goo

死後の世界.6

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

********************************************


『容疑者Xの献身』の公開も間近となってきた昨今、皆様いかがお過ごしですか。

お久しぶりです。黒斎(フジテレビのまわしもの)です。


さて、そんな僕と瓜二つと噂される福山雅治さんが「ガリレオ」で演じている湯川学という人物。

“天才物理学者”という彼のキャラクターを印象づけるセリフに、こんな基本フレーズがあります。


( ̄д ̄ ) 「思いつきやカンだけで答えを出そうとするのは間違いの始まりだ。全ての現象には、必ず理由がある。」


この、湯川准教授の一言こそがまさに、仏教で言われる「因縁(いんねん)」の説明です。


全ての現象(結果)には、必ず理由(原因と条件)がある。

その原因(因)と条件(縁)を考えずに、思いつきやカン(妄想や感情)で答えを出そうとするから、苦悩が生まれる。



さて、これも森羅万象をありのままに観察して確認してみましょう。

『全ての現象(結果)には、必ず「理由(原因と条件)」がある。』

やはり、「全ての存在は変化し続ける(諸行無常)」と同様に、反論のしようがありません。

理屈は通用しません。そういう「法則」なんです。逆らいたくても逆らえない「真理」です。


ここで改めて「因縁」の法則をわかりやすく説明します。

「因縁」の「因」は、『原因』のことです。

「因縁」の「縁」は、『条件』のことです。

お茶をいれようと思ったら、「お湯」が必要だと気づきました。

そこで、ガス台に火をつけて、やかんに入った水を沸かすことにします。

この時の、「火・炎」が『因(原因)』で、その『結果』が「お湯」です。

「炎」という原因から「お湯」という結果に至るまでに必要だった、「やかん」「炎の大きさ」「炎とやかんの間にある空間」「(炎が炎として存在できるために必要な)酸素」などが『縁(条件)』となります。

この時、存在するモノだけが『縁』ではありません。存在しないものもまた『縁』です。

例えば、ガス台とやかんの間に熱を通さない障害物があったとしたら、「お湯」という結果は得られません。

なので、「障害物がない」ということもまた『縁(条件)』です。


全ての現象(結果)は、何らかの『原因』と『条件』の結びつきで成り立っています。

『原因』と『条件』が、ほんのチョットでも異なると、『結果』が変わります。

同じ「炎」でも、「火力」という『条件』が異なれば、お湯ではなく、ぬるま湯にしかならないかもしれません。

部屋に酸素がなければ、「火」がつかないので、いつまでも水は水のままです。


そして、「お湯」という『結果』もまた、次なる現象(お茶)の『原因』や『条件』となります。


「今」目の前にある『結果』は、「過去」の『原因』と『条件』で成り立っています。

「今」目の前にある『結果』は、「未来」に現れる現象の『原因』や『条件』となります。

つまり、今あるすべては『結果』であると同時に『原因』です。

『原因』があって『結果』が無い、と言うことはありえません。

『条件』が伴っていないのに『結果』に繋がるということもありえません。


あれ?

この話、どこかで見たことがありましたよね?


そうです。

ジェームズ・アレンの『原因と結果の法則(AS A MAN THINKETH)』です。


『原因』は、その原因にふさわしい『結果』に繋がります。

何かをなせば、なしたなりの結果が現れます。

何もしなければ、しないなりの結果が現れます。

つまり、原因がある限り、原因と結果の連鎖は一時も止まらずに動き続けるのです。


ってことはですよ。

「諸行無常(存在は変化し続ける)」は、「因縁(原因と結果は連鎖し続ける)」と同じことなワケです。

すなわち、「諸行無常」=「因縁」。

この流れは1本の線で表せる様な単純なものではありません。様々な因と縁が、様々な因と縁で多次元的に絡み合う、想像を絶する難解なネットワークです。

それが世界の成り立ち、からくりです。





ある人はこう言います。

「頭の中で考えているだけなら、誰にも迷惑をかけていないんだから、悪いことを考えようと自由だよね?」


お釈迦様やジェームズ・アレンは、こう答えるでしょう。

(  ̄Д ̄) 『バカ言うな。その「思考」も「原因・条件」の一つだ。「悪い原因」からは「悪い結果」しか生まれない。「正しい結果」が欲しければ、「正しい原因」であれ。だから私は言うのだ「思考(あり方)は現実化する」と。』




