ひらつか日記

1999年に漫画家おかざき真里ホームページの連載コーナーとしてスタートした身辺雑記×音楽紹介日記です。

週刊文春創刊50周年記念号

2009年03月31日 | ロック・ポップス(欧米)
Pearl/Janis Joplin

先日発売された週刊文春が「創刊50周年記念号」でなかなか読み応えがある。わたしは、初めて週刊文春に触れたのがたしか25年くらい前だから、読者としては中堅といったところか。この雑誌は何といっても連載執筆陣の選択センスがいい。例えば、小林信彦。最近は人選の冴えがやや鈍ってきてるような気もするが、この人の連載がある限り、週刊文春を買い続けると思う。他にも、糸井重里(萬流コピー塾)、伊集院静(二日酔い主義)、野坂昭如(もういくつねると)、高島俊男(お言葉ですが…)、猪瀬直樹(ニュースの考古学)、清野徹(ドッキリTV語録)、わたしの読書日記(立花隆鹿島茂など)…等々、名連載が多い。中でも強いインパクトがあったのが、ナンシー関「テレビ消灯時間」。この人の週刊誌連載は週刊朝日が早かったが、わたしが彼女を知ったのは週刊文春のこの連載だった。2002年に急逝、その後のテレビのありようを思うにつけ、早すぎる死だった。文春最新号誌面では、つい先日亡くなった清野徹と、ナンシー関を取り上げて「テレビ評論」という括りで回顧記事が組まれている。Pearl / Janis Joplin 。誌面では、ナンシー関はムーンライダーズが好きだったと書かれていて、なるほど納得。でも、わたしがナンシー関の名から連想するのは、ジャニス・ジョプリン。勘だけど、たぶん同じタイプの才能なんじゃないかと思う。世の中や自分自身との距離感のとりかた、アウトプットのクオリティへの血を吐くような執着。後続の誰もがフェイバリット、あるいはリスペクトに挙げるが、永く超えられない高峰でありつづけるであろうところ、など。あ、今、リンクを設定するためにウィキぺディアを見たら、ナンシー関本人もジャニスが好きだったんだな…。




元気だしていけ

2009年03月30日 | ロック・ポップス(欧米)
Ramones

春は、出会いと別れの季節。人間万事塞翁が馬、という言葉がわたしは好きだ。因果の網の目は人知を超えた広がりをもっていて、そこから個別の事象を切り出してそれだけを云々することはとても難しい。その時々で、個別の事象しか認識の対象にできないわたしたちに必要な心構えは、自力について謙虚であることだろう。最善をつくした、と思えたなら、それで十分。あとは天に任せる。天が漠然としすぎだと思うなら、他力に任せる、でもいい。任せて、機嫌よく、元気だしていく。Ramones / Ramonesラモーンズ はパンクロックの元祖といわれる米国のバンド。パンク、というと物騒で殺伐とした感じを連想される方も多いだろうが、このバンドはどことなく笑ってしまうような不思議な魅力がある。3つくらいのコードをかき鳴らすシンプル極まりない8ビートロックのワンパターン。ここではファーストアルバムを挙げたが、他のアルバムでもたぶん似たようなものだと思う(わたしはこれとサードの「Rocket to Russia」しかまじめに聴いてない)。結論が出ないとわかってるようなことをグルグル考える不毛は止して、とにかく機嫌良く、元気だしていこう、というような大らかなメッセージを感じるんだな、このバンド。多くの後進ミュージシャンからものすごく慕われてる(それもいわゆるリスペクトという感じよりもっと親愛の情をこめて)のも、そのあたりに理由がありそう。春は、出会いと別れの季節、いろいろあるけど、まあ元気だしていけ、とそんな気持ちをこめて推薦の一枚。


