ひらつか日記

1999年に漫画家おかざき真里ホームページの連載コーナーとしてスタートした身辺雑記×音楽紹介日記です。

ネバネバ

2007年06月29日 | ロック・ポップス(欧米)
Ege Bamyasi


作業がたまっていたので、今日は外回りを夕方早めに切り上げて自宅へ戻ることにした。雨が降り出して、朝から着ているスーツがつらい。降りが甘いので湿気も引かず、一刻も早くスーツを脱ぎたくてもういてもたってもいられなくなったから、店にはいって何か食べて帰る気も失せ、近くのコンビニに飛び込んで晩飯の買物、そのままタクシーに乗って家に直行した。わたしは自他共に認める味盲なので、食い物の話はブログに書くまいと決めているが、まあ、コンビニ弁当の感想くらいは書いても許されるだろう。オクラだのめかぶだのが入ったネバネバ蕎麦、たぶんCMでやってるやつじゃないかと思うが、結構いけます、いけました。スーツを脱いで、パンツ一丁でコンビニ弁当かっこむ四十男。かなりおぞましいな、うん、ほっといてくれ。ネバネバものって、子どもの頃は全く食べられなかったな。田舎の山育ちだから、例えば秋にはオヤジが山でその日に掘ってきた山芋なんてのが食卓に並んだが、こんな鼻水みたいなもん食えるかと一人だけハンバーグ…馬鹿なガキである、浅はかでした、阿呆でした。納豆もだめ、めかぶどころかワカメもだめ。そういえば、わたし、今は四十で頭が白髪だらけですが、子どもの頃は赤毛で。小学校の校長先生が、うちの親に、「おたくの子は校庭のどこにいるかすぐわかる。みんなが遊んでるのを遠くで座ってみてる赤毛の虚弱児」といったから、ワカメ食わないから赤毛になるんだとオヤジが毎朝、ワカメの味噌汁に手をつけないわたしに説教してた。虚弱体質で偏食、少し不眠気味という岐阜の田舎じゃちょっとアーティスティックなスペックだったのが、小学校4年生くらいを境に、どういうわけか突然神経が太くなり、何でも食える、いくらでも寝られるという人間に一変、今にいたる。まあ、いいことなんだろう。美容師に髪をいじられて、あれ、これ染めてないんですね、と言われると、赤毛の神経症だったころを思い出す。今も少し赤毛の名残りがあるようで、とはいえ、まあもう白髪の方が目立ってるので、どうでもいいんだけど。ネバネバ蕎麦を食ったら思い出したことを徒然に…という散漫でごめんなさい。今日の推薦盤はこちら。Ege Bamyasi / CAN 。オクラの缶詰をジャケット、というこのセンス。何を考えてるんだろうね、という70年代ドイツのロックバンド。バンド名のCANは、「コミュニズム」(共産主義)、「アナーキズム」(無政府主義)、「ニヒリズム」(虚無主義)の頭文字なんだそうで、それと缶詰のシャレだが、それにしてもなぜオクラなの。音もかなり音響っぽいというか前衛っぽい感じで、推薦盤といっておいて申し訳ないが、万人向けではないような気がする。わたしはとても好きなバンドだが、なんだこりゃ金返せという人がいてもおかしくないわな。まずはamazonで試聴してみて、ダメだと思ったら手を出さないように(笑)。ところで、わたしの古巣の博報堂が独自のワークショップ手法を売り出しているが、とある仕事でそのワークショップに参加した際、参加者の緊張を解きほぐすという名目で編集された会場BGMでこのバンドのFlow Motion / CAN の1曲目がかかっていた。あまりにも通すぎる…誰もわかんないっての(笑)。こんな選曲するのは、もしかするとあなたではないのか、スージー鈴木。間違ってたら申し訳ない。

