「マイケアプラン研究会」活動報告

マイケアプランは高齢者の権利宣言
いつまでも自分らしく生きるために・マイケアプランを応援します

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2014-10-06 | ほっとなマイケアプランニュース
ほっとなマイケアプランニュース149号より

 大雨・噴火・台風などなど自然災害も襲ってきますが、
実りの秋も訪れています。 みんなが楽しめる日々となりますように



“マイケアプランが当たり前”の社会を目指して
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  島村八重子会員・全国マイケアプラン・ネットワーク代表
                         
全国マイケアプラン・ネットワークは、マイケアプラン研究会の後輩として、主に東京を中心に活動しています。
自己作成をしている人たちの情報交換が目的で立ち上がったのがそもそもの始まりで、自己作成から得たことを発信しています。
このたび、9/15、9/20の2日に渡り、ワークショップイベント「丸投げしない老後の暮らし方」を開催しました。
 参加者の年齢層は昭和ヒトケタから平成生まれまで。幅広い方々に来ていただくことができました。
 このワークショップは2012年から行っています。今回の開催で第5回目となります。初めは会員中心でしたが口コミやfacebook経由でだんだん新しい参加者が増えてきました。うれしいのは20歳代から40歳代の若い参加者が増えてきたことです。
「丸投げしない老後」に多くの若い方々が反応してくれるのはとてもうれしいです。
若い世代はマイケアプランを自分の生き方を考えるきっかけにしてくれています。「自己作成」はなかなか普通に受け止められるまでに至りませんが、マイケアプランの考え方は少しずつ受け入れられているのを感じます。
ある人に言われたことがあります。「介護保険制度は滅びても、マイケアプランは永遠です。」
マイケアプランが当たり前の社会を目指して、地道な活動をこれからも続けていきたいと思います。



会員より ふたこと みこと
(1) 介護保険法改定により、要支援1、2の被保険者にマイケアプランが  利用できなくなる問題について          森 洋次会員
  来年4月より、介護保険法が大きく改定され、要支援1、2の被保険者は、地域支援総合事業でサービス提供を受けます(但し、これは3年の期間内移行するということですから、自治体の体制の整備状況、現に介護保険給付を受けている状況により移行時期が異なります。3年後は完全移行ということです。)。要支援1,2については、地域総合支援事業に移行された時点で、マイケアプランができなくなるということです。マイケアプランの実践者は要支援1、2の被保険者だけではありませんし、軽度であるからマイケアプランが可能であると考えているわけではありません。しかし、要支援1、2の被保険者で、自分に残された身体機能と環境条件をうまく組み合わせ、自分で介護保険の利用項目を選択し、給付手続きを行い充実した自分らしい生活を送っておられる実践者が多いことも事実です。その場合最も重要な自己決定権を取り上げることは、マイケアプラン活動が大きく阻害されることになります。
  そもそも、今回の介護保険法の改定、そのもとでの地域支援総合事業において、なぜマイケアプランが認められないかについて私見を述べさせていただき問題提起します。

これまでの経過と取組
  まずこの問題は、今年6月に介護保険法改定の国会審議の過程で、議員の質問に厚生労働省が、地域支援総合事業ではマイケアプランはないと答弁し、同時期に、社会保障審議会介護保険部会でも、同様な回答をしていました。それに対し、マイケアプラン全国ネットは、7月2日に地域支援総合事業でもマイケアプランが認められるよう文書を提出し、厚生労働省に話し合いにも行っています(マイケアプラン全国ネットのホームページに掲載されています)。話し合いの中で、厚生労働省は、「セルフケアは非常に大切で、それが基本。だからマイケアの言っていることと全く違っていない。しかし制度としてマイケアプランという取り扱いがなくなる。」との答えでした。さらに、7月末に出す文書でそのあたりの事情を十分書いておきますとのことでした。それを受けてこの前後、マイケアプラン全国ネットのメーリングリストで会員間の意見の交換がありました。この問題については、現在もマイケアプランに係わる多くの人たちの間で、いろいろな角度から真剣な論議が重ねられているのではないでしょうか。

