癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

改めて依存症というものの怖さについて

2015-02-28 13:46:21 | 依存症
この前は、ブログを書いていて
どんどん過激になっていることは、自分でも気づいていました。

実は、私がこのブログを書き始めたのは2008年の5月でしたが
その少し前から、やはりご主人がギャンブル依存症ということで
ブログを書かれている女性がおられました。

その方のブログを読ませていただき
1、2回ですが、コメントもやり取りしました。
それから様々なことがあったけれど
ここ数年はブログの更新も少なくなって
穏やかに暮らしておられるようで
本当によかったと胸をなでおろしていました。

が、つい最近「やっぱりだめでした」という趣旨の記事が投稿されて
彼女が味わった失望、どうしようもない無力感を思うと
私も過去に何回も経験した感情だったので
自分自身の記憶もフラッシュバックしてしまいました。

彼女だけではありません。前にももうお一人
本当にがんばって、がんばって家族を再生しようとして力尽き
離婚を決断された方がおられて
その時も「なんで」という、本当にやりきれない思いでした。

そのやり場のない悔しさが
爆発的な怒りに変わって、映画の話に絡めて
「危ないものには絶対に近づくな」みたいな結論になりました。
私たちと同じような「何度やり直しても繰り返す
ギャンブルと借金の無限ループ」に絶望し、途方にくれている人は
実は一人や二人ではなく、ギャンブル依存症者が600万人と
言われているのですから、水面下ではかなりの数になるはずです。

改めて、依存症というのは、本当に恐ろしい病気だと思います。
薬物やギャンブルは、なる人は、たった一回の経験でも依存症になります。
けれどなってしまったら、一生治るということはありません。
たまに依存症のブログで「治る」と書かれているものが
ありますが、「治る」と書いている人は
実は、依存症についての正しい知識がない人です。
依存症の人にできるのは「回復する」こと。
即ち「今日一日は○○をやらない」という一日を
ずっと続けていくということです。

その回復を助ける方法はいくつかありますが
これなら万人に効果があるという確立した方法は
残念ながらありません。
依存症者への家族のアプローチにしても
たとえば「依存者をコントロールするのを止める」
つまり自助グループへ行けとか、カウンセリングを受けろとか
家族が命令や指示をするのは意味がないし、間違っている
依存症者の問題から手を話せないのは共依存だと言われる一方で
回復は、家族の支えがなければ難しいと言われる。
もう、どうすりゃいいのというのが現状なのです。

それでも一人でも多くの人が
何らかの手段で回復につながってほしいから
たとえ1000人の内の一人でも
回復に取り組むことができて
家族が、失った未来への希望を取り戻すことができるならと
最近はこのブログではあまり悲観的なことは
書かないように気をつけてきました。

けれども、本当にがんばってきた家族が
打ちのめされているのを見ると
「私たちだけが悪いわけではない。
私たちはある意味、今の社会の仕組みの犠牲者でもある」ということを
つい書かずにはいられなくなるわけです。
と同時に、依存症に限らず、落とし穴はどこにでもあるということへの
危機感と知識を持ってもらえたらと、心から思っています。

川崎の事件は、犯人とおぼしき少年グループが逮捕されたと報じられました。
実はアメリカは、日本の生活保護にあたるフードスタンプの受給者が
2012年で4670万人(日本が約200万人)という格差大国で
その貧困を背景に、青少年がギャングという組織を形成し
暴力や殺人、薬物の売買など様々な犯罪を犯していて
地域によっては、もはやそれが日常になっています。

日本でも何らかの理由で、学校や社会からドロップアウトした青少年が
男女を問わず集団化し、殺人などの残虐な事件を起こす事例が
近年増え始めています。
さらにそういう若者たちに、良くない大人たちが関与して
ドラッグの売買などをやらせるようになったりすれば
そこにさらに薬物依存の問題も絡んで
日本もあっという間に、アメリカと変わらぬ犯罪大国になりそうです。
私は、もともと究極のマイナー思考ですから
書けば書くほど、ろくな予測にはなりませんが
それが妄想ではなく、現実であることを
今回の事件は、示唆してくれているように思えるのです。

