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死後の世界.8

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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ねぇ、どうしたの? 何もしていないのに、大事な所をこんなにパンパンに膨らませて。w

あらあら、こんなに熱くなっちゃって。やだ、隙間から中身がはみ出して見えてるじゃない。

え?何? もう果てちゃいそうなの? ちょっwww いくら何でも早すぎでしょ。

ほんと、だらしのない子ねぇ。。。





ってことで。皆様のご想像通り、僕の携帯電話のバッテリーが、寿命をお迎えになられました。

充電しても、充電しても、ソッコーで電池切れになりやがるんです。

しまいにゃバッテリーのフタを持ち上げる勢いでパンパンに膨れて仕舞いましてね。

そんなこんなで、この週末、ヨドバシカメラで機種変更してきたのですが…

凄いね、最新の携帯電話の機能って。

知ってました?

電話機でテレビが見られるんですよ!予約録画なんかもできちゃうんですよ!(←いまさらです。)

そう言うわけで、只今僕の携帯電話は、「炎神戦隊ゴーオンジャー」と、「YES!プリキュア5GO!GO!」と、「ちびまる子ちゃん」と、「サザエさん」の豪華4本立てでお送りしております。



色んな意味で「怪しい人」扱いをされておりますが、実際は、「やっぱり怪しいらしい」黒斎(35)です。こんにちは。


さて、その怪しさもそのままに、今日は「輪廻転生」のお話をしようと思っております。

先日の、『「Aさんの魂」「Bさんの魂」というような「永遠不滅の個性を持った“個別の魂”という存在はない」』という話がどういう事なのかをご説明できればと考えていたところ、ある比喩を思いつきました。


僕たちの人生を、仮に「雨」だと思ってみてください。

その「雨粒」1つひとつが、僕たち人間です。

雲の中で成長した水滴が雲から離れ、地上に落ちてくる。それが「誕生」です。

そして地上や水上など、雨が着地した時点が「死」です。

「雨粒」は突然パッと現れたのではありません。

大気中の水蒸気が冷えて雲ができ、雲の中で成長した水滴が地上に落ちてくるという現象の「流れ」によって出来たモノです。

「雨粒」がどこに着地しようとも、その存在が「無くなる」ことはありません。

焼けた大地に舞い降りたものは、すぐに蒸発し、水蒸気となり、また空へと帰ってゆくでしょう。

大海原に舞い降りたものは、海水にとけ込み、あらたな躍動を続けるでしょう。その海の表面も、やがて太陽に照らされ蒸発してゆきます。

大空へ舞い上がった水蒸気は、再度雲となり、成長を続け、やがて水滴となって再度大地へ舞い降ります。

原因と結果の連鎖で、その循環をグルグルと繰り返すのです。

ですから、先日降り注いだ雨粒が、同じまま再度降る、と言うことは無いんです。

そういう意味では、「人生(雨粒という個性)は1度きり」です。

でも、「雨粒一つひとつ」という観点から、「水の循環」という観点で捉え方を変えると、「どこにも“誕生”も“死(消滅)”も見いだせない」ということに気付けます。

そう言う意味では、「輪廻転生は繰り返される(雨はまた降る)」です。


どうでしょう?

この比喩から、「輪廻転生」はあっても、「永遠不滅の個性を持った“個別の魂”という存在はない」ということの意味が見えますでしょうか?

また、「あの世」「この世」という世界の境界も、本来は存在していないということが把握できますでしょうか?



←お陰様で好調です。

コメント ( 15 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
おそろい~ (えじ)
2008-09-22 16:38:08
私も週末じゃないけど
昨日、ヨドバシカメラ行きました~

雨水のたとえはスゴクわかりやすいです
私は色々な人の欠片から出来てるってことかな

でも、さよならした大切な人
「そのもの」には、もう会えないってコトなのかな
そうなると前世とかは。。。
。。。。
 
 
 
Unknown (ゆーきー)
2008-09-22 17:07:54
『個人としての意識』がどうなるのかが気になります。死んだらなくなっちゃうんでしょうか?それともすべての雨とまぜこぜになっちゃうんでしょうか?
 
 
 
この死生観だと、結局預流果実を迎えない限りは自我欲充足人生に落ち着いてしまいそうです。 (ヘンゼルとグレーテル)
2008-09-22 17:38:25
雨粒で例えたのは上手い!と思いました。
ただ、肉体がそんなふうに輪廻を繰り返すのは解るんですが、心(意識)はどうなんでしょう?
心も「エネルギー」か何かで、死んだら宇宙に還元されるんですかね?
それとも、クオリアは死とともに宇宙に還ることなく「消滅」してしまうんでしょうか。
 
 
 
Unknown (littlemy)
2008-09-22 17:39:47
私的にには、いい感じです。
 
 
 
太陽の存在は? (ぽん)
2008-09-22 18:24:40
地球に生まれてよかったーーーー!

