古くからこの地帯では死者を棺桶に入れて崖に安置する風習が続いていた。
足場を組んで崖の中腹に落ちないように固定する。
こうして年月が経ち、棺桶が風化して遺骨が地上に落ちてくると別の場所に埋葬する。
崖の中腹に吊り下げられているのでハンギング・コフィン(吊り棺桶)と呼ばれている。
鄭・蔡の両氏は洞窟探検が主目的だったというので別行動にする。
昼過ぎのバギオ行きのバスで落ち合うこととなった。
街の観光案内所で、入山料を支払い、指定されたガイドと歩き始める。
現在の墓地がある丘を登ってその先にある崖を目指す。
ガイドのおばさんは、ハンギング・コフィンを見た後、谷の奥を回るオプショナルを付けてくれという。
棺桶が300、追加が700の合計1,000ペソだ。
はじめは追加はいらないと断ったが、谷の景色風景がよかったので、続いて歩くことにした。
ガイドは大層喜んだ。
ハンギング・コフィンは日本のテレビで取り上げられたのを見たことがあるので目的地に入れた。
下の谷にはコーヒー栽培の畑やサトウキビの畑などがあり、その谷は大きな洞窟から流れ出ていた。
痛い脚で2時間ほど歩いて、昼にバスターミナルでバスに乗った。
昼食をとる時間がないと思い、クッキーなどを仕入れてバスで二人を待った。
二人は洞窟で腰まで水につかりながら中を歩いたそうで大層喜んでいた。
バスは高い稜線を縫うように細い道を通てバギオに夕方着いた。
正規のルートが通行止めらしく大回りして6時間かかった。
バギオはアメリカ統治時代アメリカ人の避暑地として開発された街だ。
ショッピングモールなどもある都会だ。
しかし、坂が多く歩くのは辛かった。