ひらつか日記

1999年に漫画家おかざき真里ホームページの連載コーナーとしてスタートした身辺雑記×音楽紹介日記です。

ゲッツ/ジルベルト

2000年01月28日 | ジャズ
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(33歳の誕生日)

「おしゃべり」コーナーでのぽっきりさんのご質問「ジョアン・ジルベルトと言う人(?)の曲は、どういう音楽なのでしょう?」へのお答えを。「GET’S」というタイトルのCDしかあたしは聴いたことないんですけれど…とおかざき真里が答えている(00/01/28 15:43:49)が、うーん、ちょっとちがう(笑)。そのアルバムは、Getz/Gilberto / Joao Gilberto, Stan Getz, Antonio Carlos Jobim 。「ゲッツ」というタイトルではなくて、「ゲッツ/ジルベルト」というタイトルです。スタン・ゲッツというジャズサックス・プレイヤーと、ボサノヴァのギタリスト、ジョアン・ジルベルトのコラボレーションアルバムなんですね。ジャズの世界でも、ボサノヴァの世界でも、名盤中の名盤として非常に有名です。名曲「イパネマの娘」(ピアノで参加しているアントニオ・カルロス・ジョビンは、この曲をはじめとするボサノヴァ名曲を数多く生み出したこれまた有名な作曲家)にはじまって、全編、心地のよい素晴らしい音楽が続きます。ジャズにありがちな晦渋なところは一箇所たりともなく、とても親しみやすいCDですから、誰にでもお勧めできますね。といっても、やってることは大変に高級な音楽、入門用の安物ではありません。聴いてると、たしかに「雨の降るような」という気配もありますね。おかざきのいう「身体があたたまる」というのもわかります。じゃあ、ついでにもう一枚。

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Look To The Rainbow / Astrud Gilberto 。これはジョアン・ジルベルトの奥さん、アストラッド・ジルベルトの名盤です。こちらは「雨があがったあと、さぁっと陽が射してくる感じ」の一枚。この人のヴォーカル・スタイル、実に独特なものがあります。レコード出すまでは、ほんとに唄ったことなかった素人だったらしい。うーん、絶品。


21世紀に残したい名曲?

2000年01月26日 | ロック・ポップス(欧米)
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ちょっと前の話になるが、年末の特別番組で「21世紀に残したい名曲カウントダウン」みたいなのがあった。カウントダウンの本編は、おそらく道端で若いヤツをつかまえて即答させたものの集計結果なのだろう、宇田多ヒカルが1位で、2位がGLAYって、そりゃおまえ、99年のチャートだろうが、趣旨が完全にズレていて、最後まで律儀に見てしまったことを後悔するような出来だった。おもしろかったのは本編じゃなくて、そのカウントダウンの合間にインサートされるコーナー、いろんなアーティストに「21世紀に残したい名曲を1曲だけ選べ」という無茶な質問をし、その回答のヴィデオをながしたところ。大抵、みんな困り果てている。そりゃそうだ、たった1曲なんて選べるわけがないからだ。どんな1曲をあげても、なんか言い足りない後味の悪さを各人それぞれにかかえていて、その困ったような顔がおもしろかった。で、どの回答も、そうかなあ、それでいいのかなあ、と見てるこちらも納得にいたらない。ビートルズの「レット・イット・ビー」ですか、うーん、そうかなあ、ビートルズだったらこっちじゃないのかなあ・・・?、とか。そんな中、何のためらいもなく、バシっと1曲の回答をたたきつけ、それでなるほど、とぼくを納得させたミュージシャンがひとり。ぼく自身は彼女本人をどう評価していいのかいまだよくわかんないでいるのだが、椎名林檎。あげた1曲が、Pablo Honey / Radiohead に収録されている「Creep」という曲。確かに名曲。90年代のロックを代表する曲のひとつだと思う。しかし、彼女以外の誰かが回答したとしたら、やはり納得できなかっただろう。あのときの彼女の口調、目、表情、そしてこの曲のもつ肌合い、そんなものすべてが絡み合っての納得感とでもいうべきか。ぼくは彼女のことをよく知らないので、彼女の鑑識眼に信をおいているとかそういうことでもない。ただ、あの瞬間、ああ、なるほどね、と思ってしまったのだった。この曲、むちゃくちゃに虚無的・破壊的・暴力的…でもそこをつきぬけてセンチメント、という90年代の文学や映画がもっているムードと共振する独特の光彩をはなっている。聴いておいて損はない。


