川島さんも書いてますし、たくさんの人がこのニュースについて書いてます。
懐かしく語ってます。
あの頃の事を思い出して、このファミリーレストランに感謝しています。
日本の高度成長の一時代を築いたファミリーレストラン、すかいらーく。
ファミリーレストラン、なんて言葉もなかった。
外食産業という言葉すらなかった時代。
ロイヤル、デニーズと御三家と言われ、古き良き日本のファミリーレストランの形を定着させた。
♪♪
あなたが聞いた
あれからどうしたの?
私答えた
・・・・・・
ここはレストンラン
心と心のヒット・エンド・ラン
味わいふれあい
すかいらーく
♪♪
一つの時代において、社会に対して果たした役割、功績は大きいです。
すかいらーくの経営理念。
『価値ある豊かさの創造』
そうです。あの頃の象徴的な豊かさと言えば、小さな子供を連れて一家での外食。
『ちょっと今日は外に食べに行こうか。』
子供が目を輝かせる。
家族の笑顔。弾む会話。一家団欒。
そして、あの頃のファミリーレストランは、週末のランチ、ディナータイムには、どこに行ってもウェイティング。
それが当たり前。
15分くらい待つのも苦じゃない。
こんなブログを見つけました。
すかいらーくとは何だったのか - コミュニケーション変化論 -
少し引用させてもらいます。
-----------------------------------------------
さて"ファミリーレストラン"の草分け的存在だった"すかいらーく"が業績不振の影響を受けて先月埼玉県にある川口新郷店が閉店し全ての"すかいらーく"が消滅する事となった
<中略>
考えて見ると"ファミリーレストラン"業態はこの国の自動車の浸透と共に発展を続けてきたのかも知れない 自家用車が1家に1台だった時代とは核家族化が進み家族や周囲とのコミュニケーションの手段として"言葉"が用いられその"場"としての役割を"ファミリーレストラン"が果してきたのではないだろうか しかし自家用車の保有率が飽和状態となり1家に数台となった自家用車の保有率の高さは核家族が"個"へと細分化した事を表しその過程で"核家族"と言う存在自体が空文化してしまい言葉を交わす"場"そのものが必要なくなってしまったと言えるのではないか! 更にコミュニケーションの手段は"言葉"ではなくメールを主体とする"文字"へと変化する中で"場"の必要性が廃れたと見るべきなのかも知れない コミュニケーションツールとしてのインターネットは"言葉"を不要とし一方通行のエセ・コミュニケーションとしての役割を果たしているに過ぎないのではないだろうか この様に仮定すれば"ファミリーレストラン"がコミュニケーションの場で無くなった事で単に食事を取る場へと化しているのだろう 午前中それも8時30分位に"ファミリーレストラン"に入店すると高齢者が黙々と朝ごはんを食べている光景を見ることができる 何とも異様な光景だが核家族が崩壊し"個"に細分化した事で高齢者が1人で朝食を作る事も無くなりファミリーレストランが朝食を提供する"場"になってしまった悲しい光景だ "ファミリーレストラン"が単に食事を提供する"場"になったと言う事は他業態の外食産業と激しい競争に身を置く事になり何でもありと言う特徴を持たない業態は低価格での消耗戦を強いられる事になったのだと言える その結果が"すかいらーく"と言う"ファミリーレストラン"の消滅を表している様に思えて仕方ない 1つの時代の終焉と言うべきなのかも知れないが逆に"言葉"でのコミュニケーションが成り立たない時代の次に来るものとは一体どの様な時代なのだろうか? 人間としての喜怒哀楽を"言葉"で表現できない時代が昨年秋葉原や土浦で発生した無差別殺傷事件の深層にあるのかも知れない そんな危機感を持つのは私だけだろうか?
---------------------------------------
ニューファミリー、一億総中流化社会、モータリゼーション、女性の社会進出。
そして、それらとともに、
大家族核家族個(孤)食と進んでいく。
コミュニケーションが希薄になった。
家族の絆が脆くなった。
さらに、給料が減った。
仕事がなくなった。
家族もバラバラになり、何を考えているのかわからなくなった。
思いやる事も、助け合う事も、支えあう事もできなくなった。
そして、そういう時代の変化の中で、不要になった「すかいらーく」というファミリーレストランの象徴は姿を消していく。
不況に対応し、消費者のニーズに応えて、生き残りの為に、低価格業態を主力にした経営の舵取りをしていく。
では時代が創ったのかもしれないそういう低価格業態は、経営サイドの強い思いが込められているのかどうか。
すかいらーくには絶対にそれがあったはず。
一家団欒で豊かな楽しいひとときを過ごして欲しい。
家では味わえないレストランの味を家族で楽しんで欲しい。
温かな雰囲気の中で、家計に響かない程度の値段で食事をして欲しい。
お客の喜ぶ顔がみたいからこそ、苦労して仕事している。
社会のお役に立ってる気がして、外食の仕事をしてよかった。
あの頃の社会状況や経済発展の中で、すかいらーくが発する強いメッセージがあった。
それに対して、今は・・・・、
安いです。
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はいはい。
心に響く強いメッセージを、ありがとうございます。
懐かしく語ってます。
あの頃の事を思い出して、このファミリーレストランに感謝しています。
日本の高度成長の一時代を築いたファミリーレストラン、すかいらーく。
ファミリーレストラン、なんて言葉もなかった。
外食産業という言葉すらなかった時代。
ロイヤル、デニーズと御三家と言われ、古き良き日本のファミリーレストランの形を定着させた。
♪♪
あなたが聞いた
あれからどうしたの?
