「マイケアプラン研究会」活動報告

マイケアプランは高齢者の権利宣言
いつまでも自分らしく生きるために・マイケアプランを応援します

ほっとなマイケアプランニュース175号より

2017-02-06 | ほっとなマイケアプランニュース


2016年度 公開企画
   「こんなん? あんなん? どんなん?
     わっからへん! 介護保険」 盛会にて開催!!

  2月4日立春の日、晴天のもと、東本願寺の「しんらん交流館」
 にて約70名の方の参加を得て開催いたしました。
(2月5日(日)京都新聞朝刊に掲載されました。)
 公開企画の内容は3月ニュースにて報告いたします。

 「わっからへん」ことは「わっからへん」ままにしないで
 努力して、「おかしいやん」と思ったら、「だまってたら あかん!」
 3月12日(日)京都アスニーでの「だまってたら あかん!
 どんどん変わる介護保険 ~京都市の新総合事業ってなに?~に
 ご参加ください!!
 


 
一世紀を生きた義母と私                   
                     倉本 文子会員

 私はマイケアプラン研究会発足直後の2000年3月から参加し、定例会や勉強会、ニュースなどを通じ、自分の過去を振り返り、多くの人たちの生き様や意見を知ることで、いろんな学びをさせていただいている。この“My Care Plan News”にもたびたび私の文章を出させていただき、その都度自分の考えを確かめる機会を与えてもらっていた。
 しかし、表題の義母とのかかわりを発表したことはなかった。そこで私の人生で多くのことを教えてくれたこの母のことをまとめてみることで、70歳の私の今後の生き方の参考にしたいと思う。
 義母は大正3年生まれ。和歌山城近くに実家があった。見合い結婚で隣県 奈良 大和高田市の大正2年生まれの義父と家庭を持った。戦前、戦後に4人の息子を産み育て、それぞれに結婚し、孫夫婦などやひ孫など総勢32名の大家族の中を常にそれぞれの家族に気を配り、平等に接しくれていた。家事以外にも若いころから仕立物の内職をして家計を支え、その仕事がなくなてると他のミシン内職をする。いつも動力ミシンを動かしながら、ラジオを聞いておられ、リスナーとして自分の意見を投書などされていた。長男家族と私たち3男家族は実家近くに住み、孫たちが大きくなってからも義母の家に行くことが多かった。また、関東で家庭を持った4男や転勤などで遠くに住んた次男家族も実家に帰ってくると、皆を呼び寄せ4家族が集まって食事をし、お酒を交わして楽しむのをそばでいろいろと世話をやくことと“幸せだ”と言ってくれていた。
 90歳を義父母ともに越えたころより足腰の動きが悪くなり、義父が寝たきり生活になってからも介護サービスを利用しながら、二人での在宅生活を続けられた。その頃の介護キーパーソンは次男夫婦(大阪在住)で、週に2~3日訪問入浴日には介護の手助けに帰ってきてくれていた。2008年8月に義父が自宅で亡くなった後、1年半は一人暮らしをしていた義母は2010年2月に台所で転倒し、大腿骨骨折で入院後は、家に帰っての生活は無理だと子どもたちの判断で、次男の住まい近くの高齢者介護付き住宅に移り、6年半、毎日次男の訪問を楽しみに施設での生活を送られた。読書の好きな義母は次男が持参する新聞や本をよく眼鏡やルーペを使いながら読んでおられ、包装紙や広告の裏紙を使って同施設のお仲間に手紙を書いたりしておられた。
 100歳直前に長男嫁が亡くなった際には、孫娘がそのことを伝えると通夜に行きたいと言われ、大阪から孫娘の車で葬儀場に来られ、30分ほど式に参列された。その後100歳のお祝いは孫娘が2枚の色紙を準備し、北海道から大阪まで家族全員の家を回って、それぞれの家族が書いたメッセージを義母に渡し、施設の自室の壁に貼って毎日眺めておられた。
 その後、誤嚥性肺炎を起こし入院されるも1か月ほどで快復され、退院。その後2度ほど入退院するも元気になられ、昨年12月18日眠るように亡くなっていかれた。亡くなる2日前まで次男と会話していたとのこと。苦しまず、静かにあの世に旅立たれた義母に合掌。