それもこれも、本来しっかり規制すべきものを規制もできないような
社会のあり方が大きく関係していると思うのですが
そこを何とかすることは、おそらくできません。
依存症の問題にしろ、子どもたちの未来にしろ
現実をしっかり理解して
自衛できることは自衛する。
悲劇に巻き込まれないための唯一の手段は
多分それしかないのです。






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社会、あるいは世界を知ること

2015-02-25 07:11:31 | 薬物依存症
最近観た映画の中で
一番インパクトがあったのが「悪の法則」でした。
キャメロン・ディアスとかブラピとか出てるから
エンターテイメントなアクション映画かなと思いきや
「ホラー映画」の枠に入れてもおかしくないくらい怖い映画でした。

「カウンセラー」と呼ばれている若い弁護士は
心から愛するローラと幸せな結婚生活を送るために
「一度だけ」と自らに言い聞かせ、メキシコマフィアが絡んだ
麻薬の取引で大金を手に入れようとするのですが、アクシデントが起きて
関わった人間は次々に殺され、絶体絶命の状態に…。

あらすじを書くと、アクション映画と思えなくもないのですが
実はこの映画は、普通の世界で生きている人間が
道徳も理屈も情も何も通用しない世界に、一歩でも足を踏み込んだら終わり
という状況を、かなり極端な手法で描いています。

そしてそういう世界は、決してフィクションの中だけにあるのではなく
私たちが生きる現実と隣り合わせに、確実に存在しています。
例えば、先日の「イスラム国」による日本人の殺害もそうですし
今、ニュースになっている中学生が殺された事件もそうだと思います。

「気分が良くなる」「疲れが取れる」「痩せる」といった
魅力的な言葉で誘う薬物や
楽をして、楽しい思いをして、お金が手に入ると錯覚させるギャンブルや
相手がどこの誰かも分からないネット上の人間関係など
「その一歩」を踏み出したために、簡単に破滅させられるようなものが
それこそ普通に、自分たちの周囲にあふれている世界。

さらに自らアクセスしなくても
携帯やスマホには、煽情的なメールや儲け話への誘いが送りつけられ
あるいは振り込め詐欺やオレオレ詐欺のように
もう一つの世界が、こちらの世界に否応なく進入してくる
そういう時代なのだということをちゃんと理解する必要があります。

「悪の法則」という映画は
主人公が悪人に追われて、派手な銃撃戦があって
カーチェイスがあってという映画ではありません。
何とか助かろうとする主人公は
助けを求めた人間たちの言葉によって
自分が何をしたのかを
そして自分がおかれた状況を思い知らされていきます。

主人公が最後に助けを求めたメキシコの有力者は言います。

「自分が置かれた状況の真実を知るべきだ。犯した過ちを取り消そう
とする世界は、過ちを犯した世界とはもはや違う。
選択はずっと前に行なわれたのだ」と。

主人公にはもはや助かる道はどこにもないわけですが
実は、それは最初から分かっていたことなのだと
選んだのは他ならぬ自分自身なのだと
映画の登場人物たちは、繰り返し語るのです。

その中で、主人公だけが、最後まで「まだ何とかなるのではないか。
何か道があるのではないか」とすがる姿が哀れです。
この映画自体は「こういうことをしたらだめですよ」というような
道徳的、教化的な映画ではありません。
こうしたらこうなるという現実だけを、否応なく突きつけてきます。
その凄まじさは、とても健全な青少年に見せられるような代物ではありません。
なにせ、あのブラピが首ちょんぎられますから。
整合性のないところや、明らかに説明が不十分で
意味がよくわからないところもありますが
そんなことを気にしなければ、すごく面白い映画でした。

たくさんの人は「決められたことをちゃんと守って真面目に暮らしていれば
幸せになるはずだ」と信じて、普通は毎日一生懸命に生きています。
けれども、そんな日常でも、「ほんのちょっとした出来心」で
踏み出してしまった一歩が、本人や、時には家族までを地獄の底に落とす。
そういう不条理な現実は、回りに幾らでもあるということです。