推薦blog:QUIET VILLAGE


ドリフの大爆笑

2007年06月28日 | ロック・ポップス(国内)
日本の軍歌(二)露営の歌


録画しておいた「ドリフの大爆笑」の30周年記念番組を観た。昭和42年生まれのわたしは、小学生時代がちょうどドリフターズの全盛期と重なる。土曜夜のテレビといえば「8時だョ!全員集合!」に決まっていた。中学にあがる頃には、漫才ブームがやってきて、裏番組だった「オレたちひょうきん族」(1981年放送開始)に行っちゃったけど、小学生の頃は、お笑いといえばドリフがドーンと真ん中にいたんである。「ドリフの大爆笑」は、コントを集めたスペシャル番組で、月に1度くらいの放送だった。今回の30周年記念番組は、DVDの発売にあわせたプロモーションで、DVDに収録できなかったコントを集めたもの。DVDはまだ買っていないが、いやはや、なんとも懐かしく、笑いのネタもテンポも今日の目から見るとクラシックだけれど、何度も声を出して笑ってしまった。ひょうきん族は、きっと何となく今と地続きな感じがするんだが、この頃のドリフは何かしら失われた時代への郷愁のようなものが強く惹起される。ひょうきん族が「80年代」だとすると、ドリフは「昭和」っていうか。ここに時代の大きな断層を感じるんである。80年代って昭和最後の10年だけど、昭和にとってはオマケみたいな時期だったのかもしれないな。1980年、昭和55年あたりまでがほんとの昭和っていう感覚が何となくあるんだよね。野球でいうと、90番の長島監督が解任、王貞治が現役引退…とONが表舞台から一旦姿を消したのが昭和55年、この先は西武の管理野球時代(≒今の野球と地続き)で、昭和の野球というものがあったとすればここで一区切りついている。野球知らない人はわかんない話で申し訳ない。野球って昭和にはそのくらい生活の真ん中にあったのだ。そういえば、「ドリフの大爆笑」のテーマソングはわたしが知ってる限りで二種類あって、「♪ドッドッドリフの大爆笑~」という歌、こちらがメジャーだけれど、初期は「♪夜だ8時だドリフの時間~」という歌が使われていた。前者はオリジナルが「とんとんとんからりと隣組」、後者は「月月火水木金金」で、いずれも戦時下に親しまれた曲の替え歌になっている。意図的な選曲かどうかはわからないけれども、こうした戦時歌がゴールデンのバラエティで引用された背景には、戦時と昭和55年が何かしら地続きだったことをうかがわせる。戦争体験がまだメジャーで、世の中の真ん中にあった。このメロディが耳馴染みの世代が多かったということだね。でも、敗戦から35年、日本人は賢くなった、おれたちゃ戦争なんて馬鹿な真似はもう二度としないぞ、という自信と安心があって、だから戦時の歌がゴールデンに出てきても笑って観てられた。おれたちもバカやってたよな、と過去の失敗を自嘲の余裕をもって遠く振り返られる距離感が昭和55年あたりだったんじゃないかと思う。傷口にかさぶたが張ったんだな。かさぶたをいじって遊ぶように、戦時歌がゴールデンのお茶の間にお気楽な、そして自嘲の替え歌として流れた、そんな感じ。で、ドリフがいなくなって、かさぶたも消えて、傷がどんなだったか覚えてる人がいなくなって、それでどうなったかというと、戦争は軽々しく語っちゃいけないものになっちゃった。軽々しく語れない重いテーマ、タブーになっちゃったんだな。笑っちゃいけないもの。シリアスなもの。抽象論になっちゃったということね。それってどうなの。戦争は、おれたちもバカやってたよな、あんな馬鹿な真似はもう二度としないぞ、と苦く笑って遠く振り返る実体験=過去のものじゃなくて、これから起こるかもしれない抽象的な事象=未来にあるもの、にいつの間にかなっちゃってるってことなんだと思うんだけどさ。過去だと思ってたものが、未来になった…歴史の振り子の折り返し点とでもいうようなのがひょっとして昭和55年なのかもな。根拠ないけど。話が散漫になって収拾つかなくなっちゃったね(笑)。要約すれば、ドリフを観て、「昭和は遠くなりにけり」と思いました、という日記であります。今日の推薦盤はこちら。「日本の軍歌(二)露営の歌」。さきほどふれた「月月火水木金金」は軍歌で、海軍の艦隊勤務のキツさを、休み(土日)がありません、というシャレで歌ったもの。聴いたことない人はこちらのCDで。これでなくても軍歌のベストなら大抵入ってます。軍歌というと右翼の街宣車でかかってるウェットなやつを想像されるかもしれませんが、この曲はとってもモダンで明るいです。作曲家は江口夜詩。きれいな雅号ですね。この人、わたしの生まれた村(岐阜県養老郡上石津町。現在は大垣市に合併)から出た唯一のアーティスト、名誉町民であります。わたしの通った小学校(多良小学校)の校歌もこの人の作曲でした。東京芸大でチェロ弾いてたというバックグランドがあるので、音楽が西洋風に垢抜けてるんですね。ハイカラ。戦後も活躍していて「憧れのハワイ航路」「赤いランプの終列車」なんてのはこの人の歌謡曲での代表曲であります。軍歌のCDをおすすめっていうと、冒頭のジャケットも物騒なので、何かしらタブーっぽい空気、妙にシリアスなムードが発生してしまうんですが、そういう状況は年々強まってきてるんじゃないでしょうか。ドリフも昭和も遠くなったけど、戦争はどんどん遠くなってるんじゃなくて、どんどん近くなってる。この何となくの予感が外れているといいのですが。ていうか日記長すぎるよ(笑)。