厚生労働省の考え方
  2014年7月28日、厚生労働省が開催した「全国介護保険担当課長会議」で、介護予防・日常生活総合支援事業のガイドライン(案)示されましたので、その箇所をたどりながら、最終的にマイケアプランを明確に否定している箇所を示します。ともかく、とても重要な文章です。厚生労働省のホームページに担当課長会で配布された全資料が公開されています。なるべく多くの方が直接原文を目にされ、様々なご意見をお出しいただき、今後のこの問題に対する取組みに対応に参加されることを強く希望します。
まず、介護予防・日常生活総合支援事業(以下総合事業)の基本的な考え方、目的は何かです。これは、P3で示されています。
① 住民主体の多様なサービスの充実を図り、要支援者の選択できるサービス・支援を充実すること
② 住民主体のサービス利用の拡充による低廉な単位のサービス・支援に充実利用普及、高齢者の社会参加の促進や要支援状態となることを予防する事業の充実による認定に至らない高齢者の増加、効果的な介護予防ケアマネジメント……結果としての費用の効率化が図られる。
続きまして介護予防・日常生活総合支援事業のガイドライン(案)のP9で「市町村、地域包括支援センター、住民、事業者等の関係者の意識の共有」という箇所で、「被保険者は、給付や事業によりニーズに応じたサービス利用することが可能であるが、その利用にあたっては、適切なサービス内容を公正中立に判断するため、地域包括支援センターや介護支援専門員の専門職が介護予防ケアマネジメントによりサービス提供につなげる」という説明をしています。最終的に「第4 サービスの利用の流れ」でケアマネジメントの手順を原則的な場合、簡略化した場合、初回のみとかについて説明しているのですが、P68の留意事項で、「総合事業においてはケアプランの自己作成に基づくサービス事業の利用は想定していない。」として、マイケアプランを明確に否定しています。

介護保険法の被保険者の権利と義務 上記の資料で、「介護予防ケアマネジメント」という言葉が度々出てくるのですが、ケアマネジメントは、利用者に自主選択権がある事を前提として、それを援助するためにあるものだと思います。介護保険法の介護給付は、保険制度ですから、被保険者の自主選択権があることを前提とした援助活動であり、利用表に対する事前の押印は、利用者が自主選択している行為です。
 原点に立ち返って、介護保険法の被保険者の権利と義務を確認しておきます。介護保険法は保険制度ですから、利用者は保険料を納付する限り、介護サービスの選択決定権があるのです。保険制度ですから、第三者が給付内容を決定することはありません。医療保険の分野で、医師の専門的知識、判断が大きな役割を果たしますが、医師は緊急的な措置以外、常に患者への説明と同意に基づき医療行為を進めます。
介護保険法では利用計画表に対する利用者の押印がそれに当たります。介護支援専門員は、サービス利用までに利用計画表を作成し、利用者の印が必要です。逆に言えば、押印した上は、利用時の1割分の自己負担金を支払う義務が生じます。その上で、事業者は9割分経費を各都道府県にある支払基金を経由して保険者に請求するのです。もし、最終的にサービスの明細が保険者に回付され、サービスが不適切となれば利用者と事業者の間で、保険給付されなかった部分の決着がつけられねばならないのではないでしょうか。つまり、介護保険法では、最終的には保険者が9割の給付をするのですが、利用者は1割を事業者に支払えば、利用者の同意を前提として、9割分を各都道府県にある支払基金から受けているのです。
 ここで問題になるのは、事業者の請求内容が適正であるかということです。介護は医療のように、必ずしも専門的知識、判断力をもった事業者により給付されるものではありません。介護内容は日常生活にかかわるものですから、利用者の生活のありようで、多種多様に異なるものにならざるを得ません。そこに出てくるのが、専門的知識を持った介護支援専門員が利用者の生活を調査し、利用者の意向を踏まえて利用計画を作ることです。同時に、事業者も介護内容が合理的なものであるよう、事業所の人員体制から、給付内容まで詳細に規定されています。その両者がそろって、事業者は支払基金から支払を受け取っているのです。
 マイケアプランでは、利用計画表を利用者自ら作成し、利用までと利用後に直接保険者に確認を求め、その上で、支払基金に書類回付し、事業者は9割分経費の支払いを受けます。つまり保険者に確認を受けた段階で、給付内容が確定します。それを受けて、保険者が支払基金に書類を回し、事業者に9割支払います。
ここで言いたいのは、利用者の選択が決定的に重要であるということです。私は、マイケアプランにおいてもその利用計画が不適切である場合、例えば個人的なこだわりから必要以上の介護を計画し、それにより給付を受けようとすれば、保険者が制限しますから何でも認められることはないのです。しかし、利用者の意向は最大限尊重されるべきであると思います。

