土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

薬師寺、再建食堂内はこれぞ極楽浄土の世界!

2017年11月13日 | 奈良の古寺巡り





(2017.11.11訪問)


今年6月再建された食堂 (ショクドウではないですよ、ジキドウといいます) が7月1日から11月30日まで一般公開されている薬師寺
を訪ねました。食堂は僧侶の儀礼の場で寺院の主要な建物の一つだそうで、創建後何度かの焼失を繰り返し、1005年再建されるも、
再び失われその後ほぼ1000年ぶりに再建されたのが今回の食堂。内部は絵本尊で、4年がかりで完成された日本画家田渕俊夫さんの
「本尊阿弥陀三尊浄土図」「仏教伝来の道と薬師寺」と建築家伊藤豊雄さん設計の堂内デザインの拝見です。我が国トップのお二人
の仕事にワクワクします。 





▼今日は南参道を行き南門からの参拝です。







[ 薬師寺 ]
●寺号 薬師寺(やくしじ)
●宗派 法相宗(ほっそうしゅう)大本山
●勅願 天武天皇(てんむてんのう)
●開創 天武天皇九年(680年)
●本尊 薬師三尊。
▲拝観 新食堂500円(要通常拝観料) 玄奘三蔵院公開時1100円 玄奘三蔵院非公開時800円 朱印300円 駐車場500円
▲時間 8:30~17:00
▲奈良市西ノ京町457 電話0742-33-6001
▲http://www.nara-yakushiji.com/
▲1998年「古都奈良の文化財」として世界遺産登録。
▲近鉄橿原線「西ノ京駅」下車徒歩3分





▼仲良く並ぶ南門前の世界遺産碑と寺号碑。







薬師寺縁起 (薬師寺パンフから抄出)
天武天皇により発願、天武天皇九年(680年)持統十年(697年)本尊開眼、、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇
の完成を見ました。その後和銅三年(710年)平城遷都に伴い現在地に移されたものです。享禄元年 (1528年) の兵火で東塔を除く
諸堂が灰燼に帰しました。昭和四十二年(1967年)高田好胤管主により白鳳伽藍復興の発願、写経勧進に寄って諸堂が、平成十五年
(2003年) 大講堂がさらに平成二十九年 (2017年) 食堂が復興再建され白鳳伽藍が甦りました。





▼中門。五間三戸、桁裄五間、梁間二間、切妻造、本瓦葺。両サイドに二天像を安置。昭和五十九年(1984年)復興再建。
 中門越し左は西塔、右覆屋が現在補修修復中の東塔です。両脇間の二天像は正面向きではなく互いに向き合ってます。







▼右に阿形二天像。







▼左に吽形二天像。







▼中門を潜るとド~ンと白鳳伽藍の中心金堂です。







▼金堂。桁裄五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺。二重二閣の竜宮造り、各層に裳階付、初層の裳階は三間繰上げ式。
 昭和五十一年 (1976年) 復興再建。







▼金堂前面の三間戸口。







▼金堂本尊薬師三尊の中尊、薬師如来坐像(国宝)。像高254.7cm、銅鋳造像。(以前堂外からの撮影です)







            ▼金堂左脇侍 (向かって右) 日光菩薩立像(国宝)。
             像高317.3cm、銅鋳造像。(以前堂外からの撮影です)







            ▼右脇侍(向かって左)、月光菩薩立像(国宝)。
             像高315.3cm、銅鋳造像。(以前堂外からの撮影です)



日本仏像史上最高の彫刻、おそらくこの三尊を越える仏像は存在しないでしょう。制作年代の定説は不詳と云いますが、約1300年
前にこの美仏を完成させた仏師がこの時代に確かにいたんです。実はもう一体それは後ほど。





▼金堂。この堂形、龍宮造りとは巧く云ったもんですネ。







▼凍れる音楽は平成三十二年修復修理が完了する予定、気長に待ちましょう。







▼白鳳伽藍で唯一の紅葉。







            ▼中門から見た西塔。

 





            ▼西塔。享禄元年(1528年)の兵火で焼失、昭和五十六年 (1981年) 453年ぶりに復興再建。
             各層の下屋根は裳階で屋根の大小でリズム感を出していると云われているそうです。