ダンナのギャンブル依存症の問題で
精神的に極限まで追い詰められた私が、それでも何とか持ちこたえた
理由の一つは、ギャンブル依存症を生んだ社会の仕組みというものを
ある程度理解できたことが大きかったと思います。
本当なら、裏の世界のものであるはずだった賭博場が
いまや全国津々浦々に存在します。
それによってたくさんの人間が悩み、苦しみ、破滅していきます。

スマホや携帯に送りつけられる怪しいメールや動画は
相手が青少年であろうがなかろうがおかまいなしで
しかも始末が悪いことに、送り手が誰であるのかすらわかりません。
とんでもなく理不尽な話ですが、でもそれが現実です。
ひとりの人間に、それをどうにかすることなんかできません。
身もふたもない話ですが、すべてどうしようもないことなのです。

若者が、薬物やギャンブルに手を出すこと、お酒やネットに惑溺することに
歯止めをかけなければいけないのは
それが「いい高校へいけない、いい大学にいけない、ちゃんとした大人になれない」
というレベルの話ではなく、誰にもどう助けてあげることもできない
戻ることができない世界への片道切符になるからです。
そうならないためには、とにもかくにも最初の一歩を踏み出さないことです。

「何も楽しいことがない」「家でも職場でもストレスばかりで
気分転換にスカっとしたい」「ちょっとくらい遊んだっていいだろう」
そんな、それこそ軽い気持ちで足を踏み入れた場所は
初めは、楽しいパラダイスのように見えていても
実は浮かび上がることができない底なし沼で
あんなにイヤだと思っていた元の世界にいたほうが
何百倍、何千倍ましだったと気づいた時には、すべてが手遅れ。
私たちはそういうものに囲まれて、日々生きています。

川崎の事件では、被害に会った子供さんも親御さんも
この世界には自分たちの想像も及ばないような人間がいるということを
そういう人間が自分たちのすぐ身近で生きて動いているということを
おそらく想像もされていなかったのだと思います。
けれどそれが私たちが生きている社会の現実なのです。

「悪の法則」の後に観た「アメリカン・ハッスル」という映画では
(いったいどれだけ観てるんという話ですが)
ある都市の発展と雇用促進のために、市にカジノを建設する話を持ちかける
怪しいコンサルタント(実はFBI)が、その市の市長と大物議員との
収賄を取り持ち、さらにそこに大物のマフィアも絡むお話でした。
「問題があれば私たちが何でも解決しますよ」という
マフィアの顧問弁護士(怖い、怖すぎる 笑)
けれども、世界はこんな風にできているのだということは
何からでも学ぶことはできます。

そして、たとえフィクションの世界とはいえ(これは実話物でしたけど)
それをこうして表の世界に出せるところに
私はまだしもアメリカの健全さとか良心を感じるのです。
まあアメリカの場合は、マフィアや麻薬カルテルよりももっと巨大な裏の勢力があって
それに関することには誰も触れないという話なのかもしれませんが。



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通院日でした

2015-02-18 10:15:38 | 癌のこと
昨日は、先日転院した緩和ケアの2回目の診察でした。
前回は、家族同伴だったので
下手なことを言うとあとで怒られそうだし、神妙にしていましたが
今回はのんびりでした。

実は前回の面談の時に、子どもが「お母さんが一緒ではないところで
先生に相談したいことがあります」みたいな話をしていて
それから間もなく病院に行ったらしいです。

そんなに急いで行くとは思ってなかったので
一体何を話したんだろうと思いましたが
どうやら「どんな治療をしても、それほど変わりないみたいだし
副作用もないしお金もかからないから、今の薬でいいや」という
私の大ざっぱさを心配していたみたいで
先生から「あと、2,3種類使えそうなホルモン剤があるので
変えてみませんか」という提案がありました。

患部や出血の状態からすると
アリミデックスがだんだん効かなくなっているという感じは
私自身もあったので、他に負担が少ない選択肢があるということであれば
「先生にお任せしますので、よろしく!」と即決で
アロマシンというホルモン剤になりました。
(結局大ざっぱなんですけど)

