「マイケアプラン研究会」活動報告

マイケアプランは高齢者の権利宣言
いつまでも自分らしく生きるために・マイケアプランを応援します

ほっとなマイケアプランニュース166号より

2016-04-03 | ほっとなマイケアプランニュース


   「きょういく・きょうよう」
                                  山本三沙子会員

 「今日行くところがある。今日用事がある。」老化をふせぐという、この言葉を聞いて久しい。多くの日本人、とくに高齢者にはいきわたった考えとなった昨今、新総合事業のプランの中にこの考えが活かされて(?)いるようである。 元気な高齢者を動かして(くすぐって)、地域のお年寄り同士を互助させようという考えに至ったようだ。
人様のお役にたてるということは生き甲斐にもなるし、少々しんどくてもがんばれて健康になる。その上少しおこづかいがいただけるのなら、なおのこと老人も木に登るであろう。これで元気な老人が増えて、利用料は節約できて財源確保となり、地域づくりにも役立つ。こんないいことはない。だが、そんなにうまい話があるわけもなく、問題点に気づくべきである。
確かに国の福祉財政は不足し、団塊世代が後期高齢者になるときは目前にせまっている。そんなことはずっと前から、介護保険ができる前から少子高齢化は叫ばれてきたし、何回も改定を繰り返してきたにもかかわらず「財源が足りないからあなたたち、ご自分でできることはやってくださいね。家事援助が必要なら、誰にでもできることですから、きちんと学んだプロのヘルパーでなくても、ちょっと単価の安いご近所の方にお願いしたらどうですか?」はないだろう。誰にでもできると言われる家事援助、いえいえ、そんなことはありません。それは家事をやったことのない男性か人生経験の少ない若い人の発想である。利用者は千差万別。加えてその任に当たる人も千差万別。ものわかりのいい老人ばかりではない。プロのヘルパーで も難儀をすることが多く、学んだにもかかわらずちゃんとできないプロもいると言われるほど、むずかしいのである。
財源不足を招いた机上の空論、考えの甘さを反省せず、謝りもせず、お願いもせず、上から目線で、おためごかしに弱いものにしわ寄せをくらわすのはいかがなものか。障害者団体とちがって老人団体はまとまりもせず、大きな声で「そんなん困ります!! 介護保険料は年々上がり、年金からきっちり取られてしまうのだから、それに見合うだけの利用をさせろ!!」と言うことはもちろん、デモをすることなど過去なかった。これは結構日本の老人たちは恵まれていたということだろうか。または団塊世代までの高齢者はおかみのおっしゃることにはさからわず、嵐が頭の上を吹き去るのをじっと我慢の子であったのか。そんなことはないはずである。今こそ元気老人は役人の思惑通りに右往左往し、憤り、嘆いて、ついに木に登るのではなく、声をあげようではないか。まさしく「今日の用事」として。
と、ここまで書いて、この文章こそ机上の空論で、どう声をあげて、どこに持っていくのか確信もないままにアジテートしただけという結論。 悲しいかな、これが私の現実の「今日の用事」でした。


”新総合事業”徹底討論 連続学習会


 2017年4月には全国完全実施となる介護保険の「新総合事業」についてきっちり
学びたいと連続学習会を開催いたします。 関心のある方はどなたでもご参加ください。
1回だけでも結構です。共に学び、まだ間に合うなら異見を唱え、自治体・関係者に
提言を示すきっかけとなればと思っております。
 4月の講師・浅川さんはケアプラン自己作成経験者であり、現在も幅広い視点から
  高齢者問題を掘り下げておられます。著書多数
5月の講師・奥西さんは某自治体での第7期計画作成にあたって、問題点に気づき現在
  奮闘中です。
 遠方よりの講師をお招きいたしますので、ぜひ多くの皆様にご参加いただきたく、
 心よりお待ちしております。  マイケアプラン研究会代表世話人 小國 英夫&世話人一同
 第1回
   日 時:2016年4月28日(木)13:30~16:50
   会 場:ひと・まち交流館京都 3F 第4会議室
       (下京区河原町通五条下る 東側 ☎ 075-354-8719)
  テーマ:「新総合事業について自治体にできること―各地の自治体取材から見えるもの」
   講師:浅川 澄一さん(全国マイケアプラン・ネットワーク会員
              福祉ジャーナリスト、元 日経新聞 編集委員)
   交流会:会場より徒歩5分の「にこみ屋・六軒」 会費:3,500円