地味な中篇作家

2000年01月24日 | ロック・ポップス(欧米)
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先週だったか、おかざき真里と残業メシを食べながら、その日、一億円をこえたヤフーの株価の話になった。なんで一億円の値がつくのか、ぼくも経済は門外漢なのでよくわかってないのだが、ぼく以上に彼女には全く理解のできない事象だったようで、そもそもこんなトンチンカンなふたりが話していても決してらちがあかないのだけれど、ふたりとも少なからぬ怒りのようなものをかかえて話をしたのだった。おかざき真里の漫画の執筆は、単純に原稿料をあてにした場合、冗談のような時給換算になる(らしい)。おかざき真里ばかりではないし、漫画家ばかりでもない、世の中のほとんどの創造者たちは、ほんとに馬鹿げたお金と引き換えに作品を産んでいるのだ。サラリーマンなんか、どんどんリストラされちゃえばいいのよ、とは極言だけれども、ほんとうに年収に見合うだけのものを産んでいる給与労働者はいったいどのくらいいるのだろう。こう書いてる自分も甚だ心元ない。実家の和菓子屋の商売だと収入に対しての多寡の感覚もリアルなのだけれど、どうもこのサラリーマンというやつ、実のところはよくわかんないのだ。ほんとはもっといろんな論点が出たのだけれど、それはまたの機会に。実力のわりに売りがともなわない、そんなアーティストは数多いが、その不遇さゆえに支持者からはさらに偏愛ともいえる支持を集めてきたバンドに、英国のXTCがいる。XTC、ほんとにいいバンドである。ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉がこれほどはまる人たちもいないんじゃないか。玄人好み、ということか、日本(ライナーノーツには奥田民生はじめ、日本の若いミュージシャンたちも絶賛のコメントを寄せている)を含めた世界中のミュージシャンからレスペクトされるその音楽は、ポップス職人、そうそう、まさに職人芸。最新作、Apple Venus Volume One / XTC もまたあまり売れてないようで、レコード会社のマーケティングはアタマをかかえてそうだけれど、ここで聴かれる音楽はそれはそれは極上のポップ・ミュージック。聴けば聴くほどにその驚くべき完成度と歌心にしびれてしまうのだった。最初一聴したときは何でもないんだけど(このバンドのアルバムはいつもそう)、しばらく放っておいて二度三度と聴いていくと、じわじわと味が沁みだして、いつのまにかやめられなくなってしまう。小説でいえば、ベストセラー連発型の作家ではなくて、高質の地味な中篇をコツコツと書き溜めていくような作家、という感じ。このアルバムで、彼らはどのくらいの収入を得たのだろうか。


暖かい部屋の中で

2000年01月11日 | クラシック
Gustav Mahler: Symphony No. 4


お昼から、東京は雪が降りはじめた。積もるようには見えないが、急な冷え込み。ぼくの育った田舎は、積雪の多い土地(岐阜県の関が原の近く…いつも新幹線や名神高速がここで雪のために止まってしまう)だった。そのせいともいえないが、ぼくは雪がとても好きだ。今日みたいに雨だかなんだかわからないようなふりかたじゃなくて、しっかり積もる雪。世の中がなんともいえない静けさと清らかさでおおわれて、どことはなしに幸福な気持ちになる。そんなときに暖かい部屋の中で耳にしたい一枚といえば、ぼくにとってはこれ、Mahler: Symphonie no 4 / Bernstein, Wittek, Concertgebouw 。マーラーの交響曲といえば、「暗い・長い・難しい」という、なかなかにしてとっつきにくい代物ばかりなのだけれど、この第四番だけは、明るい色彩と幸福感に満たされた異色作。約1時間、という(マーラーにしては)コンパクトな構成もいい。遠くから響いてくる鈴の音ではじまる風変わりな冒頭にはじまって、ソプラノ独唱の歌がついた終楽章まで、ふわふわと不思議な魅力に満ちた音楽が展開される。クラシック嫌いの人にも、これは気に入ってもらえるんじゃないだろうか。演奏は、バーンスタインがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を振った盤がおすすめ。終楽章のソプラノ独唱に、ボーイ・ソプラノを起用してるところがポイント。女性ソプラノよりも純朴な味わいがある。

