風に吹かれて~撮りある記

身近な自然の撮影
詩・雑文・ペット・簡単料理レシピ等

お墓

2012-11-30 09:33:46 | 花撮り
こんばんは

ずいぶんとご無沙汰しております。

心が風邪を引きまして、弱ってました。

やっとよくなってきたのです。

いろんな事柄が重なりました。

すべて解決してはいません。それどころか

ますます困難になりそうです。

めいりますよね。

相続の問題やかみさんの実家との確執などありましてね。

対人関係はそれぞれの思惑があってうまくはいきませんね。

昨日は相続問題で無料の相談をしてきました。

やはり弁護士さんを立てたほうがいいようです。

紹介はできないので直接秋田に電話するようです。

費用はかかりますが仕方ないでしょうね。

弁護士さんを紹介してもらって、一度秋田に行くようです。

お金がかかるようにできてるんですね。

でもそれで進めましょう。

確執は困りましたね。こちらのほうが始末が悪いです。

しかも介護問題も含んでます。

小意地の悪い爺さん、ばあさんには困ったものです。

私のことだけが嫌いなんです。

まあ好かれたくもありませんが。

何かにつけて実家に帰って来いといってます。

自分達の介護をして欲しいからです。

また自分達の何何家というのも守りたいらしいのです。

気持ちはわかりますが、私の家はどうなるの?

家というのも途絶えることもありですし、

無理やり子供達に後を頼むのも酷だと思います。

時の流れですよ。

私のことをずうっと拝んでくれなくてもいいですよ。

せいぜい子供達が時々思い出してくれれば十分です。

お墓や位牌など要りません。

それらを維持したりするのは無用なことと思います。

千の風になって

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る


私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって

あの 大きな空を 吹きわたっています

あの 大きな空を 吹きわたっています


こんな歌がありましたね。

風に吹かれるのが好きな私もこういう気持ちなんです。

かといって否定するものではありません。

他人の意見ですから千差万別で結構です。

今のままで行くと私の代で家は消えます。

しかしそれでもいいんです。

子供達の姓が変わったとしても私達の子供です。

育てた私達のことをたまに思い出してくれればいいんです。

父母のお墓は秋田においておきます。

兄弟達と一緒にいます。そのほうがいいでしょう。

一年に一度はお墓参りにいこうかと思ってます。

娘達も連れて行こう。

相続にからんで、お墓はどうするだとか、位牌はどうなんだとか

いろんな問題が起きてきます。

今までの常識とされてるやり方では対応できなくなるでしょうね。

時代が変われば変わっていくものです。

九州にお墓があって自分は東京に住んでいる。

等という人はたくさんいます。

必ずしもお墓を持ってくることがいいとは思えません。

負担がかかりすぎます。

ひとつの家に位牌が2種類あるなどということもたくさん出てきてます。

お墓や位牌のあり方もひとつではないのだと思います。


旧い頭でこうしなければいけないのだといってたら、

何も進みません。もめるばかりです。

この世に絶対などというものは存在しないのです。

大事なことは祖先を愛し敬うことです。

お墓や位牌はそのためのものです。

お墓をもてない人だってたくさんいます。

だから親不孝だなんていえませんよ。

やっと落ち着いてここまで来ました。

しかしなんて硬いんでしょうね。

年をとることの弊害ですね。

変えられないんでしょうね。いや変えたくないんでしょうね。

まだまだもめそうですが、なにくじけませんよ。

先日昔仕事をしていた栗橋に行って見ました。

イチョウを見に行ったんです。

冬桜もあったんですがなくなってましたね。

金色の雄姿を見てたら心が落ち着きましたね。

2~3回に分けてご覧いただきましょう。

明日はいつもの沼でも言ってみようかな。


  

  

  

  

  

  

  

  

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北風2411

2012-11-21 14:49:08 | 花撮り
こんにちは

北風が冷たいですね。

今日はお休みしました。

行ったことは行ったんです。

でも調子が悪くて、いつもの仕事ではなかったので、

思わずい忙しくないのであれば午前中だけでは

だめですか?

調子悪いの?

