「マイケアプラン研究会」活動報告

マイケアプランは高齢者の権利宣言
いつまでも自分らしく生きるために・マイケアプランを応援します

ほっとなマイケアプランニュース178号より

2017-05-07 | ほっとなマイケアプランニュース

あらためて「介護の原点」を問う(その3)  介護は「消費財」か?
           
マイケアプラン研究会   代表世話人 小國 英夫
                        

 経済学では企業が提供するものを「財」という。財は大別すると消費財と生産財に分かれる。
同じテレビでも個人が家で見るために購入すれば消費財となり、学校の教室やホテルの客室用に
購入すれば生産財となる。さらに消費財には有形のものと無形のものがある。テレビは有形であり、
各種のサービスは無形である。こうした分類で考えると、例えばピザの宅配では、ピザは有形の
消費財で、宅配サービスは無形の消費財である。この文脈で考えると介護保険で給付される各種の
介護サービスのほとんどは無形の消費財ということになる。
 かつて介護のほとんどはインフォーマルなものであり、消費財ではなかった。また、介護保険
以前の病院における「社会的入院」や特別養護老人ホームへの措置入所(行政処分)によって提供
される「利用者処遇」などを消費財と考えることはほとんどなかった。その理由にはいろいろ
あろうが、基本的には市場に流通していなかったからであろう。
 しかし2000(平成12)年度に介護保険がスタートして状況は一変した。毎月の社会保険料3,000円(当時)
を払えば介護はアウトソーシング(外部化)できる。自分でするのではなく、あるいは家族にして
もらうのではなく、ケアマネジャーが作成するケアプランに基づいて専門職が介護を提供する。
このようにして要介護高齢者やその家族は専門事業者や専門職が提供する介護の消費者になったのである。
 社会福祉関係の国家資格は1987(昭和62)年に制定された社会福祉士及び介護福祉士法によって本格化し、
社会福祉関係職員は専門職になった。この法律が制定された背景には増大する介護需要に対して、
できるだけコストをかけないで介護サービスの質と量を確保するには専門職化するのがよい、という政府
(当時の大蔵省や厚生省)の考え方があった。
 こうした専門職化は介護保険制度の創設にとっても都合がよかった。特別の知識や技術を必要としない
誰にでもできる介護、ほとんどコストのかからない介護などのために保険料を支払う人はいない。つまり、
社会保険制度を構築するには、リスクとしての保険事故(要介護状態)に対応するのは基本的に専門職が
適当であり、専門職による介護には高額なコストがかかるという要件が不可欠であった。換言すれば従来
の家族介護は素人介護だから不適切である。また家族だけによる介護は長期に継続できない。したがって、
介護は外部化し、専門職に任せるべきである、という考え方が急速に広まって、介護保険制度は比較的短期間
に制度化されたのである。
 また、介護保険制度を構築するに至る過程では介護の本質に関する議論はほとんどされた形跡がない。
議論された主な内容は、当時の社会的入院のために医療保険給付が膨張し、保険財政を圧迫していること、
また、それにより入院医療が必要な患者のためのベッドが確保できない状況になっていること、一方、
特養等への措置は公費(税金)で行われているため、超高齢化でどんどん増える要介護者への対応には
公費以外の財源確保が急務であるということ、さらには、長期にわたる家族介護が介護地獄という深刻な
状況を生み出していること、等々が中心であった。このようにして誕生した介護保険だからこそ
「介護は消費財」という状況を生み出したのである。
 介護の本質は人と人との関係にあり、生活の一部、人生の一部である。したがって、一人ひとりが
主体的且つ社会的に取り組むべき課題であるが、介護が消費財として認識されたために、介護の本質が
大切にされることはなかった。したがって2005(平成17)年の法改正で挿入された「尊厳」の二文字も
浮き上がってしまっている。
 また同時に打ち出された地域包括ケア(システム)は地域包括支援センターを軸に市町村(保険者)
によって住まい、医療、介護、予防、生活支援等を総合的に提供するシステムとされ、これによって
重度要介護者であっても最期まで住み慣れた地域で暮らし続けることを目指すとされている。
 しかしそれから10年以上経過した今日の状況を見ればコミュニティの状況や高齢者の暮らし
の実態が改善されたとはとても思えない。多くの高齢者は単身世帯や夫婦世帯に属しており、
貧困で孤独な生活を送っている。要介護高齢者もこうした社会状況を背景として高齢者人口の
増加速度を越えて増加している。そうした中で高齢者は自宅での生活が困難となり、現在200万人
以上がサ高住等を含む各種の施設での生活を余儀なくされている。
 要するに行政主導の地域包括ケアでは高齢者の社会的孤立を改善することができないだけでなく、
全ての世代が学び合い助け合う市民・住民が主体となるコミュニティづくりとは真逆の方向に進んで
いるのである。そのため「地域崩壊システム」などと陰口を言われるのである。
 しかし、政府は制度の保全だけを目的に、新総合事業というとんでもない改悪を進めて、ますます
傷口を大きくしているのである。それもこれも介護の本質を無視して消費財としての介護を提供して
いる結果である。したがって、われわれは決して介護の消費者としての暮らしを続けてはいけないのである。