 第2回
   日 時:2016年5月28日(土)13:30~16:50
   会 場:京都社会福祉会館 2F 第2会議室
       (地下鉄東西線 二条城駅下車 北へ徒歩5分 竹屋町通北側 ☎075-801-6301)
   テーマ:「第7期介護保険事業計画の見通しと問題点」
  講師:奥西 栄介さん(マイケアプラン研究会会員 福井県立大学教授)
  交流会:会場敷地内の「菜の花」 会費:3,500円
                  
  学習会参加費:無料   交流会にはそれぞれ講師もご参加くださいます。             
  申込み:☎・FAX: 075-581-9956 メール:mycare_hitomachi@yahoo.co.jp
  お名前・連絡先・所属・交流会参加の可否等ご記入の上、各1週間前までにお申し込みください。


                                                    

読 書 会 報 告   『安楽に死にたい』 松田 道雄著 岩波書店 
                 
                       報告:北川 美子会員
  
 久々の定例会への参加でした。そして初めての読書会の参加でした。
 今回の読書会は松田 道雄著『安楽に死にたい』、案内は会員の青木信雄さんでした。
 読書会報告の依頼があってから図書館に本を借りに行きました。介護保険が施行される直前の1997年に発行されている本なので、時代は大きく変わっていることを鑑みて読まなければならないでしょう。時代の移り変わりを背景に、いま人が大切なことを見失ったり、見落としていることをも併せて考えさせてくれたり、思い出させてくれさえもする時間でした。
 「はじめに」の大きい見出し「安楽に死にたいは万人の願い」から
「私は今年数え年90になりました。ありがたいことにまだ寝込まずにいます。そして仕事も続けていますが‥‥ 体力に関して言えば、去年の夏から急に弱りました。何もしないでいても、全身がだるいのです。
体力が落ちただけでなく、ものの考え方も変わってきました。死ぬのは怖くありません。怖いのは息をひきとる前に、病院で色々苦しまなければならないことです。どうせ死ぬなら楽に死にたい。安楽に死にたいと思うのです。」
 松田 道雄氏の娘さんが青木さんの奥様だということで、話の中のエピソードが説得力あるものになってより伝わり、引き込まれていきました。「安楽に死にたい」という具体的な思いは、著者自身がその年齢だからこそ切実に伝わります。私も苦しむより安らかに死にたいと思います。誰でも思うことでしょうが想像でしかありません。
 ここで私が感じたのは、体力についてや心のありよう、それらは実際に味わった本人でなければ感じ得ないのだろうということです。レミオロメンの歌う『粉雪』の歌詞に「わかりあいたいなんて‥‥ うわべをなでていたのは僕のほう」とありますが、様々な場面に当てはめて、そのとおりだということが最近になってよく思うのです。
 また90にして病を患った早川 一光氏が、京都新聞に連載している『こんなはずじゃなかった』で書いていることがダブってきます。
「病院で何時間も待った後、数分の診療で『加齢です』と医者に言われる。多くのお年寄りが経験している話、だけど「年やから」ですまさんといてほしい。お年寄りの患者さんに「加齢性○○」とか「老人性○○」というレッテルを貼り、「わかりましたか、はい次の人」という医療。僕もしてきたのかもしれません。でもそれでは患者さんが納得するはずがない」
 ここで彼は、「僕もしてきたのかもしれない」と書いています。私も介護士として、たくさんの勘違いや間違いをしてきたのかもしれません。いえ、してきたと思います。
 近所の独居のお年寄りが「80代はまだいい、90を超えるとね、身体中に異変が起きるの」、「夜が怖い」。そう言っていた彼女は数日後、突如として施設に入られた。私も少しは彼女を支えることができたでしょうか。 彼女の夫は98まで自宅で暮らしました。その夫が倒れた時、「救急車は呼ばないで!」と言った夫の意志を守り、入院して延命処置などしないで家族とお別れをした2日後に安楽に往生を遂げられました。彼女もまたその時が来たら安楽に往生されるようにと願います。
 今回、著者は「はじめに」の終盤「介護と医療は違う」の中で、「病院は、医療はできますが介護はできません。治療は機械的にやれますが、介護は人間的でないとできません。老衰になるとお医者様より、暖かい心で世話してくれる人のほうがありがたくなるのです」と。その通りだと思います。
 平成12年に介護保険が導入されて介護がサービス化し、さらに高齢者の増えつづける社会にあって、介護もまた機械的に済まされていきます。こうした状況の中にあっても、家族や友人の暖かい心を支えられる制度や介護であってほしいと、再確認させてくれた読書会の時間でした。
 そして安楽に死ぬには‥‥次回の読書会でまた学びます。  
 