「頭の中で考えているだけなら、誰にも迷惑をかけていないんだから、悪いことを考えようと自由だよね?」は、間違いです。

それは「自由」ではありません。

原因と結果の繋がり(因縁の法則)が見えずにいる、盲目(無明)という名の「不自由」です。



←「クリック」が『因』。「ボタン」が『縁』。「ランキング」が『結果』。

コメント ( 19 ) | Trackback ( )
« 小休止 死後の世界.7 »
 
コメント
 
 
 
阿部さんのブログに黒斎さんのお名前が登場していて驚きました (pyo)
2008-09-18 18:37:09
>「クリック」が『因』。「ボタン」が『縁』。「ランキング」が『結果』。
その前に「クリックしよう」という意思があるはずで、それは「因」?
それともブログ上のリンクそのものが「因」?
あ、そうかそうやって原因と結果が結びついてるわけですね。
 
 
 
あひゃひゃひゃひゃ( ‘∀’ ) (ヘンゼルとグレーテル)
2008-09-18 19:29:41
「頭の中で考えているだけなら、誰にも迷惑をかけていないんだから、悪いことを考えようと自由だよね?」

(  ̄Д ̄) 『バカ言うな。その「思考」も「原因・条件」の一つだ。「悪い原因」からは「悪い結果」しか生まれない。「正しい結果」が欲しければ、「正しい原因」であれ。だから私は言うのだ「思考(あり方)は現実化する」と。』


それは「自由」ではありません。

原因と結果の繋がり(因縁の法則)が見えずにいる、盲目(無明)という名の「不自由」です。



今日も新しい気づきをサンクスです。
ほんとに、ここまで論理的に説明できるのってすごいです。
別々の事柄や矛盾していると思っていた事柄が、論理で綺麗に繋がった爽快感と清涼感を何度も味あわせて貰いました。
黒斎さんのblogを読んでると頭の中の世界が広がります。
ごちゃごちゃしてた思考がクリアになります。脳ミソすっきりです。



「頭の中だけでもダメ。」
………じゃあやっぱ、夢の世界だからやりたい放題だ~~~ってのもダメ?w
 
 
 
疑問 (あっけな)
2008-09-18 20:03:02
>全ての現象(結果)には、必ず理由(原因と条件)がある。

>その原因(因)と条件(縁)を考えずに、思いつきやカン>>(妄想や感情)で答えを出そうとするから、苦悩が生まれる。

ここ、ちょっと引っ掛かってしまいました。
引き寄せのエイブラハムは感情のナビに従えと散々いっています。
この時の感情と上の感情は違うのでしょうか?

それともエイブラハムは間違っている??
仏教とキリスト教の違いでしょうか?
 
 
 
表に出るよね (油虫)
2008-09-18 22:28:50
 人間性ってね、どんなにうまく隠しているつもりでもね、外に出るもんなんだよね・・・。だから普段から気をつけてないと・・・常にいい存在でいられるように、心と魂を磨いていかないと駄目なんですよね。悪しき思考にまみれていると、いい成長なんて出来ないし・・・。
周囲も自分もどんどん不幸になっていくだけですもんね。

 心の中では何を考えてもいいっていうのは魂だけの世界では間違いなく通用しません。心の中で悪いことをふと考えてしまったらすぐにそれを強く否定して打ち消さないと・・・。以前それを忘れてそのままにしていたらみーちゃんに頭を殴られたのを思い出しました。本当に殴りますから、うちのみーちゃんは・・・。まあ邪なことを考えていた私が一番悪いんですけど・・・。

 ちなみに何を考えていたのかはヒ・ミ・ツ(笑)

