「マイケアプラン研究会」活動報告

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ほっとなマイケアプランニュース155号より

2015-04-05 | ほっとなマイケアプランニュース
ほっとなマイケアプランニュース155号より


「 まだ時間は残されている」・・・                         
            佐竹紀美子会員 
2015年もはや4月、新年度が始まった。今年は終戦70年、原爆投下70年、阪神淡路大震災20年、オウムテロ事件20年、そして私が定年前にいわば介護退職してから20年。
私はあっという間に後期高齢者になってしまった。「背中が丸いよ」とこのところよく指摘され、足は正坐に堪えないし、周りは介護が必要な、でも杖を突いて頑張っている同世代の方が急に目につきだした。伝説のホコリの無い家を誇っていた我が家は、今やごみ屋敷同然の荒れ模様である。
今言わないといつ言うの? と還暦のころに気づき、世間に対してミミズのたわごとであっても、何かといいたいことを言い、したいことをしてきたが、残り時間が見えてくると、時間が足りないということになる。「することを減らさないけませんよ」といわれ、そのつもりではいるが、減らす気配は全くない。
昔、自分の名前の由来を父に聞いたことがあった。父は「世紀にまれな美人になるように」といった。大声で笑ってしまった、名前負けもいいところだ。きっと「紀元は二千六百年」に事寄せていたのだろうと確信している(S.15年が皇紀二千六百年にあたり祝賀の歌を公募した)。言葉の意味は時と場合によって、また勝ち組によって変えられていく。古い時代の歴史のことだけでなく、今も同じである。70年前戦争に負けたのに敗戦ではなく終戦という。自衛隊だと思っていたら「わが軍」だという。世界はみんな軍だと知っていると責任者がのたまう。
先日「FALLOUT」(放射性投下物・死の灰)というドキュメント映画のプロデユーサーを迎えて上映会をした。1959年制作の『渚にて』という第3次世界大戦の放射能で人類が絶滅するという衝撃的な近未来の反核映画があったが、その制作の趣旨や過程や裏話や原作小説家との軋轢などをたどる最近のオーストラリアのドキュメント映画である。詳しくは略すが、原爆の標的候補に京都市も含まれていたと、はっきり字幕で見ると、すでに知っていたことであってもドキッとする。それまでに爆撃が少なく、盆地であることなど、原爆実験の影響が大きく、結果が測れるような大都市が挙げられていた。京都市については米側に落とす落とさないの意見があった。結果的に落とされなかったが、かなり短期間の中で8月14日まで紆余曲折があった(ウィキぺディア)。 戦後原爆被害についての報道や訴えは発信されてきたが、思えば放射能の恐ろしさや事実はきちんと発信されてこなかったのではないかとヒロシマの方の発言。
フクシマ原発の隠された事実が次々に出てくるというのに安全宣言どころか原発を輸出する日本。どこかの首相がはっきり脱原発のメッセージを引っ提げて来日したのに、その部分の報道は日本ではされなかったことが世界からのネット配信で分かったそうだ。内戦中の大国の大統領がインタビューで言わされたそうだが、核兵器を使う用意があると。なんだか なんだか おかしいことばかり。
4月から改正介護保険が施行される。多くの国民は改正だとは思っていない。保険料は上がるし、サービスは使いにくくなるし、要支援者へのサービスは一部を除いて保険サービスはなくなる。根本精神はゆがめられる。2025年を目標にしての改正で、今後も引き続き厳しい改定が進められるという。では2025年とはいったいなんだろうか。団塊の世代の皆さんが全て後期高齢者になる年だと。確かに高齢者人口がピーク、少子高齢化人口減少。少し古い言い方であるが高齢者を支える若い世代は騎馬戦から肩車になるのではないかと。
この問題の原因は言うまでもなく戦争である。戦争の結果にきちんと向き合わなかったツケの一つである。近隣諸国からもツケの代償を問われており、70年たった今でも次々知らされなかった事実があらわにされる。戦争は諸悪の根源、長きにわたって禍根を残す。父にもう一つ聞いた、なんで戦争に反対しなかったの? 「・・・空気みたいなもの・・・」と言った。ひょっとして、今はすでに戦前なのか?
介護保険もスタート時点では社会的介護とか自己選択・自己決定といったこと、措置から契約へといった目新しい文言で始まったが、今回の改定で軽度者は当事者抜きになってしまった。軽度者は新総合事業という市町村事業に移行する。京都市では準備に2年かけるとのこと。ある意味で措置の時代に戻る。
『渚にて』のラストシーン、街にひらめく「まだ時間は残されている」という破れた横断幕を残してメルボルンの街は死の街になった。私たち介護予備軍に保険者を動かす時間はあるのか? 私たちは動くことができるのか?



