父が逝去した。
突然入院した知らせを聞いたのは7/1。それまでに闘病してたとかでもなく前日までいつも通りの生活をしていた。ちょっと足が痛くて歩けないとかご飯が食べれなくなったと言うのでY姉が病院に連れて行った。そしたらもう家に帰れない末期症状だった。即入院、循環器障害の影響でご飯食べられず液体のみの約1ヶ月。人間の生命力はスゴイな…最後はその液体も排出できなくなったので点滴も無くなり自然に灯が消えるのを待つだけだった。
仕事場では8/1出勤時に「そろそろ看取りを、ということらしいので元から取っていた休み8/3を、1日前倒しにそてもらえないか」と相談したら「今から帰って良いよ」と言うてもらった。荷物して高速バスで実家へ向かったが着いたときは病院の面会時間の21時を過ぎてたので翌朝イチで見舞いに行く予定にして就寝。
ところが夜明けを待たず午前3:41病院からの連絡で呼吸異常の知らせ有り、母も叩き起こして病院に向かったが父の時計はもう止まっていた。
以前に私の帰省日を姉が伝える時に「がんばれ」と言うたらしいので、うちは「しんどいのにガンバらんで良いよ、と伝えて」と姉に託していた。なぜなら痛みや食べられない苦痛を長引かせるのは好ましくないし、ここまで父は87年頑張りまくって来たからだ。
お顔はそれは眠るような穏やかな顔で、看護師さんも「本当に穏やかに苦しんでる様子も無く逝かれたようです」と。皆で看取ってやれんでごめんやけどやっと楽になれたね。
7/10に一時帰省し顔を見せてきたのと、7/24には携帯電話で人生の感謝を述べておいた。
父がいて私がいて学校に行き習い事をし、旅をし社会人になって今も何とか暮らしている。
父はスゴイわ。アスペっぽくて家族間では相当なコミュ障っぷりやったけど、娘たちを育て教育と家と食料を与え、脳梗塞も患ったのに半身麻痺から自転車で出かけるまでに復活した根性のある弱音を吐かない人だった。調子悪いから病院に連れて行ってと姉に頼んだ時はよほど我慢できないくらいの症状があったのだろう。
長いことお疲れさん。ゆっくり休んでや。