いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
死後の世界.2
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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引き続き、しつこく「Reader's Choice」でのコメント大募集中!
ご協力のほど、よろしくお願いいたします!
*****
『死後の世界は、あるのか、ないのか?』
今回のテーマを書く切っ掛けになったのは、以前いただいたヘンゼルとグレーテルさんのこんなコメントです。
2008年5月27日投稿『酒は百薬の長』のコメント欄より
*****
なんで僕も含めてたくさんの人がその「下らないところ」にこだわるかというとね
やっぱり嘘に人生を懸ける気にはなれないからですよ(死の恐怖やそれに関連する恐れに囚われている人は特にそうです
魂と死後の世界の存在を基盤にして成り立っている人生哲学がスピリチュアリズムでしょう?
「死後の世界が在るか無いかは本当はどうでもいいのです」みたいなこというスピリチュアリストも何人か見てきましたけどね
「在るか無いか判らない」じゃ弱いんです。
死後の世界と魂の存在を拠り所にした人生観を持とうと思ったら、やっぱりその前提が確かなものでないと
誰か霊が存在する証拠を示してくれる人いませんかね
もっとも、元々存在しないのなら証拠の示しようもないですけど…
なにやら関連する記事を書いて下さるそうなんで、全っ然期待しないで待ってます(笑
気が変わりやすい黒斎さんのこと、この程度の口約束はあまりアテに………(´~`;)
僕もそうですが「下らないところ」にこだわる人の殆どは、単なる興味本位じゃないですよ
スピリチュアリズムをより確信するためです
だから「守護霊と交信できるんなら、霊にしか判り得ないようなことを話してくれれば、一発で信用出来るのにな~」とか思っちゃうわけです
まあそんなこと出来なくても、「下らないところ」にこだわることの馬鹿馬鹿しさを納得のいく形で説明していただけたら幸いです
*****
気持ちはわかるんです。なんとなく。
でも…ね…
やっぱり「下らない」というより、なんといいますか…。「ずれてる」んですよ。
>魂と死後の世界の存在を基盤にして成り立っている人生哲学がスピリチュアリズムでしょう?
スピリチュアリズムの定義を「交霊術」とお考えなのであれば、当然「魂と死後の世界の存在」がベースになければ成り立ちませんが、「精神主義」や「人生哲学」と定義するならば、話は全く違います。
>「死後の世界が在るか無いかは本当はどうでもいいのです」
>みたいなこというスピリチュアリストも何人か見てきましたけどね
実にまっとうじゃないですか。それこそ本当の「スピリチュアル(精神主義・人生哲学)」だと思いますよ。
>「在るか無いか判らない」じゃ弱いんです。
問題はそこじゃないんです。
>死後の世界と魂の存在を拠り所にした人生観を持とうと思ったら…
なぜそんな所を人生観の拠り所にするの?
…というお話を説明したくて、前回こんな例文を挙げてみました。
Q.自動車は、安全な乗り物ですか?
この質問に「YESかNOで答えてください。」と詰め寄られても、答えられません。
その理由は前回ご説明したとおり、問いの立て方自体に問題があるからです。
それなのに、
ヾ(`⌒´メ)ノ″ 「この答えがハッキリするまで、自動車教習所には行きません!」
なんて人がいたとしたら、いつまで経っても免許を取得することはできません。
自分が免許を取得するかどうかに、自動車が安全な乗り物か否かは関係ないんです。
そこに「正確に」問いを立てるのであれば、「自動車は安全か?」ではなく、その前段階、「自動車とは何か?」と問うべきなんです。
「自動車とは何か」を理解したからこそ、「こう扱えば安全」「こういう使い方は危険」となっていく。
『死後の世界の有無』も、これと同じことなんです。
「答えろ」と言われても答えられません。それは「わからないから」でも、「教えたくないから」でもなく、答えようのない変な質問をされているからです。
これも、正確に問いを立てるとすれば、「死後とは何か?」が本来あるべき姿です。
そこを突き詰めていけば「死後以前に、死とは何か?」となります。
「死」を考えるためには「“死後”に対する“死前”、つまり生とは何か?」を考えざるを得ません。
そこからさらに進んでいくと、「…とすれば、どう生きるべきか」になるんです。
だからほら、結局問題は「どう生きるか」であって、「死後の世界の有無は関係ない。どうでもいい。」に行き着きます。
この問いが「魂」や「霊魂」、「神」になっても同じことです。
それの「有る無し」ではなく、その前に、「魂って何?」「霊魂って何?」「神って何?」が問われるべきなんです。
そもそもそれが何なのかが明確でないのだから、「有る無し」すら問えないんです。
…って、伝わってますかね?
