ひらつか日記

1999年に漫画家おかざき真里ホームページの連載コーナーとしてスタートした身辺雑記×音楽紹介日記です。

自然の大きな呼吸

2006年09月18日 | クラシック

Reich


会社辞めてフリーになって、この9月末で丸三年になる。もう三年か…早いもんだ。仕事も枯れることなく、忙しく働けているのは、周囲で支えてくださっている方々のおかげである。広告関連のお仕事をされている方ならわかってもらえると思うが、この仕事、ほんとに紙が多い。いただく資料、打合せのメモ、企画書…と、ドキュメントの枚数がハンパじゃない。会社にいた頃は、テキトウにシュレッダーで廃棄していたんだが、フリーになって、はたと紙の廃棄方法に困った。重要な機密も含まれた資料だから、可燃ごみやら資源ごみやらにホイホイと出すわけにいかない。シュレッダー買わなきゃなぁ…と思いつつ、忙しさにかまけて、放っておいたら、床からうず高く紙のヤマができ始め、昨年末に、とうとうそのヤマが5つの連峰を無し、その一部が時折地すべりを起こして崩落、ちょっとさすがに身の危険を感じ始めた。あわててシュレッダーを買うも、こんなもんでジャカジャカやっても数時間で数十センチの僅かな減りで全く追いつかず、正月の三日目にあきらめて放り出したら、そのシュレッダーすら紙のヤマに埋没しはじめた。どうしたもんかと困り果ててるところに、先日、ビジネス雑誌の広告で、機密文書リサイクルサービスというのを見つけた。広告って役立つねえ(笑)。これだ!と電話で申し込み、先日、いくつもの段ボール箱が無事に搬出されて、わたしのデスク周辺は久しぶりにスッキリと視界が開けたんであった。しかし、毎日少しずつ持って帰ってくる何枚かの紙が数年であんなヤマになるとは、何とも不思議なもんだなと思う。工事のために地面を掘り返したら、江戸時代の屋敷跡が出てきたっていうような話があるけれど、それって、こういうことなんだろうな。江戸時代なんて、まだ100年とちょっとの昔でしょ、トロイじゃあるまいし、そんなに見事に埋まっちゃうもんかしら、と思ってたけど、自分の部屋が3年で紙に埋まるという体験をした今となっては、何となくその自然の作用の仕方がわかるような気がするんである。地下水が鍾乳洞をつくる、波が海岸線を浸食する、大陸が少しずつ移動する、生物が長い時間かけて進化する…というような作用。単調さが累々と積み重なって、人間の生活時間の感覚ではその変化は微小で全く視認できないけれど、でも巨視的には確実にある変化が絶え間なく起こっている。老い、というのもそういうものだわね。老いをひたすら悲観してもいいけれど、そういう自然の大きな呼吸に思いを馳せて、老いを静かに肯定するビジョンも併せて持っておくといい。Reich: The Four Sections / Michael Tilson Thomas, London Symphony Orchestra 。ミニマル・ミュージックのゴッド・ファーザー、スティーブ・ライヒの作品リストには、他にもっと有名なものがあるけれど、わたしはこの地味な作品の特に第一楽章が好き。延々と繰り返される弦楽の音型を聴いていると、海の波の押しては返す様をぼうっと眺めているうちに今ここの自分がふと無くなってしまうようなあの感じ、恐いような安らかなような…あの何ともいえない感覚を呼び起こされることがある。




