NYタイム

筆者が興味・関心のある事や趣味に関して語るブログです。〔不定期更新〕

東京五輪

2013-09-09 00:11:44 | ブログ

 2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決定した。

 事前の予想では、東京とマドリードの争いでイスタンブールがやや劣勢という感じだったが、朝5時に起きてテレビをつけると、マドリードが第一次の投票で脱落し、東京とイスタンブールの決選投票の段階であった。イスタンブールが開催地に決定した暁には、庄野真代の「飛んでイスタンブール」 (1978年)がメディアから流れてくるのかしら?と思ったが、決選投票の結果は東京だった。目に見える不安材料のあるイスタンブール(地つづきの隣国の内乱)、マドリード(経済不安)と比較すると治安や運営能力に不安の少ない東京が選ばれたというのは、当然だったかもしれない。

 東京に決まったからには、7年後を楽しみにして待ちたいと思う。


トウカイテイオー死去

2013-09-01 12:48:18 | 競馬

 日本ダービーなどG1・4勝をあげたトウカイテイオーが心臓まひのため急死した。25歳という年齢での死去は、競走馬としては天寿を全うしたという部類には入るものの、まだまだ長生きして欲しかったと思うので、残念でなりません。

 トウカイテイオーの競走馬時代は、6戦6勝で無敗の二冠馬になるまでの安田隆行騎乗時の順風満帆の第1期、翌年の大阪杯で復帰し、天皇賞(春)・(秋)の二度の挫折からジャパンカップで世界の強豪を抑え復活した岡部幸雄騎乗時の第2期、有馬記念での惨敗から1年ぶりの翌年の有馬記念で奇跡の復活を果たすまでの田原成貴騎乗時の第3期と、「度重なる骨折とそこからの復活」という、下手な脚本家が描くドラマよりもドラマチックな競走生活だった気がする。

 引退後は種牡馬として、トウカイポイント・ヤマニンシュクル・ストロングブラッドと3頭のG1馬を送り出したが、後継種牡馬に恵まれずトウカイテイオーの父系の継続は風前の灯となっている。残っている数少ない産駒とトウカイテイオーの血をひく繁殖牝馬から母系でもよいので、トウカイテイオーの血が残ってくれることを願います。

 僕のトウカイテイオーの思い出は、唯一生で観戦する機会があった大阪杯です。今は名古屋近郊に住んでいるので、古馬王道のG1級の馬を生で見る機会は滅多にないが、トウカイテイオーが現役競走馬だった当時は関西圏に住んでいたため、時々G1級の競走馬を生で見る機会があった。大阪杯は日本ダービーでの骨折後の復帰初戦で、前年の有馬記念馬・ダイユウサク、強豪・ホワイトストーン、同期のライバル・イブキマイカグラなどそれなりのメンバーがそろっていたが、パドックで他馬と全く違う特別なオーラを発しているトウカイテイオーを見て、度肝を抜かれたものでした。それ以来、僕の中ではトウカイテイオーは特別な存在の馬です(一番好きな馬はヤエノムテキというそれほど多数派でない競馬ファンだが・・・)。引退後に社台ステリオンステーションにトウカイテイオーに会いに行った時もメジロマックイーン・アグネスタキオンなど数々の名馬が放牧されている中で、トウカイテイオーの特別な存在感は相変わらずで、安心した記憶があります。

 トウカイテイオーの馬券での思い出は、結果的に引退レースとなった有馬記念を的中させたことです。出馬表を見た段階で、1番人気に推されていたビワハヤヒデの連軸は固そうだが、ビワハヤヒデは2着で、それに勝てそうな馬を探せば有馬記念は的中させられるのではないかと思い、ビワハヤヒデからトウカイテイオーとライスシャワーに流して、1点勝負ではないものの馬連(32倍位)を的中させたのが良い思い出です。その後、昨年のゴールドシップ-オーシャンブルーの馬連を当てるまでは、有馬記念は外しまくりました。  (文中 敬称略)