楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

日帰りで「藤まつり」と「ボタン寺」を楽しむ

2012年04月30日 | 日記

4月ももう終わりです。30日(月・祝)は朝からどんよりと今にも雨になりそうなお天気でした。気温だけはまあまあで、幸いに夕方まで、雨には遭いませんでした。

ワイフの希望で、バスツアーに席が残っていたものに申込みし、愛知県島津市の「藤まつり」(評判の藤園がある)と滋賀県長浜市にある総持寺(ボタン寺として有名)をめぐる日帰りバスツアーをしてきました。後者は大阪にも同名の寺があり歴史に残る寺と思っていたら、近江の西国薬師霊場第三十一番札所という別寺でした。藤まつりはちょっと時期が早いかと思いましたが、「棚藤」も「枝垂れ藤」ともいいタイミングで見ることができました。祭り事は、古い島津神社を中心に300mほど離れた「藤園」を目立たせながら市を挙げて行われていましたが、残念ながら露店ばかり多く本当のお祭り騒ぎで、真面目な伝統を感じませんでした。総持寺のボタンは早咲きのボタンは立派でしたが、(今年は)まだ多くは少々蕾の段階で残念でした。この寺の入り口にいた説明兼入場料取りの中年女性(ボランティア?)に「ボタンの総持寺」は分かりましたが、なぜボタンになったのか、何か経緯はあるのでしょうかと、質問をしたところ、詰まってまともなご返事がありませんでした。入り口係としてはもうちょっと勉強の上で、役割を果たして欲しいと思いました。それでも、全体的にこの大型連休中にいろいろな花を眺めて楽しめたのは、幸せな気持ちでした。なお、途中に立ち寄った「関ヶ原」古戦場(岐阜県と滋賀県に跨る)は、何もなくただゴルフ場やキャンプ場がある感じで期待外れでした。


「つつじ」が咲いている

2012年04月29日 | 日記

29日(日)は依然として高気圧に覆われ好天が続きました。夏日の気温で、皆半袖かTシャツか、中にはショートパンツへ切り替えた人もいました。歩くと暑いくらいでした。

ワイフとともに久しぶりに阪急千里山線沿いの方向に散歩をしました。北千里駅(終点で吹田市)の近くでコーヒーを楽しんでから、家まで、約4~5キロを歩いてみることにしました。暑い中ですからのんびりと行こうとなり、広い歩道をゆっくりのんびりと帰ってきました。途中で、街路樹の合い間の歩道わきに色とりどりの「つつじ」が咲いていて、きれいでした。ワイフの言うのにはピンクのつつじは多いが、「白いつつじ」は数少なく貴重だ、と言いますので写真に撮ってきました。つつじは春の花だと聞きましたが、もう大阪北部は初夏の気温だし、4月も終盤です。もう初夏の花「さつき」の時期になるのでしょうか。つつじは難しい漢字だったことも思いだされ、私は書けません。「躑躅」。昔の中国から伝わってきた古い漢字です。こんなの一々覚えていませんよ。意味を調べると、美しい花に見とれて動けない様とか羊が葉を食べて毒薬のつつじで動けなくなった様とかと言うのだそうです。難しい漢字には色々な意味があったのですね。


