いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
死後の世界.7
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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某ブログで紹介されるという『原因』によって、アクセス数が急に伸びるという『結果』を手にしました。
「あの世に聞いた、この世の仕組み」の著者、阿部敏郎です。こんにちは。
…
っていうか、アクセス数がこれだけ上がっているわりには、ブログランキングのクリック数はさほど変わらない、と言うのはどういう事ですかお母さんっ!
(;`⌒´)つ彡☆ パンパン! あたしゃそんなに鼻つまみ者ですかっ!(←ウンコクサイだけに)
…
ってことで、改めましてこんにちは。
相変わらず支持されているんだかいないんだか微妙なラインのブログ「あの世に聞いた、この世の仕組み」を、ハンカチーフを噛みしめながら綴っている、雲 黒斎(福山雅治 時々 加勢大周)と申します。
名前だけでも覚えて帰ってください。
いや、折角いらっしゃったんですから、記念にボタンぐらいは押して帰ってください。
…
若手芸人にありがちなフォーマットの挨拶はさておき、お話の続きですよ。
コメント欄の反応を拝見したところ、やはり何か上手く伝わっていないような気がします。(もちろん、みんながみんなと言うワケではないですが。)
ってことで、ちょっとだけ話を戻させてください。
僕は、「あの世はない」という話をしているわけではないですからね。
そうではなくて、本来「ある」「なし」で語れる内容ではない、と言っているだけです。
「魂」についてもそうです。
「魂はない」という話をしているワケではなくて、「Aさんの魂」「Bさんの魂」というような「永遠不滅の個性を持った“個別の魂”という存在はない」と言っているだけです。
どうしても、「あの世はなかったんですね!」とか「魂ってないんですね!あると思ってました!」というように、やはり「ある・なし」を基準とした早合点をされているような気がします。
今回のテーマでお話ししたいのは、まさにその「ある・なし」という判断から一歩引いて見てみましょう、ってことですからね。
先にとりあげさせてもらった「自動車は、安全な乗り物ですか?」という例でも同じです。
自動車を「安全です」という切り口で語ることは可能です。いくらでも話せます。
それはそれで、納得のいく説明ができるはずです。現に各車メーカーさんは、声を大にして主張しています。
「うちの車は安全です。これこれこういう構造です。こういうシステムが、最新のセンサーが、あっちにもこっちにもエアバックが、あれもこれも付いています。」と。
それはそれで、ホントの話です。
逆に、自動車を「危険です」という切り口で語ることも可能です。いくらでも話せます。
「日々これだけの事故が発生しています。世界で毎日○○○人の人命が交通事故によって失われています。先ほど○○高速道では、○○台の玉突き事故が発生し、○○人が重軽傷を負っている模様です。群馬県の○○市では、駐車場で遊んでいた男の子(2)を、祖父の□□さん(67)がひき殺してしまうという痛ましい事故が起きてしまいました。たった今入ってきた情報によりますと、ロックミュージシャンの世良公則さん(52)が東京・表参道で乗用車を運転中、物損事故に巻き込まれた模様です。」と、道路交通情報センターのふじこーさんと報道センターの群さんがラジオを通して話しています。
それはそれで、ホントの話です。(どこまでが?)
なのですが、それは同じ「自動車」をどういう風に解釈しているかということであって、「自動車は、安全な乗り物ですか?」という問いに対しての正確な答えではないわけです。
これを「あの世」や「神」、「霊」などに置き換えても同じなわけですよ。
「ある」という切り口で語ることもできるし、「ない」という切り口で語ることもできる。
聞けば、どちらの話も納得のいく話に聞こえるんです。
でも、そこはやっぱり話の「本質」ではないじゃないですか。そもそもが「ある・なし」で語れないんだから。
だから、「ある・なし」を基準に論争を始めてしまうと、いつまで経っても決着が付かない。
二元論から離れないと、「ある派」と「ない派」は、双方ともに、ずっと本当の事を知らないまま、決裂しっぱなしになっちゃうんです。
全体像を知らないまま、ほんの一部だけを捉えて、それを「真実」だと勘違いしてしまうことになります。
なので、そこから離れ、固定概念を取っ払った、全く別な捉え方で物事を観察してみましょう、というお話なのですが…
通じてますか?