会員より ふたこと みこと   (1)たそがれ通信 37 
 
  生活・世間を直視して まず勤・倹・譲を心がける

               藍 植男 会員

前回に続いて、160年前に亡くなった二宮金次郎=尊徳のことを書き継ぎます。 前篇の終わりにP社の本を読んで書き進めたいと記しましたが、よく見たら「近代」「日本」とあって(つまり明治期以降が主になるので)、初学段階の私はもっとさかのぼったところから学ぶべきだと思い、他の金次郎のことを主題にしたものを読んでいました。
 その中には、この会にもかかわりのあるM社から今年になって出た『現代日本に生きる日本農業思想』があります(そこには、P社刊の前掲書も文献に挙げられていました)。毎日の食事・放射能汚染やTPP・地球環境問題に関心を持ち発言しても、自分が得た知識や技能を日々の生活の中で実行しているのはどれくらいでしょうか。食材を買いに行っても 値段の安い方に手が伸びる私ですが、できるだけ自産・地産品を と心がけ、ささやかながら地域の活性化に資する暮らし方をしようとしています。(例 ①有機-無農薬栽培を続けていますが、昨年有機食塩の0.2液を撒いたらよいと教えられ、試みたらたいへん甘いトマトや白菜ができました。②≪週に4日ぐらい田・畑・工房・福祉現場で働き、あとはそれらをさらに究めるのに充てるとか 他人の望むことに尽くすとかで、若者が希望をもって生活でき 高齢者の 知恵・技を吸収しながら その家族とともに育つことで 豊かな生き方を伝えていく≫ことを願って、里山再生・資源利用・環境活用事業に関わっています。)考えてみたら、このあり方は金次郎の姿に少しは似ているのかもしれません。
 前回、私たちの世代の受け止め方と思って、記した金次郎・尊徳像(目に浮かぶのは 校庭に建てられた焚き木を背負って歩きながら本を読む少年の立像ですが、広くは教科書や訓話を通じて広められた 孝行の実践者として 期待される人間像)の一端を示しました。今あげた著書の中で、中国人の研究者王秀文が ㋐中国での二宮尊徳の紹介のされ方・㋑2002年 北京大学で「二宮尊徳思想国際シンポジウム」が開かれ、2004年に国際二宮尊徳思想学会が設立された流れ・㋒尊徳研究の今日的 将来的意義等についてまとめています。
 王は、㋐で中国での一般的な尊徳の受け止めとして、①尊徳の説教(言説)が徳川時代封建体制の施政者側の年貢収奪の手段、②明治政府側の 国體を擁護し 社会矛盾を覆い隠す社会調和のイデオロギー的手段、③戦時中に 国民道徳として 日本の軍国主義や中華民国の南京傀儡政府に都合よく利用された、④戦後の民主主義に相容れない封建主義的倫理である、とかがあったとしています。これらは、日本の私たち世代の理解と かなり重なっているように思えます。
 王は㋑で、中国が1992年の市場経済導入開始で道徳喪失・拝金主義・自分本位の物質的欲望の充足に走る深刻な問題、都市農村間等の格差拡大の社会問題等が尊徳思想への注視の要因として挙げています。内村鑑三は19世紀末に『代表的日本人』で尊徳を「世界の英傑」として海外に紹介しています。戦後いち早く尊徳を取り上げた奈良本辰也は、「尊徳のような人間の話を聞いているだけでも参ってしまう」と書き、最近では小林忠惟司が「尊徳の人間性はどうやってみても真似られない」と記しています。
 苦しんでいる人のことを思い、身を粉にし、上の意向に逆らっても自他のなすべきことを説き、実情に即して徹底して実行する。安易に成果を求めず、尊徳の実直な姿と結果を見て人々が自分から踏み出すまで待つ。感謝して契約以上の礼を出されても受け取らないし、成果はみんなに分けたり将来のための基金として積み立てる。冷静に事態をとらえて自然の法則に従いこれを具体的な社会生活の中に技法として、また組織として固めていく。
