ひらつか日記

1999年に漫画家おかざき真里ホームページの連載コーナーとしてスタートした身辺雑記×音楽紹介日記です。

鳥の声が聴こえた

2009年04月20日 | ブラック
パーフェクト・エンジェル / ミニー・リパートン

気分を晴らそうとして、道々ヘッドホンを耳につっこんでボリュームをあげてイキのいいギターロックを聴いてみるが、どうもしっくりこない。あれでもないこれでもないと選曲してるのもダルくなってヘッドホンを外したら、静かな住宅街の生活音と、鳥が方々から鳴く声が耳に入ってきた。東京の真ん中でも鳥の声って結構聴こえるんだな。そのまま耳を澄まして歩いていたら少しずつ平和な気持ちになってきた。わたしたちが感覚するのは「意味」である。環境音は、わたしたちの感覚器には入力されているはずだが、普段はそれに意味が付与されないために、ほとんど全く聴こえていない。ふと鳥の声が聴こえてくる、というのは、ヘッドホンを外すという物理的行為の結果ではなくて、わたしがそれに「意味」を付与した、ということの結果だ。世界が変わった、瞬間的に異なる世界が立ち現れたのだ。そりゃあんたの気のせいだ、世界は何も変わってないよ。どちらでもいい、今日の鳥の声はわたしにそんな世界のありようを感触させてくれたのだととりあえず書いておく。Perfect Angel / Minnie Riperton が今日の推薦盤。ミニー・リパートンといえば、本作に収録された「Lovin' You」。言わずと知れた大名曲だが、スタジオでのレコーディングはかなり難航したらしい。何度歌っても出来上がりがどうもしっくりこない。自宅で録音したデモテープのような雰囲気にならないのだ。なぜだろう、と考えるうちに、彼女が思い当たったのが、自宅でデモテープを再生している時にいつも聴こえていた鳥の声。スタジオで録音したものになかったのはそれだった。現在わたしたちが聴くことができる完成テイクに、ずっと鳥の声が入っているのは、そんな理由によるものなんだとか。この録音から5年後の1979年、彼女は癌のため31歳の若さで還らぬ人になったが、ここに聴かれる平和な「世界」の確かなプレゼンスは時代を超えて聴き継がれていくだろう。「Lovin' You」は、いろんな歌手がカヴァーしているけれど、そこにある「世界」までカヴァーできているものは私の知る限りでは存在しない。DJアレックス・パターソンがこのレコードをサンプリングして制作したアンビエント・ハウスのトラック「Huge Ever Growing Pulsating Brain That Rules From The Center Of The Ultraworld」(1999.9.22 日記参照)には、そのエッセンスが極大に拡大された形で聴こえてくるように思うので、もし興味があれば一聴を。




完璧な一日

2009年04月17日 | ロック・ポップス(欧米)
トランスフォーマー/ルー・リード

前日は汗ばむほどだったのに、急に肌寒くなった金曜の朝、打ち合わせに出かけてみたら、予定を一週間間違えていた。読みかけの本を忘れて出てきた。iPodも持ってない。午後のプレゼンも不発だった。傘を立ち寄った先に忘れてきた。なんだか調子が狂ってしまって、少し気分が塞ぐ。時々ごく軽度の鬱のようになるが、今日はどうもそのスイッチが入ってしまったような感じ。Transformer / Lou Reedルー・リードの歌声は、こんなときに効く。この人はいろんな音楽を演るが、あまり騒がしいやつじゃなくて、ボソボソと呟くように歌う時の。例えば、本盤の「Perfect Day」。聴いていると、ロカンタンの影がちらつく。実存主義的なメランコリー?




