夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

陶工柿衛門図 植中直斎筆

2012-09-03 05:14:09 | 掛け軸
借りているマンションの改修工事が始まり、出窓の台の上に物を置いてはいけないとか、網戸を外して部屋の中で保存することとかになり、部屋が狭くなり、閉口しています。


陶工柿衛門図 植中直斎筆
絹本着色軸装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:縦1375*横665 画サイズ:縦410*横510



1957年(昭和32年)4月上旬、直斉72歳の作。箱に書いてある書付は植中直齋が書いたようですが、内容は判読中ですが、おおむね下記のように読めます。

箱書きには「陶工柿衛門之図」(柿右衛門?)とあり、蓋の裏には「今□に記□□本□厨子装□完□開眼供養会に際し同門山崎光洋心兄苦心の作仏前荘厳の具五具足及大花瓶壱対を寄進せらる余亦堀江春□兄と共に寄進者の一人に加えらるや心兄の仁侠美徳にいたく感激の余り陶工柿衛門の画を揮毫して之を呈上す 即ち名工作陶の苦心ハ心兄製作の苦心と合通じるところ あればなり その顛末を記すると□伝 
昭和丁酉歳巳月上浣於無畏□□房 直斎老拙識之 (朱文白方印) 直斉」

山崎光洋とは1890年~1979年没日本画家を志し京都の山元春挙に師事、のち陶芸の道へ。昭和
18年芸術保存作家、翌19年に技術保存作家に指定。





夕日に映える柿の実を見て初代(1666年没)が赤絵磁器を作ったとする逸話が「陶工柿右衛門」や「柿の色」の題で作者・友納友次郎により大正時代の小学校の教科書に掲載され、広く知られていたが、これはオランダにおける陶工の琺瑯彩(粉彩(ふんさい)は、18世紀に始まった陶磁器の上絵付技法の一つ。別名:琺瑯彩)に関するエピソードを柿右衛門に当てはめたもので「名工柿右衛門」と同様に創作のようです。この逸話を題材にした作品に相違ないようです。



かなりシミが発生しており、染み抜きでとれるかどうか・・・。

植中直斎 (うえなか-ちょくさい):1885-1977 明治-昭和時代の日本画家。明治18年10月1日生まれ。深田直城,橋本雅邦に師事。また田中智学に日蓮(にちれん)宗の教義をまなぶ。大正2年山元春挙に入門。文展,帝展などに仏教画を発表。昭和48年「日蓮聖人絵伝」を完成。昭和52年8月12日死去。91歳。奈良県出身。本名は直治郎。

参考作品
具足飾図
絹本着色金泥 緞子装
思文閣墨蹟資料目録 和の美 第423号 作品NO78 評価金額 150万




めったに市場には出てこない画家のように推察されます。



本ブログにもいくつか柿右衛門の作品を投稿しております。基本的には日常作品であり、現在は百貨店と共謀して高価なイメージを作り上げてしまったように思います。

膳一揃え



最近の作品はたいした技術の発展もないと私は判断しています。

灰皿



柿右衛門窯は原点に戻る必要があるのでしょう。

蓋物



窯元の工房作品にて大量生産し、本来の陶工の心を忘れてしまったように創造性のない窯になってているように感じます。






それとも過去の陶工があまりにも偉大すぎたのだろうか??




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