(1)たそがれ通信 26 
     おかしなことにおかしいと言い続けたい   
           
>藍 植男会員                    

 この3月は東京電力の原発暴走から4年。11日も忙しくしていて、23時にTV4chをつけたら作業員が実態を話しています。「急いで急いで仕事して[いるから]事故がやってくる。[現場の]半数が1年未満だ。」たまたま手に取った「日本初の総合週刊誌」3月15日号では、【福島第1原発「アンダーコントロール」破綻の内幕】で、苛酷な労働条件のもとで被曝量が増え、現場をきちんと管理できる人が少なくなり、【廃炉への人的基盤は崩壊寸前】と報告されています。放射能汚染水漏れの情報隠しがまた露見。事故関連報道が目立たなくなった時機をみてか【 昨年4月中旬以来この2月23日までの放射能漏出は管理目標の3倍の7420億ベクレルに達している。】と報じられています。月末の新聞では【東電はこれまで8県の市町村が実施した放射能除染作業の法律に基づき請求された費用の98%にあたる746億円の支払いを事実上拒否している。】とのこと、いずれ私たちにツケがまわされるようです。史上まれな事故を起こしたのに、トップが原発の売り込みに世界各地をまわるという国ですから、電力会社はたかをくくっています。全てが休止していた原発の再稼働が各方面で陰に陽に企てられています。各地で会社の責任を追及する訴訟や再稼働差し止めの訴訟が起こされていますが、司法も含めて筋が通る場がありません。
世の中を思い通りに動かせると思っている首相はごく自然に【わが軍】と言い、農水相は沖縄県知事の【環境破壊の基地工事作業停止指示】の効力停止決定を行ないました。この決定について、NHKのニュースは【政府は決定を粛々と行なってゆくことにしている】という表現で伝えています。この言い方は報道ではなく、“どう批判されようと、当方の都合でやっていきます”という意識の表れ・政府と一体となった宣伝としか思えません。)

なぜ、こうも理不尽がまかり通るのか?なぜ、裁判で理にかなっているし説得性もあると思われる訴えが、ときに認められることがあっても(例:2014年5月21日福井地裁樋口判決)、上級審では退けられてばかりいるのか?この欄で書きながらも 私はずっと疑問をもっていました。《九条の会》で話を聞きながらも、〈どこかに穴があいている〉といった感覚を懐いていました。そうした疑問を解くかぎを、矢部宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル2014.10)が与えてくれました。そこに挙げられている個々の歴史的事実(例:砂川事件の伊達判決を覆すために時の最高裁長官田中が米国と日本の政権のためにした動きなど)は断片的には知っていましたが、それらが国際連合の歴史や米国政権内部との関係の中でどう位置づけられるかについては,これを読んで腑に落ちました。著者自身が自分の疑問を追うことで作り上げたこの本は、戦後70年を考えるのに知っておくべきことが、各頁にのせられています。目からウロコが落ちる本、買って読み返す値打が間違いなくある本とだけお伝えして終わりにします。

この通信を書くのに週刊誌を持ち出したのは、「幸せな老後への一歩」という題のコラムの短文が目に留まったからです。423回とありますから、それなりに評価されている人
なのでしょう。「介護の決め手は、施設とケアマネージャー」の見出しからすると、編集担当も用語⋆は知っていても、福祉について真剣に取り組んだことがないようです。《⋆最近、表記は間違っていても方向としては正しいといえる事例にであいました。相談経験が豊かな人が書いた『こんな介護で幸せですか?』のなかに、「[住宅型有料老人ホームに入っていて]介護保険を受けるときの手続きも、自宅にいるときと同様です。ケアマネジャーと一緒にケアプランを立てて、⋯⋯具体的な内容を決めたら、ケアプランに沿ってサービスを選び⋯⋯」とありました。この姿勢については会員・読者は諒とされるでしょう。ただ、日本では“芸人のマネージャー”のように使われていたmanagerは原語で第1音節maにアクセントがあるため、介護保険法検討のころからでしょうか、慣用(naをネーまたはネイ)を改めて“マネジャー”とするようになったことが、ここでは反映されていません。》

