いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
宇宙立この世学院.8
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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本日のエントリは長文となります。(とはいえ、そのほとんどは「引用」なのですが。)
でも、とても大切な内容ですので、「じっくり」時間をかけてご覧いただきたく。。。
<(_ _ )>
…
多くの人は、社会というものが、何かそのようなものとして存在していると漠然と思っている。でも、考えるということは、漠然と思うことではなくて、正確に知ることだ。さあ、「社会」というものを、その正確な形で思い浮かべてみよう。いや、社会というのではあまりにも漠然としているというのなら、学校でもいい。小さな社会としての「学校」というものを、正確な形で思い浮かべてみてごらん。これが学校ですと、明確に示してみてごらん。
君はまず、学校の校舎を思うかもしれない。でも、それは学校の“校舎”なのであって、それが学校なのではないね。次に君は、学校にいる人々、いく人かの先生とたくさんの生徒を思うかもしれない。でも、それは学校にいる“人々”なのであって、それが学校なのでもない。あるいは、学校の授業の風景や、規則の数々のことを思うだろうか。でもそれも、学校の授業や規則ではあっても、それが学校そのものというわけではない。じゃあ、これが学校だと言える何かを、目に見える形として示すことはできるだろうか。
できないね、すごくおかしなことだけど、「学校」なんてものを、目で見たことのある人はいないんだ。なのに人は、それが何か目に見える物のように、自分の外に、自分より先に、存在しているように思い、事実そのようにして毎日を生きている。「社会」というものもこれと同じなんだ。いや、「学校へ行く」とは言えても、「社会へ行く」とは言えないのだから、人が漠然と「社会」と言う時の曖昧さはそれ以上だ。「社会」なんて、いったいどこにどのように存在しているのだろう。
(中略)
で、「社会」というのは、明らかにひとつの「観念」であって、決して物のように自分の外に存在している何かじゃない。だって、何かを思ったり考えたりしているのは自分でしかないのだから、どうしてそれが「自分の外」に存在しているはずがあるだろう。「社会」は、観念として、自分や皆の「内に」存在しているものなんだ。いや、「内・外」という言い方は、「自分」を考えるとあり得ないということも先にわかったね。物のように外に存在しているかのように思われる「社会」、社会という現実は、皆が内で思っているその観念の、外への現われだ。観念が現実を作っているのであって、決してその逆じゃないんだ。
このことに気がつくことはすごく大事なことで、うまくこれに気がつくことができると、すべてがそんなふうにできあがっているということもわかるはずだ。「社会」なんてものを目で見た人はいないのに、人はそれが何か自分より先に、存在するものだと思っている。思い込んでいるんだ。それが自分や皆でそう思っているだけの観念だということを忘れて、考えることをしていないから、思い込むことになるんだね。でも、自分の外に存在しているかのように思われる社会というものを、それならよく見てごらん。その社会に存在しているのは、やっぱり同じように思い込んでいる人々がいるばかりじゃないか。その人々の集まりのことを、「社会」と呼んでいるだけじゃないか。
「ない」のに「ある」と思い込まれたものは、当然あることになる。自分の外に物のようにある社会は、当然自分に対立してあると思われることになる。社会は個人を規制するわずらわしいもの、個人主義のあの彼の捉え方だ。その極端なのが、わかるね、自分に都合が悪いことはすべて、「社会が悪い」「社会のせいだ」というあの態度だ。でも、社会が自分の外にあると思っているのは、他でもないその人だ。自分でそう思い込んでいるだけなのに、じゃあその人はいったい何を責め、誰が悪いと言っていることになるのだろう。
社会を変えようとするよりも先に、自分が変わるべきなんだとわかるね。何でもすぐ他人のせいにするその態度を変えるべきなんだ。だって、すべての人が他人のせいにし合っている社会が、よい社会であるわけがないじゃないか。社会は、それぞれの人の内の観念以外のものではないのだから、それぞれの人がよくなる以外に、社会をよくする方法なんてあるわけがないんだ。現実を作っているのは観念だ。観念が変わらなければ現実は変わらないんだ。社会のせいにできることなんか何があるだろう。
※以上、「14歳からの哲学」(池田晶子著)より抜粋。
巷でまことしやかに囁かれている「アセンション(次元上昇)」という言葉。
僕は、この言葉の指す意味は、この「宇宙立この世学院高等学校のレベルアップ(偏差値向上)」だと思っている。
どうだろう。聞きなれない「アセンション」や、何を指しているのか分からない「次元」という言葉よりは、よほど捉えやすいと思うのだが。