今日までの介護保険法の改定の問題点
まず一番に問題とすべきは、「介護予防ケアマネジメント」という言葉が度々出てくるのですが、ケアマネジメントは、利用者に自主選択権がある事を前提として、それを援助するためにあるということが、本当に確認されているのでしょうか。
ケアマネジメントという言葉をある「介護福祉用語辞典」で調べると、「カウンセリング、コーディネート、アドボカシー(権利擁護)」とかの内容で説明されているのですが、自己決定権を保証するものであるとは書いてないのです。専門家の間では、福祉問題として自己決定権は基本中の基本だからあえて書いてないということかもしれません。しかし、現在憲法13条の個人の幸福追求権が介護保険の法律的基礎と説明されるくらいですから、自己決定権は何よりも大切なことです「被保険者は、給付や事業によりニーズに応じたサービス利用することが可能であるが、その利用にあたっては、適切なサービス内容を公正中立に判断するため、地域包括支援センターや介護支援専門員が専門職の介護予防ケアマネジメントによりサービス提供につなげる」としていますので、重要な問題が発生しているのではないでしょうか。
厚生労働省は、P78で「セルフケア・セルフケアマネジメントの推進」を述べています。これは、介護保険法第4条の「国民の努力及び義務」を前面に述べたものです。その内容は、「高齢者は要介護状態とならないための予防やその他有する能力向上に努めねばならない。」と定めています。しかし、介護保険法の目的は第1条に記載されているとおり「必要な保険福祉サービスの給付」であるし、それは、被保険者の身心の状況、その他おかれている環境に応じ」と定められていますから、介護保険法第4条は保険給付にあたっての留意事項にすぎないと言わざるを得ません。ですからその内容は、マイケアプランとは別物と言わざるを得ません。本当に問題であると私たちが考えなければならない事は、2005年介護保険法改定で、予防給付の内容が具体的に定められ、要支援1,2に分けられた時点から、要介護状態の改善が保険給付の絶対的要件のような取り扱いがなされてきている事ではないでしょうか。それにより、実質的に介護保険法の適用範囲が制限され、私たちの暮らしを支えることが難しくなってきているからです。
さらに、厚生労働省は、母子健康手帳に倣った介護予防手帳を作り、被保険者に持たせることを考えています。老人保健事業の「健康手帳」と同じく、制度が後退する場面で、管理だけが強化されるのはいかがなものでしょうか。
その一方、介護保険法の今日までの経過をみると、介護サービスについて利用者の生活実態からかけ離れたローカルルールが数多く作られ、利用者と自治体、厚生労働省の間で、三つ巴のあらそいがあったのではないでしょうか。それも、利用者、事業に携わる現場職員が声を上げたことが多いと思うのです。ですから、「公正中立に判断」と言われても、信用することはできないのです。特に総合事業ヘのサービスの移行は、何よりも費用の伸びの抑制が第一の目標として掲げられています。具体的に推進等による費用の効率化では、現状制度を維持する場合より何%費用の伸びが抑えられるかの試算が示されています。逆に言えば、そこまでしか財政援助はしないということで、あとは自治体と住民の問題ですと言っているようです。総合事業では、NPO,ボランティアがサービス提供者に加わり、質、量の面で問題が出ないかとの声もありますから、問題が出たとき利用者がきっちり声を上げられるかが問われているのです。一言付け加えますが、私はNPO,ボランティアそのものに問題があると考えているのではありません。優秀な方々を多く知っています。しかし問題はそのような個別のことではなく、制度の問題としてその個別の能力、善意が生かされないような事例が数多く出てこないかということです。その場合、政治家しか責任が取れないようでは困ります。そして、この問題はマイケアプラン実践者だけの問題ではないのです。総合事業の利用者全部が、法律的には自己決定権を否定され、「公正中立に判断」といわれるとその利用計画書に従わなければならなくなるのではないでしょうか。その意味で、マイケアプランの考え方、実践運動の真価が今後問われるのではないでしょうか。

