「マイケアプラン研究会」活動報告

マイケアプランは高齢者の権利宣言
いつまでも自分らしく生きるために・マイケアプランを応援します

ほっとなマイケアプランニュース

2016-02-05 | ほっとなマイケアプランニュース
ほっとなマイケアプランニュース164号より



         「好きにさせて」とは、どういうことか?    
                           浜渦 辰二さん(大阪大学、臨床哲学)

 今年1月5日の朝刊4紙に、「死ぬときぐらい 好きにさせてよ」と題した、見開き両面を使った企業広告(宝島社)が掲載された。当日の朝、新聞を読みながらこの頁を開いて、「じぇじぇじぇ(おっと少し古い、いまなら「びっくりぽん」か)、なにこれ!」と目を見張った。シェークスピアの『ハムレット』のヒロインの最期を題材に、19世紀のイギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレイの描いた作品『オフィーリア』のパロディで、女優の樹木希林が笑顔で川の流れに仰向けに浮かんだ絵だった。右上に小さく、次のように書かれていた。「人は必ず死ぬというのに。/長生きを叶える技術ばかりが進化して/なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。/死を疎むことなく、死を焦ることもなく。/ひとつひとつの欲を手放して、/身じまいをしていきたいと思うのです。/人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。/それが、私の最後の欲なのです。」
 「死ぬことを考えることによって生きることを考えて欲しい」というメッセージを、明るく楽しく伝えたいというパロディの精神だろうか。あるいは、近年、尊厳死、満足死、自然死といった言葉が、延命治療を拒否するものとして広まっている時代を映したものなのだろうか。「死ぬとき」にも、周りからいろいろと勝手に決められて、自分の好きなようにさせてはもらえない、という現状を訴えているようにも思われる。
 しかし、「死ぬときぐらい」というのは、いかにも「生きているあいだは、好きにさせてもらえなかった」ということを含意しているように聞こえるが、それを樹木希林に言わせるのはあまりピンと来ない気もする。夫・内田裕也(ロック歌手)が好き放題にしている陰で、好きにさせてもらえなかったというのだろうか。
 それにしても、「好きにさせてよ」と言うべきなのは、「死ぬとき」というより、むしろ「生きているとき」、たとえぎりぎりの間際でも「まだ生きているとき」、しかも「もはやそう発言できなくなったとき」ではないのだろうか。いやもっとよく考えると、「好きにさせてよ」と言ってしまうのは、どうかという気もしてくる。それは、自由・自己決定を主張しているようでいて、誰かと話し合ったり、対話をしたりすることを拒否して、「放っといてくれ」と突き放しているかのようにも聞こえる。
 私は、「患者のウェルリビングを考える会」(神戸)で『ファミリー・リビングウィル』の作成に協力をしてきたが、それも「リビングウィル」(終末期医療の意思表示)を自己決定だけで書いてしまうのではなく、愛する人(広い意味でのファミリー)や医療関係者とも話し合いながら作成しようという活動です。 他方、皆さんが続けている「マイケアプラン研究会」も、自立と自己決定を冒頭の理念として掲げていますが、回りの人たちと話し合いながらマイケアプランを作ろうとしていて、単なる「好きにさせてよ」ではないだろう、と推測している。


  

  
読 書 会    『安楽に死にたい』 松田 道雄著 岩波書店                  
        
        次回読書会に向けて
ー自分の生と死を考え、晩年を生き抜くためにー  
   青木 信雄会員

 私は特養「健光園」診療所に勤務していた当時、1997年1月6日のM紙朝刊の一面トップ記事で、―延命治療やめ「安楽死」―と報道され、以後ターミナルケアへの取り組みを止めた挫折体験を持っている。
今回、読書会で取り上げられた『安楽に死にたい』という本は、同年4月29日に第1刷発行がされており、私への義父からの応援歌の側面があったと思っている。
 当時も一読しているが、今回再読して全く印象が変わった。 自分が後期高齢者となり、いよいよ人生の最終コーナーに入り、自分の死が視野に入ってきたという切迫感があって、やっと89歳で亡くなった彼の言わんとしたことが判ってきた。
 本の題名からは安楽死を連想させ、また冒頭の部分の副題にも安楽死の復活をと挙げられているが、私は「自分の生き方はそれぞれが自分で決めるものであり、その延長としての自分の死を自分で決められないだろうか」という自死の勧めにあると思う。

