オリジナル「107ソングブック」  Original  natarsher seven

全く、個人的趣味の音楽の一つ。高石ともやとナターシャセブン。
「107ソングブック」の曲をオリジナルの歌詞で

蛍の光 Auld Lang Syne

2013-05-15 | natarsher seven

蛍の光 Auld Lang Syne

 

 

Should auld acquaintance be forgot,
And never brought to min'?
Should auld acquaintance be forgot
And days of auld lang syne?

 For auld lang syne, my dear,
 For auld lang syne,
 We'll tak a cup o' kindness yet,
 For auld lang syne.

 

We twa hae run aboot the braes
And pu'd the gowans fine.
We've wandered mony a weary fit,
Sin' auld lang syne.

 Ref

 

We twa hae paiddled in the burn
Frae morning sun till dine,
But seas between us braid hae roared
Sin' auld lang syne.

Ref

 

And ther's a hand, my trusty fiere,
And gie's a hand o' thine;
We'll tak' a right guid willie waught,
For auld lang syne.

Ref

 

なつかしい昔(三宅忠明:訳)

昔なじみは忘れられ、
心に戻っては来ないのか。
昔なじみは忘れられ、
昔の日々とおんなじに。

 なつかしい昔の日々のため
 友情の杯を交わそうよ。

ふたりで丘を駆け回り、
綺麗なヒナギク摘んだよね。
どこまでもどこまでも彷徨って、
脚が棒みたいになったよね。
ref

日が昇ってから、昼過ぎまで、
小川でバシャバシャやったよね。
近くで海がごうごうと、
大きな波音立ててたね。
ref

さあ、握手だ、君の手も
しっかりと握らせておくれ。
そしてよろこびの一杯を、
たがいに酌み交わそうじゃないか。

ref

 

 

古い英語の歌詞です。そしてその訳

しかしながら日本人にとっては、やはり「蛍の光」といえば

 

蛍の光、窓の雪、書読む月日、重ねつゝ、 

何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く。

 

止まるも行くも、限りとて、互に思ふ、千萬の、

心の端を、一言に、幸くと許り、歌うなり。

 

筑紫の極み、陸の奥、海山遠く、隔つとも、

その眞心は、隔て無く、一つに尽くせ、國の為。

 

千島の奥も、沖繩も、八洲の内の、護りなり、

至らん國に、勲しく、努めよ我が背、恙無く。

 

特に四節はかなり当時の政治状況を書いているために、ほぼ歌われないでしょう。

中には「台湾の果ても 樺太も」という歌詞もあったりします。

 

ところで

スコットランド民謡がなぜ日本に「流布」されたのでしょう。

明治期、西洋音楽を取り入れるためにヨーロッパに派遣された音楽教師たちがさまざまな音楽を学んで聴いて、日本人に最もふさわしいメロディーとしてスコットランドの音楽を取り入れました。

だから昔の音楽にはスコットランド民謡が数多く載っているのでしょう。

本来、そのまま行けば日本からも「ビートルズ」が生まれ、世界に通用する音楽の発信地として存在し得たと思われます。

それがこういう風になった大きな原因は「古賀政男」の存在です。

彼が韓半島の音楽をあたかも「日本古来の音楽だ」と主張し、流行させたことによって日本の音楽は半世紀遅れてしまいました。

世界に通用する音楽、日本の音楽シーンがそこまで取り戻すのに、70年代の「加藤和彦」、「はっぴぃえんど」までかかったといえるのです。

もちろんそれまでも「借り物の音楽」を使って世界で活躍した人はいたでしょうが、「日本初の音楽」としてはそこまで時間を必要としました。それも既存の音楽を否定して初めてできたのです。

 


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