今後の運動に向けて
さて、今後私たちはどう取り組まねばならないかです。一つの反省として、マイケアプラン運動は、内部では自己決定のためのツールを継続的に開発していますし、マイケアプラン実践のためのセミナーも開催しています。しかし、厚生労働省に対しては、マイケアプランは被保険者が自らの問題を分析して実践する、当然地域包括支援センターとも連携するから、介護保険の有効利用に貢献しますと言い過ぎたのではないでしょうか。わたしは原点に立ち返り、介護保険法のサービスをどう利用するかということは、どのように自分らしい暮らしをしていくかということだと思います。その内容は、利用者の日常の生活行為ですから、被保険者が自分で十分判断できます。これは、マイケアプランを実践する、しないに係わらず言えることではないでしょうか。
少なくとも、介護保険法は手続上では複雑な面がありますから、介護支援専門員の援助を受ける必要があります。しかし、実際上、被保険者が専門家の援助を受けてマイケアプランを実践する、具体的な利用手続きを被保険者が自分でやる場合は、その権利は法的に保障されるべきです。とくに、今後介護保険法の環境がますます厳しくなり、地域支援総合事業は財政面、実施体制に大きな問題があることは、各方面から幅広く指摘されていることですから、本当の大問題が起こったとしか言いようがありません。
国会は与党の強引な国会運営が目につき、厚生労働省はそのもとでやりたい放題のように見えます。ですから、どのような案が実施されても、あきらめずに継続して声を出すことしかありません。私たちの暮らしがどうなるかは、私たちが一番知っています。私たちの生活実感に自信を持って、間違っていることは、間違っているとどこまでも言い続けましょう。地域で、住民、事業者(NPO,ボランティアを含む)、自治体と具体的な問題を巡って連携することが重要です。具体的には、マイケアプランを実践する、しないに係わらず利用者はサービス利用計画の作成の会議において、介護の必要性、希望などをはっきりと粘り強く言い続けることではないでしょうか。そのような運動の積み重ねが、総合事業の全利用者、事業者等との運動と相まって、今後の介護保険法改定運動の足掛かりになると思います。
 ご批判をよろしくお願いします。

(2)たそがれ通信 ⑳                藍 植男会員
            
前回から2か月の間に、反省のためこれまでの19回分を読み返すつもりだったのですが、用事・来客・体調等で果たせませんでした。しかし同じ調子で続けているのはいけないと思い、総括をして、今号からの心づもりをお約束の形で表明しておきます。
① タイトルの「たそがれ通信」については、終着駅がますます近づいてきたこともあり、ペンネームとの兼ね合いもあって(“誰そ彼”)、そのままにしておきます。
② 原稿では行末まで詰めてA4判2ページ一杯にし、A3判の升目の1字も過不足がないように努めてきましたが、拘らないことにしました。(これは、ⓐ定家の「百人一首」の秘密に感心して、絵のように一部分が欠けていると全体が成り立たないという試み+ⓑもったいない志向のコムプレックスの産物なのです。が、編集の器械はその苦労を読みとってはくれないので、無駄な抵抗だと悟ったのです。)
③ 長い文章であれこれ言うのを避け、題・見出しを付けて、分かりやすくします。
 
