秀策発!! 囲碁新時代

 「囲碁は日本の文化である」と胸を張って言えるよう、囲碁普及などへの提言をします。

電力問題の未来2

2012年08月20日 | 囲碁と、日本の未来。

2;節電は脅迫か?

.これまで電気を浪費していながら、国や電力会社より節電の要請が出ると、電気消費は不謹慎だ、被災者に対して失礼だという風潮が噂として聞かれる様になりました。節電は社会インフラにも及び、東京等の首都圏では信号や街頭までが消され、結果として交通事故や窃盗などが一時的に急増。これは震災絡みの問題では無く、今の日本の都市経済が実に不摂生で、何がどれだけ必要かという身の程をわきまえていないという証拠。節電節電のオンパレードは滑稽にあらず迷惑行為。被災者の為には、病院や介護施設などの医療福祉機関や、家族経営の様な中小零細零細の町工場も協力しなければならないのか。もしも節電目標をそのまま守れば、入院患者・救急搬送患者・寝たきりで介護を受けている人達は生死に関わる問題に発展する。中小零細企業では仕事が出来ず資金繰りが悪くなり、破産に追い込まれる恐れもある――

.震災発生より半年ほど経った頃、
「停止している原発を動かして欲しい、電気がないとおじいちゃんが死んでしまう」
.と、自宅介護をしている人達から新潟県柏崎市に対し再稼働をお願いするメールが何軒も届いたと、TBS系列の報道番組で取り上げられていました。

.命や健康を害してまで、仕事や財産を捨ててまで節電してくれとは、少なくとも私は思っていません。まずは電気の使いすぎをやめ、それでも足りなければ出来るところから何かしらの対策をするのが、社会的負荷の軽い、道理に叶った節電と考えます。

.また以前、
「『がんばろう日本』『絆』『ひとつになろう』のキャッチフレーズは嫌い」
.という旨の感想を、永六輔さんはご自身のラジオ番組にておっしゃっていました。被災者の為に我慢や努力をしなければならない、その精神を社会的弱者にまで押し付ける人や風潮に危惧されていたのです。個別の事情を無視しては押し付けや脅迫となり、せっかくの善意も社会悪を産み出す根源となりかねません。

佐々木修先生の一周忌によせて

2012年08月07日 | その他

 『知恵は真剣勝負が生む』という、阪急グループの創業者、小林一三を取り上げた本があります。彼は、鉄道や百貨店といった生活に欠かせないビジネスから、宝塚歌劇等の娯楽産業迄を手広く行っていた人。もう少しつっこめば、平成に繋がるビジネスモデルやライフスタイルを、大正や昭和初期の頃に提案していた稀代の経営者。そして、私が最も尊敬する人物。

 彼に関しての話の折り、ある疑問を持ち出した事があります。
「囲碁が強くなる為には、真剣勝負の場を踏まなければならないのでしょうか」
 これに対し、
「あまり関係は無いと思いますよ」
 と返答されたのが、碁席秀策の師範、佐々木修先生でした。


 本日8月7日は、佐々木修先生の一周忌です。


 当店席亭の桑原さんもその一人ですが、佐々木先生を『真剣勝負士』と評している人は多い。しかし、当のご本人はそうは思ってはいらっしゃらなかった様子。真剣勝負士であれば気迫や闘争心を語るはずですが、佐々木先生からは一度として聞いた事がありません。打ち碁の良し悪しを決めるのはあくまで石の形であり、読みのチカラである。これが佐々木先生の訴える囲碁上達のテーゼでした。

 佐々木先生は真剣勝負士でないというのは、経歴を振り替えれば分かります。
 当店とも深い縁のある菊地康郎先生や三浦浩さん。お二人はアマチュアの全国大会で幾度も優勝された実力者。また、大学囲碁界の最盛期を作り出した牽引役。ご存じの方もいらっしゃるでしょう。
 そんなお二人とは違い、佐々木先生は長年碁会所一筋であったそうです。生家のある八丈島から東京都心部に移られてからは、中野区や渋谷区の碁会所にいらっしゃっとか。彼の頃の東京の娯楽の主役は囲碁、将棋、花札等。
 囲碁が大衆娯楽として今以上に盛んな時代、兎に角強く、碁会所だけで生活できるという実力者は憧れであり、時には憎悪を向けられる対象でもあったようなのです。素人棋客でありながらそれほどの実力を得たのは、『御城碁譜』という大作を編纂された渡辺英夫先生の元で修行されていた為。しかし時代が悪かったのか、囲碁界でも派閥意識の強く、
「筋のきたない賭け碁師」
 という悪評まで広がった事で、公式の大会からは身を引かれたという。
 しかし、雑誌企画にて梶原武雄先生と対局された事が、大きな転機でした。下馬評では梶原先生が圧勝。当時昭和39年の梶原先生は、無敗を誇っていた坂田栄男王座に挑戦手合いを打たれた年。また院生師範という事もあり、素人相手に決して負けてはいけない立場にあったのです。しかし思わぬ事に、梶原先生、ヨセで失着を繰り返してしまい投了。プロの中でも最高峰の一人相手に、定先で中押し勝ちの快挙を成し遂げるのです。その碁を振り返った梶原先生は、
「(噂とは全然違って)きれいな碁を打つんじゃないか」
 と感想を述べられたようです。以降、今でいうトップアマの実力評価が見直されるきっかけにもなったとか。
 それでも流された悪評を完全にかき消す事は出来なかった様ですが、後年、多くの若者や院生が佐々木先生の指導を請い、その中から山下道吾本因坊や謝依旻女流本因坊が巣立った事を考えれば、梶原先生を投了に追い込んだ実力は本物だったのです。