            ▼西塔二層目の連子窓。







            ▼相輪。水煙の飛天の舞は東塔の飛天と対になってます。







            ▼西塔。               













▼西回廊でご詠歌を詠う団体さん。







▼大講堂。
 なんと左右41mある横長のお堂です。桁裄九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、下屋根は裳階。平成十五年(2003年)の再建。
 奥行20m、高さ約17mの薬師寺伽藍最大の建造物です。これほど大きいのは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集し
 て経典を講讃したためだそうです。







▼今日は全戸口が開放されています。







▼本尊彌勒三尊(重文)。中尊像高約267cm。お顔は中尊彌勒如来坐像です。(以前堂外からの撮影です)







▼大講堂。







▼大講堂大屋根鴟尾の輝き。







今日のメイン拝観、再建食堂です。
 桁裄十一間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。お堂外観デザインは変化のないシンプルな構成になってます。







▼お堂内部です。見て下さいこの豪華華麗斬新さを。写真は報道陣に公開されたときのものです。
 中央に絵本尊「本尊阿弥陀三尊浄土図」壁面三方に「仏教伝来の道と薬師寺」
 そして堂内デザインの斬新な事!建築家伊東豊雄さんデザイン。



画家田渕俊夫さんは「極楽というのを、仏画からも天井からも、ひとつの雰囲気をつくりたい」

天井を覆うのは、光を反射させる特別なパネルで阿弥陀如来の光に包まれた極楽浄土を表現しています。
建築家伊東豊雄さんは「阿弥陀如来は無限の光を与える仏様。光が広がって伝わっていく感じを表現したい」
それぞれのプロのお言葉です。(写真はネットから貰ってきました)





       ▼改めて絵本尊「本尊阿弥陀三尊浄土図」と天井の極楽浄土です。(写真はネットから貰ってきました)







▼食堂正面の扉。







▼食堂軒の垂木と組み物。二重垂木は□と○、凝ってますネ。







▼屋根四隅の風鎮。無風快晴ではないんです今日は。相当風が強いのですが、この風鎮我関せず?







▼こちらから入って向こうから出ます。
 一見、二見いや三見の価値十分! 一般公開が今月末までなのでこりゃもう一度訪ねることになるでしょう。素晴らしい!







▼東回廊から東院堂へ行きます。







▼東院堂(国宝)。元明天皇の鎮魂を祈り建立。東廻廊の外側に建ってます。
 桁裄七間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。弘安八年(1285年)再建。







▼須弥壇と本尊お厨子。本尊左右に四天王が祀られています。(この写真は堂外からの撮影です)







▼本尊聖観音菩薩立像(国宝)。像高188.9cm、銅鋳造像。(この写真は堂外撮影の許可を戴きました)
 金堂本尊薬師三尊に決して負けない美仏。直立不動でリズム感はやや固いのですが天衣、裙の裾のドレープの柔らかさは素晴らし
 く単独仏としての威厳はこちらの方が圧倒的だとボクは思います。







▼聖観音のお顔。







▼境内北端の玄奘三蔵院へ向います。広い境内ですネ。玄奘三蔵院は今公開中で11月30日まで。







▼礼門。桁裄三間、梁間三間、切妻造、本瓦葺のシンプルな門で、境内は連子窓の回廊で囲まれています。







            ▼礼門前に建つ凝りに凝った石柱。







▼礼門の扁額。







▼玄奘塔です。法相宗祖である玄奘三蔵の遺骨を奉安し、須弥壇には玄奘三蔵像をお祀りしています。







▼玄奘塔の不東と書かれた扁額。







▼本尊玄奘三蔵像。







▼玄奘塔の宝珠。







▼玄奘塔四方に敷かれた好感性の瓦タイル。







▼玄奘三蔵院壁画殿です。







▼平山郁夫さんの「大唐西域壁画」が公開されています。申すまでもなく平山さん渾身の壮大なスケールのシルクロードが描かれて
 いる壁画です。(写真はネットから貰ってきました)







▼御朱印です。







ナットクの薬師寺食堂の拝観でした。食堂内部はボクが知るお堂の雰囲気はありません。ようもまあこれだけ斬新なデザインを採用
したなと思うほど思い切った設えです。薬師寺さんの決断に拍手を贈りたいと思います。限定公開をナントカ通常公開にならんもん
でしょうか薬師寺さん。

これにて薬師寺 オ シ マ イ


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吉祥寺、お前立ちの毘沙門天も見事です。

2017年11月09日 | 奈良の古寺巡り






(2016.11.04訪問)