  確かな情報を得て 考えながら 生きていきたい 
会食に使うシイタケを求めるため栽培しているハウスに行ったら、昨年春は500円だったものが800円だと言われました。会計担当者に〈昨年春から電気も油脂も上がっているだろうから、全般に一昨年のようにはいかないかも⋯〉と断ってはおいたものの、60%も売り値を上げるとは驚きです。株が高くなり円が安くなったと喜ぶものが多いかのように報道は伝えます。消費者物価の情報源の政府は 高くなったもの(例:蔬菜)を外したりします。私たちは生まれたときから、戦争を《事変》、侵攻掠奪を《平定》、敗戦を《終戦》といった言い替えや言い逃れに慣らされてきました。陸海空軍大元帥・現人神である天皇が人間になり、警察予備隊が軍隊になるのも見てきました。
  だから、権力者を縛るはずの憲法を 国民を縛るように解釈するとか、《密約はあったようだが証拠の公文書がないから仕方がない》と判決するとかを、〈奴らはそういう輩なのだ〉とはじめから容認している心情があります。重陽・大安の日に『昭和天皇実録』が公表され、ある歴史学者の〈(編纂者は)退位論にある程度触れることで(天皇が)責任を自覚していたことを示す〉と言ったと報道されていました。後日、中学生の同様の趣旨の投書が載っていました。私は、〈中学生のころは自分もその子と同じような想いだったかな〉、でもいまは〈天皇が責任を自覚していたように国民に印象づけようとしている〉と読みました。皆さんは、当時と現在とで、どう思われましたか。
  私は、〈言われていることは、その発信者の経歴・現況・欲望等 いくつもの要素・関係等からの分析を通して、真偽・核心に近づく〉ことが大切だと思います。そうでないと、じわじわ熱せられる湯の中で、鼻歌を歌って 沸かしている者に感謝するようなひとのよい被害者になるだろうと思います。投書した中学生のようにまじめで純朴なのも、誰も気づかぬうちにナチス憲法に変わっていたあの手口でいこうと言い、閣議決定で2/3世紀の歴史を否認するAAラインを支持する気のよさも、世界からは12歳から成長していないと見られそうです。彼らだけでなく私たち皆を⋯とは悔しいことです。
最近のニュースを見ても、将来の国民生活を律する事案が 特定の少数勢力の利害によって いとも軽く扱われ、国民にとって危険な これまでと全く違う方向へと進められています。例えば、TPP交渉に関しては、グローバル化を進歩と受け止め、早くに財界にまるめ込まれたマスコミも殆ど伝えぬ中で、来年初めには決着させようと図られています。また、核施設・兵器の輸出促進に加えて、1年単位が原則の国の予算を戦闘機等の大幅な購入のために10年先まで使えるように法改正をしようとしています。「何が機密か、それが機密」と考えるのと同じように、権力を握ればなんでもできる、と思っているのでしょう。(その「法」はもう2か月弱で施行されるのです。)
彼ら「パワー(権力)エリート」層というものは(半世紀前に米国の社会学者が指摘しているように)、並の生活をしているわれわれの生活環境とは全く別次元にいる者たちによって成り立っているとされています。彼らは自分らに都合のよくない事実は見ようとせず、事実を突き付けた批判もまともに取り合おうとはしない、との指摘も頷けます。普通の人には、あのような傍若無人ぶり、人を食った態度は意識してもできることではない。したがって、彼らにまともに論戦を経て路線変更を求めても無駄ということのようです。著名な研究者は、〈厳格な序列を維持し、個人?の利益と効率を優先するサル社会、いま人間社会はそれに近づいているのではないか!〉と警鐘を鳴らしているそうです。変な経済理論などが入っていないだろう モンゴル・ネパール・イラク⋯等々では日本のようなことはなさそうだと思うのですが、どうでしょうか。
ここでいまの日本人(社会)に訴え、強調したいのは、彼ら当権者が真理や歴史や倫理や尚志を無視しようとも、私たちは過去から現在までの・自他の生活体験・智慧を学び・習って、未来に向かって活かしていかなければならないということです。それは、彼らを説得したり屈服させたりするためでなく、自分やその縦横の同胞・人類のためだと思います。事実をもとに、どんな悪条件にさらされた人でも、人間としての尊厳が保持できる物質的保障・人間関係などの安心が確保されたうえで、心の自由が護られる社会を 自分たちで作っていく力を自分たちの中に育まなければなりません。
言葉だけでごまかし、なりふり構わず目先の利権確保に走る。具体的な課題にまともに対処できないで、権力で従わせようとする。そんな体質が一層進む 政・官・財界、学界・言論界の主流。(先日ある大学の副学長と学部長に会いましたが、法人化後に小役人根性がはびこったのでしょうか、驚きました。)事実を把握したり、困窮者の悩みに共感したり、多数の解決法を想定したり、といったことができない今の指導者に任せておけば、日本社会は 核爆発・噴火・地震の前に崩壊するのではないかと思います。
社会全般を見通して対処できる人材は多く世の中に埋もれています。そして、私たちもテレビ・新聞等の情報を受身で見ずに、自立と自律の材料として用いたいものです。新聞も溜めておいて眺め直すと捉え直せることがたくさんあり、ホームページも軽視できないと思っています。もちろん、少し古くても書物には面白くてためになる発見が詰まっていて、生きる糧になると感じます。みなさんも、私の文に疑いをもちながら 正しい情報を探索していただき、一緒に考えていただきたいと願っています。