 本筋に戻って、老舗週刊誌に8年以上も続けてこのような筆者を登場させるのは、間違っていると思います。素養がない人を起用して、現実を誤認させたり実現できない期待を懐かせたりするのは、一種の罪だと思えます。私がこんな書き方をすると誹謗しているように思われそうですから1ページを忠実に要約します。(段落 //の順に番号を付しました。)
 ⋯⋯「1.両親を抱え、仕事と介護の両立が心配な方は多いようです。施設を上手に利用すれば、負担は減ります。// 2.介護施設で安くてポピュラーなのが、特別養護老人ホーム〈介護老人福祉施設)や介護老人保健施設、介護療養型医療施設など。// 3. 特別養護老人ホームは日常生活の世話や機能訓練等の介護サービスが受けられ、生活の場としても活用されています。賃料は食費も含めて7~13万円。厚生年金受給者なら、年金で対応可能です。⋯ // 5. 認知症の方を対象とした施設としては、専門的なケアを提供するグループホーム(認知症対応型共同生活介護)も各地にできています。⋯ // 8.適切な施設がない場合には、在宅で介護サービスを受けることに。// 9. 在宅介護を助ける施設として⋯⋯ (厚生省の介護事業所検索参照・http://www.kaigokensaku.jp) // 15. 介護で禁物なのは、自分の中で抱え込んでしまうこと。介護から解放される時間を作るためにも、よいケアマネジャーを探して、介護施設を上手に利用しましょう。

 これを読んでいただいて、どう思われましたか。それぞれの項目で引っかかるものがあるのではないのでしょうか。私はまず、総体としてこの筆者の姿勢がおかしいと考えます。現実を見ないで、物事を解説しています。国が制度を作ったその文字のうえでことが進かのように思っています。生活している本人ではなく、周りの人の都合ばかりで物事を考えているようです。本人や家族のなかには、決まりや枠で拒絶されたり、経済的負担から希望を表に出して要望できない人がたくさんいることにも無関心です。“安くてポピュラーな特養を上手に利用して、負担を減らす“そして“適切な施設がないときは家で生活することですね”との言には、反論する気にもなりません。というわけで、終わりにします。



