきお前の弟か妹が出てくるさかい、楽しみに待っとき」
人体の不思議である。もちろん三歳の僕にはなんのことかわからない。
母親は臨月が近づくにつれて、昼間でも寝ているようになる。まだ幼稚園にも行っていない僕は寂しくて仕方が無い。そのうち食事も作れなくなったのか、祖母がうちに来てくれるようになった。
「おばあちゃん、ぼくコロッケがたべたい」
「そんなん作ったことないがな」
ワガママなガキである。そう言いながら祖母はコロッケを作ってくれた。味は記憶にないが、台所で祖母がペタペタとコロッケの生地を丸めているのを傍で見ていた憶えがある。この間死んだばあちゃんも、あの時は計算すればまだ50歳台だったのだな。
そうしているうちに、母親は出産する。ある秋の晴れた日、僕と兄貴はばあちゃんに連れられてバスに乗り、府立病院へとやってきた。そこには父が待っていた。四人で病院に入り、長い廊下を歩いた。何でかはよく知らないが、父は僕らと離れ階段を一人で上っていき、ばあちゃんと兄貴と僕が残された。「どこいくのん?」と訊ねたような記憶がある。
それからしばらくして、父が赤ん坊を抱えて来た。
「お前の妹やで」
なんとも言えない不思議な気がした。そう言われても実感はなかっただろう。だが僕は記憶に無いのだが、父に言わせると僕はこのとき踊りまわったのだと言う。嬉しいなんて感情があるはずもないのに。おそらく、後年に現れる僕の道化的気質がそのとき既に出ていたのだろうな。
何故病院で、しかもそのとき母親に会えなかったのかということはずっと不思議に思っていたのだが、後になって母親の出産は帝王切開だったということを知る。それでしばらく入院していたのか。
赤ん坊だった妹は僕の格好のおもちゃになったようだが、その妹も今では二児の母である。その甥っ子たちは、もうあの頃の僕の年齢をとっくに超えている。彼らにはどういう思い出が残っていくのだろうか。
プルーストの「失われた時を求めて」という長編小説を僕は所持しているのだが、未だに読了していない。なんせ長すぎて。しかし、この小説のテーマは「記憶の甦り」であって、主人公が紅茶にひたしたプチット・マドレーヌをふと口にしたその味から、子供の頃に一時期過ごした町の風景が甦る、という場面から始まる。こんな大作(しかも未読)と自分の思い出を対比するのは大変におこがましい話なのだが、僕にとってのシューベルツ「風」は、もしかしたらあのマドレーヌの味と同じものであるかもしれない。忘却の彼方へ行ってしまったかもしれない追憶をいつも甦らせてくれる。
何かを求めて振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ
それは、北杜夫の「幽霊」の文章を借りて言うのなら「心の神話」であり、忘却の中に押し流されそうになった追想の奇妙な発掘の結果である。この幼年期のいくつかの追憶は、いつ忘却の波に呑まれてもおかしくはなかった。ただ、繰り返し反芻することによって頭の片隅に生き残った。その反芻は、いつしか「風」を聴くことにより繰り返される習いとなり、とうとう定着するに至った。
幼年の記憶の断片は、他にもたくさんある。まだ家族が四人の頃に、みんなで植物園に行って芝生の上で転げまわった記憶。兄に押入れに閉じ込められた記憶。七五三の記憶。愛宕山登山で疲れてダダをこねて、ずっと父親の肩車で登頂、下山した記憶。駆け出して転んだ記憶。大丸百貨店の大食堂でホットケーキを食べた記憶。三歳から四歳のこうした記憶の断片が残っていることは自分でも不思議に思う。
とにかく、ひたすら懐かしい。あの頃は無垢だった、などと言うつもりもないが、少なくとも何も心配せず両親に頼りきって過ごしていたに違いない。あたたかな家庭だった。