マーラー:交響曲第4番ト長調


女性ソプラノなら、同じくバーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニーを振った旧盤(Mahler: Symphony no 4 / Bernstein, NYPO )を。歌手はレリ・グリスト。


祭りの苦手な百姓

2000年01月11日 | ロック・ポップス(欧米)
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ぼくは、平穏な毎日の連続を好むタイプだ。波乱も事件もなく、淡々とフラットな日々が穏当にすぎていくのが快いと思う。前世は百姓だったんじゃないだろうか。それも相当に日常の労働に優秀な。きっと祭りとかキライだったんじゃないかと思う。祭りは、日常の労働の優秀さとは別の評価尺度がムラを一時的に支配する時間。神輿をかつぐ若衆っぷりだったり、酒宴での粋な身のこなしだったり。きっとニガテだったんじゃないかなあ。祭りなんて早く終わってしまえばいいのに、と隅っこで居心地悪そうにしてた無粋が想像される。しかし、こんなぼくでも、この2000年の年明けぶりにはいささか戸惑っていたりする。あまりにも何事もなく平穏に年が明けて、そのまま何もリセットされることもなく、別の尺度が世の中を支配することもなく、ひたすらに粛々と毎日がすぎていく。ぼくのような無粋でも、もう少し何か起こったっていいんじゃない?と思ってしまうほど。まあ、ぼくはこんな状況を選好するタイプだからいいとして、もしかして世の中にはこういう2000年の正月に、耐えがたい思いをしている人も多いんじゃないだろうか。ものすごく衝動的で猟奇的な事件がおきてしまうかもしれないな、と良からぬ気配を感じでしまうのだが。そんなことを考えてたら、こんなCDを買ってしまった。From Here To Eternity: Live / The Clash 。70年代終わりの英国。大変な不況、永遠に続いていくような重苦しい日常、大人の既得権の網の目がくまなくはりめぐらされた老朽化した社会。20年ほど前(!)の若者は、下のジャケットのように、怒ってギターをたたきつけたのだった(London Calling / Clash )。

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彼らクラッシュの全盛期のライブテイクを収録したものすごくテンションの高いライブCD。99年に発売されたことに何かしらの意味はあるんだろうか。ともかく、この世代の人は、きっと涙なしではきけないだろう。FMファン誌では、大貫憲章氏も99年度ベストCDに推挙していた(笑)。ちなみにボーカルのジョー・ストラマー、今年は新しいバンドを連れて来日する。うちの奥さんは同世代のおねえさまと二人ででかけるようだ。




世界が終わってしまった後の音楽

2000年01月07日 | クラシック
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年末体調を崩して床についていたら、あっけなく2000年になってしまった。いやあ、ほんとに来ちゃったんですね、2000年。こんなに普通に年が明けちゃっていいんでしょうか。ランチを食べながら、会社の先輩と話をしてたら、ノストラダムスやUFOや、ユリ・ゲラーの話になった。ぼくたち30代は、2000年は来ない、と何となく信じて育った世代だったものね。子供の頃、1999年は32歳かぁ、と指折り数えてみて、その32歳がどんな歳なのか、全くイメージがわかなかったのを思い出す。もうじゅうぶん生きたといえる歳であるような気もしたし、まだまだこれからという時なような気もした。で、実際その歳を迎えてみてどうなんだ、と言われると相変わらずやっぱり答えに窮するのだけどね。そんなわけで、今年はじめての1枚はこちら。After the Requiem / Gavin Bryars 。このジャケット、なんというか、人類の気配がしません。世界が終わってしまった後の海。そこに流れる音楽は、なんとも静謐な、そして永劫に続くような不思議なもの。