 このような点が、王が㋒で言うように、所得格差・幹部・官僚の横暴・不正に苦しめられている現中国で尊徳の「天道人道論( 自然の法則は人間から独立しており、人間は自然=天の摂理を畏敬して生活面での工夫・努力を重ねるべきものだ。)」「勤労・分度・推譲論(こつこつと働いて無駄を省き、実入りに応じた消費で、貯った金品は周りのものに分け与えたり将来や子孫に残す。)」「道徳経済一元論(勤労・倹約の生活が永続的な経済基盤を形成する。)」といった教えが、期待をもって研究される底にあります。私には、今日の中国での尊徳の評価(例:「近代化の進展と伝統思想の融和を目指した先駆」)は、尊徳が一分の欠点もない存在とされているように思われ、もう少し批判の目で見た方がよくはないかと思えます。
  日本では、1937年に「近世農村の封建制を支えた反動性が尊徳思想の本質である」と書いた本もあるそうです。戦後の批判にも「御用思想家」とか「高利貸的」とかの評価があるのですが、一介の百姓が士分に取り立てられ職分を与えられて、独学で農学・生態学・数学・土木工学・経済学・社会学・経営学等を身につけ周りの無理解・抵抗がある時でも、着実に事を進めてその成果を収奪されてきた下層農民に得させ、その将来に向けての内発性を高め、連帯と組織の重要性を自覚させ、日常生活の質的向上(例:生まれてきた子を殺さずにすむ。)を実現した事実を無視して、あれこれ言うのは、不遜だと思います。彼自身も、経書をたくさん読み口先だけで講釈する僧侶や学者を意識して、小さいことでも実践すること、明日のために今日精勤に働くことが人間としての道であると説きます。身分の高いもの・富んだ者が余財を身分の低いもの・貧しい者に及ぼすなら、世の中の生活は豊かになり人を救おうという気も広がって国家は治まる、と言っています。田畑が荒れるのはことさらにそうしているわけではなく、元はと言えば、政治が行き届かないから民心が乱れてまともに耕作しなくなるからだ、とも言っています。
 彼に関して「民衆支配のイデオロギー」と評した人でも、「現在の貧困から逃れるためには⋯生活習慣を変革して新たな禁欲的生活規律を確立しなければならないという その時代の広範な民衆の自己形成―自己鍛錬の要求が見いだせる」としているといいます。困苦から抜けだしてからも、自ら力行・倹約の範を示したのは個人的なことのように見えますが、生産・蓄積できた成果を、自他の将来に備えて、あるいは次世代のために取っておくという新たな仕組みを考案して、短期間に各地の民衆が実行するようにもっていったことは社会的に大きな功績だと思います。その人格は傍に寄れないほどでしょうが、そうした企画・仕組み(彼は「仕法」と言っています。)を、何よりも今日の日本の支配層(資本家・政治家・官僚等)に学ばせないことには、日本は滅びるでしょう。その見込みがないなら、民衆自身が賢くなり効率・成長教から抜け出して、新たな仕組みを作り、将来にかけて安定した生活が続けられる(持続可能な)社会を創る作業にとりかからなければなりません。
 1880年代に、尊徳にかかわる2冊の書物(筆記本)が天皇に供されて、『報徳記』は1883年宮内庁が刊行して全国に配布してその後の教育・教化・宣撫に活用されました。一方の『二宮翁夜話』は、民衆の自立心を喚起する匂いが強いため権威筋から無視・排除されたのでした。  
 これから、尊徳の高弟福住正兄の記した『二宮翁夜話』を読んで、金次郎像の再構築をしてみたいと思っています。(金次郎の百年前に、彼と似たような、そして全く違った、自然と人間のとらえ方をしていた安藤昌益のことにも興味があるのですが、後者に関する資料は容易に入手・解読・理解できそうにありません。実は、M社の前掲書に載っているというので買って一読しましたが、20年前にM氏が要になって開かれた国際シンポジウムの後に深められた考察がなく、それをもとにとのあてが外れました。そうした根性は金次郎や昌益の精神から遠いものだと反省すべきかもしれません。)


