土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

西寿寺、見事な阿弥陀さんに会えますヨ。

2017年03月23日 | 京都の古寺巡り





(2017.03.18訪問)


等持院から次に訪ねるのは尼寺です。きぬかけの路から西へ、龍安寺、仁和寺の前を通り、福王寺の交差点を国道162号へ入ります。
小浜に通じる正真正銘の旧さば街道、クルマの量は半端じゃなく街道と云うイメージはもはやありません。2~3キロ走ると神護寺、
高山寺へと続く道を1キロほど行き山手に入ると目指す西寿寺があります。堂宇も本堂だけの小さなお寺なんですが、ビッグな阿弥陀
さんが祀られて尼寺と云う柔な印象はありません。




▼山門。






            [ 西寿寺 ]
            ●山号 泉谷山 (いずみだにさん)
            ●寺号 西寿寺 (さいじゅじ)
            ●宗派 浄土宗世捨派 (じょうどしゅうよすては) 尼寺
            ●開基 北出嘉兵衛 (きたでかへえ)
            ●開山 岱中良定 (たいちゅうりょうじょう)
            ●創建 寛永四年 (1628年)
            ●再興 明治十二年 (1879年) 阪飯田弥兵衛、颯田本真尼
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲京都市右京区鳴滝泉谷町16 TEL. 075-462-4851
            ▲拝観料 境内自由 朱印 なし
            ▲時間 10:00~16:30
            ▲http://saijuji.jp/
            ▲嵐電「等持院駅」下車 徒歩約10分




            ▼六字名号碑。






西寿寺縁起
寛永三年 (1627年) 岱中良定上人に帰依した北出嘉兵衛が、岱中を招請開山とし、念仏三昧道場として開いたという。
万治元年 (1658年) 五世単誉愚故上人は本堂を建立し中興。万治二年 (1659年) 甲賀の新宮大明神社の本地仏を当寺に遷し本尊として
安置。寛延年間、現在の本堂が再建される。明治元年 (1868年) 神仏分離令後の廃仏毀釈により廃寺になるも明治十二年 (1879年) 阪
飯田弥兵衛、颯田本真尼により再興された。




▼簡素で優し気な山門ですネ。







▼なだらかな石段参道を行きますと……、






            ▼わらべ地蔵ちゃんが迎えてくれます。






▼石段の上、こじんまりした境内です。左に本堂、中央が庫裏です。







▼振り向くとけむっていますが市街一望です。







▼右手に鐘楼。







▼左に三重の石塔。どこかで見た記憶が、滋賀石塔寺の阿育王塔を模した塔です。







▼こんな石仏がところどころに。







▼本堂。重層、桁行三間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。寛延年間に再建。    
 屋根の大きさがまるで違いますが、どこかバランスがうまくとれているユニークな形状ですネ。入堂は向かって右の障子戸から。













▼本堂扁額。

            





▼本堂前面。

     





▼向拝軒の龍彫刻、玉眼が嵌っています。







▼本堂上層です、面白い雲形窓ですネ。







▼本堂内陣の扁額。







▼本尊阿弥陀如来坐像。
像高276cm、寄木造、漆箔仕上げ、金箔は後補。仏師不祥 (円派仏師により造仏された伝わる) 承安二年 (1172年) 造像。
丈六の弥陀と呼ばれているそうで、阿弥陀定印を結び、結跏趺坐しているビッグな本尊です。







▼阿弥陀さんのお顔。半眼の深い眼差しは静かな祈りの世界そのもの、自ずと畏敬の念がわき上がるようです。







▼本尊。







▼本堂。







▼玄関と中庭。







▼書院と庭園。







▼庭園。







▼蹲踞の機能を果たしていない変な蹲踞を見ながら、



西寿寺 オ シ マ イ。



久々に印象強烈な阿弥陀さんに会えました。造像年代とお寺の創建年代にかなりの差があるので、どこか他のお寺から移坐されたんで
しょうが、それにしてもお顔を含めて全身の漆箔は見事に残り、850年の径時を感じない見事な阿弥陀さんでした。       合掌





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等持院、夢窓国師のお庭、存分に楽しみました。

2017年03月21日 | 京都の古寺巡り





(2017.03.18訪問)