パソコン新調

2009年03月29日 | ロック・ポップス(欧米)
ボーイズ・アンド・ガールズ

先日来ブツブツ言ってた(2009.2.19 日記参照)、調子の悪くなっていたパソコンを、ようやく新調。同じメーカーの後継機なのでカタチは同じ。あまりに気分があらたまらないので、限定カラーのモデル、色の分だけ少し値段が高いやつを選んでみた。セットアップを終えて、さっそく仕事をはじめてみたら、これが速いのなんの。はかどるはかどる。5年の間のCPUの進化、それに3倍に増えたRAMの威力、あとはOSって使ってると垢がたまるように調子が悪くなっていくもので、その垢がきれいさっぱり洗い流された感じがなんとも気持ちがいい。わたしの商売、パソコンくらいしか元手がかかってないんだから、もっと早く買い換えていてもよかったかもなあ。昨日までアプリケーションを立ち上げる間にタバコが一本吸えたのがウソのようだ。今日の推薦盤は、Boys and Girls / Bryan Ferryロキシー・ミュージックの大名盤「アヴァロン」(2003.2.25 日記参照)発表後、ブライアン・フェリーがバンドを解散して発表した1985年のソロ作品。…と言っても鳴っている音楽は「アヴァロン」とまったく同じ路線。わざわざバンドを解散してなんで同じことやるの。本当のところはよく知らないが、おそらくバンドメンバーよりもさらに上手いミュージシャンを好きなように集めて演ってみたかった、というシンプルな理由だったんだろう。この盤、路線は同じだけれど、音の流麗さは格段に増している。ながれるながれる。アヴァロンの音も洗練されていたけれど、これはさらにその上をいく。洗練の極み。なんだ、もっと早くバンドを解散すればよかったかもなあ…というブライアン・フェリーの満足顔が目に浮かぶ。しかし、この作品のヒットの後、この人の音楽は長期低迷に入ってしまうからわからない。何か替えちゃいけないものまでそれと気づかず替えちゃった、ということか…そりゃパソコンなんかとは違うわな(笑)。低空飛行を続けること15年、2001年に突如としてロキシー・ミュージックは再結成してツアーを行った。アルバムは出さず、昔の曲だけだったけれど、会場で観ていて、ブライアン・フェリーが久しぶりに生気を取り戻したような感じをうけた。その後またしても低空飛行に戻って今に至るが、ロキシー・ミュージックとして久々にアルバムをレコーディングしたらしい…という未確認情報が数年前からポロポロ漏れ聞こえてきていて、わたしなんぞはそれが聴きたくて仕方がない。早く出してー。




納会

2009年03月27日 | クラシック
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

ある得意先主催の期末納会。1年間おつかれさまでした、また来期もがんばろう、という会で、ここ数年、お声がけいただいて参加していて、毎回のことだけれど、前の会からもう1年…と時の流れの速さに驚き、そして関係している人の多さにあらためて感心する。参加者はこの企業のホームページの制作運営の関係者、大きなウェブサイトを支えるというのは実に多くの人の力を要する大仕事なのだ。いろんな専門領域のプロがいて、規模と質はおそらく世界でも第一級の体制のひとつだろう。Bartok: Concerto for Orchestra / George Solti, Chicago Symphony Orchestra 。ハンガリーの作曲家、バルトーク2001.6.18 にも記事あり)の代表作「管弦楽のための協奏曲」。普通、協奏曲(Concerto)といってイメージするのは、ピアノ協奏曲(Concerto for Piano)やヴァイオリン協奏曲(Concerto for Violin)といったように、ある独奏楽器の奏者が指揮者の横に居て、バックのオーケストラと渡り合う、という設定。この曲は、オーケストラのための協奏曲(Concerto for Orchestra)となっていて、一体どういうことになってるかというと、特定の独奏者を置かずにオーケストラの各パートに次々とスポットが当たっていく、つまり各楽器の「見せ場」を全編に配していくような構成になっている(バロック期に用いられた意味でのコンチェルト形式の復古版なのだとか)。ここに推薦したゲオルグ・ショルティが指揮した盤の他にも、フリッツ・ライナー盤ピエール・ブーレーズ盤など、名盤とされる演奏にシカゴ交響楽団のものが多いのは、たぶんそういうわけで、このオーケストラ、とにかく各奏者の威勢がよく、見せ場になるとここぞとばかりに張り切る明るさがあって、それがこの曲の構成にあってるんだと思う。納会に集まった人たちを見ていたら、この曲、特にショルティ盤の演奏の感じを思い出した。もっと深刻にも演奏できる曲だけれど、バンバン鳴って明るいのがいいんだな、この盤は。来期もいい仕事をたくさんして、また納会に参加させてもらえるようにがんばりたいと思った。お得意先、幹事の皆さん、そして1年お世話になった各領域の関係者の皆さんに御礼。