(2)マイケアプラン運動と介護保険法    森 洋次会員 
 
 マイケアプランはケアプランを自己作成によって介護保険法が給付するサービスを利用しようとするものです。そのため法が定めるサービスについての理解、サービス提供事業所との協議、ケアプランの保険者への届出など通常介護支援専門員の業務とするものを利用者みずからやります。そのため必然的に介護保険法の中身に詳しくなり、今回の介護保険法の改訂のように、縮小再生産、自己決定権の一部否定となればマイケアプラン研究会などが声を上げます。
 それはマイケアプランの副産物のようなもので、その目的の全部ではありません、本来的には、マイケアプランは高齢者の自立の問題を考えているのです。しかし声を上げるためには介護保険法をより正しく理解し、マイケアプランとは何か、それ介護支援専門員がおこなう居宅介護支援(ケアマネジメント)とどう違うかについてより理解を深める必要があるのではないでしょうか。以下、本当に私の私見ですが述べさせていただきます。

1.介護保険法の構造  介護保険法は、介護について金銭で被保険者がサービス提供事業所に支払うことについて、9割分を保険者がサービス提供事業所に支払う制度です。これは、法定代理受領と呼ばれています。法定代理受領制度がないと、被保険者は全額をいったんサービス提供事業所に支払い、その領収書を保険者に提出して9割の払い戻しを受けることになります。それでは大部分の利用者の介護保険法の利用が困難です。そこで、介護支援専門員がケアプランを作成した場合は、保険者を経由することなく、介護支援専門員及びサービス提供事業所が国保連合会に利用表を提出して必要な審査のうえ9割分は、国保連合会がサービス提供事業所に支払い最終的に国保連合会が保険者に支払を求めるのです。
  マイケアプランにおいては、被保険者が利用までに介護計画表書などを保険者に届け出て、月末に利用票などを保険者に届け出て、審査を受ければ保険者はそれを国保連合会に送付します。被保険者の支払いは1割のみです。この取り扱いは、介護給付、予防給付共通です。
法定代理受領を利用しないで、被保険者は全額をいったんサービス提供事業所に支払い、その領収書を保険者に提出できるのは介護給付のみです。私の記憶では、介護保険法開始時点で介護給付、予防給付とも法定代理受領利用しないことができましたが、2005年から予防給付は計画的に利用すべきものであるとの理由でできなくなったのです。
利用者が法定代理受領制度を利用しない、一旦全額を支払う場合はケアプランの作成、保険者への事前の届出の必要はありません。ただしそれは自動的に全額支払われることではありません。保険者は必要な審査をしますし、例えば同じ時間帯に訪問介護と通所介護を受けたり、必要以上の介護を受けていれば減額されます。
 介護支援専門員が保険者を経由せず直接国保連合会に利用票等を元に作成した介護給付費請求書で請求できるのは、それが専門的な居宅介護支援(ケアマネジメント)により作成されているからであると思います。被保険者の承諾を前提としても、介護支援専門員に法定代理受領を可能にするのですから、一定の書式や内容的にも整ったものでなければなりません。逆に言えば、マイケアプランにおいては、利用者は自分の状態が分かっています。届出に必要とされる書類は介護の必要性を最低限保険者に説明できるものであればいいのではないかと思います。
(注 根拠条文 介護保険法41条 介護給付 介護保険法53条 予防給付)