迷車大和路号は、きぬかけの路を走っております。
きぬかけの路、何とも風流な名前、一説にはその昔、仁和寺を創建した宇多法皇が真夏に雪景色を見たいと山に白絹をかけ、雪山に
見立てたという風流な故事からその名がつけられたと云い伝えられているそう。その衣笠山の麓の風流な路沿いは寺院などが建ち並
ぶ歴史街道。東に行けば金閣寺、等持院、西に行けば龍安寺、妙心寺、仁和寺など有名寺院が甍を競っています。大半はすでに訪ね
た古刹ばかりですが、今日は先ず等持院を訪ねてみました。




▼表門。






            [ 等持院 ]
            ●山号 萬年山 (まんねんざん)
            ●寺号 等持院 (とうじいん)
            ●宗派 臨済宗天龍寺派 (りんざいしゅうてんりゅうじは)
            ●開基 足利尊氏 (あしかがたかうじ)
            ●開山 夢窓国師 (むそうこくし)
            ●創建 暦応四年 (1341年)北朝年号
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲京都市北区等持院北町63 TEL. 0745-461-5786
            ▲拝観料 500円 朱印 300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲嵐電「等持院駅」下車 徒歩約10分




            ▼等持院木札。






等持院縁起
足利将軍家の菩提寺。暦応四年足利尊氏が夢窓国師を開山として創建。尊氏の死後その墓所とし、その後足利家歴代の菩提所となる。
庭園は東西に分かれ、西の庭は芙蓉池と称し衣笠山を借景にした池泉回遊式で、いずれも夢窓国師作庭と伝わる。芙蓉池北側に八代
将軍足利義政好みの茶室清漣亭がある。霊光殿に歴代将軍の木像を安置している。




▼書院玄関。







▼庫裏。切妻造、本瓦葺、江戸時代。







▼等持院スターの出迎え。天龍寺元管長で等持院の住職でもあった関牧翁禅師の作。







▼書院。向こう側煙出し櫓のあるのが庫裏。







▼書院の間から庭園芙蓉池の額縁。







▼書院の間を通しで見ると。







▼方丈北庭の芙蓉池。池泉回遊式西庭園、夢窓国師作庭と伝わるそうですが、ほとんど当初の姿はないそうです。







     





▼中之島にかかる石橋。







▼書院と方丈を結ぶ渡り廊下。







▼方丈 。
 桁行九間、梁間五間、入母屋造、桟瓦葺。元和二年(1616年)に豊臣秀頼再建。
 今の建物は妙心寺塔頭の海福院客殿を文化九年(1812)年に移築。

            





▼方丈扁額。

     





▼方丈仏間。本尊釈迦如来坐像が祀られています。







▼方丈前庭。枯山水庭園。     













▼霊光殿。







▼霊光殿扁額。







▼霊光殿内部。霊光殿脇殿には五代義量、十四代義栄を除く足利将軍木像十三体が安置されています。







▼お庭の中程に足利初代将軍足利尊氏の宝篋印塔。
 足利尊氏の墓と伝える室町時代の宝筐印塔、塔高1.5m、基壇が四重に重ねられ、台座銘文は「延文三年四月等持院殿贈太相国一
 品仁山大居士」と刻されている。ちなみに等持院殿とは尊氏のこと。







▼池泉回遊式東庭園の心字池。夢窓国師作庭。



















      





▼庭園を巡る回遊路もキレイに整備されています。






            ▼十三重石塔。足利十五代供養塔、塔高5m、十三重石塔、室町時代。
             下から基壇、方形の基礎石、一重の笠石、さらに方形の基礎、12重の笠石、上に相輪。
             見た目、基礎部が二重なので、高過ぎの不安定感があります。






▼わびすけの大樹。有楽椿、樹齢は400年以上。秀頼の再建時に植えられたそうです。

 





