雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「辞世の時」 第四回 大津皇子

2014-01-11 | エッセイ
   「姉君、名残り惜しゅうございますが、これにて今生のお別れでございます」
 大津皇子(おおつのみこ)は、都から伊勢神宮の斎王(さいおう=皇族出身の巫女)である実の姉、大来皇女(おおくのひめみこ)に逢いにきていた。 大津は23才、姉の大来は25才、共に天武天皇の実子である。 大津は文武に長け、皇子でありながら少しも偉ぶることなく、周りの人々への心遣いがある好青年で、体格、容姿ともに優れ、誰しもが皇太子の候補だと確信する人気者であった。
 天武天皇には、二人の妃がいた。 大津の母である太田皇女と、その妹鵜野讃良(うのささら)である。 讃良にも草壁皇子(くさかべのみこ)という大津より1才年上の子が居た。 太田皇女は我が子大津が4才のときに薨去(こうきょ)したが、もし生存していれば、間違いなく皇后であり、大津が皇太子になっていたと思われる。 しかし、讃良が皇后となり、草壁皇子が皇太子となった。 草壁は大津と違って頼りなく、母親の指示が無いと何も出来ず、大津の評判があがれば草壁の地位が危ういと心配した讃良は、大津を亡き者にせんと企んだ。 讃良は大津の親友であった温厚な人物川島皇子に目を点け、大津の架空の謀反(むほん)を密告させた。 川島は大いに躊躇したが、讃良の圧力に屈し、この悪役を引き受けてしまった。

   「姉上様、私は決して謀反など企んでおりません。どうぞ姉上様だけでも信じてください」
 別れ際の大津皇子の言葉に、泣き崩れる姉皇子を残して、大津皇子は未練を振り切るように踵を返して大来皇女の前から去って行った。 弟の生きた姿を見るのは、これが最後なのだと思うと、とめどなく溢れてくる涙を拭うことも忘れて、弟の姿が見えなくなっても、いつまでも佇んで見送っていた。

   ◇わが背子を 大和へ遣ると 小夜更けて あかとき露に 我が立ち濡れし◇

 弟を都に帰すと夜は更け、やがて明け方になっても佇んでいたわたしは、朝露に濡れてしまった。

   ◇二人行けど 行きすぎ難き 秋山を いかにか君が 一人越えなむ◇

 二人で越えても寂しい秋山を、弟は独りでどのような気持ちで越えているのであろうか。
 大津は夜道を一人で歩いていた。 このまま都に戻れば、謀反の罪で死を給わるに違いないことは判っている。 親友だと思っていた川島皇子が、どうして自分を陥れるような嘘をついたのだろうか。 あれ程仲が良かった義兄草壁皇子が、どうして自分を疑ったのだろうか。 考えれば、悔し涙が溢れくる。

   ◇ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ◇

 大津皇子の屋敷近くの磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を見るのも、今日が最後となり、自分は雲の上に消えてしまうのだ。(ももづたふ…枕詞)

 大津皇子は、屋敷に戻ったその日に捕えられ、即刻死を給わった。 大津皇子の自害現場に妃の山辺皇女が駆けつけて泣き崩れ、彼女もまたその日のうちに自害して果てた。 大津皇子と妃の亡骸は磐余の堤に埋められそのまま放置されていたが、後に斎王を辞した姉大来皇女が改葬したようである。

 草壁皇子は、仲が良かった異母弟に謀反の濡れ衣を着せて死なせたことへの自責の念に苦しんだに違いない。 大津の死から三年後に、27歳の若さで彼もまた薨去した。 

 後の世に悲劇の皇子大津の怨霊物語が生まれるのだが、かなりの部分がフィクションだと思われる。 大津の辞世の歌とされる磐余の池の和歌も、多分後の世の大津皇子ファンが足したものではないかと私は疑っている。 では、丁重に葬った二上山の山頂にある大津皇子陵に、亡骸(なきがら)も埋葬した形跡すらも無かったというのは何故だろうか。 これもまた後の世に「悲劇の物語」に合うように造られた「陵墓」に違いない。 その陵墓を造らせたのは、大来皇女の次の歌だと私は思う。

   ◇うつそみの 人なる我れや 明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)と我が見む◇

 この世にある自分は、この世の者ではない弟の姿を見ることは出来なので、明日よりは二上山を弟と見ましょう。
 この歌に合わせると大津皇子の陵墓は、二上山の頂上にあるべきだと考えた人が造ったのであろう。 実際には大来皇女が弟を改葬したのは二上山の麓で、昭和に入って発掘され鳥谷口古墳と名付けられたささやかな古墳であったようだ。 謀反の罪を着せられて死を給わり、手厚い埋葬も許されなかった弟の亡骸を、人目を避けてこっそりと改葬した姉の愛情が偲ばれよう。

(伝説を参考にして書いた猫爺の想像です)

      (原稿用紙6枚)

第一回 宮沢賢治
第二回 斉藤茂吉
第三回 松尾芭蕉
第四回 大津皇子
第五回 井原西鶴
第六回 親鸞上人
第七回 滝沢馬琴
第八回 楠木正行
第九回 種田山頭火
第十回 夏目漱石
第十一回 十返舎一九
第十二回 正岡子規
第十三回 浅野内匠頭
第十四回 平敦盛
第十五回 良寛禅師


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