じゃあ帰ってもいいよ。

はいそうします。帰ってきました。

このままでは完璧に風邪が悪くなります。

悪くなってからでは完治するのに時間がかかります。

守衛さんが変な顔をしてましたが、戻りました。

このごろは体調が悪いんです。

年ですかね。

どうも風邪気味なんです。

体調の悪いのは2週間ほど前からです。

いろいろストレスですかね。

昨日は未来とお母さんと散歩に行きました。

一時間ほど歩いてお買い物です。

元気な子です。走ってましたね。

このごろは肩車をせがみます。

ほんの少ししてあげます。

男の子のようです。

このまま明るく元気でいてくれたらと思います。

買い物はハムスターの水差しです。

壊れてしまったんです。

ついでにハウルのおやつも買いました。

チューリップの球根も買いましたよ。

もう12月も近いですからね。

ここらで辞めておきますね。

元気になったらまた写真撮りにいきます。

近所の紅葉などです。

皆さんもお体気をつけてくださいね。

早く寝よう。



  

  

  

  

  

  

  

  

  

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調停

2012-11-15 10:37:56 | 花撮り
こんにちは

ご無沙汰しています。

いろいろなことがありまして、

落ち着きませんでした。

ちょっとつかれてます。

まあお話しましょう。

10日に仙台で兄弟皆集まりました。

夫婦ともどもです。

仙台の妹が集めたんです。

いつまでも決着がつかないのでは困るから、

私のところで集まろう。

そうです相続の話は進んでません。

私は秋田の末の妹の顔をみるのもいやなんです。

散々侮辱されましたからね。

それでも一度おいでよ、話し合おうよ、またけんかになってもいいからさ。

仙台の妹がそういうので出て行ったんです。

それで10日です

お互い新幹線で行きました。

駅からは妹のご主人が車で迎えに来てくれました。

気まずい空気の中、仙台の妹のご主人が進行役となって

話が始まりました。

私は処分してわけよう。

妹はそれに賛成です。ただ仏壇のことが気になってます。

秋田はあそこに住みたい、値段が折り合えば買い取ってもいい。

あれほど家を守るだの、私がすべて親戚付き合いもやるなどといってた

妹はそんなことを言い出しました。

10年もすんでたのに、家を出なくちゃいけないなんておかしい。

私が守ってきたのに。都合のいいことばかり言って。

仙台がすかさず、お前一人の家ではないでしょ。

みんなの家でしょ。仏壇を拝むことさえさせてくれなかったじゃない。

私だってお母さんの面倒はわずかだけど見たわよ。

自分だけ苦労したなんていわないでよ。

そうなんです。母の面倒を見ることが条件で

実家に住んでもらいました。

でも4年後くらいに、母はぼけて老人ホームに入ったのです。

それから約10年、家賃も払わず居座りました。(私の言い分)

それと母には置いてきた娘がいます。

私より2才年上かな。この人も相続の対象となります。

あとは財産です。父が亡くなったときに、

秋田の妹は母にすべてを譲ろうよといいました。

それが普通だよと。私は反対して何もしないことにしました。

相続放棄をしなかったんです。何もしなければ共有となります。

しかし父の残したわずかな現金などがどうなったのか

確認してません。わからなくなってるんです。

確定しなくてはいけません。

そこで妹のご主人が、調べてくれました。

家庭裁判所に調停を申し込むという手がある。

だれが申し込んでもいい。

財産の確定や相続人の確定をして、

調停案を提示してくれるよ。

そしたら秋田がそうなんだってね。と手帳を出して、

話はじめました。調べたんだ。

それぞれが自分の主張をすればいいのです。

結局私が秋田の家庭裁判所に調停を申し立てることとしました。

その前に裁判所や弁護士等に相談したほうがいいですね。

妹が何で方針を変えたのかはわかりません。

話の途中で、あの家を出たらどこに行こうかな?

困ったな。

実家に入ればいいじゃないか。入れるわけないでしょ。

実家の姉さん(子連れで出戻り)と折り合いが悪いんです。

いやもう大丈夫だよ。話がちがうじゃあない?

いやあはいっていいんだよ。夫婦でもめてました。

どうやら戻れるようです。

そのせいもあって義弟は買取に反対だそうです。

ただこの話の内容で、申し立てをどういう風にすればいいのかは、

プロへの相談が必要かと思います。

早く終わらせたいですね。

これに伴っての問題も起きてきました。

今度はかみさんの実家です。

こちらも頭が痛いです。

相続紛争はどこの家庭でも起こりうる問題です。

すんなりと解決したいものですね。

頭が痛いし、お金はかかるし、後味は悪いですしね。

お花の写真でもご覧ください。

疲れたので今日はゆっくりしてます。

明日は散歩に出かけましょう。


  

  

  

  

  

  

  

  
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ロッカー

2012-11-08 23:00:51 | 花撮り
こんばんは

今日もいい天気でしたね。

仕事でした。

でもとんでもないことがおきたんです。

会社に行ってロッカーに行きました。

着替えのためです。

でもないんです。私のロッカーが。

何で、同僚のはあるんです。ない。

回りすべて探しました。あけても見ました。ない。

着替えられません。靴がない、帽子もない、作業着もない。

いったん作業場に行きましたが、どうしようもなく

もう一度探しに行きました。ない。

俺って首かい。そんな。いやな空気です。

どうしたの?うんロッカーがないんです。

えーそりゃないだろ。ここじゃないかい、ここかい?