極楽寺から県道30号を南へしばらく走り、国道24号五條市街を通り本陣交差点をR168号に入ります。
あの有名な谷瀬の吊橋、日本一広い十津川村、熊野本宮大社を通りやがて新宮市に至る国道です。R168号は変化に富んだ山岳道路で
冬期はともかく、春夏秋それぞれのシーズンの顔を見せてくれ、かなりワイルドなドライブを楽しめるワインディングロードですヨ。

そうそう吉祥寺に向かうのでしたネ、R168号の吉野川を渡り少し行って丹原町を右折、開運坂と呼ばれる小道を1キロほど登ったと
ころに建つ毘沙門さんのお寺、吉祥寺に到着です。





▼参道入口に山門はありません、シンプルな石柱が両サイドに建てられています。
 この参道を少し進むと広場に出ます。







[ 吉祥寺 ]
●山号 柴水山 (しばしざん)
●院号 宝塔院 (ほうとういん)
●寺号 吉祥寺 (きっしょうじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●開創 弘仁七年 (816年)
●本尊 毘沙門天立像
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲時間 9:00~17:00   
▲奈良県五條市丹原町914 Tel.0747-22-0332
▲https://ameblo.jp/kissyouji/
▲JR和歌山線「五条駅」から十津川温泉または城戸または西吉野温泉行きバス「丹原」下車、徒歩約10分
 南阪奈道路「葛城IC」から県道30号、国道24号経由、約22km約45分





▼到着です。奥に見えるのが山門、提灯が見えますネ。







吉祥寺縁起 (吉祥寺パンフレットから抄出)
弘法大師は高野山開創にあたり、高野山の丑寅に鬼門除けの毘沙門天を安置し堂宇の建立に着手。しかし当地に水が無かったため
「柴手水の法」でもって身を清め開眼供養を終えた。この秘法の縁起にちなみ、大師は「柴手水の法」の手の一字を除き「柴水山」
と号し、毘沙門天の宝塔を院号とし、脇立ちの吉祥天女の名をとり「柴水山宝塔院吉祥寺」とし、現在に至る。





▼オシャレな料亭ではないんです、お寺なんですよ。しかし古刹の山門には見えませんよネ。
 崩れかけた袖塀がいい雰囲気を醸しています。







▼やはり文字は勘亭流崩しですか。

      





▼スグ左手に鐘楼が。







▼そして右手に手水鉢。







▼正面を見ますと来てます来てます紅葉の始まり。







▼広場右に目を転じますと右手に本堂、正面庫裡。







▼そして左手に大師堂。
 吉祥寺境内の建物は実はこれだけ、大師堂は新しい建物でお堂の雰囲気感じる事は出来ませんし、入堂も出来ません。







▼本堂横のお庭には山茶花や、







▼楓に、







            ▼宝篋印塔がヒッソリと建っています。







▼本堂。方六間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。







▼本堂前面はすべて中央一間三枚格子戸と格子蔀戸になってます。







▼本堂扁額。







▼本堂内陣の様子。







▼中央お厨子前のお前立ち毘沙門天立像。
像高約1mの小さなお前立ち像ですが、江戸期の作という事で、彩色と文様の細かさが綺麗に残っています。お前立ち像がこれだけの
素晴らしさ、さてお厨子の中のご本尊は果たして……。



写真は堂外小窓からのショットです。





▼本堂横のお庭。







▼山門を出ると……、







▼お寺の周辺は柿畑が広がっています。御所から五條にかけては有数の柿の産地で、途中柿畑があちこちに広がっています。
チョット手を伸ばせば……、そんな事はしてませんヨ、ボクは。







▼御朱印は毘沙門天王です。







庫裡にお声掛けをするとご住職が本堂内を案内して下さり、本尊お前立ちの毘沙門さんには目の前でお目にかかり、レクチャー頂き
ましたがお厨子の中はクエッション、本尊はもう少し大きい像との事。ついでに寺院経営のしんどさも。国指定でない限り仏像や堂
宇の維持修復は総て持ち出しらしく、これがまたお金のかかる事、お寺の悲哀を嘆いておられたのには、こちらも身に詰まされた思
いです。大寺院を除いて何処のお寺も地方へ行くほど、こう云った嘆きがお寺の現状を表しているようです。

