片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

1/20 「明治維新という過ち」を読んで

2018-01-21 13:41:23 | 読書

河津桜が開き始めた。満開になるのは2月下旬か。


原田伊織「明治維新という過ち」


  近年、歴史の見直しが色々な時代で行われている。
その中で、江戸時代は封建制の中でがんじがらめの身分制度で縛られていた、という我々が子供時代に植え付けられてきた認識が違っていたのではないかというのがある。
渡辺京二「逝きし世の面影」や網野義彦の日本史の見直しなどが顕著だ。
それに続いて、最近は『明治維新』の再評価もされだした。
高く評価しているのは司馬遼太郎で彼の竜馬や秋山兄弟を主人公にした物語は多くの日本人に支持されている。
司馬は明治維新から日清日ロ戦争頃までが輝きの絶頂で、それから太平洋戦争の敗戦まで坂道を転がってゆくとの認識らしい。
江戸時代末から明治初年の時代はNHKの大河ドラマでも多くその題材が取り上げられる。
登場する人物も徳川慶喜、勝海舟、坂本龍馬、木戸孝允、伊藤博文、から近藤勇、清水の次郎長まで綺羅星のように並んでいる。
彼らの功罪が一応は語られているがその多くは功に偏っている。
それぞれがドラマや歴史書で描かれているような本当に偉人だったのかとそれぞれの実像だったといわれている事例も挙げている。
2018年は明治元年から150年だと、それを祝おうなどという動きも出ている。
過去明治百年の頃の論争は少し覚えている。

  そんな中で、標記の「明治維新という過ち」はその『明治維新』そのものも疑っている。
そもそも『明治維新』などという言葉も、実際の明治初年頃には登場していない。
人々は『御一新』と言っていたようだ。
『明治維新』という言葉は、司馬が言う、日本が劣化して行く極みの昭和年代に入ってから盛んに使われだしたようだ。
著者の原田は彦根に縁の深い生まれのようで、徳川親藩の井伊家にシンパシーを抱いているのか、江戸時代そのものに旧時代などと悪い印象は持っていない。
彼の主張は、江戸幕府を倒した事件は長州、薩摩によるクーデタだったというものである。
皇室もそのために利用された。
そもそも、長州は初めから官軍などではない。
禁門の変で皇居を襲った朝敵だ。
それが江戸に向かう討幕軍に『錦の御旗』なるものを持たせて官軍を名乗った。
結果的にそのクーデタが成功したので「勝てば官軍」という言葉が広がった。

  確かに明治以降の日本は薩長土肥が支配するといわれてきた。
その礎をきづいたのが吉田松陰で彼の松下村塾が聖地のように言われ、彼も一番の功労者のように祭り上げられている。
しかし彼は単なるファナティックな国粋主義者でテロリストだと断じている。
壊滅的被害を受けた敗戦後も長州が作った日本の支配体制は続いている。
日本の軍国主義がこの壊滅の原因だったと言葉では語られても、その本質まで深堀した議論が行われていないのも、いまだに長州支配が続いているためだという。
読んでみれば、確かにこんな風に捉えることもできるなと思う。

  お祝いだとする明治百年が佐藤栄作、百五十年が安倍晋三と長州出身の総理大臣が当事者になろうとしている。
最近話題の昭和天皇退位についても、安倍晋三は国粋的な右翼なら許せないようなことを行っているらしい。



バラの剪定、寒肥もすべて妻がやった。
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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
来月はその禁門の変の古文書です (きのさん)
2018-01-21 22:52:02
来月の古文書は、その「禁門の変」や「長州征伐」の古文書です。欠席は残念。

明治維新の暴挙は、文化大革命に似たところがあります。廃仏毀釈は有名ですが、その後、神社も村に一社として、合祀が強要され、多くの神社が無くなりました。熊楠たちの反対運動があったことは有名です。その反対理由を読んで行くと、その暴挙の程がよく知れます。結果、神社の数は10分の1ほどに減らされました。その明治維新の中核になった人たちの年齢の若いことには、今さらながら驚きます。

で、また西郷さんですか。

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