小さなアイスクリーム屋は満員で

2012年04月28日 | 日記

28日(土)は大型連休の始まりで人出も多く、大阪では青空の好天になりました。寧ろかっとした初夏というお天気でした。外歩きの皆さんは完全に夏の恰好に変わりました。

ボランティアを終わり、帰途に付こうかという午後4時ごろ、天王寺区谷町7丁目くらいを歩いていました。目だたない小さなアイスクリーム専門店がありました。外から見ると、店の上にはジェラートと言う看板になっていました。冷たいお菓子を英語やイタリア語でなんというのか、何が正しいのか私には分かりません(この分野は苦手です)が、若い女性を中心に意外に店は満員でした。お持ち帰り専門でした。人が多いのは気温の高いのも大きな原因でしょう、いっぱいでした。20年くらい昔、サンフランシスコへ会社業務で出張した際、初夏にユニオンスクエアを通りかかり、「ハーゲンダーツ」のトラックからの無料サービス配布で大きなケース入りをいただいた覚えもありますし、会社退職後に、ローマ訪問中に、ワイフの希望で、かなり有名な「ジェラート屋」を地図片手に探し廻った覚えがあります。私にとってはかなり国際的な経験があるつもりですが、正直な所、アイスキャンディ、ソフトクリーム、アイスクリーム、ジェラート(イタリア語)等の正しい差異は分かりません。本当は乳脂肪分の含有量や製造法には違いがあると聞きます。私がこの類を食べた経験では、冷たくて美味しい(甘い)のはどれも一緒と思います。何でもいいではないかと思いますが、そうはいかないのでしょう、この店の中は味をよく知っている?「うるさ型女性たち」の行列のようでした。


仲間の身内コンサートも楽しいもの

2012年04月27日 | 日記

27日(金)は好天で青空が広がりました。日中は暑くなったので、もう気の早い人は、陽傘、サングラス、半そで、Tシャツ等になっている人も見かけました。ちょっと早いのでは。

高齢者仲間の一年一回の総会(ボランティアを熱心にやる高齢者仲間の会合総会)が豊中市内で行われました。その後の余興の時間に「ミニ音楽コンサート」がもたれ、60、70年昔の文部省伝統的抒情歌やシャンソン、、オペラのアリアなどの誰でも知る大衆的な曲目が披露されました。高齢者仲間の一人でコーラスを日頃楽しんでいる人が、そのコーラス指導者から紹介され、その人たちが会場まできてくれました。大阪音楽大学出身の20代後半か30歳前後位の女性二人(吉兼 妙さん、米良宏美さん)でした。一人は、ピアノ伴奏(組み立て式電動ピアノを持参)吉兼さん、と、もう一人はソプラノ歌唱の人米良さんでした。すぐ目の前で、生演奏などなかなか私達は経験できませんが、今日は目の前で歌唱と伴奏を楽しむことができました。幾らか高齢者向けの選曲にはなっていましたが、楽しい時間でした。仲間だけで身内の小型コンサートを楽しめるのは、正直言って幸せです。ありがとう。また同じ機会を持ちたいものです。


あるデパートで見たブロックでのアニメ戦士?

2012年04月26日 | 日記

26日(木)はどんよりしていましたが、午前中は雨はないが午後は雨になる、というTV予測を皆信じ傘を持って出かけました。でも大阪は夕方まで全く雨もなく、完全な空振りでした。

買い物に大阪市内のあるデパートへ出かけました。5月、6月は同級生や近親関係者との旅行計画もあり、それに必要なものを買いに出かけたのです。Dデパートの9階くらいの子供用品売り場をエスカレーターで通過した時、大きなキャラクターのアニメ戦士の姿を見ました。家庭用ではない大型ブロックを使って「ガンダムシリーズ戦士?」は高さ2m位もあり3体を作っていました。担当らしき男の人が一生懸命作っているので、作品の戦士名を尋ねる隙もありませんでした。後で、立ち寄ったキャラクターゲーム店の前で若い男の子(高校生か大学生か)にデジカメ写真を見せながら戦士の名前を尋ねましたが、「僕、分からないです」とすげなく返事されました。私達、昭和のおじさん(おじいさん?)たちは、昭和40年代の約40年前、幼い子供にせがまれて「ウルトラマン」や「スーパーマン」の小さなブロック組み立てのおもちゃを作ったことはあります。でも最近のこの大きな戦士の名は残念ですがとんとわかりません。でもいくら専門家でも大きなブロックで立派な作品ができるものだなあ、と感心しました。誰か、この戦士のキャラクターの名前を教えてよ。ガンダムシリーズの機動戦士?


