オリジナル「107ソングブック」  Original  natarsher seven

全く、個人的趣味の音楽の一つ。高石ともやとナターシャセブン。
「107ソングブック」の曲をオリジナルの歌詞で

オホーツクの舟歌

2022-08-27 | 鹿児島弁

オホーツクん 海原 ただしろっこいちっせ

いのっあっもんじゃって くろか雪ん下

春んまっきもっんな ペチカいもやすぃ

哀れ東(ひんがし)なぁオーロラせんなか

 

はずれん番屋なぁ 命ん火 ちろちろ

トドんなっ よいんな むぜかおごじょなめめんに

だいにはなすいか こんせんねさ

ランプんあかいに うんなっだっじゃが

 

スズランなみどいが ゆっどけいひかっせ

アイヌんこぶいが ほきんとけきこゆい

シレトクん春いな うんなほへいっどか

いおといんかいな うんなひかっが

 

オレーオレー オーしコイ

おきんふしゃ 舟歌

あきあじだい えりゃんさ

あぐいあみゃ 大漁

とえか国後  わが ふりやしっ

いっでんか はけまいっ おやっさなぁ みさっな

ぬくん そろいと

 

 

よく知られている知床旅情の元歌詞。

オホーツクの舟歌

歌っているのは 倍賞千恵子さんが有名、というか彼女はこの歌詞でしか歌っていないと思う。

私は樺太引揚者二世で、樺太に墓があったらしいけれども、そして母親の育った土地に行ったこともない。

もう北方領土引揚者は四世の時代になっている。

最後の歌詞は

「いつの日か 詣(か)もでん み親の墓に

眠れ静かに」

 

 

 

 

 

 


唇をかみしめて

2022-08-21 | 鹿児島弁

てげてげなわろじゃいがち うっちぇおっくいやい

おはんといっしょき    なっかぶぃすぃ気はなか

どけいったろかい     なんかよかこっでんあっとけ

すん気ぃでんなったぁ   手紙(てがん)どん出しっくぃやぃ

 

季節(きせっ)もいくっか   訪(たん)ぬぃ来っじゃろが

とっがさるっとぃ わからじおっせぃ   せからしかと じゃっちよ

人(しと)ん 好っじゃしと しとん 好っじゃしと 

捌っとん 捌かんとぃ 空ぃ任したとよ

人(しと)ん おっがね 人(しと)ん そけ おっとよネー

 

なんかちワカラン     たらんとぃが あったろや

生きみたとぃじゃが    許さるぃこっじゃろや

わがんあしたどん     みひけださんもんじゃぃが

いしれんこっ すぃやっち  われかぶらんじおっせぃ

ぎどんでぼんのなんだ   わがもんにでくいとならぁ 

どいどんかけっせ すったぃうっせてん ふがよかぁ なっいっでね

人(しと)ん なっがね 人(しと)ん なっがね 

えいもえらんとぃも  風ぃ任したとよ

人(しと)んおっがね     人(しと)ん そけおっとよネー

 

きもぃどんさみかっせぃ  たっどん出れんかったが

おはんないっきゃんせ とえとけいっきゃんせ 何じゃなかたっでね

人んよんちょいが しとんよんちょいが  行ってんおってん  そいぞいんみっじゃしと

人(しと)ん いっちょいが 人(しと)ん そけいっちょいが 

人(しと)ん おっがね 人(しと)ん そけおっとよネー

 

 

 

そもそもの原曲が「広島弁」なので、それをかごしま弁になおすのがちょっと苦労しました。

とはいえ吉田拓郎氏は鹿児島育ちの時代もあったので、やはり鹿児島弁になおしたいなぁと。

名曲「夏休み」は鹿児島の小学生時代の事をうたったもので決して広島の反原爆、反戦歌ではないことは氏自身が語っています。

実は個人的には「元気です」で吉田拓郎氏を聞かなくなったので氏を語るだけの資格は無いのかもしれません。

しかし氏がいたことでフォーク=反体制、反戦のメッセージソングでなければならない、というフォーク原理主義の呪縛から本当の意味での自由に歌ってよいのだという若者の音楽になり得たと思います。