 また、この本で論じられているのは、「年をとって、絶望的な状態になった時の延命」(17頁)についてであり、「重い障害のある方の生死とは関係ありません」(3頁)として、一般の高齢者を対象として限定している。
 1月の定例会で浜渦先生が「依存と自立を越えて」というテーマでお話をされた。その中で当会発行の『私にもつくれます マイケアプラン』という緑色の表紙の冊子で「自立と自己決定権」が強調されているが、これはアメリカ流の考え方で、ヨーロッパの考え方であるインターディペンデンス:お互いに依存し合い、助け合って生きていることを述べておられた。
 しかし、このインターディペンデンスという考え方は、個の確立が不十分な日本では、自立という原則があいまいになり、かえって安易な依存へと流れてしまう危惧を感じた。
 また、先生は「尊厳死」という言い方について、ともすると死の場面だけに焦点を当てられるおそれがあり、大切なのは死の場面に至るまでをどのように尊厳を持って生き抜いていくか、ではないかと言われ、尊厳死よりも尊厳生を、と言われてる。
 この点については大いに賛成であるが、尊厳生をどうしたら実現できるか、より具体的にしていくことが必要ではないかと思った。
私は健光園の診療所で19年間勤務していたが、そこで経験したことは入居されている利用者が死を間近に見聞きし、人の生き死にを学んでいたということである。利用者には恵まれない人が多く、園内で簡素なお葬式をあげることが多かったが、時として連日続くこともあった。 そうした時、 診療に携わる身としては非難されるのではないかと思ったが、案に相違して、そんなことは全くなく、あの人の亡くなり方は良かったなとか会話しておられたのを覚えている。また、要介護の利用者が『死にたい』ともらすことがあったが、時と場合により、異なるニュアンスがあり、若い職員があわてて打ち消すのをひそかに楽しんでいる場面もあった。今は人の死を見ることがもっと少なくなり、むしろ死をこわいものやおそろしいものとして遠ざけられている。  
 自分が生活の主体者として生きていく一つの目安が、健康寿命である。健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間のことで、 最新のデータでは男性が70.4歳、女性が73.62歳である。これに対して平均寿命は男性が80.21歳、女性が86.61歳となっていて、この健康寿命から平均寿命までの期間は、日常生活の制限のある不健康な期間を意味する。この期間をどう過ごしていくかが問われる。私自身、正にこの渦中にあり、体が“セコハンの車”状態で、内科はもちろん、皮膚科、泌尿器科、歯科、整形外科のお世話になっている。物忘れもひとなみにある。幸い、ほとんどが老化に伴う中・小の故障なので助かっている。
 外国、 特にアメリカからのニュースで「高齢の俳優が一人でアパートで亡くなっていた」と報じられることがある。 彼が最晩年をどうやって生きてきたか、知りたい気もする。
 たしかに自分の生命は自分だけのものではない。 周りの人、あるいは亡くなった人も含め、みんなに支えられ、支えもして生きている。 生かされていると言ってもよいかもしれない。
 しかし、生き方、死に方は最後は自分できめるもの、死に方を決めるのは難しいことだが、できれば自分で決めて亡くなるのが理想だと思う。
 一時、「終活」や「エンディングノート」が流行したが、生の充実のない「終活」はむなしい。健康寿命から平均寿命へ、そして死を迎えるまでの、自立した依存期間をどう生きるか、学び合いがしたい。



会員より          
 ふたこと みこと
 (1)たそがれ通信 35   
  いつ 予想外なことが 起こるか 分かりません
                     藍 植男 会員

 1月末の新聞・雑誌・放送は、おかしなこと・腑に落ちないことをいっぱい届けてくれました。大相撲で日本の力士が10年ぶりに優勝したことは珍しいことですが、相撲がモンゴル勢の《大相撲日本場所》みたいなのはおかしなことかもしれません。内輪もめのSMAPがどうこうとか、 ベッキーがだれとなにしてとかの動向をあんなに大げさに報じる背景になにがあるのか、よく分かりません。そんなことはどうでもよいという時代遅れ(時代離れ)の人も、28~29日の盛り沢山なニュースには無関心ではいられなかったはずです。