この「学校(この世)のレベルアップ(偏差値向上)」という比喩と、先にご紹介した内容を組み合わせて考えてみて欲しい。
「学校」は、物質として存在しない観念的な存在。
では、その実像を持たない「学校」のレベルを上げるということは、どういう意味だろう。
校舎を新しく、より大規模に、よりキレイに磨き上げることだろうか。
いや、それでは単に建物がレベルアップしただけであって、「学校」がレベルアップした、と言うことにはならない。
それを証拠に、世の中のあらゆる学校を見渡しても、「校舎の大きさ・新しさ」と「学力・偏差値」が比例しているわけではない。
どんなに環境を整えても、どんなに立派な校舎を用意しても、そこで学ぼうという意欲そのものがなければ、そんな環境など、何の役にも立ちはしない。
では、教員のレベルを上げるということだろうか。
これも違う。だって、そもそもここの生徒達は教員の話に耳を傾けるどころか、その存在すら確認できてないのだから。(ましてや、自分達を超える、そんな存在などいるわけがない、と思い込んでいる人間の数のほうが、圧倒的に多いのだから。)教員を入れ替えたところで、何も変わりはしない。
教師はひたすら、生徒達が自分達の話に耳を傾けてくれることを、辛抱強く待つしかない。
学校のレベルを上げる方法、それは、環境ではなく、生徒達自身の「学力・偏差値」を向上させる以外、術はない。
誰かや何かに頼るのではなく、生徒達(私達)自身が変わらなければ、何も変わらない。
無論、勉強そのものを始めてもいない私達の学力が、ある日突然、何か得体のしれない力によって向上するなどということもないだろう。学力を向上させるには、当然、それなりの努力が伴うからだ。
今、私達がしなければならないのは、勉強のスタートラインに立つことだ。
「学力」以前に、少なくとも「学ぼうとする力」を持たなければ、この学校を卒業したとしても、就職先も、進学先もありゃしない。
「マーフィーの法則だ」「引き寄せの法則だ」と浮かれて、「新たな教科書・教材」を引き寄せるのは、そろそろ、やめにしないか。
引き寄せるべきは、「教科書・教材」ではなく、その先にある「学力」だ。
←I wish your Merry Christmas.
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本日のエントリは長文となります。(とはいえ、そのほとんどは「引用」なのですが。)
でも、とても大切な内容ですので、「じっくり」時間をかけてご覧いただきたく。。。
<(_ _ )>
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多くの人は、社会というものが、何かそのようなものとして存在していると漠然と思っている。でも、考えるということは、漠然と思うことではなくて、正確に知ることだ。さあ、「社会」というものを、その正確な形で思い浮かべてみよう。いや、社会というのではあまりにも漠然としているというのなら、学校でもいい。小さな社会としての「学校」というものを、正確な形で思い浮かべてみてごらん。これが学校ですと、明確に示してみてごらん。
君はまず、学校の校舎を思うかもしれない。でも、それは学校の“校舎”なのであって、それが学校なのではないね。次に君は、学校にいる人々、いく人かの先生とたくさんの生徒を思うかもしれない。でも、それは学校にいる“人々”なのであって、それが学校なのでもない。あるいは、学校の授業の風景や、規則の数々のことを思うだろうか。でもそれも、学校の授業や規則ではあっても、それが学校そのものというわけではない。じゃあ、これが学校だと言える何かを、目に見える形として示すことはできるだろうか。
できないね、すごくおかしなことだけど、「学校」なんてものを、目で見たことのある人はいないんだ。なのに人は、それが何か目に見える物のように、自分の外に、自分より先に、存在しているように思い、事実そのようにして毎日を生きている。「社会」というものもこれと同じなんだ。いや、「学校へ行く」とは言えても、「社会へ行く」とは言えないのだから、人が漠然と「社会」と言う時の曖昧さはそれ以上だ。「社会」なんて、いったいどこにどのように存在しているのだろう。
(中略)
で、「社会」というのは、明らかにひとつの「観念」であって、決して物のように自分の外に存在している何かじゃない。だって、何かを思ったり考えたりしているのは自分でしかないのだから、どうしてそれが「自分の外」に存在しているはずがあるだろう。「社会」は、観念として、自分や皆の「内に」存在しているものなんだ。いや、「内・外」という言い方は、「自分」を考えるとあり得ないということも先にわかったね。物のように外に存在しているかのように思われる「社会」、社会という現実は、皆が内で思っているその観念の、外への現われだ。観念が現実を作っているのであって、決してその逆じゃないんだ。
