飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
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万葉アルバム(関西):和歌山県、和歌山市 鹽竈(しおがま)神社

2013年11月27日 | 万葉アルバム(関西)


若の浦に 潮満ち来れば 潟(かた)をなみ
葦辺(あしべ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
   =巻6-919 山部赤人=


 和歌の浦に潮が満ちてくると千潟がなくなるので、葦のほとりをめざして鶴が鳴き渡ってゆく。という意味。

和歌浦は元々、若の浦と呼ばれていた。聖武天皇が行幸の折に、お供をしていた山部赤人が歌った有名な歌である。
鶴の群れが干潟で餌を漁っている。波が少しずつひたひたと満ちて、やがて満潮になる。すると鶴は鳴きながら一羽また一羽と次の餌場に向かって飛び立ってゆく。なんと絵画的な情景であろうか。

和歌浦に長く突き出た総延長1,200mの人工海浜の片男波海岸があるが、「片男波」という地名は、この「潟をなみ」という句から生まれたとされる。


歌川広重の描いた和歌浦
このあたりから江戸時代には鶴の姿が見られたようだ。広重は赤人の万葉歌に想いをのせて描いたのであろう。


この万葉歌碑は、和歌山県和歌山市の鹽竈(しおがま)神社の小高い丘に建っている。<クリックで拡大>
高さ1.6mにも及ぶ大きな自然石に、尾上柴舟氏の流麗な書によって刻まれている。昭和27年11月の建立。

鹽竈(しおがま)神社
結晶片岩でできた鏡山の南面に位置する。岩肌は曝れた木理のような観を呈することから伽羅岩と呼ばれ、岩と松の組み合わさった風景が玉津島の原風景を今に伝える。祠は、海風により自然に形成された洞窟である。祠の中には小さな拝殿が造られている。元は玉津島神社の抜所で、輿ノ窟(こしのいわや)と呼ばれていた。
神社近くの小高い丘には、干潟を望むかのように山部赤人の有名な歌碑が建っている。
和歌の浦を象徴していた「和合の松」の脇に建っていたが、その松は2012年の台風で倒れてしまったのは残念だ。歌碑も倒れたが修復され戻されたとのことである。


鹽竈(しおがま)神社付近から和歌浦のシンボルにもなっている不老橋と和歌の浦方面を望む

(写真は2013/10/18 撮る)