←来場記念に。
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某ブログで紹介されるという『原因』によって、アクセス数が急に伸びるという『結果』を手にしました。
「あの世に聞いた、この世の仕組み」の著者、阿部敏郎です。こんにちは。
…
っていうか、アクセス数がこれだけ上がっているわりには、ブログランキングのクリック数はさほど変わらない、と言うのはどういう事ですかお母さんっ!
(;`⌒´)つ彡☆ パンパン! あたしゃそんなに鼻つまみ者ですかっ!(←ウンコクサイだけに)
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ってことで、改めましてこんにちは。
相変わらず支持されているんだかいないんだか微妙なラインのブログ「あの世に聞いた、この世の仕組み」を、ハンカチーフを噛みしめながら綴っている、雲 黒斎(福山雅治 時々 加勢大周)と申します。
名前だけでも覚えて帰ってください。
いや、折角いらっしゃったんですから、記念にボタンぐらいは押して帰ってください。
…
若手芸人にありがちなフォーマットの挨拶はさておき、お話の続きですよ。
コメント欄の反応を拝見したところ、やはり何か上手く伝わっていないような気がします。(もちろん、みんながみんなと言うワケではないですが。)
ってことで、ちょっとだけ話を戻させてください。
僕は、「あの世はない」という話をしているわけではないですからね。
そうではなくて、本来「ある」「なし」で語れる内容ではない、と言っているだけです。
「魂」についてもそうです。
「魂はない」という話をしているワケではなくて、「Aさんの魂」「Bさんの魂」というような「永遠不滅の個性を持った“個別の魂”という存在はない」と言っているだけです。
どうしても、「あの世はなかったんですね!」とか「魂ってないんですね!あると思ってました!」というように、やはり「ある・なし」を基準とした早合点をされているような気がします。
今回のテーマでお話ししたいのは、まさにその「ある・なし」という判断から一歩引いて見てみましょう、ってことですからね。
先にとりあげさせてもらった「自動車は、安全な乗り物ですか?」という例でも同じです。
自動車を「安全です」という切り口で語ることは可能です。いくらでも話せます。
それはそれで、納得のいく説明ができるはずです。現に各車メーカーさんは、声を大にして主張しています。
「うちの車は安全です。これこれこういう構造です。こういうシステムが、最新のセンサーが、あっちにもこっちにもエアバックが、あれもこれも付いています。」と。
それはそれで、ホントの話です。
逆に、自動車を「危険です」という切り口で語ることも可能です。いくらでも話せます。
「日々これだけの事故が発生しています。世界で毎日○○○人の人命が交通事故によって失われています。先ほど○○高速道では、○○台の玉突き事故が発生し、○○人が重軽傷を負っている模様です。群馬県の○○市では、駐車場で遊んでいた男の子(2)を、祖父の□□さん(67)がひき殺してしまうという痛ましい事故が起きてしまいました。たった今入ってきた情報によりますと、ロックミュージシャンの世良公則さん(52)が東京・表参道で乗用車を運転中、物損事故に巻き込まれた模様です。」と、道路交通情報センターのふじこーさんと報道センターの群さんがラジオを通して話しています。
それはそれで、ホントの話です。(どこまでが?)