自転車屋さんの店員と話し合う

2012年04月25日 | 日記

25日(水)は、どんよりしていましたが蒸し暑い日になりました。北大阪は幸いに雨は来ませんでした。

散歩で歩いている途中に、ある「自転車屋さん」の前を通りました。店員(男性)がたまたま自転車を整備しながら何気なく「いらっしゃい」と声をかけてくれました。そこで「すみませんが、自転車の購買ではないのですが、日頃からプロに質問したい事があります、かまわないですか?」というと、「はい、どうぞ」と自信を持ったご返事なので少々会話をさせてもらいました。

私「売っている自転車の警音器(ベル)は何故必ず付いているのですか?」 店員「売る立場で行くと自転車の法律になって出ていること と 当然歩いている人への警報、警笛ですね」と言います。私「では歩道で耳の不自由な人、足の悪い人、乳母車、ステッキを持つ高齢者がいた時には、どのようにしますか」 店員「もちろん走行していけません。歩道の端を徐行するか、危険のないように止まったり、歩行者の行きすぎるのを待ちますね」 私「ではそれが本当に徹底されるのであれば、ベルは法的に必要ではないのではないですか?」 店員「??」

そうです。車道へ出た時は危険なのは自分の方で、自転車側のベルは要らないはずです。歩道や一般道で歩行者に危険な場面には必ず自転車は止まって、自転車を押すか、歩行者の行きすぎるのを待つのだったら、警音器(ベル)は何んのためにあるのでしょうか。本音は「自転車が行くから退いてくれという」という危険信号ですか。徐行しているなら子どもの飛び出しのためや自転車同志にはブレーキと大声を上げればいいでしょう。(それとも必ず付けるのはベル製作のメーカーの為??)どういう法律の考え方になっているのでしょうか。大正、昭和初期の自転車さまさま時代のままでは?

 

「なんばウオーク」(地下商店街)の人出を見て

2012年04月24日 | 日記

23日(火)は暑い感じの気温になりまいた。好天である上、気温、湿度ともに夏の感じになりました。つい数週前はコートが必要な天候だったのに本当に急変です。

なんばウオーク(地下商店街)を歩いている時、50年近く前の「難波」界隈の思い出が浮かんできました。大阪市電が走っていた頃、今の「JRなんば」駅近辺は、意外に人出が多く、停留所も「賑橋」といい、会社のあった大国町辺りから市電を使ってきたものです。恵美須町からの阪堺線に乗り換える人が多かったのでしょう。そのため南海電車のお客が伸びずに高島屋辺りは苦労したことでしょう。国鉄時代はJRなんば駅は「湊町」と言っていました。かなり寂れた田舎駅でした。でも関西線(奈良方面経由名古屋行き)で東京へ行きたい直行夜行列車の利用客は、かなり時間が多くかかり、幾らか敬遠していました。私なども東京へ行く時(新幹線ができるまで)東海道本線の夜行寝台急行を使ったものです。また難波界隈は小商店が多く、北に比べていろいろ開発が遅れたように思います。そこへ、「なんばウオーク」という細長い地下商店街ができた時は、大阪南部の変革が来たと思いました。今でもJRなんば近くの地下商店街(写真のなんばウオーク)は奈良行き電車が主流になっていて支線的でもあり、多くの人は環状線から直行で行けるため、市民や私鉄利用者はあまりここを使いません。南海電車にはやや遠く、近鉄電車は近いがローカルな地域方面のお客が少々いる程度です。今でも国鉄時代の旧湊町駅方面の商店街は残念ながら大阪では人の数が少なくマイナーの感じです。今日も、午後3時頃の人出は、必ずしも多いとは言えませんでした。


服部緑地公園・東噴水横のブロンズ像

2012年04月23日 | 日記

23日(月)は好天になりました。青空が広がり初夏を感ずる気温になりました。散歩にこのシーズンでは初めて下着の上に半袖ポロシャツになりました。

服部緑地公園で東の入り口近くにある噴水を眺めました。やはり、だんだん夏も近づいて「噴水」が身近に感じます。この噴水の中に建つブロンズ像が気になっていました。人間の握りこぶしに近い天に真っ直ぐ立った像です。その像の意味がよく理解できませんでした。周りを丹念に見ると小さな説明板がありました。彫刻家 福岡道雄氏の作品だとか。大阪在住の寡作な作家だと聞きます。噴水彫像とかになるそうで作品名は「白昼夢」というそうです。平成3年春に「法人 日本宝くじ協会」の寄贈で建てられたのだそうです。彫刻家の意図は「シンボルとして空に伸びる柱ーー」とか。まあ、そう言われればそうでしょうか。一昔前に幼馴染だった彫刻家(故人)と作品題名について語ったことがあります。彼も作品名と作品が結びつきにくいものが多かったのです。彼によると「題名は何でもいいのだな。彫刻(表現)作家なんてイメージで生きているのだからな、題名なんか適当だよ」だったのです。自分のイメージを表現した時に人には理解できなくても自分がそう思えばよいといういわば「自画自賛」でした。この噴水のブロンズ像もムリに何かな?と思う必要はないのでしょう。まあ、何でもいいということ。夏は噴水だよ、像なんかよりーー。