このことに気がつくことはすごく大事なことで、うまくこれに気がつくことができると、すべてがそんなふうにできあがっているということもわかるはずだ。「社会」なんてものを目で見た人はいないのに、人はそれが何か自分より先に、存在するものだと思っている。思い込んでいるんだ。それが自分や皆でそう思っているだけの観念だということを忘れて、考えることをしていないから、思い込むことになるんだね。でも、自分の外に存在しているかのように思われる社会というものを、それならよく見てごらん。その社会に存在しているのは、やっぱり同じように思い込んでいる人々がいるばかりじゃないか。その人々の集まりのことを、「社会」と呼んでいるだけじゃないか。
「ない」のに「ある」と思い込まれたものは、当然あることになる。自分の外に物のようにある社会は、当然自分に対立してあると思われることになる。社会は個人を規制するわずらわしいもの、個人主義のあの彼の捉え方だ。その極端なのが、わかるね、自分に都合が悪いことはすべて、「社会が悪い」「社会のせいだ」というあの態度だ。でも、社会が自分の外にあると思っているのは、他でもないその人だ。自分でそう思い込んでいるだけなのに、じゃあその人はいったい何を責め、誰が悪いと言っていることになるのだろう。
社会を変えようとするよりも先に、自分が変わるべきなんだとわかるね。何でもすぐ他人のせいにするその態度を変えるべきなんだ。だって、すべての人が他人のせいにし合っている社会が、よい社会であるわけがないじゃないか。社会は、それぞれの人の内の観念以外のものではないのだから、それぞれの人がよくなる以外に、社会をよくする方法なんてあるわけがないんだ。現実を作っているのは観念だ。観念が変わらなければ現実は変わらないんだ。社会のせいにできることなんか何があるだろう。
※以上、「14歳からの哲学」(池田晶子著)より抜粋。
巷でまことしやかに囁かれている「アセンション(次元上昇)」という言葉。
僕は、この言葉の指す意味は、この「宇宙立この世学院高等学校のレベルアップ(偏差値向上)」だと思っている。
どうだろう。聞きなれない「アセンション」や、何を指しているのか分からない「次元」という言葉よりは、よほど捉えやすいと思うのだが。
この「学校(この世)のレベルアップ(偏差値向上)」という比喩と、先にご紹介した内容を組み合わせて考えてみて欲しい。
「学校」は、物質として存在しない観念的な存在。
では、その実像を持たない「学校」のレベルを上げるということは、どういう意味だろう。
校舎を新しく、より大規模に、よりキレイに磨き上げることだろうか。
いや、それでは単に建物がレベルアップしただけであって、「学校」がレベルアップした、と言うことにはならない。
それを証拠に、世の中のあらゆる学校を見渡しても、「校舎の大きさ・新しさ」と「学力・偏差値」が比例しているわけではない。
どんなに環境を整えても、どんなに立派な校舎を用意しても、そこで学ぼうという意欲そのものがなければ、そんな環境など、何の役にも立ちはしない。
では、教員のレベルを上げるということだろうか。
これも違う。だって、そもそもここの生徒達は教員の話に耳を傾けるどころか、その存在すら確認できてないのだから。(ましてや、自分達を超える、そんな存在などいるわけがない、と思い込んでいる人間の数のほうが、圧倒的に多いのだから。)教員を入れ替えたところで、何も変わりはしない。
教師はひたすら、生徒達が自分達の話に耳を傾けてくれることを、辛抱強く待つしかない。
学校のレベルを上げる方法、それは、環境ではなく、生徒達自身の「学力・偏差値」を向上させる以外、術はない。
誰かや何かに頼るのではなく、生徒達(私達)自身が変わらなければ、何も変わらない。
無論、勉強そのものを始めてもいない私達の学力が、ある日突然、何か得体のしれない力によって向上するなどということもないだろう。学力を向上させるには、当然、それなりの努力が伴うからだ。
今、私達がしなければならないのは、勉強のスタートラインに立つことだ。
「学力」以前に、少なくとも「学ぼうとする力」を持たなければ、この学校を卒業したとしても、就職先も、進学先もありゃしない。
「マーフィーの法則だ」「引き寄せの法則だ」と浮かれて、「新たな教科書・教材」を引き寄せるのは、そろそろ、やめにしないか。
引き寄せるべきは、「教科書・教材」ではなく、その先にある「学力」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/e9/b8a4bcdc22643fc1ac2303b742061ba6.png)
コメント ( 23 ) | Trackback ( )
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同感です。
そのように生きていこうと決め、歩んでいますが、なお一層深く感じました。
目に前の事に手を抜かずに、きちんと取り組む事の出来る人
この世に来た本義からすれば、利己的な目的のためにそういうテクニックを利用することは「ズレてる」のかな?