努力、努力あるのみです

2009年03月26日 | クラシック
ホラ・スタッカート ~ハイフェッツ<br>
超絶の小品集

宣伝会議3月15日号の「営業マン プレゼン道場」に出た。連載企画で、いろんな人が登場するもの。小一時間取材をうけて喋った内容を編集部でまとめていただいた。偉そうに喋ってるように見えるけど、いまだにプレゼンは難しい。20年もやってきたのに、今もやっぱり毎回冷や汗かきかきやっているのが本当のところ。若い人に自信をもってアドバイスできるとしたら、「どうやったらもっとうまくできるんだろう」という向上心を持ち続けること、ということになるだろうか。あとは場数。ひたすら場数。アリモノのハウツーに即効性を期待しないで最低10年くらいは辛抱する。まあ、これじゃ地味すぎて記事にならないんだけどさ(笑)。Heifetz / Jascha Heifetz を聴く。1960年リリース、邦題は「ホラ・スタッカート ~ハイフェッツ超絶の小品集」。ヤッシャ・ハイフェッツは、20世紀を代表するといわれる天才ヴァイオリニスト。往時の名ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーが13歳のハイフェッツを聴いて、自分のヴァイオリンを叩き割りたくなったと語ったエピソードはよく知られている。あまりに上手いので、同時代からは人間味が無いだの、悪魔だの、冷徹な機械だの、曲芸だの言われたらしいが、残されたレコードを聴くと気品と深みがあって素直にいい音楽だと思う。この素晴らしい演奏を支えていたのは、天賦の才はもちろんだが、それ以上に、日常の練習の苛烈さであったらしい。ヴァイオリン一筋の生活。ある日、道を歩いているハイフェッツに、老婦人がカーネギー・ホールに行く道筋を尋ねた(カーネギー・ホールに行くにはどうしたらいいですか?)ら、彼は「努力、努力あるのみです」と真顔で答えたという(ハイフェッツのアメリカ・デビューはカーネギー・ホール公演だった)。出来すぎなので実話だったかジョークだったか記憶が定かでないが、いいエピソードだと思う。況や我々凡人においてをや、である。




神が降りてきた

2009年03月25日 | クラシック
Bruckner: Symphony No 5, Eugen Jochum, Royal Concertgebouw Orchestra

