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 [Book under microscope]

昔使用したReadingか Writingの英語の教科書によいヒントが出ていたので、まとめてみた。書き手のメッセージの信頼性について、判断の手がかりを記した箇所であった。

1 事実の記述 例「明日スコットランドで英国から独立するかどうか国民投票が行われる」、「末日聖徒イエス・キリスト教会は1830年米国東部で興った」など。このような文は誰も反対したり、否定したりすることはなくまたその必要もない。

2 伝聞、推測、記憶に基づく表現がある文。例「誰それは億万長者であると言われている。」「あの程度の能力では賄賂を贈って手に入れたに違いない」などは、ウラを取る必要がある。あるいは要検証の事柄ということになる。出典や根拠があげられない文が頻出するとき、信頼性が薄らいでゆく。

3 書き手の判断(judgment)、意見(opinion)を表しているもの。しばしば形容詞の形で現れる。例「荒唐無稽な言い分」、「この説には隙がない」。このような表現は、客観性に欠けることがあり、理由を求めたり、読者としては慎重に距離を置いたりする必要がある。けばけばしい形容詞や表現が現れるとき、その説明や主張は語り手の偏向した判断が入っている可能性がある。
 また、微妙な問題について断言調で述べられた場合も同じ可能性が感じられる。「断言する」に相当する英語 assert は「挑むように確信をもって主張する」ことで、declare も「強く主張すること」を意味している。例、「黒人種は前世で神の計画に雄々しく賛成しなかった霊たちであった」(これは初め黒人に神権が与えられなかったことの仮説的説明として提出され、可能性としてあげられ、当初遠慮勝ちに語られたのが断言調に変わっていった。[今では否定されている。])

4 視点は大局的な見地から、本質をついた論旨になっているか。ある部分を衝き、一事をもって全体を量るような、強引さを感じさせる展開となっていないか。

日本でも国際的な接触、交換の機会が増えて、議論の仕方に長けた人たちが輩出している。1-3は入門篇、4は自戒を込めて努力する目標である。判断(読解力)、発信の両面で微力ながらなお努めていきたいと思っている。



参考
http://www.how-to-study.com/study-skills-articles/critical-reading.asp

コメント ( 20 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (バハマ)
2014-09-18 14:28:24
「主が選り抜きの霊には、優れた国民の所にいくようにされルのは、理にかなった考え方ではないだろうか。さらにあまりふさわしくない霊がこのましくない血統に送られると考えるのはあり得ないことだろうか。」(* ̄∇ ̄)ノ   完成への道 
ところで、今は否定されているというのはHPの声明のことですか?
 
 
 
lds.org に掲載 (NJ)
2014-09-18 21:45:28
はい、それも一つですね。2013年12月教会が lds.org に発表した Race and Priesthood 「人種(問題)と神権」という声明に出ています。

末尾の方、18番目の段落に

Today, the Church disavows the theories advanced in the past that black skin is a sign of divine disfavor or curse, or that it reflects actions in a premortal life 

とあって、前世での態度・意志表示に原因があったという仮説を否定しています。
 
 
 
預言者が絶対という誤解 (オムナイ)
2014-09-19 22:00:47
改宗してから初期には教義や預言者・指導者の言葉を原理主義的に受け止める時期はあると思いますが。

すこしモルモンの教義にふれるとそれが誤解だとわかります。

ttp://www.geocities.jp/waters_of_mormon/Hard_Questions_j.htm

預言者モル モンによると、聖典には時折、間違いがある。言い換えると、完璧ではない。

そのように、過去も現在も預言者は、神に指示され、霊感を受けた指導者である が、完璧ではない。

ロレンゾ・スノー大管長は、ジョセフ・スミスが神の預言者であったという確固たる証を持っていたが、このようにも言っている。

「私はジョセフ・スミスに欠点を見た。私は欠点を持つ人に、神が力と権威を与えられることを感謝した。というのも、私自身が弱点を持つことを知っているか らだ。そして、私のように欠点がある者でも仕えることが許されていることを知った。私は彼に欠点を見たことを神に感謝した。」

預言者と教会幹部もまた、あなたや私のように、彼ら独自の意見を持つ権利がある。
教会の承認を得ているモルモン百科事典にこう記されている。

聖典で明らかにされていない事柄で、教会が公式な声明を発表していないものは多くある。そのような事柄に関しては、教会員の間でも指導者の間でも意見の違 いがあることは珍しくない。これらの事柄に対しては、啓示によって真理が知らされるまで、様々な異なる理解や解釈が存在し続けることであろう。
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例えば
私の場合「救いの教義」を夢中になって読んだものですが、
その中にも明らかな真理の矛盾が見つかりました。

ジョセフ・フィールディング・スミス管長は神の1日は地球の千年に相当する。と書の中で言い切りますが、インスチュートの教材ではそのことを否定しています。

思えばセミナリーでも預言者=完璧ではない。
言葉につまずかないようにと教えられていました。

自ら福音を研究せず人づての信仰だと脱皮出来ず信仰を失う。。。
そんな気がします。
 
 
 
Unknown (バハマ)
2014-09-20 14:02:11
私は預言者は間違ったことはしないとビショップからいわれましたが、黒人に神権が与えられなかったことも神様が明らかにされていないといわれました。こんど声明をみせてみよう間違ってと思うんですが・・・
声明はlds.ログを開いたらどこをおしたらでてきますか?
 
