30日(金)も好天で、青空が広がりました。ぽかぽかと暖かく、外出時、とうとう薄手のコートも脱ぎました。みな春の恰好です。
豊中市南千里(昔の上新田村)の道傍に小さなお地蔵さまがあります。千里地区最古のお地蔵さまだそうです。宝生地蔵尊といい、今でもお供えが置いてあります。すぐ横に説明文立札があり、その概要によると、今から190年(その立札には180年前とありますが江戸時代)ほど前、村の一人が四国お遍路に行った際、地蔵菩薩を授かったそうで、持ち帰り庭に置いていたとのこと、明治になり子孫の一人が村長になり、この地蔵を村の物として扱い、その時のお寺の住職が命名したのだそうです。村はずれはその後開発や道路事情などでどんどん変わっていき、最終、今の場所(あるマンションの入り口)になったようです。現代で考えれば、信憑性、時代考証等で色々疑問があります。まず第一に疑問は【授かった】というのは何か。拾ったのか、盗んだのか。物理的に起きたら寝間に置いてあったのか?誰も証人がいないの。第二の疑問は【庭に置いていた】はないと思います。当時、未開の田舎の畑ばかりの所で、庭など手入できるほどの余裕のある農家など考えられないはずです。山畑に放ったらかしだったはずです。明治以降でもあっちやこっちへ随分多く移動したことは村人のお地蔵さまに対する信仰心が必ずしも篤いとは言いきれません。何を祈ったのかというと交通安全(山畑で何が交通安全よ、旅の安全かな)、家内安全、子ども安産なども、どこにでもある祈願項目です。お地蔵さまもそういう見方で見るとかなり疑問だらけになります。何でもいいよとは、罰当たりな。