今、僕は当時の両親の年齢を遥かに超え、しかし守ってやるべき子供には恵まれなかったため、子供の追憶を忘却に抗わせる術を持っていない。「心の神話」を残してやる作業には参加出来なかった。それは残念なことではあるのだが、あの頃の両親の苦労と愛情は、今になってようやく分かることも多い。子供を育てるという両親と同じ体験はしていないものの、僕もその程度のことは理解できるほどの大人になった。両親への感謝は尽きることが無い。
はしだのりひとこシューベルツについては、全く触れることがなく話が終わってしまった。次回、少し続きを書いてみたい。
夏の時代とは,この曲の作詞者でもあるサムこと
きたやまおさむさんの表現でもあります。
青春,春ではなくまだ夏の時代であることを言いたかったのだと思います。
ただ,この表現自体80年から90年にかけてのものだから
今は秋の時代なのかも知れませんが・・
振りかえっている時代,それぞれに違う風が吹いているように思います。
余談ですが,まる六のCD発売日が10月24日に決定しました。タイトルは"はじまりはじまる"最近の定番,佐々木幹郎さん作詞の曲のタイトルでもあります。トリビア的な情報では,フォーライフレコ―ド復活第一弾CDというおまけ付(初代社長小室さんのフォーライフは2001年に清算されて商標のみフォーライフミュージックエンタテイメントとなっていたのですね)です。
http://www.geocities.jp/usk_1487/index.html
ではお邪魔しました。 たくみ
僕は京都在住時代に宵々山コンサートには出没したものの、夏の時代のことはあまり知りません。
ただ、いい表現されますよね。本当は北山修さんに関する断片的なこと、自切俳人時代の話なんかもいつか書いてみたいとは思うのですが、今回は(続きの話も含めて)触れることがなく終わりそうです。
「まるで六文銭のように」ついに日程とタイトルが決定ですか。秋が深まっている頃にはあのひとたちの歌が聴ける。待ちわびます。
なるほど、フォーライフの変遷についてはTYさん(たくみさん風 笑)関連の書籍くらいで知るのみで、現在は名前は残っているもののどうなっていたかは全然知りませんでした。復活第一弾CDですか。はじまりはじまるのですね。
妹とは3つ違いなのに彼女の誕生は全然憶えていません。
さすがに一番下の妹は9つ違うので記憶にあります。
オムツはほとんど私が替えていたんですよね~。
ホント理屈抜きでかわいかった!
そして凛太郎さんと同じように初めて富士山を見た70歳を過ぎた祖母のことも記憶に残っています。
あの年で1人こっちにきて大変だったろうな。
子供が生まれるって大変なことなんだな、と思っていました。
もう孫が生まれても不思議なく今度は祖母として赤ちゃんの面倒を見る年になっても心の中には色褪せない思い出が息づいている。
人間って不思議ですね!
♪人は誰もただ1人旅に出て
人生そのものが旅なんですよね。
結局は1人だから振り返ったあとには風だけが吹いている。
フォークソングが好きだったあの頃は全然意味がわかっていませんでしたが今なら理解できる曲がたくさんあるんですよね♪
でも、この頃の記憶というのはやはり財産だと思います。もう二度と繰り返せないことばかりですからね。そうして、その追想が今また甦る中で、分かってくることがたくさんある。あの頃の親の気持ち。祖父母の気持ち。幾度も季節は巡り、そしてまた自分に還ってくる。なんだか思い出って不思議なものですね。
読んでいて読み方がわからない漢字や読めても意味がわからなかったり‥で調べながら読ませてもらいました‥それでもイマイチわからない所があったので恥ずかしながら教えて頂きたくかいてます(๑˃̵ᴗ˂̵)
子供の追憶を忘却に抗わせる術→こちらなんですが‥あらがわせるすべ‥と読むのでしょうか?
前後を読んでも意味がよくわからなくて‥すみません‥教えてもらえたら嬉しいです!
よろしくお願いします。
間違えてすみません!