                                                                    
(3)はちゃめちゃ通信  
icocaはダメよin  KATHMANDU
続TVを捨ててicoca 使おう
玉井 敏子会員

2週間ネパールの首都標高約1330m人口約500万人のカトマンドゥに滞在した。思いがけない体験をしたが、今日は私の利用した公的交通機関について、なるべく私の思いを出さず事実を箇条書きで報告する。といっても正確な資料に基づいたものでなく、全く私の体験だけで書くので事実でないことも多いだろうことを最初にお断りしておく。
Nepalの交通
国際空港は唯一カトマンドゥで国内飛行は主としてヒマラヤ観光のためで市民の乗り物でなく、また列車はインドとの国境に短いものがあるだけなので、市民の移動は車である。私の体験した公的乗り物について述べるが、個々の交通手段についてはあとで述べることにして一般的なことをまず述べる。
料金
一応距離によって違うが、初乗り料金は日本円換算して15円ぐらい、安いといいたいが平均月収は1万円の国である。
優待・割引・回数券
まず切符というものがなく、学生割引以外すべて平等で、現金で降車の都度支払うのである。もちろんicocaは使えず問題外。残念。
交通規則
日本と同じ「車は左・人は右」であるが、人人人人があふれている状況で歩くのも大変というところ。信号機がない。理由は季節によってその時によって変わるのであるが、私の滞在時で一日10時間の停電があり、信号機が機能しないのである。大きな交差点では懐かしい警察官による交通整理があるが、一般的には右向いて左向いてみんなで渡るのである。まさに命がけの横断であるが、あまり交通事故はないようである。ジムやジョギング、我が国で盛んな身体を鍛えることへの情熱はないようであるが、人々あまりメタボもいなく私のような足腰故障者も見受けられず、キャリーバッグも引かず、大きな荷物を持ってきびきび歩いていたが、きっとこの命がけの横断で反射神経等鍛えられているのだと思う。
道路事情
街の一部以外舗装しておらず、その舗装も欠陥だらけ、穴ぼこだらけで、懐かしい土の道は、スコールのあとは土煙が少し収まるが、魚が泳げるような大きな池があちこちに出来る、歩くと車に全身水をかけられ、乗るとおしりが痛くて、どちらにしても鼻や耳の穴、口の中も土埃でいっぱいになったが、私は不愉快にならず体調もよく足腰の激痛もおさまっていた。
駅・停留場
いちおうターミナルというものがあり、車がたくさんあり、露店や物売りもいるが事務所のようなものも、標識もない。
交通手段(私の経験した公的交通機関) テンプー・マイクロバス・バス              
 乗務員はテンプーでは運転手一人であるが、他は車掌がいる。だいたい10代の少年、行先を呼称して客引きしたり料金を集めたりする。定員がないので詰め込むだけ詰め込む。
もちろん優先席などないが、他人の子供や荷物を膝に置く人、若い女性を膝に乗せる人もいる。セクハラ・誘拐・盗難疑惑想定外の世界である。
テンプー
60年近く前に日本で流行した三輪車。日本ではたしか助手席だけに乗せること出来ただけだと記憶しているが、カトマンドゥ2175417990205ではトラックの荷台のようなものを後ろにつけて座れるのは4人掛けが対面しているので定員8人と言いたいが、定員はなく乗れるだけ乗るのである。立って乗る人助手席にも2人座ったり、私の見たところ平均15人ぐらい乗っている。トラックの荷台なのでもちろんガラスの入った窓もなくスコールがくれば全員ずぶぬれになる。運転手一人で始点と終点が決まり同じルートを走るが駅というかバスストップなく乗り降りは好きな場所で可能、したがつて乗りそうな人をみつければ、運転手が声をかける。もう満員と私が感じた時にも停まり、新しい乗客を乗せる。乗り降りについては乗客全員が協力、子供や老人を抱きかかえるようにしてくれる。降りたい時はテンプーの天井を勢いよく叩けば停まる。また料金は降車時支払うが、乗客が受け取って運転手に渡す光景もしばしば見受けられた。無賃乗車等は想定外とのことである。
マイクロバス
車体としては日本のいわゆるマイクロバスで日本の中古車もみうけられたが、これが今人気があるようである。また定員がないので満載であるが、テンプーと違いバスストップが決まっており行先もはっきりしており、フロントガラスに私には理解できないネパール語で行先がはられているが、こちらは車掌が「○○行」と大声で客引きをしているが、ネパール市民でも字を読めない人へのサービスでもあるらしい。
バス
これも中古車であるが日本のバスと同じ、郊外に行くものが多かった。こちらも定員無く乗せるだけ乗せるということであるが、テンプーほど市民になじみがないのか、ターミナルで自分の行くところへのバスがよくわからないのか、車掌や乗客にいろいろ尋ねて、乗るべきバスが判明した時は、居合わせた人が自分の行先が解らぬ人を該当するバスのところへ連れて行く光景もしばしば目にした。
以上私の体験。感動したのは、私独りと思いますが、埋め草に採用されれば幸福です。