  会員より ふたこと みこと    たそがれ通信 46 
                             
         よりかからず 立って 歩み 自分を保つ
 

                       藍 植男会員

 前々回に自身への心構えを記しましたが、例示する余地もなく1行ずつでしたので、今回は「元気なうちに尊厳ある暮らしを貫く」ことで「よい介護を受けられる」ことに関して、具体的なことを織り込んで補足させていただきます。

 いま、世界で一番権力をふるえる男が、〈世界中を自分の思い通りに動かす〉〈従わないものを生かしておくわけにはいかない〉と、思いつきを矢継ぎ早に発信し命令書にして、私たちの地球環境から日常生活・隣同士の付合い方までを変えようとしています。公然と〈人殺しは面白い〉という軍人や金儲けのためにはあくどいことも平気でやる仲間を登用して、
つぎつぎとそれを実現させようとしています。(女性国連大使の発言などは脅迫そのものです。)仲間になりたいとすり寄る野心家とは気軽に会い、仲間を遣わして相談させます。「論理」「人倫」とか「自由」「博愛」「権利」といったことを口にすることさえはばかられる空気作り出すのも仕事とばかりに首切りをしたりします。
 そんなときにこそ、身近なところでの人間の尊厳について改めて考えていく必要があると思います。53年前のキング氏らのあの行進が多くの米国人に目を覚まさせ、半世紀の間に世界中のいろいろな面に影響を及ぼして、すべての人に関わる人権を多面的に固めてきました。1月20日のワシントンでの「トランプ ノー!」の行動には、あの行進の数倍の人が集まり、今後に期待を抱かせるものでした。しかし、国・地域・分野・場面によっては大変遅れたまま、旧来の常識がまかり通ってきた事柄も少なくなく、世界終末時計は23:57.30を指しました。
 最近の日本で伝えられる事件をみても、学校でのいじめがこんなに問題にされてきたのに横浜市教育委員会の対応はなんなのでしょう?生活保護は国民の権利と言ってきたのに「保護なめんな」と書いた上着を着て(厳しくチェックする自分たちに歯向かうな)とばかりに執務していた小田原市の福祉関係職員はどんな仕事をしていたのでしょう?
また、前途ある労働者を餌食にした鬼のような会社の幹部と労働者たちは昼と夜をどう過ごしてきたのでしょう?
 振り返ると、脳の一部を取り去ることで患者を〈安定〉させるロボトミー(ロボットすなわち間にする手術)が否定されたのは、50年余り前の医学生らを先頭とする闘争の中でした。 最近知ったことですが、フランスでも80年代には〈高齢認知症老人は、痛みを感じない。〉とされていて、麻酔なしで褥瘡を切り取る処置をしかも傷が広がるごとに繰り返していたとのことです。(褥瘡は体を動かさないことによって骨の方から皮膚の方に進行することを知れば、二重の無知によって無抵抗の人を虐待してきたと言えます。生体解剖をした医者が戦後も生き延びた日本でも、それほど違わなかったのかもしれません。) これは、そしてその前の問題にしても、一言でいうなら、他者を(同類・仲間と思わないだけでなく)モノ扱いしています。「権力は腐敗する」というのは「権威」にも通じます。他人も自分自身も粗末に扱い、人間としての感覚を失っていくのだと思います。
 生活と介護の具体的な場面で考えてみてください。あなたは、ベッドで寝たまま用便をしたことがありますか。裸にされた自分が台車に乗せられ固定されて運ばれ、広い風呂に浸されて洗われる姿をどう受け止めますか?大小便は、三好春樹氏が昔から言っているように、便所で腰かけて用を足すのが物理・生理的にも心理的にも合理的です。病床で仰向きにされ脚を広げられて清拭されるというのも心地よいものではありません。時間に縛られ,効率的に作業を進めようとする者は、要求しない人には自分たちの都合で仕事を済ませようとします。私たちは、元気な間に、自分の生き方・生活の仕方の基本線を相手にはっきりと伝えることが大切です。それがきちんとなされるようにあえて実験台になることも大切でしょう。また、うるさがられても満足できるまで妥協しないがんこさも捨てないでがんばりたいものです。基本的、ケアされる人間の意向があってこその ケアなのです。
 さらに細かいことを言うとすれば、専門職と思っているヘルパー・ケアマネジャーであれ、研修に縁のない家族であれ、関係する人には、自分の好む世話のされ方・してほしくない施術などを具体的に示したいものです。それが無理な場合、大筋だけでも伝えることが必要です。権威・支援者に頼らず、自分も努力して、双方の協力で快い生活・やりがいのあるケアが続けられるようにしたいものです。ベッドから床に足をつくこと、立った姿勢を短時間でも保つこと、また、立位で脚を開いて清拭してもらうことを要求・実行すべきです。脊骨・脊筋を伸ばし足裏のツボに刺激を与えると感覚や代謝が賦活されます。閉じこもり・おとなしく寝たきりになっていく途から、自分で便所に行け、目的のところに外出できるといった途に進路を変えることができます。こうすることで、自律が自立を導き出し、自立が自律を強めます。