吉祥寺これにて オ シ マ イ





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極楽寺、西を望めば金剛山が手の内に。

2017年11月06日 | 奈良の古寺巡り





(2016.11.04訪問)


三連休の真ん中、雨の降らない週末も珍しく、新大和路号は久々に葛城古道を南に向かっています。千数百年の歴史の逸話を数多く
残す葛城金剛連山を右手に見ながら通り慣れた道を走っています。さすが連休、南へ行くクルマは途切れる事はありません。今日は
御所吐田の極楽寺からしばし南へ、五條丹原の毘沙門さんに会いに行きます。





▼数は少ないですが、色付いてまいりました。







[ 極楽寺 ]
●山号 仏頭山 (ぶっとうざん)
●院号 法眼院 (ほうげんいん)
●寺号 極楽寺 (ごくらくじ) 又の名 吐田極楽寺 (はんだごくらくじ)
●宗派 浄土宗知恩院派 (じょうどしゅうちおんいんは)
●開基 一和僧都 (いちわそうず)
●開創 天歴五年 (951年)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲時間 6:00~16:00   
▲奈良県御所市極楽寺108 Tel.0745-66-0145
▲http://web1.kcn.jp/handag/
▲JR和歌山線「御所駅」近畿日本鉄道「近鉄御所駅」からバス鳥井戸下車 徒歩約25分
 南阪奈道路葛城ICから約10分





▼山麓線、葛城古道、県道30号線と色んな呼称を持つ道を一路南へ、葛城ICから2キロ少々、極楽寺への参道口です。
 (写真は南側から撮ってます)







極楽寺縁起 (極楽寺HPから抄出)
開山一和僧都は十八才の時に興福寺西塔院の増利僧都の弟子として仏門に入り、後に興福寺の座主に迎えられ、天歴四年村上天皇の
勅命により維摩会の講師となられ、その徳望は広く諸宗に聞こえておりました。上人は名刹を厭い、専ら修行修学の為の静寂なる地
を求め、ある時金剛山東麓で毎夜光を放つのを遥に望見せられた上人は奇異に思われ、その出所を探し求められました処、そこから
仏頭が発掘されました。これこそ有縁の地と考え仏頭山と呼び、その仏頭を本尊として草庵を結び法眼院と名付けました。





▼参道下の駐車場からのショット、まるで堅固な砦のような石垣の上が境内です。







▼広~いアプローチ参道。正面に石柱が建っています。

             





            ▼佛頭山極楽寺、立派な石柱です。







▼駐車場からの参道石段、正面の山門は鐘楼門です。







▼急石段なので門が覆い被さってくるようです。







▼数少ない彩りと山門です。







▼手水舎。







▼本堂。桁裄五間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。
 前面五間に格子戸が嵌り、左右に花頭窓を、一間の吹き放ち外縁が建物を巡っています。







▼本堂前面。







▼本堂内陣。中央須弥壇左右に脇壇が設えてあります。







▼中央須弥壇上の本尊。黄金の間という感じ。







▼美しさこの上なしの本尊阿弥陀如来立像。左右に脇侍の菩薩がお立ちです。







            ▼本尊阿弥陀さんのお顔。







▼左右脇殿の僧侶お二人。お名前は確認出来ませんでした。         













▼植栽越しの本堂です。境内は思いの外もみじは少なく、植栽された樹々はやっと緑から黄色への変身が始まったばかりの様です。







▼開山堂。開祖 一和僧都をお祀りしています。







▼境内から鐘楼門。







▼天得堂。厄除けの天得如来絵像が祀られています。施錠ガッチリ、堂内を窺う事は出来ません。
 本尊天得如来絵像は毎年四月十五日「天得会式」の時にご開帳されるそうです。







▼天得堂正面。右廻廊が本堂へ繋がっています。今日はこちらから本堂へ入堂しました。







▼天得堂扁額。







▼境内の一景。







▼庫裡です。こちらで御朱印を頂きます。







▼きれいな蘭が置かれた庫裡玄関。







▼庫裡の前を通って極楽寺お暇です。







▼御朱印は天得如来です。







境内は思いのほか狭く、入堂出来たのは本堂のみ、堂内外陣には座布団が敷きつめられ、何か法要があるのかも知れません。境内山
側にはお墓もありこの地区の檀家寺として歴史を紡いできたお寺なんでしょうネ。
吐田の極楽寺これにてオシマイ