昨日銀行の用事を済ませて、目黒の権之助坂を歩いていたら、パイオニア本社前に黒山の人だかり。何事かと思ったら、ロビーに展示されている液晶テレビのWBC決勝戦をのぞいているんだった。ちょうど日本の優勝が決まったところだったみたい。夜にテレビのニュースで試合のダイジェストを観たが、素晴らしい試合だったのね。延長で決勝打を放ったのがイチロー、というあたりは出来すぎだなぁ。神が降りてきました、とは試合後の彼のコメント。これ、イチローの発言としてはかなり珍しいものなんじゃなかろうか。それだけ今回は打てずに苦しんだということか、少し自嘲したようなニュアンスがこぼれたが、人の才を超えたところにある領分を、彼の天才だからこそ感触できたということだろう。Bruckner: Symphony No 5 / Eugen Jochum, Royal Concertgebouw Orchestra 。神が降りてきた、といって真っ先に思い出すのは、この盤。ドイツ人指揮者のオイゲン・ヨッフムが、亡くなる半年前の1986年12月、まさに最晩年に振ったブルックナーの交響曲第5番の実況録音。天才、巨匠といった扱いからは生涯遠かった渋い指揮者だけれど、この盤からは、どんなスター指揮者の演奏からも感じられないものすごく神々しい響きが聴ける。ブルックナーはこの人の得意演目で、生涯に二度のスタジオ録音全集(ベルリン・フィルやバイエルン放送響と録音したドイツ・グラモフォン版全集と、ドレスデン・シュターツカペレと録音したEMI版全集)、そしていくつかの実況録音盤、と多くの録音を残しているが、それらともまるで次元が違ってしまっている。いったいこの時、何が起こっていたのだろう。異常空間。わたしのような凡才が軽々しく言うようなことでないのを重々承知で書くが、この演奏会場には、まさに神が降りてきていた…そうとしか他に表現しようのない奇蹟的な音楽。クラシックファンには心の底から大推薦。メジャーレーベルからのリリースではないので、興味のある人は手に入るうちに…。ということで、何はともあれ、WBCの連覇に拍手。




書評

2009年03月24日 | ジャズ
Art Pepper Meets the Rhythm Section

一般の書店で売っている雑誌ではないが、あるところから誌面で書評を連載しないか、という話を頂戴した。打ち合わせの席で、担当者さんがこの「ひらつか日記」の出力をお持ちで、こんな感じで自由に書いてもらえばいい、と仰る。こんな気儘な書き方でよければ、と二つ返事で引き受けたものの、いざ原稿を書いてみたら、結構難儀で、第一稿はかなり肩にチカラの入ったものになってしまった。考えてみたら書評なんて書くのは初めてだし、それにわたし、ブンガク部の出身なので、書評というものはすごく高級なものだと思っているところがあって、それでタイヘンなプレッシャーが筆先にかかったみたい。第一稿をご覧いただくと、やや生硬すぎる、読者の方が楽しく気軽に読めるようなくだけた感じが欲しい、というフィードバック。そりゃそうだわね、プロの文学者じゃないんだから。というわけで、肩のチカラを徐々に抜いて何度かの改稿、そして先日無事に入稿。連載初回を書き終えて、いやはやまずはホッとした。Meets the Rhythm Section / Art Pepper 。米西海岸で活躍していたジャズのサックス奏者、アート・ペッパーの1950年代の代表作。当時、東海岸で番をハッてたマイルス・デイヴィスが西海岸に演奏旅行で来たところ、そのマイルスのバックを借りてレコーディングする企画が持ち上がる。バック、と言ってもさすがマイルス楽団、超一流ばかりで、ピアノのレッド・ガーランド、ベースのポール・チェンバース、そしてドラムにフィリー・ジョー・ジョーンズ、と一騎当千、錚々たるメンツのリズムセクション。アート・ペッパーはこの企画を、当日の朝に知らされたという。ものすごく緊張したらしい。そりゃそうだ。伝え聞くところによれば、あまりのプレッシャーに耐えられず、クスリをキメキメにしてスタジオ入りしたんだとか。それでどうなることかと思いきや、これが大変な傑作になった。超一流のリズムセクション相手に一歩も引かず、のびやかで美しいフレーズをバンバン繰り出すアート・ペッパーのサックスが圧倒的。難解じゃなく、誰もが楽しめる作品になっていることも素晴らしい。プレッシャーがポジティブに作用した代表的なケースだろう。わたしは、どうもプレッシャーに弱いみたいだなぁ…。連載二回目以降はもう少しラクに書けそうな感触はつかめたような気がするので、アート・ペッパーとはいかないけれど、プレッシャーに負けずいいものを書きたいと思う。




