秀策発!! 囲碁新時代

 「囲碁は日本の文化である」と胸を張って言えるよう、囲碁普及などへの提言をします。

強くなれる楽しさ ~王貞治の場合~

2013年03月18日 | 囲碁と、日本の未来。
  長嶋茂雄や王貞治は、今の野球選手の何倍も練習していた。当時を知る関係者はそう振り返ります。但し王貞治本人は、
  「誰よりも才能ある自分が人一倍努力したからこそ、記録が打ち出せた。結果が出たから、野球が楽しかった」
  と、『100年インタビュー』というNHKの番組内で語っています。
  よい成績は、優れた才能と人並み以上の努力から生まれる。その結果、よい成績が出るから野球が益々楽しくなる。王貞治さえ打撃不振の年はあったが、希望が見えていたからこそ野球はいつも楽しく、練習は苦しく感じ無かった。

  自分自身に才能はあるのか、今やっている練習でよい結果が残せるのか、この2つの疑問が、年齢性別を問わず、全ての競技選手が抱えているジレンマ。それを一切無視し、努力と精神力のみで成果が出せると思い込んでいる指導者が実に多い。例えば歯の噛み合わせが少し悪いだけで体全体のバランスが悪くなり、十分な力が出せない、なんて言う事がある。結果が出ないのは練習不足と誤解してしまうと、益々練習量を増やす。その結果、スランプのサイクルに陥り、体を痛めるだけ痛めて、成績不振のまま競技人生を終わらせてしまう。

  正しい方向を向いていない努力は、いかなる事をしても成果は結ばない。では今やっている練習や勉強は何の目的があり、何の裏付けがあるのか、指導者がまず理解しなければ、努力も無益の徒労に終わってしまうのです。


武道の科学者 ~嘉納治五郎の場合~

2013年03月04日 | 囲碁と、日本の未来。
  いじめや体罰による自殺問題。そんな昨今、講堂館創始者の嘉納治五郎に注目が集まっています。
  生来虚弱であった嘉納は、自らを鍛える為に大島一学(柳生心眼流)福田八之助(天神真楊流柔術)、磯正智(同門師範)、飯久保恒年(起倒流)らに師事。当時の柔術指導は上手が下手を一方的に投げつけるもっとも古典的な指導法を採っており、下手は自らの努力のみで技を身に付けるしかありません。どうすればいいのかと訊ねても、
  「数さえこなせばわかる」
  と言われるのが当たり前。
  頭脳明晰な嘉納、そんな事で満足しません。東京大学を卒業した後に彼は、これ迄身に付けてきた柔術の動きを、数学や諸科学の知識で日本の諸武術を解明。独自の柔道理論を作り上げたのです。

  嘉納によって完成された日本柔道。そこに嘉納自身の苦い経験を思えば、いじめなどは絶対赦してはならない事ですし、体罰指導なんては尚更。

  日本の武道や芸事は型と作法が大事と言われていますが、それはいずれもが、先人達が見つけ出した力学の集大成。
  「柔よく剛を制す」
  細身の古武術の達人が、大柄の柔道の日本代表選手を軽々と投げ飛ばす様子が取り上げられた事があります。これをやってのけるのは筋肉ではなく、相手の動きや力を利用しているからなのだと言う。もしかしたら日本の武道とは、人間が生来持っている可能性を引き出す教えなのかも知れません。