正体判明

2006年09月15日 | 電子/音響/ハウス
Yellow_fever


2000.05.10の日記で番外としてあるCDを紹介している。ブツは“クラフトワークのラテンカバー”で、こりゃあまりにバカバカしい企画モノだわいと買わないで店を出ました…という記事で、この日記の中で唯一、所有していないCDについての言及となっている。そのまますっかり忘れていたんだが、その作者、セニョール・ココナッツの新譜が出た。YELLOW FEVER ! / Senor Coconut がそれで、今度はYMOのラテンカバーときた。ハイハイ、わかりました、今度は買います、買います、買いました。で、ほとんど期待せぬまま聴いたのだったが、一聴して仰天、冗談企画を超えた完成度の高さ。なんだこりゃ。YMOのカバーアルバムも何枚か出ているが、それらの最高峰に位置する出来。おまけにYMO本人たちも数曲に参加、こりゃいったい何者なのよ…とライナーを読んでみると、ホホゥ、こいつだったのか…とやっとその正体が判明した。アトム・ハート(ウーヴェ・シュミット)の変名プロジェクトだった。抽象的で神経症っぽい電子音楽をやるフランクフルト在住らしい謎のドイツ人、アトム・ハート名義の何枚かのアルバムは買っていたが、いまひとつピンとこないなぁ…と最近はほとんど全くマークしてなかった。どういう事情か近年チリに移住して、このラテン路線に突っ走っている模様。一体何があったんだろう。ライナーに書いてないからわかんないけど、たぶん、現地ミュージシャンに演奏させたテイクをコンピューターに取り込んで細かく細かくエディットしてんじゃないか。この出来栄えから見てかなりの偏執狂に違いない。友達になるのはちょっと…という人物だろう。ビジュアルはこちらのホームページのバイオグラフィーで。うーん、やっぱり変人。しかしこのCD、よくできてんなぁ…。




ロック懺悔の夜

2006年09月14日 | ロック・ポップス(国内)
Pizzicato

今から約15年前になる。手元のビデオテープに書いてある日付を見ると、1992年4月12日。会社の同期とバンドを組んで、下北沢のロフトでライブをやったのだった。若かった。みんな20代である。そのメンバーだった二人と久々にメシを食う。齢四十になってそれなりの話もしたが、やはり、最近は何聴いてんの…というくだらない話をダラダラ…がいい。楽しかったのは、「実はおれ、あのレコード(あるいはミュージシャン)の良さがよくわかんないんだ…」というのを告白してみよう、というお題。巷間定評の高い盤(あるいは人)は、なかなか正直にワカンナイとは言えないわね。特に若い頃は。わかったふりしちゃうんだよね、ついつい。四十のオッサン同士、枯れた付き合いだからできる、いわばロック懺悔の夜。いい脱力具合で、笑った笑った。で、どんな盤、あるいはミュージシャンが俎上にあがったか…は、その場のお互いのニュアンスが微妙でうまく文章で伝える自信が無いから、やめておく。でもたしかにヤードバーズはわかんないね(笑)。というわけで、メシ食った翌日にまでメールでお互い懺悔の続きが飛んでますが、まあみんな長生きしてくれ。別にどうでもいいことだけれど、1992年のライブセットを掲載しておこうっと。 




  1. 涙は悲しさだけで出来てるんじゃない/ムーンライダース

  2. ホームシックブルース/ピチカート・ファイブ

  3. イッツ・エイント・オーヴァー・ティル・イッツ・オーヴァー /レニー・クラヴィッツ

  4. ニュー・フロンティア/ドナルド・フェイゲン

  5. 水泳/ピチカート・ファイブ

  6. ファミリー・アフェア/スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン

  7. 奈落のクイズマスター/フリッパーズ・ギター



変な選曲ですねえ。当時は、ちょうどDJっぽい音楽の作り方が面白かった頃で、古いファンクやロックのレコードから、リズムのブレイクを抜き出してサンプリング、それをループにしたものをバックに演奏してみよう、という企画だった。ボーカル、ギター2本、それとキーボード。ドラムは無くて、代わりにマッキントッシュのSE/30にリズム隊を担当させる、という編成。楽しかったなぁ…。このライブセットの中から、今日のリコメンドを選んでみよう。うーん、迷うね。Bellissima! / Pizzicato five にしようかな。「水泳」という曲がこのアルバムの収録曲。ピチカート・ファイブについては、以前の日記(2004.10.17)で、あまり好意的な評を書かなかったので、その贖罪も兼ねて。この盤は、ボーカルが田島貴男(現オリジナル・ラブ)で、まっすぐストレートにソウルミュージックへのオマージュを聴かせる。その後の野宮真貴をボーカルに迎えてからのピチカート・ファイブが、過剰にファッショナブルな意匠を凝らして、本音(元ネタへの愛)をストレートに表に出さない徹底したキッチュを志向したのに対比すると、このストレート具合は、思わず出てしまった小西康陽の「若さ」のようで微笑ましい。大学時代からの愛聴盤で、わたしにとってのピチカート・ファイブはこれ、この1枚が決定盤である。長らく廃盤だったようだが、再発されて何より。また廃盤になる前に買っておこう。…というわけで、またメシ食いにいけるといいね。バンドは無理だろうけどさ。