(4) 私と家族の絆
(マイケアプランの終わり方を考えて)パート2
  倉本 文子会員                   

  私には、それぞれ独立した4人の家族を持つ息子と、3人の家族を持つ娘、別居中で一人暮らしの夫がいる。平素 娘は「両親が別々に暮らしていると、心配だ」と言う。息子は、娘より5歳年上で、介護関係の仕事に携わっていて、いろんな家族を視ているためか「お母さん何?」と電話口で聞いてくる。この、ほんわか長男と頭でっかち娘に、私はこれまで育てられてきた。
  
上記二人の幼少の頃の子育ては、近くに住んでいた夫の両親の援助を受けていた。夫はそのことで安心したのか、つきあいやギャンブルをして、私を困らせた。一時期、私は子供を3人持ったと諦めかけたこともあったが、14年前に精神的に疲れもあり、家を出た。その頃の私は、実父を亡くしたことや気の向かない仕事上の配置換えも影響して、家をとひだした。結婚したら相手の家で我慢するということの箍(たが)がとれた。またこの機会に、夫の自立を促したかったのかもしれない。
  そして一人暮らしを始めた私は、自分は経済的に自立しているから精神的にも自立していると錯覚していた。それが今回の癌が判ってからの夫の態度を見ているうちに自分の傲慢さに気付いた。
  手術当日は、夫・息子(孫の手紙持参)・娘とその息子(4歳)の4人が来てくれた。息子と娘は遠い大阪から来てくれていた。
私には孫は3人いて、いずれも男の子でそれぞれ個性が豊かでかわいい。 その孫たちは、母親が病気の時や孫たちの学校が休みの時などに、私の一人暮らしの家で過ごしていく。同居を考えることもあるが、個々人の考えもあり、今後しばらく4つの住いを行き来して暮らして行くと思う。



次 回 定 例 会                                
★ 第165回10月定例会
 10月17日(金)13:00~15:30 3F 第3会議室      
  内  容:・2014年度公開企画について
・マイトピックス  ・その他         
  読 書 会: 引続き 15:40~16:50
 『「老年症候群」の診察室 超高齢社会を生きる』 
   Ⅲ 高齢者医療が直面する課題(P.119)より 
ニュース発行:11月 7日(金)10:00~

11月発行ニュースは150号となります。これまでの当会のこと、
これからの当会へのご提案などぜひお寄せください。

締切りは10月末日です。 メール・FAXで


次 々 回 定 例 会   
★ 第166回11月定例会
 11月21日(金)13:00~15:30 2F 第1会議室(いつもと違います)
  内  容:・2014年度公開企画について
       ・マイトッピックス  ・その他
  読 書 会:引続き 15:40~16:50
 『「老年症候群」の診察室 超高齢社会を生きる』


マイケアプラン研究会 事務局
〒600-8127 京都市下京区西木屋町通上の口下ル梅湊町83-1 「ひと・まち交流館 京都」
京都市市民活動総合センター メールボックス33  TEL・FAX075-581-9956
Email :mycare_hitomachi@yahoo.co.jp  アドレスが変わりました。
ホームページ:http://blog.goo.ne.jp/mycareplan
郵 郵便振替:00900-5-120923 マイケアプラン研究会