(2)はちゃめちゃ通信  大きな○と×(ペケ)
           玉井 敏子会員
  左腕骨折のリハビリで一週間に2、3回病院通いをしている。腕を三角巾でつっていた時はタクシー通院であったが、症状が安定して三角巾が取れてから、晴れた日には経済的理由と社会性の維持のため路線バス通院をすることとなった。
これまで私は路線バスをよほど乗客のいない時間しか利用しないことをモットーにしていた。というのは、電車等についても言えることであるが、よたよたした老人が乗り込むと席を譲られる。通勤時間に「独り」を楽しんだり疲労を癒している方に迷惑かけるのが忍び難かったのである。これは表の顔、実は若者(比較の問題、私より若い人という意味。だいたいバスの乗客は私以外すべて若者)に「このくそ婆さん、バスの中でゆっくり座ってプレゼンの構想練ろうと先のバスをパスし、長いこと並んでやっとこのバスに乗ったのに」とか思われるのが悔しいので。なにを隠そう若い時いつも「婆さん、働く世代に迷惑かけないように心がけや」と思っていたからである。
それで毎度毎度タクシーでは経済が持たないので、満員バスには絶対乗らず、バスを必要とする外出は控えることにしていた。電車についても言えることであるが、軌道の方は発車時刻も決まっているし、駅も確立していることであるし、職員も複数なのでバスほど迷惑かけないという屁理屈のもとに、多いに利用している。さてこのバス問答であるが、足が不自由で身体障がい者手帳を持つ84歳ホーム入居者は、障がい者割引を活用、よく外出する。毎月1日と15日は有名どら焼きの安売り日とて、バスでその有名店に出かけ私達にごちそうしてくれるし、1日に何回もバスに乗るが、経済的理由でなく、満員バスにも乗れるという自分の能力の確認、席を替わってもらうたびに若い人のモラルに感激し、精神衛生によい。行政配慮を利用するということは、老人の勤めと思っている。この考えもフーンと思い、私のミョウチキリンな「ええかっこうし」より社会性を帯びていると思うが、会員の皆様どちらの考えでしょうか。というよりこんなくだらんこと考えませんよね。なんだか脱線しました。バスだから軌道ないから脱線しないか。また駄洒落。要するに最近は路線バスを利用することとなった。
そこで居住しているホームの前のバス停留所で病院へ行くバスを待つのであるが、5つの行き先の違うバスの停留場。バスを待つのは私独りの時が多いので、私の利用するバス以外の時は通過してくれるように手を左右に振るようにしているが、どうも動作が小さいのか、認知してもらえないことが多かったので、両手で大きな×を作ることにしてからは認識してくれ、100%通過してくれる。これはなかなかええ事、不必要な停車をすることなく、バスの運行はスムーズにいく。また停車の度に、ガソリン消費すると小耳にはさんだことがあるから、エネルギー資源の無駄を省き排気ガスも少なくし、環境汚染減少にも貢献。大きな×のジェスチャーは有効などと、大言壮語する。
さて、この大きな×そして○による意思表現は介護される時に有効でないかと常々思う。母を介護したときの経験であるが、難聴になり質問が聞き取れず、イエス・ノーを訊ねているという意味を伝えたく、私達がよく使う、指で○を作ってみせるが、理解できず、バスに送るような両手で大きな○を作っても、駄目であった。因みに彼女は99歳9か月で死ぬまで、視力は新聞の大見出しは見えたし、質問の意味が理解できれば、発話能力はなかったが、自分の意志ははっきりしていて、イエス・ノーを表現したのであった。「風呂へ入るか」大きな字を書いて見せると、ノーは首を振りイエスはうなずいた。だからいつも筆談で問うのだが、車椅子散歩の途中右へ行きたいか左に行きたいかと尋ねるとき、筆談はしがたい。右の方向に向いて、○のジェスチャーをして伝われば非常に便利。ジェスチャーが解れば入浴中、頭を示して洗髪の意志を問いやすかったと思う。
しかし母はジェスチャーの○が「質問」されているということであると理解が出来なかった。これは彼女特有のことであるかとも思ったが、母の状況と似通った他の入居者を観察しても、介護者のジェスチャーが質問されているということが理解できない人が何人かいた。現在私達は手話とまではいかないし、PCの使用ほどに頻度は多くないけれど、指で○を作ったり、大きなジェスチャーで○を形作ったりして意思疎通することがある。しかし母の世代では、上品なことではないと教育され、そういう表現方法を使った経験ないのではと思っている。そして今、体で意思疎通。例えば食べるジェスチャーをした後、○か×のジェスチャーをする、そしたら食べる・食べないが問われているかがよくわかり、体を動かすので運動にもなり、一石二鳥になるのではと、アホなこと考える私である。スマホで指先鍛えるだけでなく、体を動かして意思疎通する練習しようではないか。
 


次 回 定 例 会                                             
★第171回4月定例会
     4月17日(金)13:00~15:30 3F 第3会議室
   内  容:・「生活保護受給者のマイケアプラン」について
        ・2015年度活動について
        ・ケアプラン自己作成実習
        ・マイトピックス  ・その他
    読 書 会:15:40~16:50
         『食べてへんのに払うんか!?』
               林 あきゑ・林 政廣著

次 々 回 定 例 会                          
★ 第172回5月定例会
    5月15日(金)13:00~15:30 2F 第2会議室(いつもと違います)
   内  容:・2015年度総会
2014年度活動報告・決算報告
2015年度活動予定・
              ・介護保険改定後のマイケアプランについて
・ケアプラン自己作成実習
・マイトピックス  ・その他
         読 書 会:『食べてへんのに払うんか!?』
               林 あきゑ・林 政廣著


 満開の桜と値上げラッシュと共に新年度が始まりました。
皆様にとってよき年でありますように!


~つぶやき~
震災後4年が過ぎたが、復興は遅々として進んでいない。仮設は仮設であり、被災地に終の棲家を求めるのか、苦渋の移住を選択するのか、津波と放射能という大きな障壁をどう乗り越えるのか、つらい当事者の胸の内を慮らねばなるまい。ここにも当事者抜きのまつりごとがはびこっているのか。日本中が寄付したあの巨額の支援金はどこにあるのだろう・・


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