夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

関羽図賛 伝渡邉崋山筆

2019-08-07 00:01:00 | 掛け軸
なかなか真作の作品が無い南画家には田能村竹田、高橋草坪、浦上玉堂、池大雅そして渡辺華山がいます。これらの画家の作品の真作を見出すのは至難の業でしょう。さてその渡辺華山に挑戦した本日の作品です。

本日紹介する作品は渡辺崋山が25歳頃に描いたとされる作品です。あくまでも「伝」でありますことを御容赦願います。

関羽図賛 伝渡邉崋山筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 山下青城鑑定書添付 合箱
全体サイズ:縦2210*横700 画サイズ:縦1240*横540



本作品は「丁丑(ひのとうし、ていちゅう)孟冬(初冬。また、陰暦10 月の異称)」とあり、1817年(文化14年)初冬の作と推定されます。渡辺崋山が25歳頃の作で壮年期の作とされています。賛に記された銘は「華山」と記されていますので一致します。この頃に渡辺崋山は谷文晁の師事し、画名を高めていた頃です。

  

*渡辺崋山の号ははじめ「華山」で、35歳ころに「崋山」と改めています。このことを知らない方は意外に多いようです。



描かれているのは「関羽」でしょう。



画中の賛の内容については下記の書付が三枚同封されています。







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関 羽:(かん う)? ~建安24年12月(220年1月))。中国後漢末期の将軍。字は雲長(うんちょう)。元の字は長生。司隷河東郡解県(現在の山西省運城市常平郷常平村)の人。子は関平・関興。孫は関統・関彝。

蜀漢の創始者である劉備に仕え、その人並み外れた武勇や義理を重んじる人物は敵の曹操や多くの同時代人から称賛された。後漢から贈られた封号は漢寿亭侯。諡が壮繆侯(または壮穆侯)だが、諡号は歴代王朝から多数贈られた。

ご存知のように曹操は孫権と策略により悲劇的な死を遂げたが、後世の人間に神格化され関帝(関聖帝君・関帝聖君)となり、47人目の神とされた。信義に厚い事などから、現在では商売の神として世界中の中華街で祭られている。そろばんを発明したという伝説まである。

小説『三国志演義』では、「雲長、関雲長或いは関公、関某と呼ばれ、一貫して諱を名指しされていない」、「大活躍する場面が壮麗に描かれている」など、前述の関帝信仰に起因すると思われる特別扱いを受けている。見事な鬚髯(鬚=あごひげ、髯=ほほひげ)をたくわえていたため、『三国志演義』などでは「美髯公」などとも呼ばれる。

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中国偉人を描いた他の渡辺華山の作例と比較してみましょう。

「黄庭堅像 渡辺崋山筆」(1828年(文政11年)35歳の作)という作品です。



この作品は寺崎廣業が晩年この渡辺崋山の作品に倣って描いた作品を投稿した際に取り上げた作品です。

骨董蒐集はいろんな角度でいろんな画家の作品が繋がっていることがあるものです。ただこれは機会あるごとにいろんなことを調べあげて記録していないと解らないことです。

渡辺崋山の作品で傑作は所肖像画ですが、本作品は谷文晁の影響がありますが代表作の肖像画への作風の片鱗を見せる作例と言えるのでしょう。

鑑定書は昭和丙戌初冬:1946年(昭和21年)初冬に山下青城が書したものです。



*渡辺華石、山下青崖、山下青城らの鑑定した作品はかなりたくさん市場にあります。

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山下青城:1884年(明治17)静岡県浜名郡笠井町(現・浜松市笠井町)に生まれる。本名は桂、号は青城、起雲、楽山堂、芙蓉庵。南画家・山下青厓の長男。父青厓に南画を学んだのち、1910年(明治43)田崎草雲門下の小室翠雲に師事する。1912年(大正1)帝国絵画協会会員となる。日本美術協会会員。東海絵画会、また帝展に入選。青厓から渡辺崋山・椿椿山の画系を引く崋椿系の画風を受け継ぎ、花鳥画を得意として繊細な表現に優れた。1962年(昭和37)没す。

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本ブログに投稿されている山下青城による鑑定のある渡辺崋山の作品は下記の2作品があります。「国色天香之図」は真作と判断しています。

国色天香之図 渡辺華山筆 真作
紙本水墨着色緞子装軸 軸先本象牙 青城鑑定箱入二重箱(昭和26年)
全体サイズ:縦1460*横460 画サイズ:縦260*横344



活花図 渡邉崋山筆
紙本水墨着色 軸先陶器 青城鑑定箱(昭和17年)崋山堂鍳蔵
全体サイズ:縦1090*横240 画サイズ:縦230*横140



山下青城の鑑定箱で表には「崋山翁壮年筆」と記され、「崋山堂鑒題」の印が押印されています。

箱裏には「壬午(1942年 昭和17年)□日青城鑑題」(山下青城58歳の時の鑑定)と記され、朱文白方印「青城」(関羽図賛と同印章)が押印されています。



さて出回る作品のほとんどが贋作ばかりの渡辺崋山に作品ですが、当方では解る範囲から真作と判断しておりますが、さて最終的な真贋や如何・・・。



骨董蒐集はロマンばかり追いかけていると贋作の山を築くことになりますが、ロマンを追いかけないとモチベーションが上がらないのも事実でしょう。



大正の頃の入札会には下記の作品らが出品されています。



これらの作品は渡辺華石の鑑定によるものです。

*渡辺華石は渡辺崋山の子小華のもとで学び、その後をついだ画家です。



肖像画の名手である渡辺崋山ですが、そのもととなる壮年期の作品に相違なしや否や?



鑑定も信用ならないといって、贋作と決め込まずにしておくことです。本作品は真作の可能性は大いにあると思います。



じっくりと検証してみたい作品です。



なおなにやら巻止にも押印がありますがこちらは不明です。



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