即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

スポーツと戦略

2010年03月13日 20時28分16秒 | スポーツ
昨日の記事《無難とチャレンジング》の続きです。

Danchoさんもいろんな思いが溢れ出てすごい熱血記事を書かれてましたが、その中で、くっち~さんの下記のコメント、

ヨナは勝ちにいった
真央は跳びに行った
この差なんですよ。

について、『たった3行なのに、凄い説得力のあるコメントだと、私は思った。』としています。

前回も紹介した日経ビジネスオンラインの中の関橋 英作さんのコラム、マーケティングゼロ

キム・ヨナ選手の金メダルは欧米型マーケティングの典型例より、部分的に引用させてもらいます。
(赤字=nanapon)
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 たしかにスポーツ観戦なのですが、国同士の戦いは戦略という観点で見ると、まるでマーケティングの競い合いといったほうがいいのではないか、と思われました。
それが典型的に表れていたのが、女子フィギュアの戦い。

 それが功を奏して、「GOE」という演技の出来栄えに加点されるポイント加算が、ほかの選手より多くなっていきました。ですから、トリプルアクセルなどの大技をギリギリで達成するより、3回転+3回転のほうが余裕を持ってできるので、そちらの方を選んだのです。結果はキム・ヨナ選手だけが、この恩恵を受けました。
まさに、金メダルのために「何をするべきか」(What to do?)というマーケティングの基本戦略です。

 キム・ヨナ選手の金メダルが決まった瞬間は、まんまとしてやられたと思いましたが、待てよ、という声が頭のどこかで聞こえました。
 これでは、決められた枠の中で多い少ないを決めているだけではないか。枠からはみ出したモノは生まれないし、想像を超えたような、とてつもないフィギュアは出てこない。

 まさに、フレームワークで戦略を決めていく、従来通りの欧米型マーケティングの限界そのものではありませんか。そう思って振り返ると、目的を決めて、その中で決めたことをやったにすぎない。もちろん、それを達成することは素晴らしいことですが、今のような社会状況を考えると、これからのマーケティングにとって参考にすべき新しい展開は見えません。これこそが、フレームワークの集大成と言っていいでしょう。

 一方、トリプルアクセルにこだわり、ロシアの怒りと悲しみを表したラフマニノフの「鐘」を選んだ浅田真央選手。とても、勝つための戦略を考えていたとは思えません。
誰も到達したことのない技、自分の表現力を超えた芸のことしか眼中になかったのでしょう。

 それこそは、未知の領域。人間がまだ見たことのない神の領域。もともと、スポーツも神と交信する芸能の1つ。人間社会という枠の外へ魂を飛ばして、まだ見ぬものをつかむ行為です。芸術のことを考えると分かりやすいでしょう。

 浅田真央選手の後半の演技を見ていると、まるで神が憑依(ひょうい)したような表情をしていました。何かにつかれたような一心不乱状態から、とんでもないものが生まれることを私たち人間は経験的に知っています。そこには計算もなく、ただ外の世界に触れたいという願いだけ。それが現実になったとき、歴史が変わる。多分、そうして時代の問題が解決されていくのでしょう。

 欧米型マーケティングの弱点が見えたのです。
 ゴールを決めて、それを達成するために何をすべきかを決める。このフレームワークはもちろん有効です。その典型的な例が、エンターテインメントビジネス。サーカスでもアミューズメントパークでも、3D映画でもいいでしょう。
ゴールは、観衆をキャーッとさせて、あー面白かったと言って帰ってもらうこと。一種のドキドキ装置を作って見せることです。

 みなさんも感じるでしょうが、そのときはいいが、後には何も残らない。その時限りのお楽しみです。しかも、想定内で終わるので、見ていてもストレスがない。確かに、分かりやすく楽しめるでしょうが、それで何かが変わるはずもありません。もちろん、そんなことは思っていないでしょうが。
 これが、エンターテインメントの弱点であり、芸術との違いです。

 今、口々にブレークスルーが必要だと言いますが、これまでのようなやり方で古い価値観をぶち破ることができるでしょうか。
浅田真央選手のように、戦略も無くとんでもないものに手を伸ばさない限り、新しいタイプの戦略(?)が生まれる可能性はありません。