夏至の頃に聴く一枚

2007年06月16日 | クラシック
Wagner E Venezia


週末から入梅だと予報が出ていたので覚悟していたんだが、今日の東京は大変な好天になった。窓を開けておくと風が心地よく、掃除と干し物をしてから、少しソファで風を感じながらうたた寝。いつの間にか日が長くなっていて、いつまでも外が明るい。そうか、6月ももう半分を過ぎて、そろそろ夏至なんだな。夏至の日の長さに、今日のような好天が重なると、何となく風情がヨーロッパっぽい。梅雨の鬱陶しい湿気と重なると風情なんていう気分ではなく、梅雨の無い土地を思っていじけた気持ちになるのが例年で、夏至に風情なんて気になったのはもしかすると初めてかもしれない。うたた寝の伴に選んだのは、Wagner E Venezia / Uri Caine Ensemble 。ジャズ・ピアニストのユリ・ケインが、クラシックのワーグナーを編曲して、小編成のアンサンブルで演奏したライブ実況盤。この盤のミソは演奏が行われた季節と場所にある。1997年6月の、ヴェネチアはサンマルコ広場。ヨーロッパが好きな人であれば、これだけでその場の空気が想像できるかもしれない。夏の日の長い明るい宵、乾いた風、世界一ともいわれる広場の退廃的な美しさ。カフェの客の話し声、カチャカチャいうグラスの音、行きかう観光客のざわめき。カフェにきた流しの楽団、という何気なさで、ガヤガヤした環境音の中で演奏が立ち上がってくるのが、なんともいえず洒脱な感じ。「トリスタンとイゾルデ」「タンホイザー」「ローエングリン」とよく知られたオペラだが、オーケストラでの演奏と違って、まるでラウンジで演奏される流行歌のようなメロウな響きがとても新鮮。この場に偶然居合わせた人たちが、夏の明るい宵のひと時の幸運を心から楽しんでいる雰囲気が、クラシックマナーから外れた拍手喝采と歓声からも伝わってくる。ワーグナーといえばヒトラーが愛した作曲家だとか、バブル景気の折に証券会社が朝礼で社員にきかせてたとか、イスラエルでは演奏禁止だとか、きな臭いイメージがとかく付き纏うが、ここで聴かれるワーグナーは官能的で甘く淫靡な美しさに満ちている。といって毒婦の淫らさではなくて、素晴らしく冷えた白ワインのようなデカダンス。お前、酒飲めないだろうが、という野暮はさておいて(笑)、夏の宵の風に絶対お奨めの1枚。


喫茶白ゆり

2007年06月01日 | ロック・ポップス(欧米)


前にいた会社の近くに渋い喫茶店があって、会社を辞めてフリーになって昼間に座る場所が無くなって以来、よくその店に行くようになった。喫茶白ゆり。名前がいい。ランチはゆでたまご付のナポリタンか、塩辛いミニスープがついたドライカレー。客層はかなり枯れている。右隣は、昼休みは終わってるはずなのに一向に会社に戻る気配もなくゴルフの話ばかりしてるオッサングループ。左隣は、外回りをサボっているとおぼしき中年営業マンが店においてある雑誌を開いてヌードグラビアに見入っている…という具合。注文をきいてくれるおばさんは恐ろしく無愛想。ランチ時だろうがなんだろうが、全席にガッツリと灰皿がおかれていて、あちこちから紫煙がのぼる。スターバックスなんぞは無くなっても惜しくないが、この店が無くなったらわたしは大層悲しむだろう。しかし、おそらく、スターバックスよりも、白ゆりがこの世から消えて無くなることのほうが残念ながら先なのだ。今日は、朝からプレゼンで、気合をいれて得意先に出向いたら、担当者に急用でキャンセルとなった。気を取り直して午後の打合せに行ってみると、どういうわけかこっちも急遽中止で、すっかり拍子抜け。夕方の打合せまでずいぶんと間があいていて、こんな日は、白ゆりで居眠りでもするに限るな、とカラカランとカウベルの音がする店のトビラを開ける。真面目な顔で写真週刊誌を見ているオッサンの隣に座る。お、浅尾美和ですな。さて、こっちはどうしますかね。iPodをランダムプレイにして、居眠り開始といきますか。ヘッドホンからは、ロネッツの「Be My Baby」が流れてきた。60年代前半のアメリカン・ポップス、古いラジオから流れてくる感じのモコモコしたモノラルの音質が、この店の雰囲気と、ぽっかり出来た時間をもてあましている今日の気分に合う。50~60年代、わたしは67年生まれだからリアルタイムに体験しているはずは無いのだが、どうしてこの時代のアメリカのポピュラー・ヒットって、強烈な懐かしさを呼び起こすんだろう。他愛もない歌ばかりなのに、きらめいているんである。黄金のきらめき。そういえば、今のアメリカのポピュラーチャートには傾聴に値するものがほとんど見当たらない。それもまたどうしてだか不思議である。わたしがトシとっただけか。盤面がコカコーラのラベルになっている店の時計を時々見ながら、少しうとうとする。スターバックスのアメリカより、コカコーラのアメリカがいい、とそんなことを夢現で考えてみたが、あまりに問題が大きすぎてうまく考えがまとまらなかった。