というところでしょうか。

雨粒の例えは素敵ですね。
降り注ぐ雨は恵みの象徴だったり、
災害も起こしたり。

雲の満員電車から、脱サラして地上におりてくるのかしら?
人魚姫の童話もまた違った読後感がうまれそう。

太陽の熱の力があってその循環は成り立つのだけど、
その太陽はなぜ燃え尽きてしまわないのかしら。

空想がいろいろと広がって、秋の夜長にはいいですね。
 
 
 
マタマタ大笑い~~ (chie)
2008-09-22 22:31:05
ヨドバシいいよねっ!!ポイントいいよねっ!!!
おもしろくっていいよねっ(^。^)y-.。o○

ほ~んとに黒斎さんはおもしろいわぁ
 
 
 
個ではなく… (ソラゴト)
2008-09-23 02:15:40
ここに至るまでも、ふむふむ成る程~と思っていましたが、雨の比喩はとてもわかりやすいですね。
以前、自分なりに死んだ後の心や輪廻について考えた事がありましたが、その時思い浮かべたイメージと近くて、とても響きました。

といっても、私のイメージは単純に、
「大きな水槽(ソウルメイト的な、同じような性質を持つ単位を水槽として)からコップに水をすくいだしたとして、これが個人の意識。死はそれをまた水槽に戻した状態。この大きな水槽は他にもいくつかあって、それぞれが浄化を目指していて、でもその水槽もいつか大きなプールに注がれ、また分けられていく…」
という感じでした(あれ?あんまり近くない…?(^_^;))。
でも、雨粒の例えの方がダイナミックで、いろんな局面に対応して考える事ができますね。わかりやすいです!
 
 
 
すみましぇーん (未都)
2008-09-23 18:11:30
なんか、わたしのせいでは無いとおもいますが、例えも変えていただいて、ぼんさんからもコメントいただいて、勝手に恐縮です^^;。
今月、生まれてから18年間ほとんど毎日いっしょだった叔母をなくしましたが、その時の感覚が、予想していたのと全く違っていて、なんか面白かったんですよね。ほんとに千の風かもと・・・と思った。でもやっぱり私も説明難しいので、一方的にもっと何とかならないの?なんて文句つけてしまってすみません。
 
 
 
ありがとうございます ()
2008-09-23 21:02:54
なんか…かなり腑に落ち始めています。意識の問題は少し残ってはいますが、落ち着いて続きをお待ちしています。(続きがあると決めつけているわけではなく今後のブログの続きも楽しみにしています、という意味です。)
 
 
 
ありがとうございます (ハッピー☆ラッキー)
2008-09-24 12:32:43
雨粒の例え、すごくわかりやすかったです。すごいなぁ~、と感動してしまいました。これからも更新を楽しみにしております。
 
 
 
学ばせて頂いてます (キラ)
2008-09-24 16:25:56
こんにちは、雲様、黒斎様。

最近、mixi内のコミュでこのブログに
出合う事ができました。
とても、分かりやすく、為になるお話しばかりです。

それで、私だけ読ませて頂くのがもったいない感じがしたので私のmixi日記で紹介したいのですがよろしい
でしょうか?


まだ2006年9月を読んでいて、ここまでくるのは
まだ時間がかかりそうなので、ここで承認のお願いにコメントさせていただきました。

これからもお勉強させてください。
よろしくお願いします。


 
 
 
Unknown (ぴた)
2008-09-24 22:38:33
前世の記憶を持っている人たちは前回の雨粒が
多く含まれたということでしょうか??
 
 
 
あああ、なるほど! (キース)
2011-01-27 12:11:11
ようやく話が理解できました。
まさしく次元の違う話をされてたんですね。
そういうお話であればよくわかりました。
 
 
 
Unknown (そらまめ)
2013-10-16 10:07:20
2011年からこのブログ見てました。
でも、最初から読み出したのは、
仕事が、月半分のパートに変わった九月から。

黒斎さんは妄想の人でなく事実の人で
当たり前のひとでした。
うーん、言葉は難しいですが。
トークライブも楽しい空間ですが
この場はハンパないですね
頭クラクラです。
家にいながら情報を受信する幸せ。
無料でいざなってくださる
黒斎さんに
心よりの感謝です。


 
 
 
はじめまして! (Coco)
2015-06-01 06:53:26
雲さん、黒斎さん、はじめまして。2015年の今、2008年の記事にコメントするのもどうかとは思うのですが…先月、このブログの存在を知りました。遅いのはきっと私がアメリカのど田舎に過去20数年住んでいるからかもしれません。それと、今この時期に黒斎さんのブログに出会えたことに意味があるのだと思います。

まだまだこの先を読み続けていくのが楽しみです。お釈迦様のお話もすごく勉強になりました。

死後の世界の有無や輪廻転生なども、興味深く読ませて頂いています。
ただ…、死後の世界のお話についてなのですが。

私は子供の頃からあの世とのアンテナがよく合う体質のようで。

私は、父を2歳のときに病気で失い、母も数ヶ月前に病気で他界しました。40年前に亡くなった父はいまだに何度も私に会いに来てくれています。母を亡くして悲しみにくれていたときも、慰めに会いに来てくれ、母は大丈夫だから心配しないようにと言ってくれました。20年前に亡くなった叔父も何度も見ていますし、母が亡くなる2日前には祖母が夢枕に立って母のことは心配しなくても大丈夫だよ、自分たちが迎えに来ているから、と言われました。母が亡くなる1日前には母自身が夢枕に立って心配しないようにとも言われました。

その他にも書き出したらキリがないほど、家族だけではなく見ず知らずの他人の幽霊も見ていますし、知人の亡くなったお祖母さんから家族への伝言を頼まれたこともあります。(お孫さんに伝言を伝えたら驚かれましたが、その伝言は的を得ていたようで涙ぐみながら納得されていました)

なので人間の死後にはひとり一人の個性は消えて大宇宙に融和されるというのが私個人的にどうしてもしっくりこないというか、納得できないんです。私は自分が世間でいう「心霊体験」をしているとは思っていません。ただ、あの世とのアンテナが合っているんだと思います。

黒斎さんのご意見を聞かせていただけたら…、と思っております。
 
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