自ら意識して立つことから、協働・共生関係が作りだされる出発点にできます。
 私たち(とくに日本人)は自分の感情を素直に表現することを怖れ、また他人・相手に近づくことに及び腰になりがちです。そして、幼い頃から「他人から声をかけられたら逃げよ。」「自分のことだけを考えて行動を。」と躾られます。(トランプの出現前から自分だけ・外側だけを強くし飾るような人間が大量生産されています。)そのようにして育てられ、自・他との関係をとれなくなった大人が他人を傷めつけ・殺す事態が続出しています。
 その一方で、迫害ないしは(世間の空気になるような)圧迫を感じ、居場所を失った人が、(身内を殺して)自殺するという痛ましい(不作為の関係者に対しては大変に腹立たしい)事件がいくつも起こっています。なかには、私たちより少し上の世代の老夫婦もあります。
【老夫婦心中の報道例= 2月愛知県での70代の夫が 休まる時間もないと相談して3週間後に妻を殺し本人も重態で発見された。
昨年 6月 埼玉 80代、8月 千葉 70代。10月 岐阜 80代。】
障碍者・老人等は(当然、昨年11月で214万人に達した生活保護受給者も)、外出したり声を出すにも気を使うような、受け身で内向的なそして周りとの通交(コミュニケーション)も揺れたり朧になったりすることも多く、話も通じにくくなるでしょう。さらに進むと、他人のケア(着がえ・入浴・服薬など)を自由の侵害・行動の妨害・身体への加害と受け取って抵抗したりします。外国の先進的なケアでは、習慣に従って夜に入浴したい人には職員が付き添って入浴してもらい、食事もその人の食欲に応じて食べられるようにして、罵声とか暴力とかは収まった穏やかな日常生活が送れるとのこと。利用者の尊厳が保たれ職務の遂行も充実して、ケアされる人もする人も自由・自律そして自主性を享受・発揮できます。日本でも、徳島で利用者の実態に即して、3年来、夜間のリハビリテーションをしている事例があります。排泄や転倒・転落について好成績を収め、自発性の触発の点でも評価される実績が示されています。利用者中心のこうしたケアが実践され標準化されて、医療・介護の制度が改められ、どこででも受けられるように広がっていくことを願っています。
 私たちがケアを受けるまでに介護福祉のサービスの質がますます下がるのではないかとの危惧があります。大枠として国庫支出年5000億円削減・自治体財政緊縮が目標となり、量・質両面での切り下げで 、自分たちの保身を図ろうとするのが当局の姿勢です。そのために声の小さい者にしわ寄せがいくとすれば、みんなで抵抗しなければなりません。また、大多数の人が十数年間介護保険料を払うだけで今日まできたのですが、それを取り戻すためにケアを受けようとしているわけではありません。できれば、権威的・権力的な管理・規制で自分らしい生活を棚上げするようなサービスは受けずに、自由のある人生を全うしたいと願っています。(先頃、病院で受診し3回目3人目の医師に 前回から半月間の様子を説明しようとしたら「そんなことはこことは関係ない」ときつく言われたじろぎました。隣の科でも蜂に刺されてきた患者に「それで私にどうしろと言うので
すか?」と質問した医師がいたと、あとで聞きました。醜い話ですが、おとなしい高齢者などには、選べない実情があります。)
  介護保険制度の国家レベルでの詐欺的な改変の中で、サービスを受けとる側の私たちにできることは細かいことでしかないのかもしれません。しかし、その受け渡しの現場にいるのは私たち自身ですから、中枢や窓口での意見表明や折衝の他に、具体的なケアに対して積極的な対応をすることが大切です。そして、その時その場で担当者に注文・指示をするまえに、日頃から自分にふさわしい世話のされかたのことを周りに理解されるように生活することが大事だと思います。親鸞や金治郎の墓の例でも分かるように、しっかり伝えたはずの大切なことが、後日無視されることはよくあることです。動けるうち・話せるうち・書けるうちに、自分の生活の流儀を示し・語り・書面にして、近親者・親友等に託したいもの。こう書いている私も基樹さんの〈したいこと まだまだあって 命吠え〉といったところがあって一日延ばしで今日まできました。この会の毎年の集まりで「私の伝えたいこと」の記入用紙を準備してもらっているのに、真に申しわけなく思い、この春こそはと思っています。皆さんもどうかお元気なうちに、取り組んでくださるようお願いします。