続いて新大和路号はこれから五條市へ向かいます。五條市中心街を抜け十津川から新宮へ続くR168号を走るとすぐに丹原の町、少し
山手に目指す毘沙門天のお寺が在るんです。ではではゴーです。





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来迎寺、地域一番檀家寺か。

2017年10月26日 | 奈良の古寺巡り





(2017.10.14訪問)


活発な秋雨前線と台風21号のためにこの週末は外出ままならず。
ということで、せめて写真で青空を。
今年六月、大和郡山を訪ねた時、来迎寺の記を出し惜しみしましたので、今週はそれのご紹介で~す。
青空に免じて写真の少なさはご容赦を。





▼道路から一歩入るときれいな参道が一直線!







[ 来迎寺 ]
●山号 慈雲山 (じうんざん)
●寺号 来迎寺 (らいごうじ)
●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
●開創 不詳
●開山 不詳
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲拝観 境内自由
▲奈良県大和郡山市額田部北町687 Tel.0743-56-0269





▼山号扁額。







▼背が高ですネ、この山門。







▼広い前庭に一直線の参道、本堂が正面に。







▼どこかで見たような、テッペンの鴟尾を見て下さい。







▼本堂内陣の設え。







▼本尊阿弥陀如来坐像。           







 





            ▼半眼瞑想の阿弥陀さん。仏師、造像年代は不詳ですが、美しい像ですネ。







▼本堂です。







▼ヤッパリどこかで見たような。
 そうです規模は違いますが唐招提寺金堂の屋根と鴟尾によく似ています。







▼鐘楼。







            ▼石柱。







▼六地蔵。







▼境内の高台に建つ、







▼薬師堂。堂内は見ることは出来ません。







▼方丈です。







▼高台から境内。







方丈をお訪ねして、御朱印とお寺パンフをお願いしましたが、当寺はやっていませんとのこと。開創は不明で、お寺の詳細は全く不祥。
そんなに歴史は感じませんが、大きな墓所があるので、この地域の檀家寺として根ずいて来たお寺なんでしょうネ。

来迎寺 オ シ マ イ





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青蓮寺、菟田野日張山山中に在る尼寺です。

2017年09月05日 | 奈良の古寺巡り






(2017.09.02訪問)


新大和路号は正真正銘大和路を走っています。やがて刈り入れの稲穂が揺れている久々の大和路は長閑です。
R166を南へ途中青蓮寺への道しるべ、左折してしばらく走ると一転山中へと道は向います。中将姫の伝説で著名な日張山青蓮寺は山
の中。標高595メートルの日張山中腹に青蓮寺は在ります。対向車の通行を許さない狭く急坂、急カーブ、まあ凄い山道です。うっ蒼
とした杉木立の間を行くと、やがて目の前にぽっかりと空の見える所、視界がグッと広がりまるで浄土世界がそこに在るように境内が
広がっています。





▼日張山への道半ば、石仏などが祀られ、余裕の道に見えるでしょうネ。
 この道が曲者、だんだんと対向車の通行を許さないくらい道幅が狭くなりそのうえ急坂、まあ凄〜い山道となります。







[ 青蓮寺 ]
●山号 日張山 (ひばりやま)
●院号 成就院 (じょうじゅいん)
●寺号 青蓮寺 (せいれんじ)
●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう) 尼寺
●開基 中将姫 (ちゅうじょうひめ)
●開創 天平宝字九年 (765年)
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲拝観 境内自由 朱印300円 
▲時間 6:00~17:00  
▲奈良県宇陀市菟田野宇賀志1439 0745-84-2455
▲http://web1.kcn.jp/seirenji/
▲近鉄大阪線「榛原駅」から奈良交通バス「菟田野行き」「東吉野役場行き」で「松井橋」下車徒歩約4km