▼花はほとんど落花。







▼清漣亭。芙蓉池の北の丘に、足利義政が康正三年(1457年)に建てたという茶室清漣亭。







▼蹲踞。







▼清漣亭。







▼清漣亭二畳題目の席。







▼土壁抜き窓のオシャレなこと。







▼表門の外側に鐘楼がありました。







▼ご朱印です。






京のお寺に伽藍の覇や仏像を初めとする古美術に期待して訪ねると少々ガッカリ。その代わり鎌倉から室町時代には名僧がお庭を造
ると云うはやり(流行)があったようで、庭造りも修行の一つと云い、特に禅刹にはお庭の美を競う意識が大いにあったのではないか、
と思うほど京の禅刹には名庭が多い。夢窓国師も名僧であり名作庭家、天龍寺やココ等持院の作庭にも関わりがあったと云う人物、
その名僧が造った池泉回遊式庭園、シーズンオフの今は、隠すもの隠れるものなく、お庭全体の景観や池の形など今日は存分に楽し
ませて頂きました。

等持院 オ シ マ イ





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當麻寺、2011.3.11、中将姫の祈りは届いたでしょうか。

2017年03月16日 | 奈良の古寺巡り





(2017.03.11訪問)


中将姫伝説と牡丹のお寺としてその名が知られている當麻寺、今日は閑かです。奥の院から石段を下ると中心伽藍が並んでいます。
取り敢えず仁王門から入り直し境内を一巡、さて伽藍三堂の拝観は何処からと思う間もなく、愛想のいいオネーサンから伽藍拝観は
本堂からですよとにこやかに、なんでと聞くと先ず拝観料と受付は本堂でどうぞ、ナットク。




▼仁王門。三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺き。両袖に金剛力士が睨んでいます。






[ 當麻寺 ]
●山号 二上山 (にじょうざん)
●寺号 當麻寺 (たいまでら)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう) 浄土宗 (じょうどしゅう)
●開基 伝 麻呂子親王 (まろこしんのう)
●創建 伝 推古天皇20年 (612年)
●本尊 當麻曼荼羅
▲奈良県葛城市當麻1263 TEL. 0745-48-2008
▲拝観料 500円 朱印 300円
▲時間 9:00~17:00
▲http://www.taimadera.or.jp
▲新西国三十三カ所十一番札所 
▲近鉄南大阪線「当麻寺駅」下車 徒歩約15分
 南阪奈道路「葛城IC」を下り信号左折約10分
 西名阪「柏原IC」を下り約15分




▼金剛力士阿形像。







▼金剛力士吽形像。






當麻寺縁起 (當麻寺HPより抄出)
聖徳太子の弟麻呂古王が創建した万法蔵院がはじまりで、白鳳時代に河内から當麻の地に移り、奈良時代に当麻曼荼羅が表され、平
安時代には密教文化が栄えました。平安末の焼き討ちによる危機を経た中世以降は、中将姫伝説の広まりとともに曼荼羅信仰の寺と
して再興し、近世には、真言宗に浄土宗が同居することも受け入れました。最盛期の平安時代には白鳳天平様式の伽藍堂塔と四十余
房もの僧坊をもつ大寺院として発展し、その後幾多の盛衰を繰り返しながらも、江戸期にも三十一房の僧坊、現在も十三の僧坊を残
す大和伝統寺院として今に伝わっているのです。




▼仁王門から境内を見ますと二上山の雌岳が目に入ります。







▼境内は広いです。







▼鐘楼。梵鐘は国宝、銅造、総高153cm、口径85cm、飛鳥時代。我が国現存する最古の梵鐘。







▼ここでやっと雄岳雌岳が望めます。







▼本堂 (曼荼羅堂) (国宝)。桁行7間、梁行6間、寄棟造、本瓦葺。永暦二年 (1161年) 再建。







▼本堂外陣。梁行6間のうち、奥3間を内陣、手前3間を外陣としています。







▼内陣には當麻曼荼羅厨子、高さ501cm、間口390cm、奥行123cm、厨子六角厨子(国宝)が置かれ、本尊当麻曼荼羅(国宝)が安置
 されています。(写真はネットから拝借)






            ▼脇陣にはこの方が祀られています 。

             




▼本堂。

     





▼本堂右手前の池に當麻寺のヒロイン中将姫が佇んでいます。2011.3.11に祈りをこめて。



中将姫伝説
奈良時代後半、藤原南家武智麻呂の長子藤原豊成の娘中将姫が、継母の難から逃れ、當麻寺で出家、極楽往生を願い蓮糸で一夜にし
て織り上げた曼荼羅、西方極楽浄土を描いた當麻曼荼羅と呼ばれている阿弥陀浄土変相図、今本堂厨子に祀られている本尊がこれです。