くも膜嚢胞

2009年03月23日 | ロック・ポップス(欧米)
I Just Wasn't Made for These Times

交通事故(2009.03.22 日記参照)でかつぎこまれたERで脳のCTを撮った。事故による出血は見られません、と若い医者。でも…と医者が指差す先を見ると、左脳に黒い影が写っている。先天的なもので、事故によるものではないですが…。聞けば、脳の一部にぽっかり穴が空いている「くも膜嚢胞」という疾患なのだとか。で、どうすれば。ま、無事に大人になれたようで何よりでした、特に手術したりする必要はないでしょう、ということで、放っておいてもよいらしい。穴の箇所は、脳のどんな機能を担っているはずだった部位なんだろう。それでわたしは英語が喋れないんですかね、と与太を言ってみたら無視された。ERは忙しいのだ、すみません。ぶつけたあちこちが痛むのと、頭を打った経過観察ということで、引き受けていた講演やら仕事やらをキャンセルしてしばらく床に伏した。頭の機能を確認するように本を読み、音楽を聴き、時々仕事のメモをとった。I Just Wasn't Made for These Times / Brian Wilson 。ドラッグで一度は廃人のようになったビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソン が社会復帰の過程で出した、いわばリハビリ作品のひとつ。かつての美声は失せ、ヨレヨレになった中年男の声で歌われる往年の名曲の数々が、発売当時、ファンの悲喜相半ばの複雑な感情を呼び起こした。ちなみに邦題は「駄目な僕」。その後彼が見事に復活を果たしたことを知っている今の耳で遡って聴けば、このリハビリ途中の晴れない曇天のような味わいがとても感動的に響く。ビーチ・ボーイズ初期のナンバーを歌った「The Warmth of the Sun」(オリジナルは Shut Down, Vol. 2 / The Beach Boys 収録。邦題「太陽あびて」)がベストトラック。脳の穴に沁みるような心地がして、床に寝たまま何度も何度もこの曲を聴いた。


交通事故

2009年03月22日 | ジャズ
Naked City

二週間ほど前の夜、乗っていたタクシーが交差点で別のクルマの横っ腹に正面衝突。ボンネットが曲がって運転席のエアバッグが開いたから、かなりの衝撃で、後席のわたしは顔面をしこたまぶつけて、生まれて初めて救急車に乗る破目になった。驚いたのは、痛いとか血が出てるとかいうことよりも先ず、事故の瞬間の前と後でガラリと世界の相貌が変わって見えたことだった。文楽の
ガブのよう。日常の連続性が突然断ち切られて、全く別の現実が立ち現れる。いつもの街の見慣れた風景なのに、何もかもが一種の凶暴性を帯びて見える感じ。Naked City / John Zorn 。救急車のベッドに横たわってサイレンを聞いていたら、この盤のジャケットをイメージした。頭を撃ち抜かれた男の脇に転がる拳銃。1940年代のニューヨーク、警察署の隣に住んで警察無線を傍受していたカメラマンが事件の生々しい現場を撮影したモノクロームの写真集「Naked City」(2008.1.19の「最近読んだ本」参照)から採られている。収録された全26曲、いわばガブの連続で、旋律の連続性を突然断ち切るようにインサートされる凶暴な音響の間歇に、はじめて聴く人はちょっと耳をふさぎたくなるかもしれない。わたしたちは、日常の連続性に馴化していて、薄皮一枚のところにある現実の凶暴性を普段はほとんど全く意識することなく生きている。その状態が極めて脆いものであることは、凶暴さに急襲されてはじめてわかるもの。ERでCTやらレントゲンやらを撮って、帰りに警察署で調書…とまあこの日は散々だったが、先週から仕事にも復帰、大事に至らずに済みそう。事故後、仕事のキャンセル等で、各方面にご迷惑をおかけしたことをあらためてお詫び申し上げます。