なのですが、それは同じ「自動車」をどういう風に解釈しているかということであって、「自動車は、安全な乗り物ですか?」という問いに対しての正確な答えではないわけです。
これを「あの世」や「神」、「霊」などに置き換えても同じなわけですよ。
「ある」という切り口で語ることもできるし、「ない」という切り口で語ることもできる。
聞けば、どちらの話も納得のいく話に聞こえるんです。
でも、そこはやっぱり話の「本質」ではないじゃないですか。そもそもが「ある・なし」で語れないんだから。
だから、「ある・なし」を基準に論争を始めてしまうと、いつまで経っても決着が付かない。
二元論から離れないと、「ある派」と「ない派」は、双方ともに、ずっと本当の事を知らないまま、決裂しっぱなしになっちゃうんです。
全体像を知らないまま、ほんの一部だけを捉えて、それを「真実」だと勘違いしてしまうことになります。
なので、そこから離れ、固定概念を取っ払った、全く別な捉え方で物事を観察してみましょう、というお話なのですが…
通じてますか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/e9/b8a4bcdc22643fc1ac2303b742061ba6.png)
コメント ( 27 ) | Trackback ( )
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「名前だけでも覚えて帰って下さい」に爆笑
何の為に生まれて
何をして生きるのか
わからないままなんて
そんなのはイヤだ~
ってアンパンマンの歌が浮かびました
私、わかってるつもりだけど
本当に分かっているのか不安です
アハ体験はしてるつもりなんだけど
ビー玉が計算された方程式に則って作られた装置を転がっていくのをただただ見つめてました。
その時には頭の中に放物線の方程式は全く浮かばなかったのですが、ただただ見事な流れに見入ってましたが、その最中、これを作った人は計算通りに流れていくその装置の細部と全体像と客観的に見たときに楽しいかとかあらゆることを組み立てたのだとそのことに感動しました。
それは「こうであってほしいな」という情緒は一切通用しない世界で、しかも子供がみて単純に「わーおもしれー。すげー。」というその感情を引き出すことが主題の装置で、一つのからくりじたいはものの数秒で完結しているのです。それがいくつもいくつも続くDVDになんだか癒されてもしまいました。
私にはその装置を一つでも作ることは、猛勉強しても何年もかかると思います。
ですが、数学的センスのある人は、もっと早くにできるでしょう。
自分では根気がないし、センスもないことでも、誰かはできる。そのことに確実に今の自分にはできないことも存在して、でも、そのことは作った人には細部にいたるまでちゃんと説明のできる(聞いて理解できるかは別として)ことがあるんだ、という事実は
希望を与えてくれました。
世の中の仕組みもそのようなものである気がします。
私の動物的なカンがそのように申しております。
徹夜明けにつれて徐々に壊れていく思考回路と
徹夜明けにつれて徐々に状況を判断できる思考回路
みたいなもんっすね!(多分違うw)
徹夜明けで早退を命じられ
家で酒を飲んで徐々に増える頭の血流を感じながら
徐々に増えるであろう眠気を待ちつつ
綴っておりますw
ってか、全然眠くなりませぬw
ほんとですよ( ‘∀’ )
たぶん。
だって車って実際に見えるし、在るじゃん。
ほとんど日本人なら持ってるし。
私は危険だって思う方が多いけど、
男の幼少からの夢とかロマンもあるし、
子供が出来れば、子供のミニバスの車出しもあるし。
実際に車持って無くても、タクシーとかいつでも乗れるし。
いつでも乗れない、いったん乗ったら帰れない
死の世界を説明するには適さない気がします。
それとも、いつでも帰れるって感じなのかな?