←「どうでもいい」とは言わないで…
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『死後の世界は、あるのか、ないのか?』
今回のテーマを書く切っ掛けになったのは、以前いただいたヘンゼルとグレーテルさんのこんなコメントです。
2008年5月27日投稿『酒は百薬の長』のコメント欄より
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なんで僕も含めてたくさんの人がその「下らないところ」にこだわるかというとね
やっぱり嘘に人生を懸ける気にはなれないからですよ(死の恐怖やそれに関連する恐れに囚われている人は特にそうです
魂と死後の世界の存在を基盤にして成り立っている人生哲学がスピリチュアリズムでしょう?
「死後の世界が在るか無いかは本当はどうでもいいのです」みたいなこというスピリチュアリストも何人か見てきましたけどね
「在るか無いか判らない」じゃ弱いんです。
死後の世界と魂の存在を拠り所にした人生観を持とうと思ったら、やっぱりその前提が確かなものでないと
誰か霊が存在する証拠を示してくれる人いませんかね
もっとも、元々存在しないのなら証拠の示しようもないですけど…
なにやら関連する記事を書いて下さるそうなんで、全っ然期待しないで待ってます(笑
気が変わりやすい黒斎さんのこと、この程度の口約束はあまりアテに………(´~`;)
僕もそうですが「下らないところ」にこだわる人の殆どは、単なる興味本位じゃないですよ
スピリチュアリズムをより確信するためです
だから「守護霊と交信できるんなら、霊にしか判り得ないようなことを話してくれれば、一発で信用出来るのにな~」とか思っちゃうわけです
まあそんなこと出来なくても、「下らないところ」にこだわることの馬鹿馬鹿しさを納得のいく形で説明していただけたら幸いです
*****
気持ちはわかるんです。なんとなく。
でも…ね…
やっぱり「下らない」というより、なんといいますか…。「ずれてる」んですよ。
>魂と死後の世界の存在を基盤にして成り立っている人生哲学がスピリチュアリズムでしょう?
スピリチュアリズムの定義を「交霊術」とお考えなのであれば、当然「魂と死後の世界の存在」がベースになければ成り立ちませんが、「精神主義」や「人生哲学」と定義するならば、話は全く違います。
>「死後の世界が在るか無いかは本当はどうでもいいのです」
>みたいなこというスピリチュアリストも何人か見てきましたけどね
実にまっとうじゃないですか。それこそ本当の「スピリチュアル(精神主義・人生哲学)」だと思いますよ。
>「在るか無いか判らない」じゃ弱いんです。
問題はそこじゃないんです。
>死後の世界と魂の存在を拠り所にした人生観を持とうと思ったら…
なぜそんな所を人生観の拠り所にするの?
…というお話を説明したくて、前回こんな例文を挙げてみました。
Q.自動車は、安全な乗り物ですか?
この質問に「YESかNOで答えてください。」と詰め寄られても、答えられません。
その理由は前回ご説明したとおり、問いの立て方自体に問題があるからです。
それなのに、
ヾ(`⌒´メ)ノ″ 「この答えがハッキリするまで、自動車教習所には行きません!」
なんて人がいたとしたら、いつまで経っても免許を取得することはできません。
自分が免許を取得するかどうかに、自動車が安全な乗り物か否かは関係ないんです。
そこに「正確に」問いを立てるのであれば、「自動車は安全か?」ではなく、その前段階、「自動車とは何か?」と問うべきなんです。
「自動車とは何か」を理解したからこそ、「こう扱えば安全」「こういう使い方は危険」となっていく。
『死後の世界の有無』も、これと同じことなんです。
「答えろ」と言われても答えられません。それは「わからないから」でも、「教えたくないから」でもなく、答えようのない変な質問をされているからです。
これも、正確に問いを立てるとすれば、「死後とは何か?」が本来あるべき姿です。
そこを突き詰めていけば「死後以前に、死とは何か?」となります。
「死」を考えるためには「“死後”に対する“死前”、つまり生とは何か?」を考えざるを得ません。
そこからさらに進んでいくと、「…とすれば、どう生きるべきか」になるんです。
だからほら、結局問題は「どう生きるか」であって、「死後の世界の有無は関係ない。どうでもいい。」に行き着きます。
この問いが「魂」や「霊魂」、「神」になっても同じことです。
それの「有る無し」ではなく、その前に、「魂って何?」「霊魂って何?」「神って何?」が問われるべきなんです。
そもそもそれが何なのかが明確でないのだから、「有る無し」すら問えないんです。
…って、伝わってますかね?