▼金堂 (重文)。桁行5間、梁行3間、入母屋造、本瓦葺。鎌倉時代再建。







▼金堂本尊弥勒仏坐像(国宝)。像高222.8cm、塑造漆箔、飛鳥時代。(写真はネットから拝借)
 我が国最古の塑像と云われ、漆箔剥落や螺髪も多くが失われていますが、柔和なお顔がやや大きく感じるものの全体に安定感、
 重量感は感じます。元は當麻寺の本尊、今は根本本尊と呼ばれているそうです。本尊を中心に四方に四天王立像が祀られています。







▼金堂。






            ▼東塔 (国宝)。三重塔、塔高22.21m、奈良時代。






▼初層軒下の組み物。






            ▼相輪。通常塔の相輪は九輪ですが當麻寺の両塔は共に八輪しかありません。






▼塔頭中の坊越しに見た東塔。







▼現在西塔は修復補修で覆屋でスッポリ。しばらく両塔ワンショットは残念ながら見ることは出来ません。







▼講堂(重文)。桁行7間、梁行4間、寄棟造、本瓦葺。鎌倉末期乾元二年 (1303年) 再建。







▼中央須弥壇に本尊 阿弥陀如来坐像(重文)。他数体の仏像群が一列に祀られています。壮観です。(写真はネットから拝借)







▼講堂。







▼糸繰堂。新しいお堂のようです。







▼中将姫が祀られています。







▼境内西北端に大師堂。







▼大師堂前の六角堂。納骨堂のようです。







▼境外に建つ薬師堂。小道の両サイドは民家なので境外だと思います。







▼ご朱印です。







▼帰りは葛城古道を北へ、道路から望む二上山。






今日は終始鬱陶しいお天気、写真も暗いし気分も暗い。奈良ってスカッと爽やか青空イッパイの日があるのかな、なんて思ってしま
う一日でした。
當麻寺 オ シ マ イ

 



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當麻寺奥の院、浄土庭園が凄い!

2017年03月13日 | 奈良の古寺巡り





(2013.03.11訪問)


今日の迷車大和路号は正真正銘大和路を走っています。南阪奈道を葛城ICで下り、山麓線葛城古道を北へ数分で当麻寺に着きます。
當麻寺は真言宗と浄土宗の二宗護持の少々珍しいお寺、今日は本院をスルーして境内西端に位置する浄土宗の塔頭奥の院を先に訪ね
ました。このお寺、京都の本山知恩院の奥の院として建立されたお寺だそうですが、浄土庭園が凄い、広い、きれい。花の彩りピー
クともなれば極楽浄土そのもので凄い人出になると聞きました。今の時季はモノトーンのみ、彩りありませんが静寂な無荘厳もまた
荘厳の美。と思える庭園でした。




▼楼門 (重文)。正門のはずなんですが、不思議なところに建ち通行は出来ません。






[ 當麻寺奥の院 ]
●山号 二上山 (にじょうざん)
●寺号 當麻寺奥の院 (たいまでらおくのいん) 當麻寺塔頭
●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう) 大和本山
●勅許 後光厳天皇 (ごこうごんてんのう)
●開山 誓阿普観上人 (せいあふかんしょうにん)
●創建 応安三年(1370年)
●本尊 法然上人像
▲奈良県葛城市當麻1263 TEL. 0745-48-2008
▲拝観料 300円 朱印 300円
▲時間 8:00~17:00
▲http://www.taimadera.or.jp
▲圓光大師第九番霊場 西山国師第十四番霊場
▲近鉄南大阪線「当麻寺駅」下車 徒歩約15分
 南阪奈道路「葛城IC」を下り信号左折約10分
 西名阪「柏原IC」を下り約15分




▼楼門扁額。






當麻寺奥の院縁起 (當麻寺奥の院HPより抄出)
當麻寺塔頭奥院は、浄土宗総本山知恩院の奥之院として建立された寺で、最初は往生院と呼ばれていました。知恩院第十二代誓阿普
観上人が知恩院の御本尊として安置されていた法然上人像を後光厳天皇の勅許を得て応安三年当地に還座して建立した寺で、浄土宗
の大和本山として多くの人々の信仰を集め今日まで護持継承されて来た名刹です。 本堂、大方丈、楼門、阿弥陀堂、庫裡等今に残る
伽藍に往古の宗教活動の偉大さがうかがわれます。