皆探してくれましたが、ない。

ありがとうといって作業場に戻りました。

若い子が来るのを待ちました。

あのねーロッカーがないんだけど。

荷物がないんですか?

ロッカーそのものがないんですよ。

えーなにそれ。わかりました。

チーフに聞いてきます。

朝礼には出られませんでした。

チーフと部長さんがやってきました。

ごめんごめん、たぶんこっちにあるよ。

まったく勝手に移動しちゃうんだから。

確認はしたんだろうけどね。

ここにないかい?

ここですか?名札もないしな。

アーこれだ俺の合羽があった。

靴がないなあ。

まあ着替えてから靴を探しに行こうよ。

またもとのところに行きました。

それらしい靴はありましたが、違います。

これでもいいかな。

靴は他人のものをはかないほうがいいよ。

水虫でもうつったら大変だよ。

そうだね。

靴はいくらなの。

26.5です。

でも大きいから26でいいです。

もしもし○○さん26の安全靴を用意してくださいな。

後で届けるからすみませんね。

いえいえありがとうございます。

持って行くなら持って行くで、一言言ってほしいよな。

まあ近くになったんだし勘弁してよ。

いえいえいいですよ。

仕事の始めが9時半でした。

新しい靴をいただきました。

物置みたいなところです。

平家です。下はコンクリート。

前のほうがよかったな。きれいだったし。

仕事が始まりました。

塗装です。

はいこれ、懐中電灯を渡されました。

ありがとう。○○さん。

俺ね、転属なんだ。明日でね。

えーそうなんですか。

どんなところですか?

よくわからないんだが、システムだって言ってたよ。

塗装のプロでした。よく教えてくれました。

優しくていつも何かと気を使ってくれました。

寂しいですね。

仕方ありませんがね。

今日はそんな一日でした。

昨日用水散歩に行きました。

紅葉が撮れましたね。

ほんの少しです。

ご覧ください。


  

  

  

  

  

  

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七五三

2012-11-06 10:10:47 | 日記
こんにちは

雨が降ってますね。

久しぶりです。木々が喜んでます。

今日はだれもいません。

未来も下の娘もおばあちゃん家です。

未来のママはお仕事をしてからおばあちゃん家に行きます。

ハウルと二人です。寝てますね。

先日11月3日(文化の日)に七五三のおまいりに行ってきました。

未来の3歳のお祝いです。

来年の4月で3歳になるんです。

大宮の氷川神社に行ってきました。

娘達もここでした。

特にお払いは受けたりしません。

お賽銭を上げてお参りするだけです。

車では駐車場のことがありますので、電車で行きました。

未来はベビーカーです、

着ている着物は50年も前のものです。

かみさんが着て、従姉妹が着て、二人の娘も着ました。

そして未来です。

汚れやほつれが目立ったようですが、

おばあちゃんが直してくれました。

氷川神社までは結構ありますね。

途中で腰が痛くなり、休み休み行きました。

30分くらいでしたかね。

屋台で千歳飴を買って境内へ。

混んでましたね。

境内の中に車を入れてましたね。

昔は入れてなかったんですがね。

いたるところで写真です。

未来は疲れてきて不機嫌です。

千歳飴が食べたいといって、ママに折って貰いました。

お腹が空いたかな。

綿あめも買ってもらい何とか機嫌は直りました。

でも寝ちゃいましたね。

未来が一番似合ってたようです。

大きいので着物がちょうどよかったんです。

そんなこんなで剣道日本選手権をみはぐってしまいました。

まあいいかな。

七五三  田舎ではやってませんでした。

関東はやるんですね。

調べてみました。ウイキペディアより


七五三(しちごさん)とは、7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う

日本の年中行事。

天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である

徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の

健康を祈って始まったとされる説が有力である。


概要

男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、

成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事(神社庁より)。

本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合が多い。

地方によっては男の子の3歳を行わない所もある。

現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における

地方風俗であった。

尚、上方発祥の習俗としては十三詣りがあり、

これも徐々に全国に広がりつつある。


旧暦の15日はかつては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、

何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収穫を終えて

その実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、

氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、

加護を祈るようになった。

明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになった。

現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土・日・祝日に

行なうことも多くなっている。北海道等、寒冷地では11月15日前後の時期は

寒くなっていることから、1か月早めて10月15日に行なう場合が多い。

3歳は髪を伸ばす「髪置(かみおき)」、5歳は初めて袴をつける

「袴着(はかまぎ)」、7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、

本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする

「帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)」の名残りである。

現代では行事に正装に準じた

衣装(晴れ着)で臨み、洋服の場合もあるが和服の方が多い。

少女(極稀に少年)は、この時に初めて化粧(厚化粧の場合が多い)