←「どうでもいい」とは言わないで…
コメント ( 21 ) | Trackback ( )
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そんなならもうちょっと控え目に書いておけば良かった。(笑)
今のところはちゃんと伝わってます。
今までで1番しっかり聞いてますよ。
いつも最後は「どうでもいい」ってなるんですよw
なんか考えるのがバカバカしくなって、今考えてもしょうがないじゃんって、
そんなことより他に考えることあるだろってなりますww
ある、ない。
それは厳然としてあると思います。
ただ、じゃあ、証明してみろとかいう人は
あっては困るからなのかしらと勘ぐってしまいたくなります。
あったらいいなって思うのは、生きている人間の最後の望みじゃないかしら。
あっては困るという考えの人がいるとしたら、
考えてみて、すぐに思いついたのが
追い詰めた人が自殺したりした場合。
追い詰めた人は死後の世界には
死に追いやった人が既にいるわけですから、
自分が死んだらその人に会うわけですよね?
それはないと考えたいですよ。
そういう生き方を人を追い詰めたりしない生き方を
していきましょうって教えは私はすんなり心に入ってきます。
私もこういう精神の病気をもって生きてきて
様々な苦しみを人から受けている人を大勢知っています。
今も病院の中に居続けている人もいるでしょう。
私も二十年以上精神科に通院しています。
そのきっかけになったのは、いわれのないいじめでした。
薬も飲み続けて、一人諦めた子供もいます。
夫はそういう私を一人で支え続けて
とうとう胃がんで亡くなりました。
でも、私の心は波立っていません。
穏やかでいます。
でも、その因果に放り込んだ人たちのことまで
私は心に留めていません。
自分の人生を生きるので精一杯です。
考えても目の前に夫は現れないけれど、
私の心の中に夫は存在しています。
要は、こういうことですかね?
↓
「あなたはクッタラモッタラが好きですか?」
「うーん。クッタラモッタラって何だかわかんないから、答えたくても答えられない。」
追伸:
いつも楽しく拝見させていただいてます。
ありがとうございます。
嫌な感じの文がガアップされちゃいました。
削除してくださ~い
本当にゴメンなさい。
又確信がもてたら完成版を書き込みます。
『この世に生まれる前、自分は一体どこに居たんだろうか?』
変な疑問ですよねえ。何でそんなこと考えたんでしょう?実際この問いを妹に発してみたら変な顔をされました。当たり前だと思います。『自分は死んだらどうなるんだろう』という死後のことには疑問を持っても、生まれてくる前のことにはほとんどの人は何の疑問も持ちません。大抵の人は次のように考えるでしょう。「この世に生まれてくる前、自分という人間は宇宙のどこにも存在していなかったのだ」と。しかし私は最近思うのです。自分が死んだ後行く場所と、自分が生まれる前に居た場所は地続きでつながっているんじゃないかと。いやそれどころか同一でさえあるかもしれないと。つまり死後の世界を問うということは同時に自分の魂のOrigin(起源)を問うことなのかもしれません。
以前どこかで読んだことがあるんです。生き物は幽霊の形が本来の姿であって、肉体を備えている姿のほうが異常なのだと。どこで読んだかは忘れました。でもたぶんそれが真実なんでしょう。異常な状態にいる時に、いや、異常な状態が当たり前の時に「幽霊(正常な人間)は本当にいるんですか?」とか、「あの世(正常な人間の住む世界)は本当にあるんですか?」とか、訊かれちゃったらそりゃあ答えるのに困って当たり前だよお釈迦様・・・。
P.S HNの由来について