 2.マイケアプランのつくり方
 ちょっと考えてみました。介護は日常生活行為ですが第三者の介護を受けるのですし、それが居宅外のこともありますから、混乱なく介護保険法の給付を受けられるよう、十分計画されたものである必要があります。当然、介護保険法の基本ルールはまもらなければなりません。介護の介護計画も個人単位ですから、夫婦で同一住所でも届出は別々です。
注意しなければならないのは、給付制限等の問題です。国家賠償、労災を受けている部分はそれが優先でして、介護保険法の給付は行われません。第三者行為についての損害賠償(交通事故の補償等)は、既にそれで給付を受けていれば賠償優先。でなければ介護保険法の給付分を保険者が保険会社と調整します。最後に医療保険との調整ですが、これは原則介護保険法の給付が優先なのです。ただし緊急事態などの場合は医療保険優先です。ともかくこの部分は少し法律的知識を要しますから、事前に保険者と相談しておかねばなりません。それと利用者に不利にならないよう気をつけるべきです。
 自立支援法と介護保険法の給付の関係は、介護保険法の給付優先なのです。市町村は具体的な障害福祉サービスを把握の上、介護保険の認定申請を指導することになるのですが、自己負担は障害福祉サービスが少ないですし、限度額の問題もあります。限度額を超えてサービスを必要となれば、障害福祉サービスを受けられる可能性もあるのでこの部分は法律制度として不合理な負担を利用者にかけていると思います。 (介護保険法20条、 21条)
1.介護計画書の必要項目は次のようになるのではないかと考えます。①利用者氏名、②認定結果、③生活設計の方向、④介護を必要とする状態とそれにより予想される効果です。必ず毎月提出が必要ではありません。2.利用心身状態の確認表も同じです。それ以外に毎月必要な書類としては、3.週間生活スケジュール表(時間、受けるサービス曜日別)、4. 月間利用票(日 時間帯 サービスの種類 提供事業所別の利用一覧票)5.月間利用票別表(月間の事業所サービスの種類別に利用したサービスの単位金額など記入する書類)が手続きに必要と考えられます。
 このうち生活設計の内容は、今後施設入所を希望するのか、現住所で頑張るのかを明確にしておく必要があります。施設入所前提では、介護の計画、内容がおのずから変わってきます。ともかく当分居宅で頑張ることをめざして、介護計画を作るべきです。自分でできることは自分ですること、健康の維持増進に努めることをはっきりさせることです。それが、現在の介護保険法の考え方との整合性の問題です。利用表、計画表は介護支援専門員が使用しているのが便利です。
記入項目を漏れがないように考えますと、介護支援専門員が利用する介護予防の基本情報、基本チェックリストが便利です。しかし、身体状況は認定調査が利用者をどう見ているかで、利用制限がかかる場合もありますから、認定調査の結果を情報公開で入手し、利用者はそれを見た上で介護計画を作るか、すくなくとも手元に保管すべきです。
これだけでも大変なのですが、マイケアプランにおいて、利用表等の作成を介護支援専門員に依頼することも考えられます。希望に沿った介護を受けるために、利用者の自己選択権が100%活かされているために必要な作業です。

3.居宅介護支援(ケアマネジメント)の変遷  
 私が介護保険法の発足以来の居宅介護支援の考え方の変遷を見てみると、愕然とせざるを得ません。当初は利用者が日常生活を営む上で介護を必要とする問題を選びだし、それを提供する介護と提供事業者をむすびつけることでした。ところが、2005年、予防介護が強調され、予防給付と介護給付が区別されるようになりました。介護は利用者の身体状況を維持改善することが第一の目標と言われだし、介護をしすぎること、福祉用具に頼ることは、要介護の状況をさらに悪化させるとまで言われるようになったのです。介護の世界で、リハビリテーションが強調されてきました。通所介護においても、身体機能維持向上が通所の条件になったのです。
次に出てきたのが、地域包括ケアシステムです。これは、介護保険を縮小させ、その不足するサービスを地域の自主的な活動を活用することにより乗り切ることを目指すものです。その代表例として地域支援事業が文字通りスタートしています。近い将来、生活援助の全面的な介護保険からの除外、福祉用具貸与、住宅改修を介護保険法の給付からの除外の動きがあるのですが、その時に発生する利用者の問題を解決することに、地域包括ケアシステムは
全面的に活用されるでしょう。それは、地域包括ケアシステムが本来持たなければならない
機能の誤った利用でして介護保険法を崩壊させるかもしれません。
 地域包括ケアシステムにおいて、地域連携が強調されるのですが、介護支援専門員は直接的な利用者の権利擁護、利用者の側に立った居宅介護支援というより、地域ケア会議の場での調整機能が主要となって、それが本来居宅介護支援なのかと悩まれている介護支援専門員、地域包括支援センターの関係者も多くおられるのではないかと思います。