マーフィー博士のことはずっと尊敬してきたんだけど、博士は今頃あの世で自身の説いたことを悔いておられるのだろうか?
さっきまでコメント0だったのに電池切れのせいで打ち直してたら1番乗り逃しちゃいました。(-_-#)
訂正だけ失礼しました~
それにはフェイク、思い込みに気づいていく必要がありますね。きっと、これからはそういう流れになっていくのでしょうね。
ホントに勉強になります。
正直な話まだまだ、教材集めばかりしている自分がいることを再確認しました。
「マーフィー」も「引き寄せ」も買ったはいいんですが、読んでない。これじゃ~、教材集めにもなってないと痛感しました。
気づかせていただきありがとうございます。
ご心配、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでしたm(__)m
あれの原因は第2チャクラの絶不調からでした。
その影響が第5チャクラにまで昇っていき、さらに旦那、娘にまでorz
今は根本的な原因も、解決法も分かり、私自身も元気になりました(^_^;)
やっぱ、我慢は良くないですね。
オレンジさんにも滅茶苦茶叱られました。
『ここで行動を起こさないと無くすよ!』
つまり離婚に繋がるってやつです。
それは困るので、母は強しで頑張ります!
元気になった報告でしたっ(*^-^*)
自分自身を振り返り、行動していく事、今ある状況は自分が選択してきた道、どの道でも、必要なものは全てそろっている。
自分達は奪い合うよりも、与え合う事の方が、より大きな意味を持ち、より大きな力を生み出す事が出来る。創造は自由であって責任は自分達にあり、それは、自然界から学ぶ事が出来るかもしれない。
私ではなく私達という言い方の生き方が重要な時代に突入したと思います。来年からは、火山活動や自然火災など、火と日の活動が活発化してきて、悪い者物があぶりだされて、くると思います。
悪いものが出てくると、よりハッキリと自分の進むべき道というのが、ハッキリ分かり易くなると思います。悪い事のように思う出来事は、その反対の意味も持っている事に気が付く事になると思います。
今までが悪過ぎたので、大きく良い事の方向に向かう事は、失っていくように感じるかもしれないですが、失うものあれば、必ず得るものも存在している事を忘れてしまっては、いけないですよね。
戦後、物質的には裕福になってきたと思いますが、失ったものも大きかったと思います。 助け合う意識を高めれば、乗り越えられない道は無い事が真実だと思っています。
人類は氷河期も乗り越えてきたのですから。自分を信じて行きましょう!色々な人がいますが、それなりの事情があり、その人を作っていったのだと思います。もしかしたら、その人に助けられる事もあるかもしれません。心は心を育てると思います。
動物でも植物でも、心を込めたものには、何かしらの合図(ありがとう)が現れてくると思いますね。 お互いに生きていく為には、必要としない存在はいないのかもしれないですね。
今までは、ローカル地方を、グルグルとエンドレスで周回していましたが
12月でポイントが切り替わり、銀河の中心に向けて、力強く発車した感じです
皆さん、ちゃんと指定席に着席しているかな?
なんだか、今回の、
コメントに、
サンタクロースさんが、います。
本当 そのような 感じがしました。
僕の、ところにも、
サタン さんが、
来て、くれるかな~?
~~~~~んっ???
(?_?) まちがえた?
サ タ ン さん
ひっくり返して
サ ン タ さん
じょう だん で~すよ
≡≡≡≡≡三 (/ ^^)/
ナニができるんだろう?
見守るだけでもいいのだろうか?
私はいつもその問題に直面するが未だ答えは見えない‥
それに私にも気付かなければいけないことは山ほどある
だから私は、生徒であり先生でもあると思う
『気付いて!』と『気付きたい!』は私の中で同居しています
全ての悪い事の中にも全ての良い事の中にも
見えないのではなく、ただ見ていないのであって
知らないのではなく、ただ知りたくないのである
あなたが問うことには、必ず答えが用意されている
あなたが見たい未来があり...
あなたが描いた明日が来る...
