陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

591.桂太郎陸軍大将(11)桂太郎は、大阪兵学寮を病気と称して退学した

2017年07月21日 | 桂太郎陸軍大将
 六月八日、フランス式陸軍修業として、桂太郎は東京留学を命ぜられ、開成所に入ることになった。開成所は、明治二年正月に、イギリス、フランスの二国の語学科が設置され、語学を修める者はここに入所することになっていた。

 外遊の希望は、欧州戦前から桂の心の中に強く宿っていたので、開成所入りは、その第一歩として、喜んでいた。

 だが、六月十九日、突然、藩より呼び出しがあって、山口へ行った。すると、七月二十日、第五大隊補助長として、東京へ転ずる旨の命令が下ったのである。

 これに対して、桂は、どこまでも、まず学生として語学を修め、その上で、外遊して兵学を修めたい志望であったので、藩に請うて官を辞し、東京へ上った。

 明治二年七月、明治維新後、修学の志が抑えがたくなっていた桂太郎は、東京に行く途中、京都で兵部大輔・大村益次郎(おおむら・ますじろう・山口・長州征伐と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し勝利・維新後明治政府の軍務官副知事・兵部省大輔(次官)<四十五歳>・日本陸軍を創設・大阪兵学寮設置・京都で刺客に襲われ重傷、治療を受けるが死亡<四十五歳>・従三位・孫が子爵を授爵・従二位)に面会した。

 「桂太郎」(人物叢書)(宇野俊一・吉川弘文館・昭和51年)によると、その時、大村益次郎が桂太郎に次のように語った。

 「戊辰戦争後の日本の課題の一つは軍制の改革であるが、兵権の統一には軍制の基礎を樹立する必要があり、それにはまず将校の養成を図らなければならない」

 「将校の養成の方法として、正規の教育としてまず語学所を横浜に設置し、語学を修めた人材をさらに六か年を期してヨーロッパに留学させる必要がある」

 「他方、当面の急に対応する変則の教育としては、大阪に青年舎を設置して速成の将校養成を図る」。

 さらに、大村は、桂に「海外遊学の志があるならば、正則の教育を選んではどうか」と助言した。桂は大きな希望を持った。

 桂が東京に着いて間もなく、大村が凶変にあって死亡したとの報に接した。桂は信じられなかった。

 明治二年十月、桂太郎は、大村死去の衝撃を振り払って、大村の忠告に従って横浜の語学所に入学した。だが、明治三年五月、横浜の語学所は、大阪の兵学寮に統合された。

 明治三年五月、桂太郎は、大阪兵学寮を病気と称して退学した。この兵学寮では官費留学の方法がないことを知ったのだ。これでは自腹を切る以外にほかはなかった。

 明治三年七月萩に帰り、洋行留学の許可を得た桂は、八月、自腹を切り、私費で留学しようと決心した。奥州戦で東北鎮定の功により、二百五十石を加増されていたので、これを留学費用に当てたのだ。

 最初、桂はフランス語を習い、フランスに留学しようとしていた。当時フランスは奥州第一の陸軍国で、武威を四方に張っていた。だから、この国に学ぼうと思っていた。

 九月日本を出港した。だが、桂が航海中、普仏の間に戦争が勃発し、目的地に着いた時には、フランスは連敗して、城下の盟(じょうかのちかい=屈辱的な降伏の約束)をする有様だった。

 そこで桂は直ちにベルリンに向かい、ドイツで学ぶことに目的を変更した。ドイツに留学した桂太郎は、まずドイツ語から徹底的に学んだ。その後、ベルリンでドイツ帝国陸軍のパリース少将に師事して軍事学を研究した。

 明治五年八月、アメリカ視察旅行を終えた欧米使節団の岩倉具視(いわくら・ともみ)特命全権大使一行がヨーロッパに渡り、ベルリンに着いた。

 一行の中には、大蔵卿・大久保利通(おおくぼ・としみち・鹿児島・維新の三傑・王政復古の後参与・維新後明治政府の太政官・参議・大蔵卿・岩倉使節団副使・征韓派の西郷隆盛を失脚させる・内務卿・台湾出兵後全権弁理大臣・西南戦争で政府軍を指揮・暗殺される・従一位・勲一等旭日大綬章)がいた。

 また、桂太郎の郷里の先輩として次の二人もいた。

 参議・木戸孝允(きど・たかよし=桂小五郎<かつら・こごろう>山口・長州藩の尊王攘夷派の中心人物・藩の外交担当者・維新後総裁局顧問専任<三十五歳>・参与・参議・文部卿<四十一歳>・文明開化を推進・封建的諸制度の解体に努める・三権分立国家の樹立を主張・権力闘争の新政府の中での精神的苦悩により心身を害し西南戦争半ばに「西郷もいいかげんにしないか」との言葉を残し病死<四十四歳>・遺族は侯爵の叙される・従一位・勲一等旭日大綬章)。

 工部大輔・伊藤博文(いとう・ひろふみ・山口・松下村塾・イギリス留学<二十二歳>・長州藩外国応接係・高杉晋作の下で功山寺挙兵・維新後外国事務局判事・兵庫県知事<二十八歳>・工部卿<二十九歳>・宮内卿・岩倉使節団副使・征韓論で大久保利通を支持・大久保暗殺後内務卿<三十七歳>・憲法調査のため渡欧・大日本帝国憲法を起草制定・初代内閣総理大臣<四十四歳>・枢密院議長・第二次伊藤内閣・第三次伊藤内閣・立憲政友会初代総裁・第四次伊藤内閣・貴族院議長・初代韓国統監・枢密院議長・ハルピン駅で暗殺される<六十八歳>・公爵・従一位・大勲位菊花大綬章・菊花章頸飾・ロシア帝国アレクサンドルネフスキー勲章一等・フランス共和国レジオンドヌール勲章一等・大英帝国バス勲章一等など)。

 当時ドイツ留学中の桂太郎はこの一行に会って、ドイツの国情を説明したり、案内役をしたりした。