 私自信、幾つか聞きそびれてしまった事があります。佐々木先生が渡辺英夫先生の所で修行される様になった経緯について。渡辺先生は執筆活動の為に手合いを休まれていた時期があり、その頃に『御城碁譜』の編纂をされたそうです。
 そんな環境に身を置かれていた事もあり、囲碁界の流行りすたりに流される事無く、打ち碁を正当に評価できる観察眼の持ち主でもありした。

「老人の死は図書館一つ無くしたも同然」
 アフリカにある古いことわざ。オスマン・サンコンさんの講演会で聞きました。院生を鍛えるだけのチカラを有しながら、長年碁会所一筋で指導碁を打ち続けた人。
「『碁席秀策』の佐々木には関わるな」
 という話もありましたが、風説の様な賭け碁師では無く、歴史や文学や落語講談に造詣が深く、社会見聞も広く、知才に満ちた賢人でありました。
 はじめに述べました通り、『真剣勝負士』という言葉が似合わないとしたら、どなたかがネット上で述べられていた、
「学者の様な人だった」
 と言うのが適切かもしれません。

 佐々木先生のご逝去から1年。佐々木先生の指導を受けた無名の若手プロも居り、残念ながら才能実力があってもプロになれなかった人たちも大勢います。これからは佐々木先生に代わり、彼ら彼女らの将来を私は見守るつもりでいます。

電力問題の未来1

2012年08月06日 | 囲碁と、日本の未来。


1;利便性の死角

.東日本大震災から1年過ぎ、今年の夏もまた電気の供給の問題が議論されています。特に東京電力圏や関西電力圏では、今年もまた計画停電や電気料金値上げの話しがあり、地元自治体、住民、民間企業が困惑している事は全国ネットのニュースで取り上げられています。一方で、火力発電の燃料は値上がりしている、原子力発電は使えない、だから供給は難しいと訴えるのは大手の電力会社。この対立に解決の糸口は見えるのでしょうか。

. 私の知人女性。6年程前になるでしょうか、彼女がまだ独身の頃、電力会社の某重役から、
「結婚したらオール電化にしてね」
.と言われたそうです。これはよくあるセールストーク。その一方で、ガス会社もまたガスの利用促進の活動をしていました。そんな都市部における電力会社とガス会社の対立の様子は、地方にいても見聞きする機会はありました。
.その頃の都心部のアパートやマンションに住む人達には、電気はガスより安全というイメージがあり、できればオール電化にしたいというニーズが大きかったようです。

.それから数年経ち、日本列島の広範囲で豪雪被害がありました。鳥取県で発生した、ドカ雪の中の大渋滞の時です。
.あの冬、豪雪地帯で知られる福島県の会津地方でも、相当な被害が出たと記憶しています。雪による停電もありました。
.その折、会津地方のある民家の話。そこではオール電化にしていた為、暖房も含め全ての家電が使えなくなった。ストーブもエアコンも使えない豪雪の中、どうやって極寒をしのいだか。その家には幸いにも囲炉裏があり、寝る時には囲炉裏の炭火で沸かした湯をペットボトルにいれ湯タンポ代わりにしたという――

.この様に、自然災害が起きれば文明の利器が全く使い物にならず、古い財産に救われる事もあります。オール電化一辺倒には以前より若干の違和感がありましたが、民家の被害を知って以来、実は危険すぎるかもしれないと私は思うようになったのです。自分達の生活を守る為には、眼前の流行にとらわれる事無く、せめてもう一つの安全策を用意しておく必要があるのです。

.電力会社がオール電化を販促した背景には、過剰に発電していて余った電力をいかに売るか、つまりは利益優先、電力会社の一方的な都合だと批判する専門家の声が、震災以降聞く様になりました。余った電気の無駄遣い、これには心当たりがあります。震災前、都心部の夜の繁華街では無駄としか思えない照明が煌々と使われていました。震災後、自主節電にて少し暗くしたら、居酒屋が外の通行人に見せる為に設置していたメニューが見やすくなった。集客の為に使っていたはずのあの明かりは一体何だったのでしょう。特に作家の玄侑宗久さんは、
「どうして便座の開け閉めにまで電気を使わなければならないのか」
.厳しい批判というより呆れたという感想を述べられていました。