アイ・ラブ・生活

2009年04月16日 | クラシック


日頃お世話になっている人の昇進祝い、ということで延び延びになっていた会食。彼はわたしよりもまだ若く、30代後半。話をきくと、最近の若い人がどうも食い足りないと言う。なんていうんですかね、「アイ・ラブ・生活」みたいなヤツが多いんですよ。その言い方がおかしくて思わず笑ってしまった。要するに、仕事にあまり多くを求めない、ということか。仕事に燃えるよりも、家に帰って日常の暮らしから適度に満ち足りた気分が得られることを幸せに思う。何か大きなことをやってやろう、おもしろいことをやってやろう、という自己主張の山っ気が全く無く、言われたことをソツなくこなして早く帰る。そんな感じを「アイ・ラブ・生活」という言葉で言ってみたんだろう。わたしも別に山っ気のある人間ではないけれど、世代感覚として彼の言わんとすることはよくわかる。仕事に燃えるばっかりが幸せではないことは重々承知の上で、こっちに食ってかかってくるような、お前なんか超えてやろうというような、ギラっとした勢いを感じさせてくれない若者たちに歯がゆい思いをしているんだと思う。冒頭にあげた動画は、先日の日記(2009.4.13)でも取りあげたフランスの現代音楽作曲家、ピエール・ブーレーズが若い頃にオーケストラを指揮した時の映像(曲はドビュッシーの「夜想曲」)。若いといってもハゲてるけど(笑)。1968年のBBC放送とあるから43歳の頃か。保守的なクラシック業界にあって、このガラの悪さは当時かなりワル目立ちしたんじゃないかと思われる。グラサンかけて、オレのインテリジェンスについてこられるかな、とオーケストラを睥睨するこの雄姿、かなり若気の至りな感じが漂ってます。本業は作曲、指揮は余技というわけで、出すレコードはすべて「Boulez Conducts xxxx」(ex.Debussy)といったタイトルがつけられていた。「作曲が本業のオレさまがわざわざ指揮した××××」(ドビュッシーなど…例えばこんなCD)というわけで、つまり他の伝統的なボンクラ指揮者がやってきたような生ぬるい解釈とは次元が違うんだぜ、という主張が込められている。クソ生意気である。おまけに「オペラ座を爆破せよ」「シェーンベルクは死んだ」など、物議を醸す挑発的な発言も多く、この頃は「怒れるブーレーズ」と呼ばれていたらしい。音楽全共闘みたいなもんか。今は、すっかり丸くなって、一部ファンからは、単なる好々爺になりやがってと陰口たたかれてるが、まあもう84歳だ、いつまでも怒ってるわけにいかないから仕方がないわな(笑)。こんな若手が実際に出てきたら、冒頭の彼はきっとものすごくうれしそうに全力をあげて叩き潰しにかかるに違いない。今は叩き潰すどころか、いかにして辞めさせないか…と気を遣うばかりなんだろうな。やれやれ大変だ、現代の中間管理職。ご苦労お察しします。


ちょっとお安い感じが

2009年04月15日 | ロック・ポップス(国内)
akiko/Akiko Yano

ネット時代のマーケティングは「バズ」が大事、なんて言われる。要はクチコミね。個人のブログなんかで、商品やプロモーションのことが記事として書かれて評判が伝播していくようなことを指している。何か気になることがあると、何でもとりあえずネットで検索しちゃう人が増えてきたわけだから、検索結果に当事者以外の第三者の客観評価がひっかかってきて、それが好意的な評価であればもちろんマーケティングにプラスに作用する。そのこと自体に異論はないが、しかし、それをマーケターがダイレクトにコントロールできる要素と考えることについては違和感がある。いい商品、いいプロモーション活動、それを第三者が評価し、自身のブログなどで推奨する、という行動が起きるかどうかは自然に任せるべきで、マーケターができることは、そうした行動を起こすにあたって、その行動を助ける道具立て(ブログパーツなど)を提供するといった程度だと思う。その行動の発生そのものを、何らかの手段でコントロールしよう…という思考は、きわめてマーケター都合にすぎるのではないか。商品の性格にもよるし、やり口にもよるので、うまくいくかいかないかの基準線を明確に引くことは難しいが…。akiko / Akiko Yano 。昨年10月に発売された矢野顕子の新譜。どんな評判なんだろうなあ、と何気なくネットで検索してみると、いくつかのブログの記事がひっかかってきた。それらを見ると、発売前に試聴盤をもらった…とする人たちのものが多く、聴いて書いた記事に熱が感じられない。音楽についての知識をそれほど持ち合わせてないな、と推測される人までが、「グラミー賞受賞の音楽プロデューサー、T・ボーン・バーネットをプロデューサーに迎え、鬼才マーク・リーボウらと…」なんてスラスラ書いてるから、明らかに同封されたリリースの引き写しだろう。別にこのケースについて、あるいは本件のマーケターや関係者に対して、是だの非だの言う意図はない(ので本エントリーを建設的にとっていただきたく、どうか気分を害されませんように…)。こうした「バズ」を見て買った人もあったろうから、効果が無かったとも言わない。ただ、やっぱり音楽をちゃんと聴いてくれる人たち(つまり放っておいても身銭を切って買ってくれるであろう“上客”たち)に対してこの仕掛けがポジティブであっただろうか、ということはマーケターであれば検証しておいたほうがいいテーマだと思う。で、末尾になったが本盤の出来、ほんとうに素晴らしい音楽。何がどう素晴らしいかはネットで検索してください(笑)。古くから音楽を熱心に聴いている人なら、本作のギタリストをマーク・リボーと表記する場合が多いので、それを検索ワードに含めてみるのも手ですね。