をして貰う場合が多い。

奇数を縁起の良い数と考える中国の思想の影響もある。

変わった所では福岡県で4 - 5歳で「ひもとき」、7歳で「へこかき」

(少年)/「ゆもじかき」(少女)(いずれもふんどしや湯文字といった

成人仕様の下着を初めて身につける)を行う地区がある。

埼玉県、千葉県、茨城県南部地方では、七五三のお祝いを

ホテルなどで結婚披露宴並に豪華に開催する場合もある。

近世までの日本は、現在の開発途上国と同様の状況(

栄養不足・健康への知識不足・貧困など)が原因で

乳幼児が成人するまでの生存率はきわめて低く、

その様な事から乳幼児の生存を祝う節目として定着した。

男児が女児よりも早く祝うのは後継者としての意味合いもあるが、

医療技術が発達する現代までは女児よりも男児の生存率が低かった

ためである。

また、3歳=言葉、5歳=知恵、7歳=歯を神から授かる事を感謝とする地方や、

3歳、5歳、7歳は子供の厄として、七五三を一種の厄祓としている

地方もある。

障害者を間引く為の期間でもあり、「七歳までは神のうち」[1]と

いう考え方と結びついていた。

また、これに逆らう家の子は神隠しとして処理された。

近代以前は疫病や栄養失調による乳幼児死亡率が高く、

数えで七歳くらいまではまだ人としての生命が定まらない

「あの世とこの世の境いに位置する存在」とされ、

「いつでも神様の元へ帰りうる」魂と考えられた。

そのため、一定の成長が確認できるまでは、人別帳にも記載せずに

留め置かれ、七歳になって初めて正式に氏子として

地域コミュニティへ迎え入れられた。

また、胎児・乳幼児期に早世した子供は、境い目に出て来ていた命が

また神様の元に帰っただけで、ある程度の年数を生きた人間とは異なり

現世へのしがらみが少なく速やかに再び次の姿に生まれ変わると

考えられていて、転生の妨げにならぬよう、墓を建てたりする通常の

人間の死亡時より扱いが簡素な独特の水子供養がなされたりした。

そうした生命観から、乳幼児の間引きとともに堕胎も、

「いったん預かったが、うちでは育てられないので神様にお返しする」

という感覚があった。特に、飢饉時の農村部の間引きや堕胎は、

多数の子供を抱えて一家が共倒れで飢えるのを回避するために、

養う子供の数を絞るのはある程度やむを得ない選択という面もあった。

キリシタン時代の宣教師たちは、間引きが殺人であるとして、

強く非難した。

神社や寺への参拝が慣例となっているが、このような伝統に配慮して

キリスト教の教会でもこの時期の主日に七五三のお祝いを行う

ところがある。

千歳飴

千歳飴。伝統的な絵柄の袋には松竹梅、鶴亀、高砂の尉(じょう)と

姥(うば)などの縁起物が描かれている。

七五三では、千歳飴(ちとせあめ)を食べて祝う。

千歳飴は、親が自らの子に長寿の願いを込めて、細く長くなっており

(直径約15mm以内、長さ1m以内)、縁起が良いとされる紅白

それぞれの色で着色されている。

千歳飴は、鶴亀(つるかめ)や松竹梅などの縁起の良い図案の描かれた

千歳飴袋に入れられている。

千歳飴は、江戸時代の元禄・宝永の頃、浅草の飴売り・七兵衛が

売り出したのが始まりとされている。

製法

千歳飴の製法には地方ごとに形状や色が異なる。

関東の千歳飴は水飴と砂糖を材料とし、鍋の中で140度程度の熱に

達するまで煮詰めたのち鍋から取り出して平たく展ばして冷却する。

硬化しはじめて柔らかい塊状にまとまった飴に

均等に空気を混ぜるために飴の塊を棒に引っ掛け、

引き伸ばしながら何層にも折り返す製白機と呼ばれる機械に掛ける。

この工程により透明の飴に中に無数の空気の細い隙間が生じ乱反射して

白く見えるようになり、千歳飴独特の舌触りの食感が生まれる

触ると火傷するほど熱を帯びた飴の塊を製白機から外し、

手または機械で細長く伸ばし、平たい台の上で転がして均等な太さに

成形し、適当な長さで切り口が欠けないように包丁を用いて

叩くようにして切断する。

伝統や格式を重んじる菓子屋では以上の手順を経て作った千歳飴を

神社に納め、お祓いを受けてから店頭に並べる。

未来も健やかに成長してほしいものです。

七歳も楽しみですね。

以上孫馬鹿でした。



  

  

  

  

  

  

  



  
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