私の守護霊のみーちゃんがまだ肉体を備えていた頃(つまり生前)、みーちゃんの部下だったある人が・・・いえ、部下というよりも「心の友」と形容したほうが正しいかもしれません。みーちゃんが他の人には絶対に言えないようなみーちゃん自身の心の秘密をいろいろと知っていた方らしいので・・・。で、その心の友さんがある日みーちゃんのことを「まるでゴキブリのようなお方だ」と言ったらしい。ま、そういうことです。
全てが意味の無い事。
つまりはそうなんだと僕は思う。
見ている人、認識している人が、そう意味づけたのなら、それはそれ以外の何者にもならない。
けれど、観測者が疑問を抱いた時「ん?本当にこれでいいのかな?」って思えたら、チャンスですよね。これを人は悩みが増えるからとか思って避けたがるけれど。
本当にどうでもいいならば、すでに放棄している。対の意見をわざわざ書き込まないし。疑問すら抱かないし、疑問を抱いている事に気付こうともしない。
実際の贈物も言霊もそいうものですよねぇ。(・∀・)ニヤニヤ
普通なら総叩きだろうに、中立的立場に立っていただけるのは有り難いことです。
タイトルにもあるとおり、今の僕の考えは当時と同じではない(諸行無常 笑)のですが、「死んだらどうなるのか」というテーマへの興味は失われてはいません。
四六時中そんなことばっか考えてるんじゃなくて、僕もたま~にしか考えませんけどね。
ただ、答えがどうであろうと、「今をより良く生きる」という最終的な結論はもう出ちゃってるんですけど。
自分では「生とは何か、死とは何か」と考えてもはっきりとした答えが出ない(出ても言葉だけの実感のこもらない机上の空論って感じ)なんで、今後の記事に期待ですねぇ。
考えるための(正しい答えを出すための)材料が揃ってない感じなんですよ。知らない事が多すぎて。
宗教的、霊的な考えのみがスピリチュアルではなく、
「生きる」ことそのものがスピリチュアルなのになぁ、と感じます。
死後の世界についても、「ない」と信じているのであれば、それも1つのものの見方、解釈なので
いいのです。間違いではありません。
大切なのは、何故そう思うのか、と言うこと。
なぜそれを疑問に思うのか、
なぜ知りたいと思うのか、
どうして証拠が欲しいと思うのか、
どういう答えなら納得すると思うのか、
どうして納得したいのか。
それは自分自身を知る上で、とても大事になってきます。
本当は、ただ1つの根源的存在と、ただ1つの真理(現実)があるだけなのですが、その解釈の仕方が無限にあると言うことです。
「生命とは何か」それを探求するために、その無限の解釈を表現するために、私たちはここにいます。
(私たちの本来の姿は「意識」です。
その一部を三次元世界の肉体に投影して、
この幻影の人生を生きています。)
なので、わざわざ「限りある命」を体験するために、
「太陽系地球」のソフトをインストールして、ゲームしている訳ですね!
楽しみましょう!
本当は、どうでもいいこと
様々な霊的現象は最初
「おお~~っ」ってなって目を引くけど
それだけのこと
要は今をいかに良く生きるか。。。じゃないかな
死後の世界があろうかなかろうが
目の前に分かる形のご褒美(死後の世界での天国や来世の幸福?)がないと、動けない(今をよく生きれない)なんて馬鹿げてる
「今を良く生きる」コトのご褒美ってのは、「今を良く生きてる」ってコトそのものじゃないの?
現象の反対は本質じゃない?
やったことは戻ってくるよ
誰が見てなくても自分が見てるじゃない?
って思いました
過去の、このコメント良く覚えてる~~
大切にしたいものに誠実にありたいと思ったら、ただただこの地球と共に丁寧に優しく生きたいって思いました。
そしたら、なんかすべてに感謝なんです。
ヘンですかね(^_^;)?
『死の世界?』
考えること大切なのかもしれないけど、その時間なんかもったいなくない?
そんな風に思います。
黒斎さんの事を信用するために、黒斎さんの教えに自分の人生を託すために
何でも良いから、自分の知らないあの世の事を教えてくれよ…っと言う事では無いでしょうか?