モノクロで書く

2009年04月14日 | クラシック
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集/ゲヴァントハウス四重奏団

カラーの企画書が珍しくなくなったのは、ここ10年くらいか。20年前にわたしが企画書を書き始めた頃は、モノクロが当たり前だった。当時使っていたマッキントッシュの画面もモノクロ、出始めのレーザープリンタも恐ろしく高価だったがモノクロだった。カラーが普通になって、ずっと気になっていたのは、企画書の出来がともすると甘くなること。要するに、ロジックが精錬されてなくても、色でなんとかごまかしてしまえる、ということだ。自分の企画書の出来が甘いかどうかは、それをモノクロでコピーして眺めてみればよくわかる。モノクロになっても芯になる情報が劣化しない、それが優れたドキュメントだ。そんなわけで、最近、事情が許せば、企画書をモノクロで書くようにしている。色を使わない。出来上がったものを送ると「パソコンの画面が壊れたかと思いました」「すみません、さびしいので色つけてください」とか言われることもあるけれど、まあいいでしょう(笑)、企画書のトレーニング法として推薦しておきます。企業もコストダウンを迫られてる時勢だし、モノクロで書ける技量を磨いておくといいと思う。だいたい、わたしも含めて、みんな色にはシロートなんだから、ほぼ例外なくセンスはよろしくない。モノクロのは難しいけど結果的にはキレイで知的なものになるんじゃないかな。今日の推薦盤はこちら、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集/ゲヴァントハウス四重奏団 。クラシックに弦楽四重奏というジャンルがある。ヴァイオリン2挺、ヴィオラ、チェロのカルテット編成。楽器が弦4本しかない(しかも各楽器は原則として一本の旋律線)ので、出音はかなり渋い。オーケストラのカラフルな色彩感はなく、モノクロの線画のような印象になる。慣れない人が聴くと退屈してしまうが、クラシック好きはあれこれ聴いて最後はここに行き着く方が多い。先週紹介したストラヴィンスキー(2009.4.10 日記参照)も、晩年は自分のオーケストラ作品など全く聴かず、ベートーヴェンの弦楽四重奏のレコードばかり聴いてたそうである。作曲家からすると、これほどゴマカシのきかないジャンルもないんじゃないだろうか。オーケストラだったら管や打楽器、場合によっては合唱なんか使ったり、楽器のソロ曲であれば奏者の華麗なテクニックを引き出すようなパッセージを配したり…とあれこれ退屈させないような趣向をいくらでも凝らせそうだが、弦をたったの4本だけ、そのアンサンブルでとなると…。わたしは作曲家ではないので想像の域を出ないが、こりゃ相当な楽想の詰めが必要だろう。ということで、このジャンルの最高峰といわれるベートーヴェンの後期弦楽四重奏から第14番を聴いてみる。このゲヴァントハウス四重奏団の全集、演奏も録音もフレッシュで実に素晴らしい。それにこの価格…。過去に聴いて弦楽四重奏をあきらめた人もこれならもしかして、である。それにしても、最近のパソコンはカラーがデフォルトだから、モノクロで書こうと思うとこれが結構面倒くさい。エクセルとか、昔はモノクロモードがあったような気がしたんだが…今度のバージョンアップではぜひモノクロモードをよろしくお願いします。