 まず、一旦は裁判官が〈基本的な住民の生存権を尊重すべき〉として稼動停止を命じた 関西電力の高浜原子力発電3号機が、2年4か月ぶりで再稼働に入ったことです。これは、①MOX燃料が、いろいろな面で怖い;②4月からの電力自由化(これは、介護保険発足と同じ時期に始まったが、旧来の電力会社の抵抗でここまで延びた。)後も、市場と利益を確保しようとする電力会社の〈人間よりカネ優先〉の考え、これを擁護する財界・政府の姿勢が怖い;③具体的対策が軽視・無視されたまま、核分裂が始められ、日夜その事故発生の恐怖にさらされることが怖い;ということがあります。少し説明させてもらいます。
①では、わざわざ船をフランスまで往復させて作る燃料は、恐怖の元素プルトニウムを混ぜるのでウランだけの場合よりも、扱いも後々の処理法も難しいのですが、将来のことが何も分からないままで〈トイレのない家〉の例えのとおり、ことが強行されています。
②では、大爆発もありうる桜島火山に近い川内原発に関して、㋐安全のため設置するとしていた施設を再稼働が認められたとたんに新設しない、と言い出したこと;㋑近傍の多数の住民の避難路確保をしないまま再稼働したことで九州電力が批判を浴びました。関電も、まったく同様で、免震事務棟の完成も避難道路の供用も時期未定のまま、利益確保に走っています。関西財界首脳も特に声明を発して、このような猪突に拍車をかけています。 
③では、近接の京都・滋賀の住民・自治体の同意なしで既成事実が作られて行きましたが、これは〈近く〉の〈人間〉だけに関わることではありません。離れていても、近畿圏の大多数1400万人が琵琶湖の水で日々生きています。プランクトンも蛙も魚もみんなこの水で生きていかねばなりません。汚染された水は、海に入ればそこの全てを汚染していきます。私たちは、予測できない事故を待っていることはできません。
  同じ日、東京電力柏崎刈羽原発で〈電気ケーブルの不適切な敷設が2500本あった〉との報道がありました。また、各地の核汚染物質処理場の設置拒絶も報じられました。そして、関西電力は高浜原発の2基稼働で5年ぶり1500億円の大幅利益との予測があり、全国の電力会社10社では4~12月期で1兆1千億円の経常利益になったとの発表でした。
長くなりましたので、辻信一氏からの孫引きを少しして、第一の話題を終わります。〈人類と地球はひとつの身体〉ティク ナット ハン;〈本当の問いは、最悪の事態が起こる前に
止めるか 起こった後にとめるか、だ〉ラミス;〈成長を前提とした経済システムの愚かさと残酷さに目をくらまされず、自分の中にある健全な知恵を頼りに、コミュニティとのつながりを編み直し、動植物をはじめとする自然界との一体性をとりもどさなければならない〉ヘレナ ノーバーグ ホッジ。(注:私たちの地球環境については、レイチェル カーソン(1962年発表)の『沈黙の春』・シーア コルボーン他『奪われし未来』(増補改訂日本語版2001年)などがあります。女性著者の活躍が目だちます。)

 次に、日本銀行に会合はA政権の意向を受けいっそうインフレを進めようと、マイナス金利を2月中旬から実施すると決めたこと。金融機関はこの20年間に超低利で預金させながら必要な融資を渋って内部留保資金を溜めこんでばかりでしたから、利息が0とかマイナスの通貨は地域通貨と同様もっと研究されるべきでしょう。今回の措置は、数日前には総裁が否定していたのですから奇策との評はおかしくはなく、株をもっている人等には輝策・喜策となるかもしれません。でも、年金生活者はじめ多くの庶民には実質所得減少の危策となるのではないでしょうか。 昨年からAにうながされて株式市場に多くの資金投入した年金積立金も大きな損失を受けました。物価上昇分を反映して4月からの児童扶養手当の改定は行なうのに、同じ厚労省所管の公的年金は〈一般の賃金は上がっていないから〉と、マクロスライド(物価上昇分の引き上げ)は行わないとは納得し難いことです。

 三番目に、経済活性化・TPP担当のA閣僚が、大臣室などで業者から口利きの謝礼に現金をもらっていたこと、事務所としてはもっと多額の現金を受け取っていたこと、多数回の饗応を認めたことです。これも、数日前にはA首相が 〈頼れる相棒として続投させる〉としていました。後任は、親子でオッチョコチョイのIですから、またもA-Iラインでの新たな混乱が見ものになるでしょう。今度の報道の中には、〈Aの脇が甘かった〉などと書いて、このような行為を上手にやるのがベテランとでもいうかの言説がありました。与党総務会長Nは、〈短絡的な批判に押されて献金を規制するのはよくない〉といったことを公言しているそうです。日本国内の実情と将来像を無視し、秘密交渉の舞台裏で日本の業界からだけではなく米国などからも、甘くきたないカネ・将来実がなる利権を得ているのが窺えるなら、それを止める努力をする ; 徹底的に追及するのが,政治リーダーへの世間の期待;社会の木鐸の使命なのにと呆れます。普通の者よりずっと優遇されている者は自分の立場を常に意識して模範となるべきであり、もの言えぬ立場の人を代表して発言すべきものが、細かい局面のことに捉われて行動していることに、憤りと危惧を懐きます。