けれど説明もとても丁寧ですし、薬価も調べてくださって
「これだったら今の薬とそう変わらないですね」と。
最後に「まあ、ガンといっても
糖尿病なんかと大した違いはないですから」と言われたのには
もう笑ってしまいましたが。

そもそも、治らない、劇的に良くなることはなといういのが前提で
その上で、患者や家族の希望やメンタル面を最大限尊重して
少しでも長く現状を維持できる可能性を探すというスタンスなので
安心しておまかせできるし
もしもうまくいかなくても、もともとそういう病気なのですから
うまくいったらもうけものというくらいの感じです。


しかも新しい病院のすぐ近くには
何とブックオフがありました。
前の病院は、検査の待ち時間はジュンク堂をぶらつけることが
最大の利点でした。
引っ越しして、自転車で行ける距離にブックオフもなくなったので
もっぱらダンナが休みの日に図書館に行っていたのですが
これからは、少し早く病院へ行けば
しばらくブックオフで時間をつぶせます。
お世辞にも運がいいタイプとは言えませんが
どうやら病院運と本屋さん運はいいようです。

けれど、せっかく引っ越しの時に
大々的に本を断舎利したのに
またぞろ本を買いこんだら意味がないような。
何とも悩ましいところではあります。






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青少年のネット依存と動機づけの考え方

2015-02-15 15:45:38 | ネット依存症
昨年から何回か依存症についてのセミナーに参加しました。
その中で、私が一番「なるほど」と思えたのが「動機づけ面接」の理論でした。
ちなみに、この「動機づけ」という考え方は
それまで「12ステッププログラム」なんかについては
反応が薄かったダンナが、ある程度理解してくれたのには
ちょっとびっくりもしました。

このところ子どもを持つ親御さんたちにとって
一番深刻な問題になっているのが「ネット依存」だろうということは
以前にも紹介したトリーさんの「ネット依存、スマホ依存から小中学生を
守るために」というブログなどを読むとよく分かります。

「子どもが勉強もせずスマホばかりやっている」「依存症なのではないか」
と心配し、悩んで解決法を探しても、私も前に書きましたが
「無理に取り上げたり、禁止するのはよくない」「ルールを決めて」
といったアドバイスくらいで、あまり役に立たないと
思われている方が多いかもしれません。

青少年のネット依存、スマホ依存に「動機づけ」の考え方を使うというのは
今のところは、医学的に実証されているわけではありません。
けれど、今から症例を集めて、臨床をやって、それから対処法を決める
なんて悠長なことをやっていたら、とても間に合わないと思います。

ですから、依存症の治療に、一定の効果を上げていて
家庭でもやろうと思えばできないことはない知識として紹介します。
一口に「依存」といっても、段階があります。
スマホの利用について、多少約束を守らなかったとしても
親御さんとの話が普通にできている場合は
おそらくそれほど心配することはないと思います。

けれど約束しても時間を守らない、夜遅くまでやっている
注意をすると返事をしない、反抗する、
何をやっているのか言わない、隠すなどという状況にある場合
親御さんは、どう対応すればいいのか、困り果ててしまうわけです。

「動機づけ」の考え方の基本は
「批判しない、怒らない、愛情が伝わる話し方をする」です。
依存症の人(クライアント)と治療者の関係では
対立したり、指示をするというアプローチは
クライアントの抵抗を助長して
より依存に向かわせる結果になることが分かってきました。

さらに以前は、クライアントの「止めたくない」という気持ちは
自分が病気だということを「否認」していると言われていましたが
「動機づけ」の理論では、このような状態を
クライアントは二つの気持ちの間で揺れている(やりたい、でもやめなければ)
「両価性」と解釈するようになりました。

そしてこの「やめなければ」とか「変わりたい」という気持ちを引き出すために
クライアントの気持ちに寄り添って、本人に自分で考えてもらう
自分で選択してもらうということなわけです。
批判をせず、怒らず、本人に落ち着いて考える習慣をつけてもらうのには
時間がかかります。根気もいります。

何より親御さん自身が、それまでの子育てのやり方や考え方を
大きく変えなければならない可能性があります。
更にこの方法が、全ての子どもさんに最適かどうかは分かりません。
ただ子どもさんが、親に対して心を閉ざし始めているような場合は
残された少ない可能性の一つとして
難しいですが、やってみる価値はあるように思います。