春の祭典、推薦盤訂正

2009年04月13日 | クラシック
ストラヴィンスキー:春の祭典/ピエール・ブーレーズ指揮・クリーヴランド管弦楽団

直前の記事を書いたあとに、昔挙げた「春の祭典」の推薦CDをあらためて聴いたら、初めて聴く人にはいささか不向きな盤だったな、という気がした。このエサ=ペッカ・サロネン指揮の演奏、9年前に書いたように「ジャズやロックを通過した耳にむけて、今一度この曲のインパクトをわかりやすく解き明かしてくれる」演奏であるのは間違いないが、どんな曲なのかという理解、特にバレエ曲だという視点からするとテンポが無茶苦茶に速すぎて、これじゃ全く踊れない(笑)。というわけで、補足として初めて買う1枚としてよりふさわしいCDをあげておくことにした。Stravinsky: Le Sacre du Printemps / Pierre Boulez, Cleveland Orchestra 。現代音楽の作曲家としても名高いピエール・ブーレーズが指揮した3種ある録音のうちの最も新しいもの。分解能が高い、つまりハイヴィジョンで見るような感じでストラヴィンスキーの書いた音符が明晰に浮き上がる。おもしろい曲だけにおもしろい演奏が山ほどある(ハルサイマニア、というような人もいるくらい)ので、気に入った方は、以前にあげたサロネン盤はじめ、いろいろ深みにはまってみてください。




コツコツ

2009年04月10日 | クラシック


何年も仕事をご一緒させていただいてる人たちと小規模な会食。いつも顔を合わせているメンツなのに、メシ食いながらゆっくりと話をする機会がなかった。広告業界っていうと、毎晩スカした店で遊んでんだろ、と思われる方も多いかもしれないが、何しろ忙しい仕事なので、広告屋の毎日はものすごく地味でハード、遊ぶヒマあったら寝かせてくれ、というのが実態である。今日の会も集まったのはみんなわたしよりも若い人ばかりだから、きっとスケジュールのやりくりは大変だったに違いない。ちゃんと寝てくださいね(泪)。いろいろな話をするうち、平塚さんはどうやって企画書を書いてんですか、という質問が出た。結構苦労してますよ、書いてはボツ、書いてはボツ…を繰り返して毎回何とかひねり出すって感じ…と答えると、意外だという反応。20年やってきた経験で書き方のパターンがだいたいストックされていて、そのストックを使って毎回ササッと書けちゃってるように見えてるらしい。へぇ、そう見えてんのか。わたし、大雑把のO型のせいか、パターン化とかストックとかいわゆる整理が苦手。机汚いし、パソコンのハードディスクも無茶苦茶、アタマの中もそんなわけで全く片付いていない。仕事のやり方としては、たぶん相当に非効率な部類に入るはず。それよりも問題なのはものすごくムラがあること。コツコツと計画的に…ができない。いつもエンジンがかかるのが締め切り間際。わたしが尊敬するのは、コツコツと物事を積み重ねていける人だなぁ。それで思い出すのは作家の逢坂剛さん。通常、著名人については敬称略のこのブログなのに敬称が付いているのは、わたしが前にいた会社の先輩社員でいらしたから。新入社員当時、何かの折にお話を伺う機会があって、その席上、会社員と作家の二足の草鞋をどういうやり方で成立させているのか、というようなことを誰かが尋ねたことがあった。毎日原稿用紙を3枚書く。どんなに筆がのっても3枚書いたら寝る。1日3枚書けば1年で1000枚の作品になるでしょ、というのがその答えで、うわ、そんなことできるんだ、と仰天したのを覚えている。その後退社されて専業作家になられたので、今はもうそんな書き方ではないだろうけど。音楽だったら、イーゴリ・ストラヴィンスキーがこのタイプ。生活は銀行員のように規則正しかった、と伝えられている。朝9時から午後1時まで作曲、と決めて毎日コツコツと書いていたらしい。代表作「春の祭典」、あれをそんなやり方で書いたなんてちょっと信じがたい。「春の祭典」については、過去にも書いたことがある(2000.4.13 日記参照)けれど、相当にイカれた音楽だ。CDは過去に推薦済なので、ここではこの曲本来のバレエの舞台として上演された映像をあげた。わたしはバレエに明るくないので、この振付(モーリス・ベジャール版?)が、初演時のニジンスキー版とどこまで近いのかよくわからないけれども、音楽も舞台もかなりイカれた異形の作品であることはおわかりいただけるはず(YouTubeみてたらこんな振付もあった…パンツ下ろしてます…笑)。20世紀初頭(1913年、日本は大正2年)にこの音響、こんなブッとんだものを、毎日コツコツ少しずつ…という積み上げで産み出すのは、たぶんというか、間違いなく異常である。絶対に真似できるものではないのはわかっているが、それにしても、わたしの仕事への集中度合いのムラの多さ、もう少し何とかしないとなぁ。若い人たちから仕事のやり方を質問されてる今が花、気がついたらいつの間にか枯れてました…とならないようにしなきゃね。