貴重なデジカメ写真が行方不明

2012年04月23日 | 日記

22日(日)は朝から小雨でしたが、昼過ぎにはかなり風も出てきて雨風の一日だと思いました。夕方には幾らか治まり夜遅くは雨も治まったみたいでした。

先日の韓国ソウル旅行にデジタルカメラを持っていき、これ等の写真をきれいに整理しようとなりました。ワイフが持って行った「F社製デジカメ」はかなり古い物で、かって(約5年前)私が使っていたものを持ち出し愛用しているようです。最近はこのカメラにも慣れてきて、ちょっと古いけど使い勝手も良いし、慣れてきたと言っていました。私は最新ではないですが、最近は「N社製デジカメ」を使っています。韓国での写真をパソコンに取り込み私の撮影写真は一応整理ができました。今日、ワイフが自分の撮ってきた写真を取り込み(夫婦共通で使っているパソコンへ)ファイルする自動取り込み→整理作業していてうまく行かない、ということでした。私が代わってその貴重な写真の取り込みを行っていると、取り込んだ後、まだファイル名を付けていない段階で、どのキーやマウスも触らないのに、何故かこの写真40枚ほどが勝手に作動し行方不明になりました。慌てて沢山のファイルをいろいろ探しましたが、なかなか出てきません。全く姿が見えません。何処へ行ったか雲隠れです。私はF社製カメラ内に写真撮影データが残っていると高を括っていました(N社製カメラは自動的に残る)。でもこのF社製カメラにはきれいに取り込まれたようで残存データが残っていません。お手上げです。そうなると、いったん取り込んだ写真を発見するしかない訳です。深夜までかかっていろいろ発見に努めましたが、結局見つかりませんでした。デジカメ写真で取り込み後、映像が自動的(設定か)に残るのは、後で不要分を削除する不便はありますが、バックアップ機能として必要だな、といま思っています。ワイフに謝りながら、取り込み写真のパソコン内捜査は続きます。


ビルの中にもう「鯉のぼり」が

2012年04月21日 | 日記

21日(土)は夕方には雨が降るよと言われて、重たい傘を持っていきました。私が夕方帰る時間(午後6時過ぎ)には雨は降ってきませんでした。気温だけは上がりましたが。

毎週訪れる大阪国際交流センター(上本町7丁目)では、時々外国人に日本文化を紹介するイベントが開催されます。中国の古い行事を見習った伝統の風習や祝祭事もありますので、中国の人や一部台湾、韓国の人には分かると思います。でも漢字圏以外の人にはなぜ国民休日になるのかなどの意味は分からないことがあるでしょう。例えば、子どもの日(旧端午の節句)は説明しても理解がしにくいと思います。今日、帰りにこのセンタービルの中に元気のない「鯉のぼり」がもう吊り下げられていました。どの鯉もだらんとぶら下がっています。普通は風のある場所で、五月の風に元気よく「泳いでいる」姿を見せて、川や滝を遡っていく元気良さを祝っているはずです。残念ながらこのビル中の鯉は泳いでいなく元気がありません。漢字圏以外の外国人になぜ風のないビル内に元気の象徴の鯉を吊るすのか質問されたら(私は)説明ができません。足で襖を開ける女の子が多い時代に「節分(女の節句)」を説明したり、ピアスを付けたり化粧する若い男の子が多い時代に「鯉のぼり」や「武者人形」の説明をするのは、至難の業ですね。どういうつもりか分かりませんが、ビル内の「鯉のぼり」は今の一部若い男らしく、だらんとしているだけでした。私は決して右翼でもないし、旧態尊重派でもありませんがーー。念の為。あゝ。