具体的には、スマホを使う時間などのプランを本人に考えてもらう。
例えば 平日だったら、いつ、どれくらい
    休日だったら、いつ、どれくらい
    夜はどこに置く。ひと月に料金はどれくらいまで。
などのきまりを、何パターンか考えてもらって
その中から、どれならうまくいきそうかを選ぶ。
一定期間やってみて、それでうまくいかなかった時は、
他のパターンに変えてみる。

というように、あくまでも「自分で考えて、自分で決めて実行する」
という習慣をつけていき、その結果についても批判したり怒ったりするのでなく
「それじゃあ、次はどうすればやれそうだと思う?」というように
親は建設的に、前向きで短い助言をするのにとどめ
本人が自分で考え、実行できる力を伸ばしていくことがとても大切です。

後藤恵先生の「動機づけ」のお話の中で、治療者、支援者とクライアントの間で
「命令されなかった」→「わかってもらえた」→「いい人だ」
という流れになって、お互いの関係性が円滑になるという部分などは
とても心に残りました。

夫婦でも、親子でも、先生と生徒などでも
一方的に指示をされるだけ、批判や叱責をされるだけという関係では
人は、豊かな人間性や人間関係を築いていくことはできないどころか
心を閉ざし、孤立し、次第に病んでいきます。
家庭が、家族が、そういう風になっていくのは、本当に辛いことです。

「ネット依存」の問題に限らず
小学校の高学年から中学時代にかけて
親が子どもに過度に干渉せず、愛情を持って見守り
必要な時は適切な助言をし、子どもの自主性をしっかり育てることは
その後の長い親子関係を良好なものにするために
とても大切なことだと思います。
長々と書きましたが、一番大切なことは「急がば回れ」です。
そして「北風と太陽」のお話を思い出していただけたらと思います。

トリーさんのブログ「ネット依存、スマホ依存から小中学生を守るために」を
リンクしました。トリーさんは、昨年ネット依存アドバイザーの資格を取られ
ご自身小学生、中学生のお子さんのお母さんでもあるので、ブログでより
具体的なアドバイスを発信されています。




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続・映画な日々

2015-02-07 11:13:32 | 社会・生活
去年から子どもに誘われていた「サイコパス」劇場版を観てきました。
「サイコパス」にしろ「寄生獣」にしろ
「お母さんが好きそうやから」というのが「押し」の理由で
私は彼らにいったいどんな人間と思われてるんだろう(笑)

「サイコパス」については、深夜枠で放送されたTV版のアニメを
わざわざDVDに焼いて、予習用にもってきてくれるという念のいれようで。
いや、でも確かにどっちも面白かった。
「サイコパス」は、政府によって国民の犯罪情報が管理されるみたいな
今はまっているアメリカドラマの「パーソン・オブ・インタレスト」
とも底通する近未来SFです。

少し前に観た「プラチナデータ」が、素材は似ていたのですが
なかなか残念な出来だったし
その後に観た「クロユリ団地」が更に残念だったので
邦画には少し臆病になっていたところでしたが
「サイコパス」は、スケールが大きく
アニメの映画版としては、結構レベルが高かったと思います。

ダンナのシフトが変わって、夜勤の日は出勤が夜中の12時
準夜勤の日は、午後に出勤して帰宅が夜中の1時頃という
超変則的な生活になっているので
夜の9時頃から、暇つぶしにケーブルで映画を観ることが
かなり増えてしまいました。

この前も何気なく「ピラニア」というホラー映画(?)を観ていたら
ナイスバディの水着のお姉さんたちがた~くさん
楽しそうに踊っている湖になぜかピラニアの大群が現れて
問答無用にピラニアたちにばくばく食べられてしまうという
もはやストーリー性のかけらもない展開は
ここまでくると、スプラッターというより悪趣味なギャグか?
というようなお話でしたが
さらにびっくりしたのは、続編もあるし、3Dまである。
続編では、太古のピラニアが登場するらしいのですが
どちらにしてもひたすら「バクバクバク」だったら
何本も観る意味はあんまりないような。