 
 
日本語サイトには (沼野治郎)
2014-09-20 22:57:12
今捜しましたが、日本語訳は見つかりませんでした。英文は

https://www.lds.org/topics/race-and-the-priesthood?lang=eng

にあるのですが。以前にも気づいたことがありました。そのままの状態(訳されず)なのでしょうか。

別の資料(evidence)を探してみます。
 
 
 
Unknown (バハマ)
2014-09-21 12:05:03
ありがとうございます。 
日本語に訳されなかったらいつまでも日本では昔の教義のまま・・・
 
 
 
モルモンにとって教義とは?? 雑感 (たまWEB)
2014-09-21 20:30:39
「過去や現在の教会指導者が語ったことが必ずしもすべて教義となるわけではないことを覚えておく必要があります。教会では一般に,一人の指導者がある特定のときに語ったことは,熟慮されたものではあっても個人的な意見であることが多く,教会の公式な見解あるいは教会全体に対して拘束力を持つ言葉ではないと理解されます。預言者ジョセフ・スミスは「預言者は預言者として行動するときにのみ預言者である」と教えています。

(2012・4月 5月総大会号、p88 D・トッド・クリストファーソン長老)

黒人に関してのブリガムが語ったことは、彼なりの理解の声明であって(ジョセフが語ったことを基に、付加、変更した??)、はたして彼が啓示を受けてその啓示を説明していたのかどうか?? 彼が黒人に関して、教会の長、管長の立場にあって啓示を受け、語っていたとしたら教義と呼べる範疇なのでしょうが。

ジョセフ・F・スミス管長の時代あたりまでは、予言者といえば、誰もがジョセフ・スミスのことを指していたといわれます。(『歴代管長の教え ジョセフ・F・スミス』第25章 “「予言者」「聖見者」あるいは「啓示者」という高尚な・・・・称号で管長を呼ぶことも適切ではありません。” p223)

“生ける予言者”という言葉は、20世紀の産物なりと。今日に至るまでも、管長で、自分がジョセフに代わる“生ける予言者”であると自ら語った人はいないんだと。“生ける予言者”と言う言葉が最初に総大会説教で使ったのは、管長ではなかった。“生ける予言者”という言葉自体、啓示ではなかったんでは??

何故、そう自ら語ってないのか?? それは、おそらくそう語れるとしたら、ジョセフのように、神とイエスに直接まみえて、何か受けたメッセージを発表するとか、聖見者としていにしえの予言者が記した記録を訳するとか、そういった働きを伴っていないことにはなぁ、ということなのかも。

教義と聖約68章に、「何であろうと聖霊に感じて語ることは、聖文となり・・・・わたしの僕たちよ、これはあなたがたへの主の約束である」とありますが、たとえば、その僕の一人であった、オーソン・ハイドが聖霊に感じて語ってたとしたら、その聞き手の誰かも聖霊に感じて、何らかの益となるものを得ていたんでしょうね。(「11 すべての人があらゆる賜物を与えられるわけではない。賜物は多くあり、各人に神の御霊によって一つの賜物が与えられるのである。12 ある人にはある賜物、またある人には別の賜物が与えられて、すべての人がそれによって益を得られるようになっている。 」46章)

話し手の信仰のみならず、聞き手の信仰にも、賜物の程度が左右されるのかも。

今回の発表もまた、啓示ではないんでは?? 説明文。ゴースト・ライター、学者さんへのインタビュー/フィードバック等をたたき台にして、そういったプロセスを経て、評議会を通って出来あがった??

教義であれば、末日聖典に加えられるってことに。教義は、啓示という賜物がベース。『モルモンの教義』『救いの教義』といった書籍も著者の理解/説明がベースに・・・・
    
 
 
 
同意。(よく調べられた。) (NJ)
2014-09-21 21:38:00
たまWEBさんの上のコメントに同意。全体にわたってそうですが、特に次の部分、

「今回の発表(lds.org の声明)もまた、啓示ではないんでは?? 説明文。ゴースト・ライター、学者さんへのインタビュー/フィードバック等をたたき台にして、そういったプロセスを経て、評議会を通って出来あがった??」

当たらずとも遠からず、ほぼ言い当てていると思います。
 
 
 
バハマさんへ (NJ)
2014-09-21 22:19:32
バハマさんへ

間接的ではありますが、参考までに。

ブルース・R・マッコンキー長老は、1978年の啓示のすぐ後でこう語っています。
「この度の啓示に反するこれまでの私の発言は全て忘れていただきたい。私は限られた理解のもとで語っていた。」