ソング・サイクル

2009年04月09日 | ロック・ポップス(欧米)
ソング・サイクル/ヴァン・ダイク・パークス

昨日の日記(2009.4.8)で触れたので、Song Cycle / Van Dyke Parks について忘れないうちに書いておくことにした。1968年(昭和43年)に発売されたこのアルバム、当時はほとんど全く売れなかったらしい。発売元のワーナー・ブラザーズが、あまりの売れなさに新聞、雑誌に全面広告を掲載、キャッチは「この“最優秀レコード”によって、35,509ドルの損失が生じた。(まいったね)」(lost $35,509 on 'the album of the year' [damnit].)で、「既に購入した人は盤がすり減るほどに聞き潰しているだろうから、新しい盤2枚と交換する。そのうちの1枚を使って“友人を教育する”ためにも」と書かれていたそうな(笑)。わたしも最初は全くピンとこず、買って何年も放っておいた。このアルバムはごく少数だけれど、熱狂的な支持者を持っていて、同時期のビートルズ、つまりサージェント・ペパーズよりも重要作だという人もあるくらい。そうした人の賛辞を目にして引っ張り出しては仕舞い込み…を繰り返しているうち、ある時、スッとわかった、お迎えが来た来た来ましたよ。開眼した瞬間の手ごたえは“黴臭い”という感覚にあった。黴臭い、といってイヤな臭いなのではなくて、そうだな、春の暖かな日に、古い田舎の家の、ホコリがうっすらとたまった納屋をのぞいてみるような、見慣れぬものばかりなのに強烈に懐かしい、というような感覚。このアルバムの主題はいわば「蔵の中のアメリカ」だったのだ。アメリカには蔵なんてないぞ、ということであれば、屋根裏部屋でも何でもよろしい。昔日の、かつて存在したアメリカの影。ホコリが積もって色褪せたイメージの断片を、春眠の夢見のように、つぎはぎにして再構成したのが、このアルバムの音像だったのだ。夢だから、あちこち跳んで話としては要領を得ないけれど、その魅力に開眼し、そこに身を投じてしまえる人にとっては、前言語的とでも呼ぶしかない圧倒的な豊饒さを感じ取ることができる。しかし、アメリカ人でもないわたしまでもが、なんでここに強烈な郷愁を感じとるんだろう。とりあえず出音はアメリカだけれど、それを超えて、人間の郷愁、つまり記憶というものの原理に作用するような…。時代から推測すると、これ、やっぱりLSDですかね(笑)。シラフじゃちょっとできない作品のような気がする。