4.今後の問題
 今後予想される居宅介護支援の考え方は「医療との連携」です。これは、日常的な医療機関での治療において生活に関わる部分を、介護における生活の仕方と身体機能維持向上と結合させ、効果を上げることを目標とします。医師の患者に対する指導だけでは、高齢化に伴う医療問題は解決できないと厚生労働省は考えています。さらに「医療との連携」として厚生労働省が直接的に効果を期待しているのは、病院の地域ごとの機能再編です。病院を都道府県がその権限に基づいて、一般病棟、療養病棟に分けて、さらに、一般病棟は高度急性期、急性期、回復期にわけて、病院ごと、病院内でも病棟別に指定するようにしたいのです。これは、高齢者人口が激増する中、病院は治療に専念し、必要な治療が終われば、即在宅生活を開始するようにして、一般病棟、療養病棟の機能を向上させ医療費の激増を抑えたいのです。そのためには、地域包括ケアシステムによる介護と医療の連携か不可欠だということです。病院においては、高度急性期、急性期の患者について、ある程度の診療報酬が請求できる条件が厳しく定められていますから、患者を回復期(地域包括ケア病棟)に回すか、退院してもらわないと経営が成り立たないのです。しかし、そのような退院指導、地域に患者を返すには地域の受け皿がいるのですが、それを「医療との連携」による地域包括ケアシステムが担当することになります。しかし、現在も病院の強引な退院指導は、患者と病院の信頼関係を破壊する場合があるのではないですか。患者は医師から病状の説明に加えて退院、転院が必要と言われれば、それに対抗する医学知識がなく抵抗できていないのが実情ではないでしょうか。ともかく病院の考え方が診療報酬の改定により、かなり左右されていることは事実です。介護保険と異なり、一般市民は理解できない部分です。この課題は本当にむずかしいのですが、なんとかして取り組んでいく必要があります
 以上経過を述べてきたのですが、介護保険法開始以来一貫して、介護給付の縮小が展開され、それが利用者の自己選択権の制限と、介護の医療化によりなされてきたと言わざるを得ません。しかし、そのような展開を止めるために、私たちは幅広い問題について知識を広げ、問題提起をしていかなければなりません。それが、冒頭に書きましたマイケアプラン運動ではないでしょうか。皆様のご批判をお待ちしております。

                        
                           
 
次 回 定 例 会 
 ★第182回4月定例会    
    4月15日(金)13:15~15:30  ひと・まち交流館京都 3F 第5会議室
    内  容:・新総合事業とマイケアプラン
          実施事例を学ぶ
         ・マイトピックス  
         ・その他
         ・読 書 会:15:40~16:50
              『安楽に死にたい』 松田 道雄著  岩波書店
     ニュース発行・発送:5月6日(金)10:00~  〃

次 々 回 定 例 会 
  ★第183回5月定例会    
     5月20日(金) 13:15~15:30   ひと・まち交流館京都 3F 第3会議室
     内  容:・2016年度総会
           2015年度事業報告・会計報告
           2016年度事業計画・予算
          ・新総合事業とマイケアプラン
          ・マイトピックス  
          ・その他
          ・読 書 会:15:40~16:50
              『安楽に死にたい』 松田 道雄著  岩波書店
      ニュース発行・発送:6月3日(金)10:00~  〃




~つぶやき~
  不安と期待の新年度が始まった。消費税はあがるのか? 衆参同日選挙はあるのか? 新総合事業はどうなるのか?
  いじめ、虐待、DV,汚職、偽装、賭博、麻薬、といい話はないような重苦しい幕開けであるが、希望に満ちて
  1歩を踏み出した人も多い時期、どうぞそれぞれの場所が居心地の良い、活躍できる場所となりますように。


マイケアプラン研究会 事務局
〒600-8127 京都市下京区西木屋町通上の口下ル梅湊町83-1 「ひと・まち交流館 京都」
京都市市民活動総合センター メールボックス33  TEL・FAX075-581-9956
Email :mycare_hitomachi@yahoo.co.jp  
ホームページ:http://blog.goo.ne.jp/mycareplan
郵便振替:00900-5-120923 マイケアプラン研究会
 

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