▼参道。







▼鐘楼。







▼参道。







▼庫裡。入山受付、ココでご朱印を頂きます。







▼大方丈への玄関。大方丈拝観は出来ません。







▼大方丈の赤漆喰塀、五本線が目立ちます。小さな出入り口なのか窓なのかよく分かりませんが、ここからしか大方丈の前庭、二河
 白道の庭を見ることが出来ません。







▼大方丈 (重文)。慶長十七年(1612年) 建立。







▼大方丈の前庭、二河白道の庭。浄土教で阿弥陀仏の救いを説く比喩 。火の河(赤い砂)と水の河(白い砂)を人の貪欲と怒りにたとえ、
 この間にある白い道は極楽に通じる道で、往生を願う信心にたとえる比喩です 。







            





▼境内。中央本堂、左阿弥陀堂、右大方丈。

     





▼本堂 (重文)。本尊法然上人像。桁裄七間、梁間五間、寄棟造、本瓦葺き。慶長九年 (1604年) 再建。







▼本堂扁額。







▼金箔巻の太い柱の向こう本堂内陣。本尊法然上人は須弥壇奥のお厨子の中、拝見出来ずです。







▼内陣の扁額。







▼本堂。







▼本堂の左となりに建つ阿弥陀堂。本尊阿弥陀如来坐像。桁裄三間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺き。納骨堂です。







▼阿弥陀堂内陣。中央に本尊が祀られています。







▼本尊阿弥陀如来坐像。穏やかなお顔、半眼ですが見上げる位置によって目を合わすことが出来るのかも。







▼阿弥陀堂。







▼境内東に建つ名号石二柱。







            ▼奥の院境内から東塔が見えます。西塔は現在修復中、覆い屋にスッポリです。







名勝浄土庭園
本堂裏手一帯一段高い所に浄土庭園が広がっています。このお庭もシーズンともなれば折々の花々がお庭を彩り、宝池を中心にまさ
に極楽浄土をこの世に再現しているお庭なんですが、今の時季、岩と石と砂が織りなすモノトーンのみ、早い話が彩り何もありませ
ん。しかし静寂の美も侮れませんヨ。


▼枝垂れもこの通り。







▼阿弥陀堂下の石の島。

 





▼色がありました、ピンクです。







▼造山には石の合間にツツジの刈り込みがあり、高い杉との高低の変化が楽しめます。







▼くりから龍の石彫り。







▼浄土庭園の中心に宝池。







▼石の多さに感心します。







▼宝池。







▼阿弥陀さんが見えてきました。







▼一番高い所に阿弥陀さんがお坐りです。端正な石像です。







▼どうですこの柔和なお顔、よくこれだけのお像が彫れるもんです。このお顔を見るだけで花の彩りいりません。







▼パラパラと来たようなんで、浄土庭園おしまいです。







▼ご朱印です。







真言宗と浄土宗の二宗護持のお寺と云うことですが、本院當麻寺が612年、奥の院が1370年開創でその年代差750年、そんな時代
差が一寺院に存在する不思議、密教と顕教、教義や主張に差がある両宗、どういう背景があるのか知りたいもんです。

浄土庭園で極楽浄土を味わった次は、本院當麻寺を拝観します。





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光悦寺、希代の天才本阿弥光悦の名が残るお寺です。

2017年03月09日 | 京都の古寺巡り





(2013.03.04訪問)


「悟りと迷い」から一気に庭園の美へ。源光庵から歩いて三分、稀代の天才本阿弥光悦の名が残る光悦寺へ向かいます。日蓮宗光悦
寺、れっきとしたお寺なんですが、境内に入るとまるで印象は別、堂宇は本堂のみで広い境内は全てがお庭なんです。ボクには入園
料を払ってお庭を愛でる所と云う印象。日蓮さんのあの厳しい眼差しを感じることはありません。