そして、「モルモンの教義」1979年第二版では、前世における雄々しさに欠ける霊的姿勢が理由で神権が与えられなかったという箇所を削除しています。(「二グロ」の項。日本語訳も記載なし。)

http://eugeneengland.org/wp-content/uploads/sbi/articles/1990_e_003.pdf pp. 6, 9
 
 
 
豚まんは551 ()
2014-09-22 09:06:22
>「主が選り抜きの霊には、優れた国民の所にいくようにされルのは、理にかなった考え方ではないだろうか。さらにあまりふさわしくない霊がこのましくない血統に送られると考えるのはあり得ないことだろうか。」(* ̄∇ ̄)ノ   完成への道 



神の創りたもうた霊に優劣はない。

それに優劣をつけるのは、愚かな人間です。

但し、豚には美味しい豚とまずい豚は有る
豚まんはやっぱり551でしょう!
 
 
 
優劣 (Unknown)
2014-09-22 11:28:16
19. 主はわたしに言われた。「実にこれら二つの事実がある。すなわち、二つの霊がいて、一方が他方よりも英知に優れている。彼らよりもさらに英知の優れた別の霊がいる。わたしは主なるあなたの神であって、わたしは彼らすべてよりも英知が優れている。アブラハム3.19

少なくとも前世では優劣があったようですね。
 
 
 
人種 (Unknown)
2014-09-22 11:36:25
前世に優劣に差があり、来世にも差があるなら、現世にも差があってしかるべき。ただそれが人種で区別されるなら、たまったものではない。
 
 
 
もっともすぐれた英智 ()
2014-09-22 19:45:27
>わたしは主なるあなたの神であって、わたしは彼らすべてよりも英知が優れている。

と言う事は、あほでも神様を味方につけたものが勝ちってことかも?
 
 
 
ヤレドの民 黒人 (たまWEB)
2014-09-22 21:21:52
ヤレドの民は黒人種、ハムの子孫という説があるわけですが、たいへん興味深いと思うので御座候・・・・

オルメカ 黒人
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%80%80%E3%80%80%E9%BB%92%E4%BA%BA&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq

http://search.yahoo.co.jp/search?p=jaredite++black&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=jaredite++ham&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
    
 
 
 
予任の教義は (教会員)
2014-09-22 22:17:46
予任によって、主に選ばれた霊たちがふさわしい時代に、ふさわしいところに産まれるというところだけが福音で・・・・。

それだったら、雄雄しくない怠け者の霊たちが、どうのこうの言うと解釈が人の考えたことだったということなのでしょう。
 
 
 
指導者の優劣 (Unknown)
2014-09-22 23:03:45
あほでも神様を味方につけたものが勝ちってことかも?

そのとおりでしょうね。この教会の身近な指導者を見ていると、決して優秀な人間がなるわけでないのがわかります。優秀であるからというより、それこそ神様に気に入られているのでしょうね。
そう考えないとやっていられないときがあります。

指導者の優劣
あほで人格が伴わない<賢いが人格が伴わない<賢い上に人格が伴う
最初の人間が、指導者だととても困ります。
 
 
 
続優劣 (Unknown)
2014-09-22 23:18:14
一つ抜けていました。

あほで人格が伴わない<賢いが人格が伴わない<賢くないが人格が伴う<賢い上に人格が伴う

以前のモルモン書にリーハイの家族の挿絵が何枚か掲載されていましたが、それらは皆白人系の顔でした。モルモン書には載っていませんが、アンモンの絵は、チャールトンヘストンそっくりでした。
リーハイの家族はセム系であり、少なくとも白人種ではなかったはずです。
白人は、基本的に白人至上主義なので、あのような絵になるのでしょう。
 
 
 
存在意義 ()
2014-09-24 19:53:24
人格が優れている人は、教会に来なくてもよい。

賢い人は、初めから教会には来ない。

教会の存在意義が、罪人を救う事なら、当然教会員は愚かな罪人ばかりです。

聖職者、指導者ともなれば、最も愚かで最も罪深い人でなくてはいけない。

ジョセフ・スミスはその最たる人だったのでは?
ところが最近は、さしたる罪もなくほどほどに賢い人が指導者になるので、教会の存在意義が無くなってしまう。

賢い人格者などと言う人は、そんなに熱心に神に頼るとは思えない。

知者は知恵に頼り、人格者は名声に頼る。
本当に神に頼るのは、知恵もなく人格も劣る人間だ。

と、豚は思う。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2014-09-24 20:24:38
ああいえば、こう言う。まさに豚やろうだな。
実生活でもそうなのか?
 
 
 
この辺で (NJ)
2014-09-24 20:45:14
まあまあ、そろそろ冒頭の記事からそれてきた気配なので、私のこの20件目でお開きとさせてください。

私はcritical reading (批判的読解)をもう少し追求しておきたいと思っています。
 
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