でも、自分を信用するしか答えは無いんですよね。
厳しいけど。
ごめんなさい。
あはは。ごめんねぇ。w
wakingさん
>今考えてもしょうがないじゃんって、
>そんなことより他に考えることあるだろってなりますww
そうですよね。
ぽんさん
>でも、私の心は波立っていません。
>穏やかでいます。
それは何よりですね。
らびさん
うんうん。
お釈迦様の話ではね「クッタラモッタラ」ならぬ
「ウサギのツノ」ってのがありますよ。
神ng nowさん
は~い。
完成版お待ちしております♪
油虫さん
>『この世に生まれる前、自分は一体どこに居たんだろうか?』
ぜんぜん変じゃないと思います。
結構いらっしゃると思いますよ、こういう疑問を抱いたことのある方って。
でもね、この問いの立て方も、ちょっとよろしくないんです。
どういう事かというと、「一体どこに居たんだろうか?」という思いは、すでに「どこかに居た」という前提の上に立てられているからです。
答えが「どこにも居なかった」ということであれば、いくら「どこに居たのか」を問うても答えには辿り着けないんです。
mさん
>全てがどうでもいい事。
>全てが意味の無い事。
>つまりはそうなんだと僕は思う。
ビンゴ!
その言葉の本当の意味が、一般的にはなかなか通じないんだよねぇ…。。。
ヘンゼルとグレーテルさん
>「死んだらどうなるのか」というテーマへの興味は失われてはいません。
じゃ、先にちょっとだけ。
覚者はこう言っています。
「死んだらどうなるのか」→「どうにもならない」
さわらさん
>最近、スピリチュアルとか、スピリチュアリズムと言う
>言葉だけが一人歩きしてるなぁ、と思ってみたり。
そうですね。でも、発祥が発祥なだけに、しょうがないことかもしれませんね。
むしろ、スピリチュアルと言う言葉に真理を乗せようとすることが愚かなのかも…。
えじさん・テルキチさん
うんうん。そうですね。
あっけなさん
あぁ、そういうことなのかも。w
まぁ、どちらにせよ、
>黒斎さんの教えに自分の人生を託すために
なんて捉え方はしないで欲しいな。w
返信が遅れて失礼。ちょっとコメント欄覗いてなかったもので。
>黒斎教に全て委ねたいのでは?(意訳)
いえいえ、トンデモナイ(笑)
単純に、死というものに興味があったんです。
黒斎さんの「教え」に僕の人生を委ねるなんて、まっぴらごめんですよ。
僕は本でもblogでも、教祖様に祭り上げようというのではなく、役に立つところがあれば利用させてもらおうというスタンスで読んでいます。
ヘンゼル王国の王はヘンゼルとグレーテルただ一人なのです。(二人いるみたいだけどw
黒斎さん
勘違い(-_-メ)
テルキチさん
>「他に考えることあるだろww」
これも僕に言ってるつもりなのかな。
おっしゃる通り「いずれ死ぬ」ということを考えるのは、人生の生き方を定める上で重要です。
でも、いつもそればっかり考えてるわけじゃないですよ。
黒斎さんにも他の一部の方にも言っておきたいのですが、僕に何か言いたいことがあれば直接言ってください。
僕以外の人との会話の中にメッセージを込めるのではなくw
僕も相手に対して真正面から向き合って話しています。それがフェアってもんじゃないでしょうか。
しかし嫌なコメント載せてくれましたねぇ^^;
黒斎ファンばっかのここでこんなの記事中に転載したら読んだ人はみんな「ムカッ」となることくらいわかってるでしょうに。
まあ書いたのは僕なんで文句は言えないんですけどね。
私もテレビで少しここが紹介されたのを見て、途中から参加しましたがコクサイさんのみんなで勉強しているんだというスタンスは理解できます。(最近のエントリーから解るようにみんなで勉強=魂の勉強なのですが)
ヘンゼルとグレーテルさんは自我が強すぎるように感じています。うまく説明できないですが、ヘンゼルとグレーテルさんのコメントを引用してはいますが、ヘンゼルとグレーテルさんに向けたものでは無いと思います。(と、信じたいです)名前が挙がってしまっていますから仕方ないですが、「自分に言われている」という(疎外感?自意識過剰?ちがうなあ、こういう説明ができないのがボキャ貧で辛いです。コクサイさんもこういう苦しみを味わってるのかな?)?捉え方では無く、「何故これを引用したのか?」というコクサイさんの本来の狙いに着目するのが宜しいかと存知ます。