くれないホテル

2006年09月12日 | ロック・ポップス(国内)
Nishida

大学を出て入った会社が、丸の内の東京ビルにあった。平成元年当時だから、まだ古い丸ビル、古い東京ビルの頃だ。東京フォーラムなんてのもなくて、あそこは都庁だった。すっかり見違えたあの界隈、若い人の姿も増えて賑やかで経済的には結構なんだろうが、個人的には多少寂しい。いじけた郷愁なのだということはわかっているし、もっと年配の方から見れば、平成元年当時の丸の内などすでに思い入れの対象たり得ないのだろうけど、何ともいえない寂寞に襲われるんである。三菱地所の丸の内イメージ刷新のTVCMなんか見ると泣けてくる。今のところ、新しいビルが人目を惹くが、まだまだ古いビルは残っていて、わたしにとって馴染み深い丸の内の感じはそこかしこに残っている。これらが無くなってしまわないうちに、なるべくたくさんここいらを散策できる機会がもてることを望む。東京ビルからガードに沿って有楽町に抜ける薄暗がり、抜けてみると今はビックカメラと無印良品でずっこけるが、昔はそこからさらに日比谷を抜けて新橋の一帯まで、もっと大人の、そこはかとなくくたびれて隠微で猥雑で不健康な色気が漂っていたような気がする。よくある歓楽街よりも少しだけ洒落た感じもあったりして。そういえば、平成元年といえば、バブルの絶頂、銀座にも地上げの嵐が襲った年だった。わたしが見たのは最後の昭和の残影だったのだな、きっと…。昭和の影といえば、歌謡曲ってどこへ行っちゃったんだろう。ガード沿いの薄闇から聴こえてくる歌、演歌でもロックでもない都市の唄。演歌もロックも田舎者の歌だからね。例えば、西田佐知子の「くれないホテル」なんかどうだろう。こういう洒落た唄、もう聴けないんだろうか。