会員よりふたこと みこと    
  たそがれ通信 49 
                             
                                                     
   〈 くらし 〉について 
                     藍 植男会員
 
  20年も前に買って殆んど読んでいない『古典落語大系』が目に留まり、久しぶりで第1巻を手に取りました。
その最初にある「寿限無」だけはだいたい覚えています。他の機会(例えば、声を出して覚えるのに興味を
もちはじめた小学生が「ぼく覚えたよ」と他流試合をするような態度でもち出す等)もあって、つい口に出る
こともあります。ところで、「寿限無」のなかに、これまでなんとなく違和感がある箇所がありました。
「人間、衣食住のいずれか一つが欠けても生きていくことができない。[今度の子の名前の中に]〈食う寝る所に住む所〉
[と入れる]というのはどうだな」 のところです。
 前段の「衣食住」を一括した捉え方は、近代になって、物事を分析的につかみ総合する理解~表現する際に
出てきたものでしょう。もちろん個々の言葉(「衣」・「食」・「住」)は、物に即して昔からあったでしょう。
その時・その場での部分に焦点を当てた・眼前のことを指示する語として当然のことです。

 後段の「食う寝る所に住む所 」は、世間の言い方でそれを表しています。「食う・寝る」は、動物もする・その時の
・部分的な動作です。「すむ」も「棲」の字を使うと、動物的・個別的・一時的な感じが強くなります(棲息・同棲など)。
「食う・寝る」は、生理的な必要に迫られての動作に過ぎない面があります。これに「所」が付いて、人間に関して使うと、
個人か家族が想定されます。(例外的には百人単位になる「寮」があります。昔の学生自治寮は単に寝る所ではなく、
人間全体をみんなで創っていくアトリエのような 〈住む場〉でした。)

