大島恵真(おおしま・えま)の日記

児童文学作家・大島恵真の著作、近況を紹介します。
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あらためて憧れる(渡辺貞夫さん)

2021年01月25日 | 個人的なエッセイ
みなさま おはようございます!(もう午後になってしまいましたが)
仕事にとりかかる前に、つらつらと書くエッセイのようなものです。
きょうは、サックス奏者の渡辺貞夫さんについて書きます。私が高校生の頃、「世界のナベサダ」として知られた方です。「知られた」と過去形にしてしまいましたが、高校卒業後は意識することなく暮らしてきたため、そういう失礼な位置づけになっていました。

渡辺さんは、今も現役です。87歳、バリバリのプレイヤーなのです。それを知ったきっかけは、先週のNHKアーカイブスの放映です。15年くらい前の、70代の渡辺さんでした。まったくバリバリでした。私が高校生の頃と、変わらない印象でした。
今はどうなのだろうかとネットで検索したら、ご自身のサイトがあり、動画を配信されていました。すごい鋭さで演奏されていました!80代といっても90近く、しかも肝炎で入院されていたこともあったとのこと(これは40代くらいのとき)。健康そのものというお体でもないのに、すごい!と思いました。

私が高校の頃の渡辺さんは40代前半。次々とアルバムがヒットし、海外の有名ミュージシャンと共演もするスタープレイヤーでした。というのを、高校の吹奏楽部の友人に教えてもらいました。
ジャズミュージシャンに憧れる友人は、自分で渡辺さんのフュージョン曲を編曲し、吹奏楽部の定期演奏会でビッグバンドを編成し、けっこう本格的なステージにしてくれました。私は当時フルートを担当していましたが、ピアノも弾かされ、まるで弾けず、悔しい涙を流したものです。
友人は、卒業後は東京の音響専門学校に行き、同時にジャズミュージシャンの弟子生活を始め、数年後には自分のバンドを持ち、ライブに呼んでくれたこともありました。ですが「ジャズでは生活できない」とゲーム音楽の作曲家になり、今はジャズミュージシャンを専門に撮るカメラマンになっているようです。

ところで渡辺貞夫さんも、経歴をネットで拝見すると、栃木県の工業高校出身とのこと。その後ボストンの有名音楽大学のバークリー音学院に留学され、本場のジャズを学ばれたとのこと。

私の高校生の頃、工業高校というのは、「家の仕事を継ぐ」「もの作りが好き」といった人が多かったのですが、ふつうに成績のいい人が、中学の担任の先生に振り分けられて行くところでもありました。「大学進学が経済的にむずかしい→高卒でも工業高校なら大企業に就職できていいポストにつける」という考えもありました。今でもそういう面もあるかもしれませんが。
入学してから、退学する人もいました。やっぱり向いていない、ということだったのでしょうか。
ちなみに私が入学した目的は、吹奏楽部だけでした。大学には行かせてもらえない家庭環境だったこともありますが。

ネットでみた経歴では、渡辺さんのお父さんは薩摩琵琶奏者とのこと。時代によっても違うかもしれませんが、多くの伝統芸能同様、薩摩琵琶だけでの生活はむずかしく、他の仕事をしながらお弟子さんをとって教えたり演奏したりしていた、ということも考えられるのでは、と。家に音楽のある環境だった渡辺さんは、音楽に進むならかなり戦略的に行かないと仕事にできない、と思われたかも。その姿勢が、今も現役、ということにあらわれているのかな、と勝手に勝手に思わせていただいたりしています(すみません渡辺さん…後ほど自伝を読ませていただいて、間違った部分は訂正させていただきますから)。

高校生当時の私は、友人からジャズ、フュージョンを教えてもらい、みんなでジャズ喫茶やライブハウスに行ったりもして、それなりにジャズに親しむことはできましたが、「やっぱり私はクラシック音楽だな」と再確認もしたのでした。
そんなわけで、ジャズもそれ以来聞かず、今に至っていたのですが、87歳でバリバリ演奏する渡辺さんのお姿で、「ナベサダからジャズを聴いてみようかな!」と思いました。
あらためての、憧れのスタートとなりました!