  終わりに、正月に読んだ近代の短歌から、今の私の心に留まった一首を記しておきます。

一つずつ 処理してゆかむ ことどもの 死ぬまで続き そして死ぬらむ (大島史洋 1994)



                          
  つかの間の自己作成


                 佐竹紀美子会員
 連れ合いは介護保険のサービスを利用し始めて1年半ほどになる。そのサービス利用については、
自分で利用計画を立てる、つまりケアプランの自己作成を続けている。(実際は私がつくっているのだが。)
しかし支援2では、この4月から施行される新総合事業に移行し、自己作成を京都市は認めていないので、
どうなるのだろうと案じている。
 この間利用したサービスは週1回のデイサービス・機能訓練特化型3時間、福祉用具4点杖のレンタルである。
この冬は雪が積もったり小雪で濡れそぼって戸口のアプローチが滑りやすく、歩行不安定の連れ合いにとっては
怖いとのことであったので、思い切って据え置き型の手すりを導入することにした。早速福祉用具業者に相談、
見本を持ってくるとのことなので、デイサービス事業所にも立ち合ってもらうことにし、つまりケア会議を持つ
ことになった。本人も一緒に現況分析的に話合い、手すりの導入が良いということになった。私は支援計画書に手を
加え双方にコピーを渡しておいた、
 その後デイサービスから介護予防通所介護計画書をもらって帰ってきた。それを見ると、本人や家族の希望、
生活の目標(長期・短期)、短期でも機能訓練目標、生活的目標などと細かく書かれている。ライフワークのために
体力を維持したい、映画鑑賞の趣味が1年通して継続できるように、定期的に買い物に行けるように(酒屋の月例売り出し)、
自分の下着や靴下の洗濯や台所の洗い物をするなど。そして趣味の資料が雑然と置かれているので転倒に注意と書かれている。
 また映画鑑賞からの帰宅途中で疲労から足が出なくなることもあり、筋力や持久力をつけることなどが書かれている。
こんな支援計画を書いていただき嬉しいこと。どんなことでも目標や意欲があることが大事だし、それを認めてくれる
周りも福祉サービス専門家も大切だと思う。
 最近映画から帰宅途中、家まであと100メートルというところで力尽き、通りがかりの方に助けてもらい家まで
連れ帰っていただくことがある。先日地域の会合で出会った近所の方は、連れ合いを助けたと言われたので、
お礼かたがたどんな風に声をかけたか聞いた。立ち往生して、「すみません、助けてください」と言ったそうだ。
「だから助けたのよ。黙っておられたらあまり助けようという気になれない」と言われた。確かにそんな時間帯は
お年寄りの女性しか通っていない。「助けられ上手ですね」と言われた。その方も若くして杖歩行になっておられ、
杖同士の助け合いとなったそうだ。
 しっかり地域デビューできていることに安心し、助けられ上手になることも大事だと思った

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次 回 定 例 会 
 ★第191回2月定例会
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    2月17日(金)13:15~16:50 ひと・まち交流館京都 3F 第3会議室
      内容:・公開企画開催報告
         ・「新総合事業」について
         ・よりよい介護をつくる市民ネットワーク主催
          
          「だまってたら あかん! どんどん変わる介護保険
            ~京都市の新総合事業ってなに?~」
について
         ・その他

      
次 々 回 定 例 会 
 ★第192回3月定例会
     
    3月17日(金)13:15~15:30 ひと・まち交流館京都 3F 第3会議室
      内 容:・新総合事業開始直前事情
          ・よりよい介護をつくる市民ネットワーク開催報告
          ・その他


                          
          
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