「住む」というのは 「食う・寝る 」 に比べると ぐっと重みのある言葉だと思います。普通の意識では、また小さな辞書
(『広辞苑』など)では、「住む」の説明には住居等(限られた範囲)に居住することに絞った説明しかありません。しかし、
「住む」には人の生活全般が詰まっています。個人の「24時間の営み」・生きていくすべて・その総和である「人生」、
そして地域に住まう住民の活動全般も含まれています。個人は、年齢階層でいえば赤ん坊から高齢者まで網羅されます。
自宅・グループホームのいずれに住まっていても、〈住むところ〉という言葉には、〈地域〉までが含まれなければ
ならないと考えるのはこうしたことからなのです。
 「地域」には、人に関しては、属性的にいって「総べて」が含まれます。範囲に関しては、地域活動にはどこまでと
いう言葉は使えません。今日の「地域」は、食に始まってあらゆる物事に関して世界中とつながっています。
先に〈住むとは人の生活全般〉と書きましたが、生活全般とは〈暮らし丸ごと〉です。大きな辞書(『日本国語大辞典』)
には、最終項④に「暮らしを立てるための仕事にありつく」とありました。この場合の「暮らし」は消費生活に限定
されています。一般の意識もそうです。(ちなみに、消費・使い捨てが美徳として煽られた時代には「人間の創造性は
消費行動に集約できる。」といったフレーズが流行ったこともありました。) しかし、それと反対の職業生活面
(生産その他の稼ぎ)も「生活」であることに 間違いありません。
 介護保険での「生活援助」は更に限定的な・非常識な範囲に限っています。「生活」・生きることは一生続いて
きたのです。その軌跡と進路を尊重して認めるのが当然です。要介護の生活が始まって一定期間で軽い方に改善
してしまい、介護認定と無縁になるという事例がどれほどあるのでしょうか。めったにないなら、半年ごとの
大掃除・暖房器具の出し入れ・衣服の入れ替えといった作業も当然日常生活の一部です。四季折々の玄関の花の
手入れも、健康を維持し豊かな生活を維持していく〈よすが〉であり、薬以上にその人を支えている場合もあります。
これらを除外するのは、人より金を優先する思想―介護保険発足から一貫して続いてきた基調―を如実に表しています。
この辺のことを以前に触れたことがあり、〈また細かいことを言っている〉との声も出そうなので、生活面のことで
大きな問題=対極の「職業生活」に関することに跳びます。まず、大きな局面から見てみます。アメリカが世界各地で
武装勢力を育て指導する一方で直接武力攻撃した結果、各地の生活全般が破綻し、移住民・難民が増加。その影響が
遠隔地にまで及び、移民と職を取り合う立場の低賃金労働者層が彼らを排斥しようと結集しています。難民に殆んど
手を差し伸べない日本政府は、介護等不人気業界への労働力取り込みに力を入れても、人間の尊厳・権利といったこと
には冷淡です。外国人に対してだけではありません。過労死が問題になり、長時間労働を規制するとの触れ込みで
やったのが超過勤務を月100時間まで認めるようなひどい〈改正〉。週36時間働き夏休みも5週間といった欧州辺り
と比較しなくても、時代逆行は明らかです。このようなことをきちんと批判し、例えば、仕事がそれほどある会社
にはそれだけの正規社員を増やさせることで、製品や技能の質を確保し、社会保障の〈漏れ〉と制度の破綻を防ぎ、
安全・安心を確実なものにするといった抜本的対応をとらないことには、改善はありません。つらく長い 遠距離介護・
介護離職の末に離婚・介護殺人といったことを食い止めるためにも、家族が仕事できる介護サービスを実現しなければなりません。
 また、満足して介護できる仕事の仕方が保障されるべきことも自明です。人間の再生産サイクルとして当然の
結婚・育児も看護・介護もできる労働・雇用を実現せず、生業・家計・地域を破壊しておき 〈有効求人倍率
(非正規で膨らませている)が上がった〉とか 〈地域再生〉〈国民総活躍〉とか宣伝するのは 笑止の極みです。
昔なら社会で力を揮える立場にある者の中に 考え・企画し・実行する人がいました。 今日のリーダーは、
口先ばかりで思慮・見識に欠け、責任感使命感がありません。社会的課題に取り組んで実力を発揮する部下を
育てることもないようで、こんな者に頼るなら、滅亡への道を辿ることになります。
 それが嫌なら、自分たちでもっと真剣に取るべき方策を考え、実行していくほかありません。(漢字の「ジュウ」を
調べていたら「伴=友・一緒に物事をする人」が出てきました。「寮」「僚」に通じますね。) 自分と周りの人の
生活を見れば、課題はいっぱい目につきます。それを整理・検討し、当局に注意・要求してその動きを監視する
とともに、関係者と連帯して市民としてできる点を実行していくことで、解決に向けての動きが作れます。
(Hさんは一人からがんばっておられます。)
 この3か月のうちに毎月複数の友人・知人が次々と去っていくようになりました。残されたもう少しの時間でも、
孤老・障碍者等弱者の暮らしの不安をわずかでも解消したいものだと思い、家に籠らずに地域での繋がりをたぐって、
微力ながらやれることをやっていくのが 私の暮らしだと思って動いています。




  次 回 定 例 会  
  ★第194回5月定例会・総会
   5月19日(金)13:15~15:30 ひと・まち交流館 第3会議室
      内  容:・2017年度総会
            ▣ 2016年度事業報告・会計報告
            ▣ 2017年度活動予定・予算案
           ・新総合事業開始後報告  
           ・よりよい介護をつくる市民ネットワーク
            ネットワークへの提案について  ・その他
           読 書 会:15:40~16:50 「みどりの冊子」改訂検討
            ニュース発行・発送:6月2日(金)10:00~    
 次 々 回 定 例 会 
 ★第195回6月定例会
   6月16日(金)13:15~15:30 下京いきいきセンター
            (下京区塩小路通河原町東入る 南側)
             会場が違います!お間違いなくお越しください!
             市バス 205,17,4 塩小路高倉下車、東へ徒歩10分
      内  容:・新総合事業実施状況
           ・公開企画について
           ・市民ネットワーク報告  ・その他
           読書会:15:40~16:50 「みどりの冊子」改訂検討
           ニュース発行・発送:7月7日(金)10:00~


 

~つぶやき~
  先日、山科の郷土史家より話を聞く機会があった。一時、犯罪多発地域と言われ、
肩身の狭いこともあったが、最近犯罪件数も目に見えて減少し、みどりと豊かな歴史に
彩られた地域であるとの説明に参加者一同ほっ! 天皇家とのつながりは深く、中臣の
時代にまでさかのぼり、明治まで経済的、精神的、そしてことある時には帯刀を許され
馳せ参じたとのこと。おらが村の誇りある歴史を聞くことはありがたいことである。
今や山科はシルバー街道と言われるほど老人介護施設があふれ、他地域からは羨ましが
られている。昔も今も「京」への貢献度は高い。「住んで良かった山科に」とは政治家の
であるが、住民一人ひとりもそう具現したいものである。      


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