推薦Blog
One Way To The Heaven
白猫目




ぬるい・・・・

2009年04月08日 | ロック・ポップス(欧米)
ユリイカ/ジム・オルーク

今日もまたいい天気。坂道を登ると少し汗ばむくらいの陽気。のどがかわいたので、道端の自動販売機で冷たい缶コーヒーでも…おっとまてよ、今頃はまだHOTとCOLDの切り替えが微妙な時期だから間違えないようにしないとね…見本缶の下のCOLD表示を確認してからボタンを押す。ガタコン。あれ、出てきた缶が冷たくない…。業者の切り替えミスで、HOTが出てきたのかと言うとさにあらず、熱くもなく冷たくもない、単なる“ぬるい”缶…。何たる中途半端(泪)。ちなみに、この画面の真ん中のヤツです…と小さく仕返ししといたろ(笑)。Eureka / Jim O'Rourke 。こちらは、ジム・オルークの1999年作品。アヴァンギャルドとか、ノイズとか、エクスペリメンタル…なんて物騒な方面から最初に名前が聞こえてきた人で、いったいどんな壮絶な音楽を演る人なんだろう、と当時ドキドキしながら、CDショップでその名を探してみたら、あったよありました、このディスク。しかし、このジャケットはいったい…。相当数のレコードジャケットを目にしてきたわたしにしても、これは引く。ドン引きである。やっぱりイカれてる…このジャケのセンスからしてますます只者ではない…轟音爆音の極地のような音楽を想像しつつ、他のCDでサンドイッチにしてジャケットが見えないようにレジに出した(笑)。で、その晩、早速聴いてみた。…。…。…。…。なんじゃこれは。轟音爆音はおろか、アヴァンギャルドもノイズもエクスペリメンタルも無く、まるで古いアメリカのカントリーのような鄙びた呑気な音楽。期待とのあまりの落差に感想の言葉が一切出てこず、それでも何か言ってみろといわれたらその時のわたしはきっと“ぬるい”と言っただろう。以来、レコード棚の隅にしまいこまれたこの盤が再度取り出されたのはそれから数年後だった。キッカケは、Song Cycle / Van Dyke Parks の魅力に開眼したこと。こちらのアルバムについてはいずれあらためて書きたいと思うが、似ている、ものすごく似ているのだ(ジム・オルーク本人もこのアルバムに影響を受けたと後日インタビュー等で答えている)。最初に聴いたときの“ぬるい”と思う感じも含めて。“ぬるい”には違いないが、この両者、失敗して“ぬるい”のではなく、表現をぎりぎりまで研ぎ澄まして練りこみまくった揚句に達してしまった境地としての“ぬるい”なのであった。何を言ってるかもはやワケがわからないと思いますが(笑)、わたしの筆力ではそうとしか書けないんだよな…すみません。途轍もなく狭い条件での推薦になるけれど、ヴァン・ダイク・パークスソング・サイクルを愛することができる人であれば、本盤、買って絶対に損はない。




近衛編曲版「越天楽」

2009年04月07日 | クラシック
Japanese Orchestral Favourites

東京は、不況をひととき忘れたような柔らかな雰囲気。異常事態の緊張にくたびれて弛緩した、という感じか。リーマン破綻以降の世の中の空気の激変に、いったいどれだけの時間が経ったかと思いきや、まだたったの半年。凝縮度合いに息が詰まるはずだ。ここのところの春の陽気に桜花、事態はこれからが本番なんだからここらで少し息を抜いときな、という天の采配なのかもしれないな。Japanese Orchestral Favourites / Ryusuke Numajiri, Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra 。日本人作曲家によるオーケストラ曲のオムニバスで、香港のNaxosレーベルから発売されて話題になった盤。このレーベル、メジャーレコード会社から発売されにくいマイナー曲にスポットをあてる「クラシックの文庫」をコンセプトにしていて、おもしろいCDを廉価で世に送っている貴重な存在。このCDを皮切りに「日本作曲家選輯」というシリーズで、日本人作曲家の作品を地道にリリースし続けている。本日の推薦は、オムニバス盤に収録された「越天楽」。日本の雅楽を、戦前から活躍した大指揮者、近衛秀麿(東京裁判を前に自殺した元首相の近衛文麿の弟にあたる)が管弦楽に編曲したバージョン。雅楽の構造を西洋音楽の五線譜に書く、というのを邦楽筋はどう評価しているのかよく知らないが、この演奏はとてもいい。桜にとても合うと思う。雅楽のことをわたし自身全く知らないので、外国人の感想と大差ないともいえるし、いやいや、やっぱり日本人だから知識の有無を越えてわかるところがある、という感じもしないではない。そのあたりを掘っていくと、わたしがドイツやらイタリアやらの音楽を聴いてどうなのよ、ということにも行き当たるのでなかなか難しいが、ただ言えることは、西洋近代が如何にプラットフォームとしてポップであるか、ということだろう。わたしたちの感覚は、明治からたったの140年でこのプラットフォームにすっかり馴化している。桜を見ようと、越天楽を聴こうと(たとえ管弦楽編曲版ではなく純邦楽の演奏を聴いたとしても)、このプラットフォームを全く経由することなしには何も感覚できなくなっているんである。…とまあそんなことをあれこれ考えているのも野暮なくらい今年の桜は素晴らしい。この越天楽をiPodで聴きながら、あと数日、なるだけたくさん樹の下を歩いて桜吹雪を堪能しておきたいと思う。