>役に立つところがあれば利用させてもらおうというスタンス
これは理解できます。私もそういうスタンスでいると思います。ただ、1つここで気を付けなければいけないのが(ここでメタ認知)自分が自分に有利な情報を自分に都合良く得ようと思うのは「欲」です。一見、不利と思える情報から、本質を見抜き何を言わんのか見抜くという「人の意見を聞いてみる」スタンスで、意見を全て聞いてから良く吟味し、考える事。これが重要です。
ヘンゼルとグレーテルさんが自分でおっしゃっているように、コクサイさんに全てを委ねるようなことはありえません。どんなにすばらしい(と、言われている)人がおっしゃったことでも、常に話半分で聞くスタンス(これもメタ認知なのかも)聞いた話をそのまま鵜呑みにせず、聞いた際に自分がどう感じているのか、どう受け取っているのかを考え、それが正しいのかどうかを判断する。(>ヘンゼル王国の王はヘンゼルとグレーテルただ一人なのです。・・誰もがそうなのです)判断するのは全て自分です。全て自分の責任です。正しいと思えるのなら受け取る。思えないのなら受け取らない。それで宜しいかと。ただ、一緒に勉強している仲間から見たら「あいつ判ってないなー」っていう「心配」をするであろうという事も判っている方がなお宜しいかと。
「あいつ判ってないなー」という意見自体も正しいという事も無いのかもしれません。それを確認するのも自分です。これからの人生でそれを確認していけるものと信じたいです。そういった1つ1つの事柄を真面目に確認していった頑固者がお釈迦様なのでしょうねえ(^^;)私はそこまで(ウンコ食うくらいまで)は出来ないですけどねえ。
信じるか信じないかはあなた次第です!m9( ̄д ̄)
僕のような未熟者は、例え正しいことを言われても悪感情などを織り交ぜられると、なかなか素直に聞けなかったりするのです^^;
おっしゃる通り「自分」というこだわりが今の僕の最大の敵です。
すぐにフラットな目線を見失ないそうになります。
常にニュートラルな位置に在りたいと思っているのですが……。
「自分に都合良く受け取ろうとするのも欲」
これも勉強になりました。
ありのままに森羅万象を見つめ、真実を求める姿勢がやっぱり1番大切なのかもしれませんね。
迷惑かけたくないのに迷惑かけちゃう自分にちょっと自己嫌悪です。
もうちょっと自我を弱めたいものです……。
みんなで勉強しているんですし。
色々な意見が聞けて、私も勉強になっています。
私もあなたも勉強の途中ってことは変わりません。
同じ学校の仲間ってことですかね~(^^;)
私もたまーに怒ったりしますけども、反省しちゃうこともありますし、一回り年下の彼女から教えてもらうこともありますよ。
怒ることは駄目なのですよね・・自分を見失っているから。叱ることを意識しないと。昨日久々に怒っちゃって反省中です・・・・
おまけに、取り上げられたことに過剰反応もしてる^^;
わざわざ質問に答えてくれたことに対するお礼もしてない。むしろ、文句まがいのことを言っている。
ああ、恥ずかしorz////
黒斎さん、すみませんでしたm(__)m
要精進です…。
「自動車は、安全な乗り物です」は、完全な表現ではなく、「自動車は、(常に)安全な乗り物です」ですよね。それならば、その反対は「自動車は、(ある時は)安全な乗り物ではありません」となります。
これならば、これらのいずれかである。ということができると思います。
でも、本題に戻ると、訳が分からなくなります。「死後の世界は、あるのか?」の反対は、やはり、「ないのか?」だと思います。であるとすれば、論理的には、このいずれかである。となると思います。
アナロジーとして、感覚的にはうなずけるのですが、論理的には、まだ納得いかないのが、現状です。決して黒斎さんを否定しているつもりではないのですが。
もう少し考えてみます。