 ある日の新聞紙面を見て記しているうちに、また紙面が尽きました。そこで、介護に関係する身近な発見を一つ記します。家人が珍しく積もった雪で滑って骨折し、家事(主としてス・セ・ソ)に忙しく、福祉の勉強はほとんどできませんでした。しかし・そして、負傷した・身体障害の家人を、少しずつ観察してきました。そこで見て分かったのは、〈「苦労」と格闘・あるいは根気よく付き合っていると、自分で自分を援ける方法を自ずと身につけていく〉ということです。〈必要は発明の母〉と言いますが、事前に・そして日ごろ何でもないときに、それをやっていくことで、いざというとき自分に・そして関係する他人の理解と援助のために すぐに役立つということがよく分かりました。 最後に、自戒もふくめてー《何でもないときに、まさかのときの備えをしておきましょう。》



(2)「金の切れ目は、いのちの切れ目か?」       F.K会員
 まず、玉井会員の「はちゃめちゃ通信」は、いつも私の人生の指南書になっています。
 いつまでも続けてほしいです。常に、自分自身にまっすぐなマイケアを実践されていて、あ~、こういう考えの方が、はっきり意見を持ち日々生活されているのだと、私には新鮮に見えるからです。田舎で、しがらみの中で生活していて、つい愚痴がでてしまいます。しかし、あなたの文章にいつも癒されています。1年半前、癌を宣告され、私の人生のカウントダウンが始まったように思います。ただなんとなく日々を過ごしていたのが、1日1日が大切になり、やり残しはないか、今自分ができること、人から必要とされることは、おせっかいに動くよう、努力しています。このことで、認知症が少しでも遅れてくれればと、勝手な認知症予防プログラムをたてているかのようです。
 そんなおせっかいな中で、一つ事例発生。2年前から子供や身内がいなくて、介護援助してくれる人が他人ばかりの、92歳夫・87歳妻を援助している。夫は40歳代に筋無力症になり、難病指定を受け、多くの病気にも治療を続け、数年前から認知症状が出始め、介護サービスや、知り合いの援助を受けながら、1年前まで在宅を続けた。しかし、妻の健康状態が限界にきて、グループホームに入る。その後の生活費が年金のみの夫婦の経済を破綻させ、近いうちに夫を老人ホームにと段取りしていた。しかし、昨年末の29日に高熱、下痢、が起こるも嘱託医が、年末休診でおらず、24時間訪問看護も対応を在宅で看ることにならず、入院設備のある病院に連れて行く。高熱の上、移動により嘔吐も起こり、入院。入院してから私には連絡が入る。抗生剤の持続点滴。熱の原因を調べる骨髄検査が2日連続で行われ、この3日間の医療費が先日来て驚いた。27万余円。
 高額介護・看護医療費で還付されるにしても、妻の生活費、万が一の葬祭費がすべて借金となり、頭を悩ませている。私も、これからの老いの生活経済を考えなくてはならない。
(4)



 次 回 定 例 会 
 ★第180回2月定例会
       2月19日(金)13:15~15:30  ひと・まち交流館京都 3F 第3会議室
         内  容:・公開企画を終えて
              ・マイトピックス ・その他
         読 書 会:15:40~16:50
              『安楽に死にたい』 松田 道雄著  岩波書店
         ニュース発行・発送:3月4日(金)10:00~   〃


 次 々 回 定 例 会 
  ★第181回3月定例会
     3月18日(金) 13:15~15:30   ひと・まち交流館京都 3F 第3会議室
         内  容:・新総合事業とマイケアプラン
              ・マイトピックス  ・その他
          読 書 会:15:40~16:50
              『安楽に死にたい』 松田 道雄著  岩波書店
          ニュース発行・発送:4月1日(金)10:00~ 
         

~つぶやき~

*いよいよ公開企画が明後日となった。新総合事業について4回学び、少しずつ見えてきたように思うが、
 一般にはまだまだ認知度の低い制度である。 4つの話題提供によってより深く考え、間近に迫っている新制度に
 小さくても鋭いメスを入れたいと願っている。                                      
*戦後70年のいろんな秘話にあふれた年も改まったものの、その流れは止まらず、しっかり見て聴いて言う年になりそう。
 1月定例会は、盛り沢山、特に安楽死に関して浜渦先生は「ファミリー・リビングウィル」という具体的な提案を、
 読書会は『安楽に死にたい』という著者のお身内の提案。読み応え満載の164号。マイケアプラン研究会って面白い。                


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