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カズという名のコピペ

2009年01月19日 | Weblog
高校の監督にブラジル留学を相談した時、「人間100%はないが お前は99%無理だ」
と言われ、その男はこう言った。

 「1%あるんですね?じゃあ僕はその1%を信じます」

三浦知良。後にキングカズと呼ばれた男の挑戦は、ここから始まった。
時が流れ、1990年。挫折と屈辱の末に栄光を勝ち取ったその男は
ブラジルから帰国し、読売サッカークラブと契約する。

 カズ:「日本代表をW杯に出場させるためにブラジルから帰ってきました!」
 記者:「でも日本にはプロは無いんですよ?世界に通用しますか?」
 カズ:「それじゃ、見ててください。僕が日本を変えてみせます!」
 記者:「本気で日本が世界を相手に戦えると考えているんですか?」
 カズ:「日本も世界なんですよ?」

帰国当時は平凡なプレイが目立ち、ヒーロー気取りで大きなことを言う若造と
思われ始めた頃、彼は徐々に目の醒めるようなプレーを連発していく。
1992年、日本年間最優秀選手賞受賞。そして最高のタイミングで、1993年Jリーグ開幕。
カズは宣言通り、獅子奮迅の働きでJを盛り上げていく。
日本人最高の20得点を記録、ヴェルディ川崎を初代チャンピオンに導き、
Jリーグ初代MVPを受賞。

 「魂込めました…足に!」(1992年アジア杯最終予選で。この後、日本はアジア杯初制覇)

そして日本代表はW杯最終予選へと駒を進める。
紙一重の予選首位。誰もが信じて疑わなかった光の道。
日本初のW杯出場…あと1つでアメリカだ…夢にまで見たW杯だ…!
しかし運命の神は、日本代表には微笑まなかった。
1993年10月28日、対イラク戦。日本代表はロスタイムでドーハに散る。

 「悲しみはいつか癒えていくのかもしれない。でも、傷って消えることは無いんです」


1994年、イタリア・セリエAのジェノアに期限付移籍。
通用しないんじゃないかという声が多かった中、彼はこう言い放つ。

 「通用しないから行くんですよ」
 「W杯に行くために(イタリアから)何かをつかんで帰って来たいんです」

そして1996年、ヴェルディに復帰したカズは、Jリーグ得点王を獲得する。
夢はフランスに続くんだ。日本代表をW杯に出場させる、みんなでフランスに行くんだ…!


1997年W杯フランス大会最終予選。初戦のウズベキスタン戦で4得点をあげたカズは、
しかしその後、層の薄いFW陣をカバーするため怪我を抱えつつも無理に出場を続け、
調子を大きく崩してしまう。その短い期間だけを見て、カズに批判が集中した。
カズに物が投げられ罵声が浴びせられる。暴徒化したサポーターに対してカズが叫ぶ。

 「お前らこんなことでもう諦めたのかよ!俺は死んでも諦めねぇぞ!」

そして迎えた1997年11月16日。ジョホール・バルにて遂に日本サッカー界の
歴史が変わった。日本代表80年の夢、W杯出場を勝ち取ったのだ。
しかし…歓喜に包まれたホイッスルの瞬間、舞台にカズの姿は無かった。
城彰二と途中交代したカズは、あれほどまでに焦がれた瞬間を、フィールドで
迎えることはできなかった。

悪夢は続く。1998年、日本代表はW杯本大会に向け、スイスで直前合宿に臨んだ。
その最中、W杯直前の6月2日に迎えた、本大会最終メンバーの発表。

 「外れるのはカズ。三浦カズ」

岡田監督の声が、無情に響いた。最後の最後で、カズの夢が潰えた瞬間だった。
この時に外れた3人は、現地に残って応援することすら許されなかった。
帰国後、カズは語った。

 「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こう(フランス)に置いてきたよ」


その後、ザグレブ、京都パープルサンガ、ヴィッセル神戸、シドニーFC、横浜FC…
めまぐるしく所属チームが変わり、2度のゼロ円提示を受けてもなお、
彼がユニフォームを脱ぐことは無かった。

 「皆、オレが引退すると思っているのかな?サッカーは世界中でやっているんだぜ」
 「どこでだって現役でいる限り、チャンスはあるんだよ。ゼロじゃないんだ」

その間の日韓W杯、ドイツW杯と迎えた2度のW杯にも、やはりカズの姿は無かった。

 「現役でいる限りは代表を目指すよ。俺にとって代表は特別なんだ」
 「ジーコ、一度でいいから代表に呼んでくれねぇかな。もう一回だけでいい…」
 「ドイツでお会いしましょう」(2006年ドイツW杯への出場が決まった時)
 「次は2010年目指して頑張ります」(2006年ドイツW杯のメンバー発表後)


三浦知良、41歳。カズがW杯に出場できていないことは、松井秀喜がWBCに
縁が無いのとは少しだけ話が違う。日本サッカーを確かに変え、キングとまで
呼ばれた男は、J最年長になり、代表に呼ばれることも無くなった今もなお、
その日を目指している。


カズは全盛期から、代表に召集されるたびに「これが最後かもしれないから」と、
代表のユニフォームを貰って帰っていたという。そんなある日、用具係の
ミスで受け取れず、「次に来た時、渡しますよ」と言われた時、カズは言った。

 「…”次”の保証なんか、オレ達には無いんだ…!」

今年も選手としての姿をフィールドで見られる事を何よりも嬉しく思う。
そしていつの日か…今の代表ユニフォームを、カズがもらって帰る日が来ることを
願っている。 願わずには…いられない。

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