その後、ケーブルのオンデマンドで「ルーシー」を観ました。
これは、前から観たかった一本で
少々ヤバい感じの彼氏から
謎のスーツケースをある人物に届けてほしいと頼まれた
ちょいと頭の軽そうなブロンド美女のルーシー。

びくびくしながらホテルの部屋に入っていくと
チャイニーズマフィアらしき怪しい男たちにつかまって
そのスーツケースの中のドラッグをお腹に埋め込まれて
運び屋にされてしまうが、そのドラッグが体内で漏れ出して
ルーシーの脳は覚醒を始める。

「人間の脳が10%しか覚醒していない」というのは
都市伝説という説もありますが、真偽のほどは別として
(昔トヨエツと武田真治のドラマで「ナイトヘッド」というのもありましたねぇ。
あれも結構はまって観ました。懐かしいです)
この「ルーシー」では、ヒロインの脳はどんどん覚醒していって
最後は「もののけ姫のタタリ神状態になる」というので
どんなものだかぜひ観てみたかったのです。

引っ越したので、近所にレンタル屋さんがなくなりました。
ですからケーブルのオンデマンドで、月に1,2本有料の映画を観るのは
私の、ほぼ唯一とも言えるプチ贅沢です。
ガンの治療費と映画代、どちらか選べと言われたら
迷うことなく映画を選びます。

「ルーシー」は「おバカSF」という酷評もうけるような
ぶっとんだ世界観でしたが、嫌いではありませんでした。
それにしても映画のラスト(小説でもそうですけど)って難しいですね。
人間の脳が100%覚醒したら○○○(この部分ネタバレなので)になるって
それってアリなのかと思いましたが
ぶっちゃけアメリカ映画は、その辺はかなり大ざっぱです。
でもマンガの「寄生獣」のラストは結構感動しました。
「寄生獣」が、哲学的と言われるのが少し分かります。

与太話を書いていますが
もうかれこれ十年近く依存症やらなにやらと関わり合っていて
人間の「脳」の問題は、もっかのおおきな関心事でもあります。
ですから、こうした映画も、役二は立たないまでも
まるっきり無関係というわけでもありません。

体に悪そうなホラー映画を観るのは
昔から埒もないホラー話を書くのが趣味だからです。
ダンナのギャンブル依存症がMAXだった頃に
夫をバラバラにしてスーツケースに入れてあちこち捨てたという
事件のニュースが報道されて「あっ、それちょっといいかも」
と思ったりしました。そんな感じのホラーを書いたこともあります。
でも実行はしません。バカなダンナのせいで刑務所に入って
朝っぱらから体操したりするのは絶対にイヤだからです。
自由を失うのは死ぬのと一緒です。
憎しみの感情と、自分の自由は等価交換はできません。

けれどアブナイ妄想は、妄想でとどめておく分については、
リスクがないし、誰に迷惑を及ぼすわけでもないので
妄想でスカッとできるストレス解消効果があります。
ちなみに「後ろ向きも行くとこまで行けば前向きになる」が
私の座右の銘でもあります。

実は一昨年、まだガンを告知される前から
本と映画の備忘録的ブログを書いていました。
まあ、あと5、6年のんびり書いていこうと思っていましたが
いきなりの末期ガンという展開になって
あんまり悠長なことも言っていられないので
最近は、特に印象が深かったものに絞って
ほぼダイジェスト版で書いています。
そこには少し自分の生い立ちめいたことも書いています。
ガンのブログのほうから訪問してくださる方もあって感激しています。

こちらのブログで、本やら映画やらのことをあんまり書くと
それでなくとも、やっぱり話があっちに飛びこっちに飛びのこのブログ
もう何が何やらになりそうなので、映画ブログをリンクしました。

実生活では引きこもりおばさんなのですが
ちょっとでも興味があることには脳が反応して
あれこれ調べるリサーチ魔なので
入力される情報は多くて、それを上手に出力する能力には欠けています。
それで、頭の中がいつもごちゃごちゃの汚部屋状態。
すっきり整理できるしきりのようなものが欲しいです。







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