私答えた
・・・・・・
ここはレストンラン
心と心のヒット・エンド・ラン
味わいふれあい
すかいらーく
♪♪
一つの時代において、社会に対して果たした役割、功績は大きいです。
すかいらーくの経営理念。
『価値ある豊かさの創造』
そうです。あの頃の象徴的な豊かさと言えば、小さな子供を連れて一家での外食。
『ちょっと今日は外に食べに行こうか。』
子供が目を輝かせる。
家族の笑顔。弾む会話。一家団欒。
そして、あの頃のファミリーレストランは、週末のランチ、ディナータイムには、どこに行ってもウェイティング。
それが当たり前。
15分くらい待つのも苦じゃない。
こんなブログを見つけました。
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少し引用させてもらいます。
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さて"ファミリーレストラン"の草分け的存在だった"すかいらーく"が業績不振の影響を受けて先月埼玉県にある川口新郷店が閉店し全ての"すかいらーく"が消滅する事となった
<中略>
考えて見ると"ファミリーレストラン"業態はこの国の自動車の浸透と共に発展を続けてきたのかも知れない 自家用車が1家に1台だった時代とは核家族化が進み家族や周囲とのコミュニケーションの手段として"言葉"が用いられその"場"としての役割を"ファミリーレストラン"が果してきたのではないだろうか しかし自家用車の保有率が飽和状態となり1家に数台となった自家用車の保有率の高さは核家族が"個"へと細分化した事を表しその過程で"核家族"と言う存在自体が空文化してしまい言葉を交わす"場"そのものが必要なくなってしまったと言えるのではないか! 更にコミュニケーションの手段は"言葉"ではなくメールを主体とする"文字"へと変化する中で"場"の必要性が廃れたと見るべきなのかも知れない コミュニケーションツールとしてのインターネットは"言葉"を不要とし一方通行のエセ・コミュニケーションとしての役割を果たしているに過ぎないのではないだろうか この様に仮定すれば"ファミリーレストラン"がコミュニケーションの場で無くなった事で単に食事を取る場へと化しているのだろう 午前中それも8時30分位に"ファミリーレストラン"に入店すると高齢者が黙々と朝ごはんを食べている光景を見ることができる 何とも異様な光景だが核家族が崩壊し"個"に細分化した事で高齢者が1人で朝食を作る事も無くなりファミリーレストランが朝食を提供する"場"になってしまった悲しい光景だ "ファミリーレストラン"が単に食事を提供する"場"になったと言う事は他業態の外食産業と激しい競争に身を置く事になり何でもありと言う特徴を持たない業態は低価格での消耗戦を強いられる事になったのだと言える その結果が"すかいらーく"と言う"ファミリーレストラン"の消滅を表している様に思えて仕方ない 1つの時代の終焉と言うべきなのかも知れないが逆に"言葉"でのコミュニケーションが成り立たない時代の次に来るものとは一体どの様な時代なのだろうか? 人間としての喜怒哀楽を"言葉"で表現できない時代が昨年秋葉原や土浦で発生した無差別殺傷事件の深層にあるのかも知れない そんな危機感を持つのは私だけだろうか?
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ニューファミリー、一億総中流化社会、モータリゼーション、女性の社会進出。
そして、それらとともに、
大家族核家族個(孤)食と進んでいく。
コミュニケーションが希薄になった。
家族の絆が脆くなった。
さらに、給料が減った。
仕事がなくなった。
家族もバラバラになり、何を考えているのかわからなくなった。
思いやる事も、助け合う事も、支えあう事もできなくなった。
そして、そういう時代の変化の中で、不要になった「すかいらーく」というファミリーレストランの象徴は姿を消していく。
不況に対応し、消費者のニーズに応えて、生き残りの為に、低価格業態を主力にした経営の舵取りをしていく。
では時代が創ったのかもしれないそういう低価格業態は、経営サイドの強い思いが込められているのかどうか。
すかいらーくには絶対にそれがあったはず。
一家団欒で豊かな楽しいひとときを過ごして欲しい。
家では味わえないレストランの味を家族で楽しんで欲しい。
温かな雰囲気の中で、家計に響かない程度の値段で食事をして欲しい。
お客の喜ぶ顔がみたいからこそ、苦労して仕事している。
社会のお役に立ってる気がして、外食の仕事をしてよかった。
あの頃の社会状況や経済発展の中で、すかいらーくが発する強いメッセージがあった。
それに対して、今は・・・・、
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心に響く強いメッセージを、ありがとうございます。
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