夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

贋作考 黒楽茶碗 伝十ニ代弘入作

2017-03-21 00:01:00 | 陶磁器
祖母から伝ったという知人が所持していた弘入の赤楽茶碗を見たことがあります。そのときからいつか楽焼の茶碗が欲しいと思っていたのですが、いつ頃からか楽茶碗がいいものとは思わなくなっています。現代の楽焼もしかり・・・、今でも正直なところ楽焼には魅力を感じません。

陶磁器で一家相伝のものにいいものは存在し続けないというのは原則です。陶磁器には人格がでますし、人格が優先で技量などは二次的なものであると考えています。それが家伝になるはずはないのです。

こういう天邪鬼の小生がひょんなことから楽茶碗を購入しました。

贋作考 黒楽茶碗 伝十ニ代弘入作
共箱入
口径100*高台径*高さ70



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十二代 弘入:(こうにゅう、1857年(安政4)~1932年(昭和7))11代慶入の長男。本名は、小三郎、惣次郎(幼名)のち吉左衛門、喜長、12代楽吉左衛門 1871年家督を継ぎ吉左衛門を襲名。



黒楽茶碗、赤楽茶碗共に、色彩表現に優れ、釉薬を二重にかけることにより色の変化を演出。また、箆(へら)使いにおいては、9代了入を基礎としながらも独自に研究。 独特の穏やかな胴の丸み、男性的で豪放的な作品を残す。

  

印には糸偏が8を模る「8楽」が主流、そのほか徳川頼倫候筆の「楽」、碌々斎宗左筆の草書「楽」、「十二代喜長」の角印を使用。西本願寺用に瓢箪型の中に「澆花」とされた印もある。印名は「樂」(「楽」)「十二代喜長」



調べていくうちに本資料だけで判別できない作品も多々あるようです。本作品は小ぶりな黒楽碗で高台脇に「楽」の押印があります。



十二代 弘入は大人しい人柄であったそうで、少年時代は明治維新前夜で茶道は衰退して困苦を味わいました。当時は茶盌の注文は少なく、ひと月の茶盌の注文が一箱という時もあったようです。その後 茶道も隆盛となって 明治の終わり頃には注文に応じきれないほどとなりました。茶道には熱心でしたが、水屋の苦労を知りすぎていたので自分では茶会は全くしなかったそうです。



本作品の箱の印章は石川丈山による「8楽印」や徳川頼倫候筆の「楽」の印章と近似しているが、一致せず真作とは断定できません。ただし、作品字体と作品に押印されている印章はいいようです。作品は真作、箱が?といったところかな。



大正8年(1919)までは「8楽印」、白の右の字が8の字になっている印でこの字は石川丈山の字です(大小二つがあります)。大正8年より以降は の字に変わります。楽の字の白の左右の字が不動明王の炎のようになっています。



真作なら作品が「8楽印」、箱が「徳川頼倫(よりみち)侯印」・・・???



普通に楽焼としては使えそうなお茶碗です。



今は解らなくていつか解る時が来る・・・、そんなものも許容することが必要なようです。


贋作と決め込んで魯山人の志野徳利を手放したのですが、あとで残した写真を見るとどうも真作であったような、また河鍋暁斎と柴田是真実の合作の扇面もまたしかり・・、いずれも思いのほか高額で引き取られたので喜んでいたのでいましたが・・・・。


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