死って。
の様な宇宙に一つの魂
これじゃ大きすぎて食べられないよ。
そうだね、み~んなで楽しく食べたいから
小餅をいっぱい造ろうよ。
個の魂の出来上がり。
死んだら素の一つに戻るのかな。
波頭の例えも有りますね。
本当にいいですね。
出会ってないだけで、一度死んだ人が生まれ変わっているものなら、一目だけでも会いたい人が何人もいます。
自動車はそこいらにあるものですね。
誰かが所有していて、あるいは自動車会社が所有していて。免許があれば乗れて。自動車が走行可能な道なら原則どこにでも行けて。
自分が免許も自動車も所有してなくても、タクシーやバスなら気軽に車社会の恩恵にさずかれます。
とても便利で格好いいものです。
自動車事故も起きます。死亡事故もあります。
いつそれが起きるのかは確率では出せますが、絶対ではないです。
自動車は運転しなければ、動きません。
動いてない、人が乗っていない自動車はただの物質です。
自動車は安全な乗り物であるかないか、という問いがあの世があるかないかという問いと同じレベルであるわけではないと思います。
自動車があるかないかと問うてるわけではなくて、あの世が安全であるかどうかと問うてるわけでもないからです。
仮に自動車は安全な乗り物であるかという問いとあの世は安全なところかという問いにシフトしてみたとしても、今、私は死亡事故を起こしたわけでもないし、今あの世に行ったわけでもないから、私が今考えたところで推論しか導きだせないのです。
推論ならいくらでもだせます。
でも、未都さんが聞きたい答えはそうではない気がします。
安心がほしいならば、黒斉さんは与えてはくれないと思います。
事故が起こるかもしれない、いつ死ぬかわからない、そういう不安を心に留めておくだけでも安心であると、身近なものを亡くした私の言葉のお守りを未都さんにあげます。
未都さんが事故にあうことのないように祈ります。
命が長らえるように祈ります。
そんなことしかできません。
ただし、この場合は同情票です(^_^)
翌日には激減しましたから。残念!(T_T)
古すぎる・・・
アクセス数が伸びないのは、時代についていけてないことが原因かも・・・
そういえば・・《未来》という世界は実在するのか・・しないのか、《過去》という世界はどうなのか?と訊かれても、『在る!』が正答だったり『無い・・』が正答だったりしますか・・
今日もポチしましたよっと!
もう一度読み直してみます。
ただ在り方というのを意識するようになりました。
次元あがってるのかな。
携帯だとランキングをクリックできないのでしょうか。
ダメなように思うのですが。
で、どういう意味かというと「一時はありはするけど不変不滅じゃないし、無くなったり(変わったり)もするんだよねー」という事で、
確固たるひとつの不変不滅の自分というものは無いわけで、常にうつろうものだと。
確かに身体も毎日新陳代謝や細胞分裂もしてますし、魂も成長したりとかして半年前の自分とは全くの別人な訳ですね。ミクロじゃ変わってないけどマクロじゃめっちゃ変わってるとか。ううむ・・・難しい。
それでは、果たして『全く別な捉え方』というのはどういう事だろう?更新楽しみにしています^^
伝えたいことがうまく伝わっていないと感じるもどかしさ、
で、苦しんでいるのかも知れへんのですが、
伝えたいことは、充分、伝わってますがな。
読んでいて、勉強になりますぅ~♪
あとは、読む方の理解度の問題ですやん。
そんなん、苦しまんでもええのんとちゃいますのぉ~?って、書きましたが、
これからも、苦しみ、もがきながらも情報を発信し続けてくだはれっ!
本当、勉強になります。
ありがとーございます♪
私は携帯から読ませて頂いてますがランキングクリック出来ないんですよ、残念です。文字リンクも貼ってくだされば喜んでクリックしますよ~(*^^*)
もぅ限界眠いのでまたあらためてコメントさせてもらいます。
(HN変えました)
大丈夫です、通じてますよ~。
今日の内容で、より伝わってきましたよ。
いつも楽しく拝見しております。
お陰様で、このブログに出逢い思いが変わりはじめました。
イライラしたり辛くなると自分と自我を分けて、自分の意見を採用するようになりました。意外と自分の意見って素敵です。まだまだ葛藤して負ける事もありますが…
「死ぬまで一生懸命するから早く死にたい」って真面目に思っていたのに、「生まれてないから死なない」って言うから、いろいろと考えて「何事にも感謝と周りの人に笑顔」に変えました。これからの人生の軸にし深めようと思っています。
難しい事は書けませんけれど、自分では良い変化だと思っているのでコメントしました。
まだまだ、霧のかかった様な感じですが、きっと晴る様な気がします。
これからもブログを楽しみにしています(^-^)
ありがとうございました。m(__)m
P・S ランキングが上がると、どうなるんですか?