 このように日本人は、決まりきった価値をつくっていくことを“何となく”嫌う民族なのです。伝統を守る訳でもなく、外からやってくるものに目を奪われ飛びつく。中途半端と言えばそうですが、未知に弱いとも言える。また、しっかりと枠組みを構築することができない。曖昧(あいまい)を愛する人たちです。それでも、分かりきった勝ち負けを作らないから、弱者にも生きる道が残る。そのうち役に立つことがあるだろうという、何となくの確信です。

 そうです!日本人はめちゃくちゃ面白い、変な人たちなのです。欧米人とはもちろん違うし、アジア人とも異なる。何だか妙な人たち。この神髄は、多様性が大好きということ。ま、何でもアリということです。

 私はこれこそが、これからのマーケティングのあり方と思っています。漫画のような抽象的で論理破綻した芸術が世界中で受け入れられているのです。何だか分からないけど、これがいい。
そこには、何となく分かる霊性の日本マーケティングが潜んでいます。
それを、ものにすれば間違いなく変わるはずです。
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いかがでしょうか。

いろんなところでこういう方向の意見が飛び交っているようです。
今とっても売れている本、山本七平著『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) (新書)』でも、このことが語られています。

欧米は何事も戦略的。論理的に客観的に戦略を立ててことにあたる。

片や日本には戦略がない。
まわりがやみくもにがんばれがんばれ、と言って、本人たちはひたすらすごい努力をしてがんばる。必死の応援、声援。プレッシャーに打ち勝ち、期待に応えて精一杯の演技をする。
やってきたことを信じて、自分を出し切ることにすべてを賭ける。
涙、ドラマ、充実感、満足感、そして挫折、無力感。
そこから大きなものを掴み、糧にし、また前を向き前進していく。

ロジックや戦略よりも、いかにも日本人の好きな義理人情浪花節的な物語になる。

高度経済成長の頃もそうだし、現在のデフレスパイラルの日本の状況もそう。
経済だけでなく、政治も教育も庶民の暮らしもこのことは言えるように思います。

関橋さんのマーケティング理論はほんとそう思うのだけど、フィギュアの話で言えば、ある意味たかがスポーツです。ゲームです。

現代社会の複雑なマーケティング課題を解決するためにやってるわけではない。
勝てばいいというものではないかもしれないけど、基本は勝つことがひとつの大きな目的にならざるを得ない。
優勝するために、現状の採点システムの中で高い得点を取るために、どうすればいいかを考える。それしかないとも思います。

今の社会状況やこれからのマーケティングなど、そこには必要とはされない。
ブレークスルーも関係ないし、古い価値観をぶち破ることや時代の問題を解決することもそこに課せられたわけではないです。

しかし、たかがスポーツの中にもそういう視点をついつい持ち込みたくなるのが日本人。
将棋もそうだし、芸術、芸能、文化などなど、いろんなものに自分たちの暮らしや生き方を照らし合わせて見てしまう。

自分の思いを、人生を、真央ちゃんに、真央ちゃんのトリプルアクセルに乗せて妄想してしまう。

後には何も残らないという欧米風なドライな心情でなく、感動や挫折やいろんな心の機微のようなものをスポーツからでも感じ取ろうとする。

“冷静”ではなく、“霊性”、と言われる所以です。

いろいろ書いたけど、そんなこんなで、いろんな角度から考えたりすると、スポーツも将棋も、面白くてたまらないわけですよ。

多分、まだこの話題、続きます。
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1 コメント

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ネタにしてくださってありがとうございます (くっち~)
2010-03-14 21:21:17
御託並べる(いつものわたしがこのパターン)よりも、結論だけ書くとああなってしまいました。

大体日本人は論理的に戦争もできませんよね。
「大陸の英霊にどう説明する」とかいって真珠湾やっちゃったのですから。
あそこの最善の手は内戦覚悟で大陸から撤退するしかなかったのですが。
経済進出だけでも叩かれるのは戦後に実証されてますけれど。
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