 いい存在になりたいです。(あくまで『いい存在』であって『いい人間』ではないところがミソ)  
 
 
 
まー (Fam)
2008-09-18 22:37:34
阿部さんのブログに行ってきました。
なんと言うか、私はコクサイさんの人間臭さが感じられるこちらの方が好きです。
それにしても、そんなに湯川さんがよいのですかあ?ガリレオはウチの会社が撮っていた番組だったりしますが・・・この前ガリレオSPが撮り終わったようです。そちらは元スタッフで撮っています。映画の方は残念ながらウチでは無かったようですが、楽しみに見て頂けたらありがたいです。
そんなにフジテレビが良いのでしたら、頑張ってみましょうか?ご縁なのかもしれませんね(^^;)
ちなみにウチの社長も北海道出身でして、ウチの社は北海道人を高い確率で迎え入れています(絶対に贔屓だーー)コクサイさんももしかしたら社長と血縁だったりするかもしれませんね。
全然関係ないですが、今のクライアントというか仕事のお得意さまは国際放映って言う会社なんですよ。(頭にウンはつけないでね~・・・・)コクサイさんって言う度に引っかかってたりします(^^;)
 
 
 
全ての現象には (えじ)
2008-09-18 23:00:06
必ず理由がある。。。
そう考えると何だか楽しくなるのは
私だけかな
こう動くと結果どうなるかな?とか。。。
時々失敗はするけれど
それもまた学びだと思うし。。。

わからないコトがわかっていくって楽しい


今、シュワちゃんのコマンドー見てます
昔は、見て感動してたけど
娘一人を助ける為にこんなに人を殺していいのかな。。と
昔のゲームのドームみたい。。。
つくづくヘンテコな映画です。。


コクサイさん もうすぐ2位ですね
原因があって結果がある
 
 
 
因果律 (ナナジン)
2008-09-19 00:21:11
原因が結果に結びつく。思考すらも原因になりうる。
だから、個人の在り方が重要になってくる訳ですね。
今回の話の内容は非常に科学的な感じがします。
「ラプラスの魔」も人間では認識できないだけで、実際には存在しているのかぁなんて思ったり…
私もまだまだ発展途上なのかなぁ。
 
 
 
Unknown (waking)
2008-09-19 09:53:32
>だから私は言うのだ「思考(あり方)は現実化する」

「思ったことがそのまま現実になる」っていうのを思い出しました。


お湯の件は馬鹿な僕でもかなりわかりやすかったです。
 
 
 
客観と主観を混同しないと (ぽん)
2008-09-19 10:12:40
例えば短命。
平均寿命という曲者が時折私を苦しめます。

自分の命なら覚悟はできていると思う。
でも、身近な人の場合、若くしてこの世を去られると
私の心がけが悪かったのかと自らを責めてしまうことが
以前はあって、ずいぶん苦しみました。

でも、今は人の生き死には原因と結果では語りようがないと思ってます。

それこそ複雑なベクトルが入り乱れて
結果が表れてるのを解明するのはこの世にあっては不可能で無意味なのではないかと思ってます。

自分というテーマの時に
どこまでが自分かというテーゼが展開されてましたが、
一人の人間が二つの命を生きることはできないから、
身近な存在であっても、その生き死には同化できないんだなあと逆説的に思ってました。

どうも子供とか夫とかの命を自分の分身のように語ることに抵抗をやっと感じるようになりました。

でも、日本人特有の心中とかの殺人の場合を
美化しすぎるから、いつまでも老衰以外で身内を亡くした時に遺族が苦しむんです。

この点について、黒斉さんの言葉で明瞭に語っていただきたい所存です。

 
 
 
エッチな (シシカバブ)
2008-09-19 12:15:56
これを読んだら、頭の中でのエッチな妄想できなくなったじゃないか!