何かに恐れることはない
今、この時をより良く生きよ
あなたが笑えば、周りが和み
あなたが親切なら、周りが優しい気持ちになる
あなたが人の為を思うのは
自分を思うことと全く同じ事なのだ
だから、今から出来ることは無限にある
あなたにも出来る事がある
政府、官僚、財界なんて観念であり見た人は
居ないでしょう。
だけど、ビートたけし主演の「点と線」という
ドラマみたぁ? あれは感動したなぁ。
貴ブログが永く続くことを懇願する1人です。
>>「マーフィーの法則だ」「引き寄せの法則だ」と浮かれて・・・・
私は両方と熟読いたしました。
とても共通してますし、一種の法則であることは間違いないと思います。
ただ、空想に戯れるだけで終わる・・・そんなリスクも感じます。
引き寄せるべきは「学力」。
そのとうりだと思います。
ただ、その「学力」を身に付ける教材は必要だと思うのです。
先程の法則・・・これらも使いようではないでしょうか?
思いが現実に顕現してくるのは事実ですし、以前にも書かれていましたよね。
「夢は追いかけてはいけない。夢は引き寄せるのだ!」と。
貴ブログで拝見し、なるほど!と思いました。
先程の法則と似てます。
つまり、使い方だと思うのですが・・・。
突然ですが、これから守護霊とコンタクトできる人が増えてくる。そんなことが、このブログに書いていたと思う。(たぶん。)
何故そうなるのか?
先日の地球のスクラップの話。
私はこれを考えていました。
このままじゃ本当に地球が取り返しのつかないことになるので、必死であの世からもアプローチを仕掛けてきていると。よって、あの世メッセンジャーも増えてくる。
自分で考えてて、なんかSFみたいな話だなと思っていたが、先日のブログを見て本当にそうなのか?
少し驚いた。
最近の地球・人(の心)はほんと全体的に病んできている気がする。ほんとに世界的に方向転換しないと大変なことになるのは事実だと思う。
あの世メッセンジャーが政界・財界にも現れて
根本的に世の中の考えが変わって行くのだろうか。
ってゆうか、そんな他人事みたいなこと言ってないで、自分も何らかの行動をしないといけないですよね。
先ずは、自分の身の周りから、できる事から。
私は霊感的なものは、いっさい持ち合わせていませんが、ここのブログは好きです。
なるほど~って思うことが たくさん書いてある。
このブログに会えて良かった。
因果律ですね?
コメンテーターの
みなさん へ
メリークリスマス
だっぺ
北海道は、しばれてるかなぁ~。
体には、きー ずぅげぇてなぁ~。
(ノ^^)八(^^ )ノ
子供たちに楽しい思い出をあげたい親たちのものでしょうか?
すてきな夜を過ごしたい恋人達のものでしょうか?
イエス・キリストの降誕を祝うクリスチャンのものでしょうか?
すてきな日でありますように。
思いっきりウケました。
目からウロコの説明に脱帽です。
ついに!?
やっと!?
うちにインターネットが繋がりました!!(遅)
宇宙立この世学院から拝見させてもらってます。
久しぶりに読んでいますが、いつもいつも分かりやすく書いて頂いて大変感謝しております。
ありがとうございます。
まさしくその通りですよね。
この一言つきます。
ただ、それを受けて自分がどう活かしていくかがまた大切ですね。
先日、ヒプノを受けました。
自分の前世では、シスター姿で戦争に対して嘆きと無事に帰って来て下さいという祈りをしていました。
その頃の思いを感じ、今の自分は号泣していました。
「やり残したことは?」という質問にその私は『結婚して出産すること』と答えていました。
シスターだから、結婚も出産も出来ないですもんね。
その答えに今の自分は結婚して出産して・・と前世でやり残した事を成し得ていていて、今の環境にとても幸せを感じまたまた号泣。旦那と娘にありがとう。という思いでいっぱいになりました。
長々と自分のこと書いてしまいましたが、戦争しかり地球上(学校)で何の意味もないことが多すぎるように思います。
もっと本質を見ていきたいですね。
ありがとうござます。
こんにちは
そして今日、贈り物が届きました。
そして今日、贈り物を届けました。
まさかあのような場所で、大人の心に居るサンタさんに遭遇するとは…
14歳の頃の僕は勿論の事、大人に成ってからの僕にとっても、予想だにもしない出来事でした。
(因みに、恋人とかではありませんよ。)
僕はクリスチアンではありませんが…、
改めまして、全ての大人の心に住むサンタさん、そして全きへ、