すごい!分かりやすい!仏教のお話、とても感銘を受けながら読みました。すばらしいですね。
ありがたやありがたや・・・。
結果、カタチにこだわらないということでしょうか?
ポチッ!と押すランキングのボタンが小さくて見落としていました!
これまで何回か記事を見たのですが。
ランキングのボタンを押しやすいよう、さらに見やすいよう、大きめにしたらいいかもーですよ。
あと、ひとつだけじゃなくて二つに増やすのもいいかもですね。ひとつだけだと押しづらいイメージがあって、ふたつだったら「どっちも押してもいいかー」という抵抗がなくなるかも?
雲さんの客観的な記事とても参考になります。
けれど、頭で分かっているつもりで身体のほうは分かっていない。これが私の問題ですな。
「ある」「なし」はどっちでも言える。大事なのは全体性だ!と言われて「そうか!」と気づく。そして後日になったら忘れている。
それで、さらに同じ記事を見て「そうか!」と思い出したかのように気づく。そこで前の気づきよりも腑に落ちてます。
同じ切り口を何回も何回も言うことにより頭で分かっているということを確信に深めていくことができるのか、と感じました。
ですので、何回も何回も説明してもOKのような気がしますよ。同じ文章での説明だったら飽きるので(笑)違う文章で、同じ切り口を説明する。。。
そういえば仏陀もイエスも真理(同じ切り口)を何回も何回もその人に合わせて言葉を変えたりして言っていたのだなって今気づきました。
以前から思っていたんですけど…ランキングが上がらないのは、携帯からアクセスしてる人が多いんじゃないでしょーか?
私も、その一人ですよ。携帯からはランキングボタン押せないし。
今の事考えないとねぇ。
この世に自分がいる事に意味があるわけで(多分)
自分が今ここにいる間にも、体の細胞は
生まれたり、消えたり...
生き物は体の中で、いつも小さな生まれ変わりを
経験しているのかな、と最近思う。
黒斎さんの望みからは微妙にずれている内容のものばかりだったようですね。
書きたいことは一杯あるのに言葉に出来ない。
私の今の頭の中も小田和正さんの歌と同じような状況ですよ・・・。
長く待たせ過ぎましたか・・・?
しかし、興味本位で『あるのかないのか、(または)どんなだか』という観点で受け止めると、肩透かしを食らったような気になるところも否めません。(この観点自身がずれているのでしょうけれども・・・)
盲目的に受け止める・理解した気になる・というのも私の性に合わない為、なかなか難解です。
恐らく、実際に実感しないと完全には理解できないのかもしれませんね。
でも、いつも楽しみにブログを拝見しています。色々な意見や色々な考え方の方がおいでですので、コクサイさんがそんなに気に病む必要はないと、私は考えます。コミュニケーションはいつだって、どのように伝えるか・・・だけでなく(もしかするとそれよりも)、どのように受け取るか、が重要だと思いますので・・・。
黒斎さんのお話・・とっても解り易いし楽しいですよ。ランキング上がりますよーに!!
日々の書き込みのそのアイに感謝
現象だけを見てしまう落とし穴、思い込みの落とし穴?
その思い込みとか、現象だけとか、二元論だけとか、そんな脳回路という煌きが
ああと!!
耳鳴り煩いっす。(すまそ)
何言ってるのか判らないよ~・・・
私たちが違うものと見なしているものは
実は同一のものであり
なんの境もなく
あると思っていたものは記憶でしかなく
実はない
んー世界全てが同一の細胞のように感じるというか
全てが水のようになんの境もない繋がっているようなイメージに感じます…
ちょっと違いますかね?(^^;
起こっていること
目の前にあると感じる出来事
全ては
一連の流れからなっていて
それは時 場所 気温 全てのなにもかもが一致しなければ
成り立たないことで
今もこの瞬間に次のステージへ繋がっていっているんですよね?
という解釈で大丈夫でしょうか(´・ω・`)
まだ読み始めたばかりですが
これからゆっくり先に進んでいこうと思います\(^-^)/