も~
 
 
 
あっけな様 (Fam)
2008-09-19 19:20:31
コクサイさんが思いつきやカン(妄想や感情)と書いてしまったのは、解りやすくしようとして失敗してしまっただけでしょう。
妄想や一時の感情に流されてはダメでしょうけれど、ひらめきや、カン(思いつきと書いてしまったのは失敗でしたかな?)はまったくの別モノです。
カンとは今まで重ねて来た経験に基づくもっとも可能性の高いものを選択した結果であると。理由はうまく説明できないかもしれないけれど、「そうだ」と断言できる確信。これが本来の「カン」。
カンと適当な選択(一般的なカン)を混同してしまいがちですが、エイブラハム曰くの「カン」は前者の方でしょうね。「ひらめき」と言った方がいいのかな?
 
 
 
Fam様 (あっけな)
2008-09-20 10:34:50
ご丁寧なレスありがとうございます。
実はコクサイさんがこのエントリーでおっしゃりたい事と
かなりズレた質問でしたので、投稿しなければ良かったかな?
なんて思ってました。

そうですね。
たぶんFamさんのおっしゃっている様な事だと思いますし
そうであってほしいものです。
 
 
 
アクセス数 (ななつの)
2008-09-21 10:34:28
他のブログのように他サイトのランキングに参加して、他のサイトからお客を引き寄せて来てはどうでしょうか、伊勢白山は別格にしても、その方法なら多少伸びるのでは・・・・

とりあえず押しておきます。
仏教系の話しおもしろいです。
 
 
 
Unknown (sakura)
2008-09-25 22:22:30
ブログのランキングの応援は、他のブログと競うというかたちで、読者が捉えることではないと思います。そういう読者のコメントが、ブログの質を変えていって(コメントを読む側の空気が、くすんできて)しまうのでは、ないでしょうか??
 
 
 
連鎖反応=連続体 (通行人)
2009-04-17 00:28:50
 カルマは連鎖反応であり、連続体(連続した一連の現象)であって、「原因と結果」と言う見方は、その連続体の一部を切断したような見方でしかないでしょう。

 もちろん、それが普通の見方なのでしょうけど。「人生万事塞翁が馬」なので、「群盲象を見る」とならない事ですね。

 「問題は枠の中で生じる」ので、枠の範囲内で物事を見ている限りは、問題は次々と起こる事でしょう。枠が狭ければ多くが同時に、広ければ少しずつ。
 枠を拡大して行けば、問題も減って行くでしょうが、そもそも枠そのものを取っ払ってしまえば、そこには、何の問題も存在しない、ようです。

 では、その枠の正体は?
 
 
 
“善い木には… (kaorin)
2010-03-06 18:37:16
善い実がなる。”by聖書
 
 
 
因果 (Fujimaru)
2010-06-25 18:01:05
原因があって結果がある。

という事について考えている事を書かせていただきます。

この場合の原因と結果は、3次元的に
過去の原因→今の結果
という形ですが、時間のない世界(あの世)的にみると
未来の行動(Do)が原因で現在が結果という事もありうるのでは?と考えています。

例えば、ある男性Aがある女性Bにアプローチしたとします。数か月アプローチした結果、振られた後。
男性Aが「あんな女に無駄な時間をかけつまった」とか悪口を言った場合
原因が未来で結果が過去 という事も起こるのでは?

もし、振られた後、「自分を鍛える事ができた。振られちゃったケドあの娘に恋が出来てよかった」とか言った場合結果が違うのでは?と考えます。

検証できない事例ですけども

ただ、どういう行動をしたか(Do)よりもどういう男性であったか?という Be が大きく違うと思いますが。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2011-01-18 10:46:54
「頭の中で考えているだけなら、誰にも迷惑をかけていないんだから、悪いことを考えようと自由だよね?」

現代の日本の法律という視点から見れば「犯罪にはならない」という意味はありますけどね。(自由とは違うのかな?)

二歩も三歩も離れた全く別の視点から見ると「自由じゃない」ってことになるんですね。
 
 
 
Unknown (はな)
2011-01-18 10:48:12
上のコメント私デス。ごめんなさい。名前入れ忘れましたm(__)m
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。