ひらつか日記

1999年に漫画家おかざき真里ホームページの連載コーナーとしてスタートした身辺雑記×音楽紹介日記です。

万華鏡DX

2003年04月27日 | 電子/音響/ハウス
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せっかく天気のよい日曜だったのに、起きた頃には今にも陽が沈もうという時間。朝方まで、仕事やら原稿やら片付けていたので、寝るのが遅くなってしまったのだ。でも朝までねばったおかげで、今晩はそこそこのんびり過ごせるのはうれしい。平日ちびちびと細切れに読みつづけていた本の残りを一気に読む。クラシックの大曲をはじめから最後までしっかり聴く。時間を好きなように使える…というのはやっぱり何よりも贅沢な感じがする。パスタを茹でて、たらふく食べる。食後、本を開くと眠ってしまいそうなので、テレビでも…と思ったが、せっかくのリッチな時間、テレビなんぞで使ってしまうのが惜しくなって、万華鏡をしばしのぞく。万華鏡というと、京都の土産物屋の軒先、千代紙で巻かれたあの筒を思い浮かべるが、最近はもっと凝ったものが売られている。わたしの買ったのは、「万華鏡DX」(笑)という製品。写真だとわかりにくいが、万華鏡の先に垂直に硝子管が立っている。その硝子管の中に水と大小色とりどりのビーズが入っていて、引力でそのビーズがゆっくり水の中を落下する様子が万華鏡のビジョンになる仕掛け。手でくるくる回さなくてよいので、鑑賞に集中できるのがいい(笑)。口をポカンと開けてぼーっとひたすら見とれていればいいのである。 mani / dorine_muraille 。 万華鏡をのぞきながら、これを聴く。イギリスの零細インディーズレーベルの盤で、ミュージシャンはフランス人。ジャンルはとりあえず最近流行りのエレクトロニカ…ということになるか。いろんな電子音や楽器音を、パソコンに取り込んで、マウス片手に感覚的にコラージュ/コンストラクトして作られた音楽だと思われる。エレクトロニカって、よほどセンスがないと、ただの騒音、最初の10秒で聴くのがいやになる(エレクトロニカ系のおそらく9割以上がクズである)が、これは何度も再聴してしまう希少な一枚。限りなく騒音に近いが、非常に繊細で美しい音像をギリギリで成立させている微妙な美意識にしびれる。曲に秩序だった展開は無いので、聴く人が聴けば出鱈目もいいところだが、こういうのは目を閉じてぼーっとひたすら聴いていればいいのである。この音の抒情性は、わかる人にはわかるし、わからない人には全くわからない。万華鏡をのぞいて、さてあなたはそこに何を見ますか…というのに似ている。


ちょっと、試練

2003年04月21日 | ジャズ
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先日の日記(3/28)に書いた会社の組織変更で、当初思っていた以上に大きな影響を被り始めている。簡単に言うと、統合した部署の領域の仕事を全くゼロからおぼえていかなくてはならない。同じ会社ながら、全く違う内容の仕事で、極端に言うと転職したみたいなものとも言える。いやまあ最初は置かれた状況を面白がっていたんである。この歳になって、見習いの雑巾がけから始めるのも悪くないな…ここの仕事をマスターすると、この会社の仕事、だいたいできるようになるな…とか。だいたい自分は器用な方だし(器用貧乏ともいう)、習得にはそんなにしんどい思いをしないだろう…とか。甘い。見通しが甘かった。思ったよりしんどい。正直に言うとツライ。この会社で、今まで大きく2つの領域を経験した。ひとつめは新人だったから、ごく当たり前に雑巾がけから一人前に。ふたつめは先日の日記の部署、こちらは20代の最後に異動、部署で一番若かったから、何も考えずとにかく一生懸命やって一人前に。で、今回。なんでこんなにしんどいんだろう…と自問してみると、どうやら36歳という年齢に原因があるようだ。もっと直截に言うと、36歳の自尊心。打合せに出る。自分より若いのがバリバリやってるのに、わたしは打合せの内容の専門的な箇所がまるでわからない。当たり前である。今までやったことない仕事なんだもの。わかんないところは質問して教えてもらえばいいじゃん…と、いうところまできて、36歳は顔がひきつるんである。素直に訊けないのだ。わからないとなかなか言えない、今までの自分の領域だったらこんな歳のやつに負けないのに…といういじけた自尊心が邪魔をするのだ。訊けるのは今のうちだけなのに。こだわりは捨てなくてはいけない。いけないのはわかっているのだが…という葛藤をやっていると、ただでさえしんどいところが、心身ともにつらくなってくる。こういう気持ちとうまく折り合いをつけるのには、もうしばらく時間がかかりそうだが、かといって、そんなに悠長なことを言ってる場合でもない。早く気持ちを前に持っていかないと…。ひとつひとつ謙虚に教えを乞うて、おぼえていくより他にないじゃないさ。 Maiden Voyage / Herbie Hancock 。 「処女航海(maiden voyage)」だ。ハービー・ハンコックのブルーノート時代の代表盤。最初のピアノの打鍵が聞こえた瞬間の、スピーカーから新鮮な風がさぁっと流れ出してくるような感覚が心地いい。36歳、まだ新しいところに行ける体力は十分残っている。体力の問題じゃないのだ。ツマラナイ自尊心に拘泥する心の問題なのだ。わかってるんだよね、自分でも(笑)。さて、わたしはこれをうまく制御できるだろうか。ちょっと試練、ではある。



花に嵐のたとえもあるさ

2003年04月07日 | ロック・ポップス(国内)
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「花發多風雨」を「花に嵐のたとえもあるさ」とやったのは、井伏鱒二。桜の花の下、雨風に傘さして歩いていると、この文句がふとよぎる。ちょっとしびれるなあ。しびれませんか?(笑)。オリジナルの漢詩は「人生足別離」と続いて「さよならだけが人生だ」となるのだが、この後ろの部分まで続けてしまうと、ちょっとなんというか、途端に人生訓くさい感じが漂って、華が消える。ここまでいれるなら、井伏訳よりも、漢詩をクールに読み下したほうがいい。井伏訳なら「花に嵐のたとえもあるさ」だけでとめるのがいいんである。詩なんである。たったこれだけのテキストから、なんと豊かな情景が広がることだろう。 オリジナルベスト50 / 美空ひばり 。 家に帰って、この盤をひっぱりだして聴く。作詞、作曲、歌唱、そして時代の空気が渾然となって、ひとつひとつのフレーズになんともいえない詩情が漂う。特に戦後まもなくの音源、「東京キッド」にしみじみする。今の歌謡曲に比べて、なにもかもが単純なのに、その味わいはとてつもなく複雑微妙。もちろん、時代を経たものに対する独特の感傷を割り引かなくてはならないが、それにしても、この繰り返し噛み締めてみたくなるような味わいは、残念ながら最近の歌謡曲には見られなくなってしまったものだと言わざるを得ない。それは、おそらく「詩」である。単なる作詞の巧拙という話ではなくて。うまく言えなくて申し訳ないが、少なくともわたしが歌謡曲に求めるものはそれなのだ。花に嵐のたとえもあるさ-と独りつぶやいてみてそこに広がる情動をしみじみ味わうような-そんな体験をくれるもの。

推薦blog: 永遠のセルマ・リッター