▼楓の参道は、青葉、紅葉の頃を想像しながら歩きましょう。






[ 光悦寺 ]
●山号 大虚山 (たいきょざん)
●寺号 光悦寺 (こうえつじ)
●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう)
●開山 日慈上人 (にちじしょうにん)
●創建 明暦二年 (1656年)
●本尊 十界大曼荼羅。
▲京都府京都市北区鷹峯光悦町29 電話 075-491-1399
▲拝観料 300円 朱印 300円
▲時間 8:00~17:00
▲京都市バス「四条大宮6系玄琢行き、源光庵前下車 徒歩3分




▼参道。






光悦寺縁起 (光悦寺パンフより抄出)
元和元年 (1615年) 鷹峯一帯を徳川家康が本阿弥光悦に野屋敷として与えた土地である。光悦は一族縁者をはじめ、種々の工芸に携
わる多くの職人とともに住居を構え、光悦を中心として工芸村を営んだ。同時に本阿見家先祖供養の霊屋として位牌堂を設けた。光
悦没後、寺として日蓮宗光悦寺となり今日に至っている。




▼山門。季節で表情が変わる額縁景観は期待出来そうですネ。







▼茅葺屋根の鐘楼は珍しいですネ。







▼合掌造りの屋根裏を想像してしまいます。梵鐘重量に耐えるのかしら。







▼本堂なんですが全景を撮るアングルが見つかりません。







▼本堂前面は障子です。







▼山号の扁額。







▼本堂内陣ですが本尊十界大曼荼羅を見ることは出来ません。正面に僧侶像が見えますが、開山日慈上人でしょうか。
 ココまでは一応お寺の印象。







▼庭園へ第一歩。茶席妙秀庵への枝折り戸がオシャレです。

     





▼境内が回遊式庭園でこんな小道が巡っています。







▼竹をクロス網した垣根、これが光悦垣。または臥牛(ねうし)垣とも呼ばれているそうです。







▼茶席三巴亭の土間から。    



















▼茶風流に脱帽、竹の樋。







▼回遊路の一部のよう光悦墓所への参道。







▼本阿弥光悦の墓所。墓石には七字名号が刻されていますが、殆ど読み取れません。



本阿弥光悦の人となりを少しばかリ
安土桃山~江戸時代の芸術家、刀剣の鑑定をはじめ工芸を家業とした本阿弥家に生る。家業を通じて幼い頃から優れた工芸品に触れ
卓越した美意識を養い、貴族社会とも通じ、京都で活躍の幅を広げていった。、書画、蒔絵、漆芸、作陶、茶の湯に秀で、古田織部、
織田有楽斎を師に、千宗旦と交遊。元和元年家康から鷹峯の地八万坪を与えられ、工芸職人とともに移り住み芸術村を開く。





▼茶席大虚庵。光悦はここで亡くなったといいます。







▼回遊路。







▼茶席本阿弥庵。







▼本阿弥庵の茶額。







▼茶席了寂軒。







▼まさに古池。何かが出てきそう、おおこわ。







▼光悦垣の向こうは茶席大虚庵。

 





▼鷹峯三山のうち二山。写真は左鷹ヶ峯、右鷲ヶ峰。



境内周辺は山に囲まれ、北には愛宕山、南には鷹峯三山を望み鷹峯、鷲峯、天峯が借景となる贅沢な庭園です。この鷹峯三山の山容
は花札「八月芒」の元になったとも云うそうですヨ。





▼ご朱印です。






古寺散策、特に伽藍をはじめ古建築の美や仏像など古美術を求めて古寺を歩いている方には、このお寺は期待外れでしょう。しかし
庭園の美を求めて止まない方々にとっては、さすが光悦の庭と喝采間違いなし。禅刹の研ぎ澄まされた枯山水のお庭、大寺院の池泉
回遊式のお庭とは全く趣の違うお庭を見ることになります。本阿弥光悦の風流と云う言葉だけでは表せない高度な感性が、広いお庭
に点在する茶席七席に凝縮され、ここから書画、蒔絵、漆芸、作陶、茶の湯へと昇華されて行ったのでしょう。
アートなコミュニティーを形成した芸術村も、その片鱗は光悦寺の庭園として残るのみ、時の流れのなんと薄情なことでしょうか。

庭園寺院光悦寺 オ シ マ イ





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