葛飾にバッタを見た

2022-08-20 | 鹿児島弁

きの とっぜぃ みちんとけぃ        ふりぃか どしどな おった

「わや こんころぃ いけんしちょっとよ」  そげん たんらっときぃ

ギターどんかかえ 歌どん歌ちょっちぃち    すったぃいえんじゃったし

「おや かいしゃん うえんほぃなれた」っち そげんゆわれたどんから

おや まだどこひでんうろうろしちょっち   すったぃいえんじゃったし

「わや どけすんじょっとよ。おや天文館とけぃ マンションにいったっどいかぁ」

おいは かたむいちょっ そんたんあぱーとぃ  おっち すったぃいえんじゃった 

「いっどどま あそんけこんか くるまいむけくっでね」

おいはいまどっ ふんころばかぃ のったこっしかなかとぃ

あや くるまい のっちょったろかい

 

「ひさいかぶいおたたっで めっでもくわんか」と 

わっぜかよかれすとらん  まえいったどんから

おや あんフォークとナイフをじょじつこえんじ

とんかつどんださるっと       きっそこなっせぃ したぃうっすっかもしれんじゃっし

 

そんうえぃ おや したぃうっせたとんかつどん   くっかいもしれんでや

わりどんから おいははらいっぺじゃっち ことわっとよ

 

そいが いまんはんっすぃたびぃ     おや つらんわりばっかいじゃった

ほいじゃ また ち ひといでかたっせぃ  はっちいっ あいに 

おいや そんやっうしとぃ わっぜこまんか とい 

わがすんじょとけぃな ほいでや わがすんじょとけぃな

ぶげんしゃどんどめ わっぜぃか ぼりわっぜいかおったいろかぃ

じゃどん わがすんじょとけぃな ぎみたっ うぜけんな おらんじゃろいや

 

きの こうつっがわどん さるっちょたや そらぁうそんごち みごてじゃったし

ほいで つんなうえぃや ほい ぎみがぁ あすっさろちょったし

 

もっ おはんなぁ そんたぃ こといきんみちゃ こうつっがわぃでん くりゃよかが

ぶげんしゃんだいもおらんどんかぁ ぎみがぁ あすっさろちょっじゃろいで

 

きの こうつっがわどん さるっちょたや そらぁうそんごち みごてじゃったし

ほいで つんなうえぃや ほい ぎみがぁ あすっさろちょったし

 

 

 

東京の地理に詳しくないので葛飾がどういう環境にあるのか知らないのだけれど、バッタが飛び交う荒川が流れているのかなぁ。

これを歌ったなぎらけんいち氏は中津川のフォークジャンボリーでデビューしている。

その時に歌ったのが「教訓Ⅱ」ちなみにこの時10代!

現在は日本最高のカントリーシンガーであり、事実上の「日本最大の放送禁止曲歌手」

もっとも最近では放送禁止曲制度が形がい化しているのでこの称号もなくなるのだろうが音盤にならない曲が山ほどあるという。

 

 


水虫の唄

2022-08-19 | 鹿児島弁

いけんかいけんな ひっぱなれちょってん  おいなわいな きゃすれんでね

なっどんなったぎぃ おめですいが     わいといるっちょった あんうんぎい

せんねかっ うずっちょい みっむいな   わいとおいたっ ぼんのんあけっじゃ

いけんかいけんな ひっぱなれちょってん  おいなわいな きゃすれんでね

 

わいがうつしっ みっむいな        今でんおいな 悩んじょとい

せんねかっ うずっちょい みっむいな   わいとおいたっ ぼんのんあけっじゃ

いけんかいけんな ひっぱなれちょってん  おいなわいな きゃすれんでね

 

 

フォークルの別名義「ザズートルビー」。ずうとるび とは全く違うグループ。

このバンドのコンセプトは「種子島出身のビートルズコピーバンド」だったらしい。

この曲自体は神戸ポート・ジュビリーで活躍していたメンバーのオリジナルで、ザズートルビーがレパートリーに入れて発表した。

メロディはどこかで聞いた気のするクラシック(からパクった?)