扁桃腺

2006年09月08日 | ブラック


仕事で世話になっているWEB制作会社の若者が、身体を悪くして手術入院、先日退院してきた。まだ本調子じゃないので、身体にやさしい蕎麦をすすらせて話をきくと、扁桃腺を切ったという。扁桃腺といえば、わたしも小学一年生の時に手術をして切っている。よく風邪をひいて熱を出す子供は、扁桃腺切ると丈夫になる…ということだった。今はたぶんそんな大雑把な理由じゃ切らないと思うが、昭和40年代というのはそういう時代だったんである。手術前に変な麻酔薬を口に含んで天井を仰いで喉に効かせる。同じことしてる子供が周囲に10人くらい。しばらくしたら、真鍮の皿を自分で持って、順番に医者の前に行って口をアーンと開ける。すると鋏を持った医者が喉の奥でジョキンと切る。血のかたまりを真鍮の皿に吐きだして、またアーンと開ける…。ヨコの子の悲鳴もそのまま聞こえてくる。麻酔がきいて痛くはなかったが、かなりショッキングな体験だった。みんなこんなラフな手術で切ってたのかしらん。岐阜だけか。数年前、どこで見かけたかすっかり忘れてしまったが、どこかの医学者の研究で、扁桃腺を切除した人は、競争心や闘争心が減少する…というのが発表されたことがあった。これが定説なのかどうかは定かではないが、わたしに競争心や闘争心がいまひとつ乏しいのは、もしかしたら扁桃腺摘出の影響なのかもしれない。その話を、退院したばかりの若者にしてみると、へえそうなんですかとニコニコしている。元から、とっても温厚で物静かな男なんである。わたしの知る限り、競争心やら闘争心やらそういうギラついたところが全く見られない。そういうところが無さすぎて、周囲がイライラするくらい。今回のことで、これ以上温厚で物静かになったらどうなるんだろうと心配になるが、まあそんなことよりもまずは身体をしっかり恢復させることだね。お大事に。今日のリコメンドは、冒頭に貼り付けたビデオ映像、若い頃のティナ・ターナーの激烈なライブ・パフォーマンス。圧倒的なエネルギーに、大抵の日本人は画面から3mくらい軽く吹っ飛ぶに違いない。ほんとに取って食われそうな迫力である。この曲の間奏から後半にかけて、チラチラとバックバンドが映るところがある。裏の見どころはここで、このバンドの男どもの迫力のなさが実にいい(笑)。ステージの女どものド迫力との見事な対照、この絵が、扁桃腺を切った彼の印象とダブったんだよね。WEB制作会社の現場って、今は女性のほうが圧倒的にパワフル。負けるなよ!


後日「扁桃腺肥大の人が従順」という記事をTwitterで教えていただきました。(2009.12.8)




しまった…

2006年09月07日 | ロック・ポップス(欧米)
Lennon_rock


iPodのハードディスクが満杯になって久しい。60GBじゃ、家にある全CDはやっぱり収まらなかった。iPodもあと数年後にはテラバイトとかね、そうなってるんだろうから、それまではちょっとガマン。しかし、こうなると、どうしてもiPodで聴きたいCDを見つけたときは、iTunesのリストをにらんでどれを転送リストから外すかを考える…つまり“入れ替え戦”をやらなきゃいけない。あれも聴きたいしなあ、これは全然聴いてないけど突発的に聴きたくなるかもしれないから外せないなあ、あ…これも入れてたんだっけ…じゃこれは明日聴くことにしたから外せない、と…。そんなこんなで全然外すアルバムが決まりません。アホかお前は。遊んでないで早く仕事しろ。1万数千曲も入ってんだ、ケチケチせずにドサっと消さんかい。あーあ。はやく出ないかな…テラバイトiPod。ていうか、もう1台買えばいいのか…ってそれもなんだか大人げなくないかなあ…と40歳を前にした男の悩みとしては相当にくだらないが、これほど斯様に、iPodはわたしにとって無くてはならないモノになってしまっているんである。家が燃えたら、これ持って逃げると思う。充電コードも忘れないようにしなくちゃね。で、閑話休題。ていうか本題。先日、レコード屋で何枚かのCDを手にしてレジに向かう途中、「あ、この盤、そういえば無くしてしまってまだiTunesに取り込んでなかったなあ…」と、Rock 'n' Roll / John Lennon も購入。久々だな、このアルバム聴くの。いいんだよなぁ、かっこいいんだよなぁ、しびれんだよなぁ…。いそいそと家に帰ってさっそくiTunesの入れ替え戦…というところで、思わぬ事態に遭遇、しまった…ヘナヘナと腰が砕け、わたしは床に崩れ落ちてしまった。なにこれ…CCCD(コピーコントロールドCD)じゃん…まだ市場に出回ってんのかよ…輸入盤だと思って油断した…もっとデッカク注意書きを書いとけっての…。もう1枚買わないと、iPodでは聴けないんだよな…。おい、なんかおかしくねえか?!。著作権は守られるべきだが、間の既得権益は守らんでよろしい。短期売切りのチャート商売の権益発想を、ほんとうの音楽好き、CDをしっかり買い続けている人たちのところにまで敷衍するな。CCCDは、あまりに拙速、あまりに近視眼、上客を敵に回す天下の愚策であった。早く市場から回収しておくように。