▼何者かよく判らないお二人。







青蓮寺縁起 (青蓮寺HPより抄出)
奈良朝右大臣藤原豊成の息女、中将姫が継母のざん言によって十四歳でこの山に配流、武士松井嘉籐太に助けられ、ここに草庵を結
び、閑居練行二年六月ひたすら念仏三昧の生活をおくられた。そのうち父君が遊猟に来られ、不思議に再開を得て奈良の都に帰館さ
れたが、菩提の志止みがたく遂に当麻寺に入りて出家剃髪の身となり法如尼と名のり、有名な当麻曼荼羅を感得、十九歳の夏再びこ
の山に登り、一宇の堂を建立、自らの影像と、嘉籐太夫婦の形像を自ら刻み安置、日張山青蓮寺と名づけ尼主の道場とされた由緒あ
る山寺である。尓来1200年の星霜を経て、幾多の変遷をまぬがれず、現今の堂宇は弘化四年(1847年)に再建建立。数々の遺物と嶺の
松風、渓の清流は昔ながらに中将姫の哀れにもゆかしい物語を今日に伝えている。





▼その横にお地蔵さんが微笑んでます。







▼手水舎。どうもここからが参道のようです。
 先への道のしんどさを象徴するように、日張山用の杖、ご自由にお使い下さいと書かれてたくさんの杖が用意されていました。







▼無常橋がかかっています。この辺りは宇賀志川の源流らしいです。







▼参道の先に山門が見えます。







▼山門。質素な山門の前に、青蓮寺の案内札が立てられています。







▼山門を潜ると石段の綺麗な参道が一直線。庫裡の屋根が見え出します。







▼青空が広がる境内、尼寺の何となく優しい香りが漂います。







▼青蓮寺の本堂開山堂。中将姫をお祀りしています。
 冬場の雪が相当深いらしく銅板葺きの屋根の傾斜はかなりのものです。
 桁裄三間、梁間四間、寄棟造、銅板及び桟瓦葺、一間向拝付。弘化四年 (1847年) 再建。
 縁の欄干のみ朱色、少しばかリ異形の感あり。







▼頂いた古い絵はがきの本堂、トップ屋根は茅葺ですネ。
 前庭もかなり違い、キャプションも右横書き、字体も古字が含まれ、住所表示も古い、何時頃の写真でしょうネ?







▼寺号が書かれた扁額。







▼内陣の設え。中央須弥壇奥のお厨子に中将姫が祀られています。







            ▼この方が中将姫。姫自らが手彫りしたお像と伝わるそうです。







            ▼當麻曼荼羅。中将姫が当麻寺に入り出家、この曼荼羅を織り感得、
             再び日張山に戻り青蓮寺を建立したという由緒があります。



             (曼荼羅写真はネットから)





▼中将姫が彫ったという松井嘉籐太夫妻の像。法如尼(中将姫)の弟子になった嘉籐太の妻静野(如春尼)へこの寺を与えられた。







▼松井嘉籐太と妻静野の墓。







▼本堂開山堂。







▼鐘楼。







▼梵鐘「無常の鐘」







▼阿弥陀堂。本尊阿弥陀如来坐像。桁裄三間、梁間四間、入母屋造、銅板葺、唐破風の一間向拝付。







▼頂いた古い絵はがきの阿弥陀堂、屋根はやはり茅葺ですネ。







▼阿弥陀堂扁額。阿弥陀仏殿と書かれています。







▼須弥壇上の本尊。







            ▼本尊阿弥陀如来坐像。
             像高1mくらい、全体のバランスも整い、躰部の金泥は非常に綺麗。
             ご住職曰く江戸初期くらいの作だそうです。







▼半眼の玉眼は細工が見事です。
 お顔の金箔剥がれは「私の仕業」とご住職、ついつい擦りすぎたそうです。勿体ない!







▼阿弥陀堂。







▼この石塔は墓標ではないそうで、何か記念石塔らしいです。







            ▼十三重石塔。黒御影石製、すこぶる高価そうですね。







            ▼何方か解りません、石像です。







▼庫裡前の小さな池。







▼庫裡です。こちらでご住職から御朱印を頂きました。
 このご住職 (勿論尼僧です) 話し好き、各お堂を案内説明し、お経まであげて頂きました。感謝合掌!







▼御朱印です。







創建1200年以上のお寺と伝わる青蓮寺は山寺と云う古寂びた感じはなく、尼寺と云う言葉の響きからでしょうか、どこか柔らかな優
しい雰囲気が漂っていました。ただ周辺環境はかなり厳しく、生活環境、日々の暮らしは大変な所、ご住職も「ここへは住めません、
私は毎日下からお弁当持って通っています」とのこと。それも立派な修行の一つ、しかしたった一人で尼僧としての修行はどんな感じ
なのか思い浮かぶことはボクには出来ませんでした。

青蓮寺これにて オ シ マ イ





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