凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

小椋佳「時」

2005年06月30日 | 好きな歌・心に残る歌
 小椋佳については以前に書いたことがあったのだが(HPで)、なんとなしに書きたい気分なので一部ダブるかもしれないが書いてしまう。

 何について書いたかというと、昨年NHK特集の再放送として、昭和51年11月放送の「小椋佳の世界」を深夜に放映したのを見て、懐かしかったのでそのことについて、だった。
 番組は小椋佳のファーストリサイタルをドキュメンタリー的に描いたものであり、曲が随所に散りばめられた構成になっていた。この本放送を見たときは僕はまだ小学生だったけれども、その叙情的な詩とメロディーに子供ながら震えるような感動を覚えたことを思い出した。あまりに感動して、親にねだってLPを買ってもらい繰り返し聴いた。僕が、フォークという音楽ジャンルが好きになった一因として、「深夜放送」というものが最右翼にもちろんあるけれども、この小椋佳のドキュメントもかなりの位置を占めるのではないかと思う。それほど衝撃的な出会いだった。

 もちろん、その51年の番組まで「小椋佳」という人を知らなかったわけではない。子供ながらある程度の知識はあった。それは何故かというともちろん前年に、布施明が歌う「シクラメンのかほり」という大ヒット曲があったからである。
 それまで小椋佳という人物はあまり人に知られていなくて、TVのワイドショーなどはこぞって「小椋佳って誰?」という特集を組んだらしい。僕は子供であったのでそういう番組はあまり見る機会がなかったけれども、兄貴が買っていた「中一時代」に小椋佳特集が組まれ(こんな子供雑誌にまで特集ページが出来たとは、よっぽど時代の寵児であったのだろう)、その記事で風貌と「二足のワラジ」のおっちゃんであるという知識は得ていた。そうしているうちにCMソングとして「揺れるまなざし」、TVドラマ主題歌として「俺たちの旅(歌ったのは中村雅俊)」、そしてNHKみんなのうたで「さらば青春」が流れるに至って、徐々に僕はファンになっていった。そのとどめとして前述のドキュメント番組があったのだ。

 若き小椋佳はその番組の中で、「しおさいの詩」「六月の雨」「時」「少しは私に愛をください」「飛べない蝙蝠」「めまい」「屋根のない車」「ほんの二つで死んでゆく」「木戸をあけて」などの名曲を歌っていた。顔に似合わない(ごめんなさい)澄んだ声と叙情あふれる旋律が当事子供だった僕に襲いかかった。
 僕はたまらなくなって、親を誘ってレコード屋さんに行って無理やりLPをすすめて親に買わせ(お金なかったんですもん)、FM放送をエアチェックして少しづつ聴いた。そのうち中学生となって小遣いも少し増えたのでなんとかLPも自分で買えるようになって、徐々に小椋佳という人の全貌が姿を現してきた。

 今聴いても、その叙情的でみずみずしい感性に裏打ちされた楽曲の数々は本当に素晴らしい。また、その歌唱力というものも秀でていると思う。技巧に走らず、実に素直に歌い上げている。
 その「素直さ」がいかにいいか。例えば「愛燦燦」という曲を聴けばよくわかる。この曲はもちろん晩年の美空ひばりに提供されたものだが、その技巧の極致とも言えるひばりさんの「愛燦燦」の歌唱を聴くと、小椋佳という人がいかに虚飾を拝して曲の美しさを伝えようとしているかがわかるのだ。ひばりさんがよくないと言っているのではもちろんない。しかし、僕の心に染み入るのは小椋佳が歌った「愛燦燦」だ。
 研ナオコが歌う「泣かせて」を聴いても同様のことが言える。研ナオコという人はすごく歌の巧い人だというのは承知しているが、やはり小椋佳が歌う方が僕には感動が伝わる。
 また、これは小椋佳の力ではないのかもしれないが、編曲がいい。小野崎孝輔や星勝といった人の実力が小椋佳の透明なメロディーを生かしきっているのだろう。

 好きな曲はそれこそ数え切れないほどである。「春の雨はやさしいはずなのに」「スタンド・スティル」「逢うたびに君は」「ただお前がいい」等々。中でも僕は最初に衝撃をうけた「時」が忘れられない。
 この歌は中村雅俊も歌っていたと思う。

  街角で偶然に出会った とてもとても遠い日

 この歌を最初に聴いたのは前述したNHK特集なのだが、当時小椋佳は32歳のエリート銀行員だった。マスコミに顔を出すこともなく、レコードジャケットにも自分の姿を登場させていなかった。「シクラメンのかほり」で思わず有名になってしまいリサイタルを開くことになってしまったけれど、このコンサートも最初で最後と言われていた(もちろん最後ではなかったのだけれども)。
それにしても…銀行員の激務をこなしながらこんなに数々の美しい曲を作り、どちらの分野でも一流であり、しかも当時32歳。僕は当時の彼よりもいったいいくつ歳を重ねてしまったのだろうか。
 龍馬はんのことを考えるときもそうだが、強烈な劣等感に襲われそうになるのをいつもぐっと踏みとどまっている。まあ彼等は天才だと考えていたほうが気が楽だ。

  君の好きな色は変わらず 淡い淡い紫でしたね
  いつか手紙に書くはずの 朝まで探した言の葉は 今でも心に住んでいます

 小椋佳はその後、銀行員として活躍しながら、ミュージカルをプロデュースし、映画の主題歌も数多く作り、多くの歌手に楽曲を提供していく。そんなに頑張らなくてもいいのに、とずっと思っていたら、第一勧銀浜松支店長に就任したのを機に銀行を辞め、歌一本にするのかと思いきや東京大学法学部に学士入学。留まる所を知らない。さらに文学部、大学院と学歴をどんどん上げていく。舞台製作など厳しい仕事ばかりしているなぁと思っていたら、案の定倒れた。一時期はかなり心配されたが、ぐっと痩せて小椋佳は戻ってきた。今は元気に活躍されている。

  時は元に戻れないと 誰が決めたのですか?
  心の中に憧れが 今も膨らんでいくと感じているのに…

 もう老境に達した感のある小椋佳ではあるけれども、みずみずしい感性はまだまだ継続中で、優しいうたごえもまた変わらない。僕もずっと聴き続けることに間違いはない。




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